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神話21世紀  作者: 風月莢
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三十九、君の望むままに

この教会に慈愛に満ちた女神はいない。

今ここにいるのは死神。

希望も祈りもない。

黒服の女、黄昏が鈍く光る凶器を振り回す。

躊躇いなどない。照準はフユ。


救済はない。


荒い風圧が、微笑する女神像を襲う。


—女神の資格を失った女神だ。

些細な感傷がフユの思考を掻き乱す。


「フユさん!!」


朝凪の声。


—『死神もキリストに祈るのか。変な話だな』

—『祈ってねーよ。救われたいとも思ってねぇ』


乱火と交わした言葉の記憶。


フユは刃を向ける黄昏の襟元をぐっと掴んで、振払う代わりに引き寄せた。

「あの時出会ったのが…乱火じゃなくてあんたみたいな奴だったら…、」

手遅れだと知っているけど。

「今迷うことなんて、無かったのに…」

言わずにいられない。



—『世界が壊れりゃいいと思ってるんだ』

乱火はそう言った。とても乾いた口調で。

投げやりな無防備さと気怠さに、どこか自分と似た空気を感じた。


認め合える予感なら、多分この時に、もうあったんだ。


—『丁度いいな。俺もだ』


けれど、そう言って微かな予感を自ら打ち消した。


—『お前達を破滅させたいと思ってた。ずっと』


ただこのやり切れなさを向ける相手を探していた。心中でも良かった。

どうせ浮き世を謳歌する気持ちなんて残っちゃいない。

抉り取られた心の分、彼岸の世界もズタズタにして…。


—『こっちはお前ら彼岸の使いのせいで、今までずいぶん泣かされたんだぜ。報いろよ』

見開かれた乱火の目が動揺を物語ってた。

『彼岸の使い。誰にも知られてないと思ったか?』

図星だと顔に書いてある。

『自分達だけが特別だとでも思ってたかよ?じゃあさっきの挨拶は—』


—『死神』も、キリストに祈るのか。


『タチの悪いジョークだとでも?』

おめでたい。その勝手な思い込みで、気ままに人狩りか。


でも乱火。お前は違ったんだろ。


だからこんな廃墟で気怠くサボってた。永遠に彼岸には戻らないつもりで。


『なぁお前の力…、俺に渡せよ。もう要らないんだろ』


丁度良い奴に出会ったと思ってた。あの時は。

乱火は彼岸に愛着が無かったし、俺はそれを壊したかった。

要らない力なら俺が使う。


拍子抜けするくらいあっさり力の譲渡を承諾した乱火は、おもむろに立ち上がって手近なステンドグラスを割った。

『血の魔法陣が必要なんだ』

ガラスの破片で深く切ったのだろう、赤く染まる手から雫が落ちた。

振り向きもせず説明した声はもう乾いていなかった。静かで穏やかな声だった。


力の譲渡はあっけない契約だ。


リスクがあるのは差し出す方だけで、受け取る方は黙って立っていれば良い。


乱火の血で床に魔法陣が描かれていくのを、突っ立って見下ろす。

促されるままその魔法陣の上に移動しても、消耗していくのは乱火だけ。

ゆっくり、不思議と温かい感覚になる。一方でぐったりしていく乱火を眺めていた。


—このままコイツが死んでいったって。


ふと微かに震える赤い手に触れたのは、何かの気の迷いだったと思う。

自分よりはるかに低い温度にぎょっとした。

『おい、大丈夫かよ』

咄嗟に呼びかけても反応がない。

『おい、』

まさか死んではいないだろうが、焦りを感じて手を取っても、振払う力も残っていないらしかった。

『おい、死ぬなよ?』

そう言うとぐったりしていた表情が少し緩んで、唇が微かに弧を描いた。

ガラスで切った外傷よりも力を失った不安定さで消耗しているようだ。

『バカだな。そんなにしんどいなら止めときゃいいのに』

くれと言った手前、勝手な言い分だが本心だった。病院に担ぎこまなきゃいけない事態ではないが、さすがにこのまま放置することも出来ないので隣に胡座をかいて一人愚痴る。

返事の代わりに弱々しく手を握り返された。その瞬間、何も始まっていないのに後悔に似た感情が過った。



あんな風に出会ったりしなければ良かった。

今は心から思う。



彼岸の力を無くして、乱火がどうするつもりだったのか知らない。

『行くと来ないならここにいれば』

多少の罪悪感はあった。でも、だからだけで、ああ言った訳じゃない。

打算。乱火がいれば、彼岸の奴らは必ず近付いてくる。破壊の取っ掛かりになれば、いい。


—『フユ』


そんな風に思ってたのに。


風の気持ちいい春だった。乱火が居るのに慣れ切っていた。

あの日ソファで目を閉じていたけれど、眠っていた訳じゃなかった。


—『お前の望みに俺は最後まで付き合うから』


不意打ちだ。


俺が負った傷に、それで報いたつもりなのかよ。乱火。


余計に抉れていくんだ。

わかんねーのかよ。



ムカツク。




たぶん。


認め合えるけど分かり合えない。




今視界に映るのは黒服の殺意。黄昏という名の女。あの時出会ったのが乱火じゃなくてコイツだったら、楽だったのに。コイツなら、何の躊躇いも無く…。


ポケットからガラスの小瓶を出す。


乱火から奪った力と小瓶の液体を反応させるように黄昏に投げ付ける。

濁った爆音と共に青白い閃光が走る。その後立ちこめる濃い白の煙。直前に見た黄昏のハッとした顔。

爆音と閃光で聴覚と視覚が馬鹿になっているが今更関係ない。

煙が晴れてもそこにいるのはフユと朝凪だけなのだから。

朝凪が青ざめる。

「最上層衛隊を…焼き…尽くした…?」

「何してるんだ。早く行くぞ」

「あ…、はい…!!」

フユに気圧される朝凪。


もう、全部が戻れない。

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