二十四、君に手紙を
彼岸の世界は、人間界を顧みない。
私たちはエゴに染まった死神だ。
「全消し。砂都、オマエもーちっと修行が必要だな」
フユはそう言って、砂都に躊躇いもなく笑顔を見せる。
―目の前でいとも容易く命を奪われる人間を、彼は何人見ただろう。
他の人間に『見えない』彼岸を話題に出来るはずもなく、何もかも心の中に閉じ込めて、一人きりで傷付いて。
それでもフユは砂都を傷付ける手を止めた。
あまりにもあっさりと。
―私は?
「フユ…」
砂都が消え入りそうに呟く。
「ん?」
「あの…、……ごめんなさい……………」
時が止まったかと思った。誰も何も言わず、呼吸すら聞こえない。
そんな一言でキャンセル出来るなら、過去ごと全て無くなればいい。
「なにが?」
背後にいたせいで、フユがどんな表情をして言ったか分からない。抑揚のない口調だった。
「何の事だか分かんねえよ、だからお前も忘れろ。……それともこう言えば満足か?『ああ俺も悪かったな。痛くなかったか』、―全部嘘だぜ」
落ちていくテトリスのピースだけが、変わらない時間を刻む。
「なぁ砂都。お前が期待するような言葉は、俺の中からは出てこねぇ。だから下らない謝り方すんな」
ごめん。いいよ。それで終わってゆくことばかりなら、こんなにも悲しくはないのだろう。
「許すとか許さないとか、そういう話じゃねえ。どうしたって記憶は消せない。いっそ、今まで通りでいいじゃないか。お前らは好きに奪えばいい。別に何も感じちゃいねえよ。文句もねえ。好きにしろよ」
ごめん。ああ、そんなことどうだっていい。
―もう、期待なんてしていないから。
分かり合おう、なんて、夢物語。一体何が駄目で、こんなふうになってしまったんだろう。
「乱火、代われ」
立ち上がって乱火にコントローラーを手渡したフユは、誰の目も見ようとしない。
「まぁ…、お前もあんま深く考えんなってことだ」
砂都にそう言い残して、部屋を出ようとする。
「フユ、どこ行くんだよ?」
関わることを、避けるように。
「お前らが出てかねーなら俺が出てく。部屋は好きに使え」
フユはドアに手をかけて降り返ることもない。
こんなにも簡単に明け渡して、自分の居場所に執着もない。―居場所に、この世界そのものに。
「おい、待てよ」
乱火が咄嗟にフユの左腕を掴んだ。
「―っ!」
掴まれた左腕をぐっと庇うように身を屈めたフユに戸惑う。伏せた横顔が苦しそうに歪んでいた。
「お前…やっぱりさっきの攻撃で……」
「うるせぇ」
乱火の手を振払う仕草が、拒絶を誇張する。
「…何でもねぇ。触んな……、一人にさせろよ。…ここに居たくないんだ」
フユは押し殺すように呟いて出て行った。
私は金縛りのように動けない。
彼を引き止める確かな言葉を、誰か口に出来る人がいたとしても。
その孤独に侵入して、この世界に繋ぎ止めるだけ、彼を支配する人が現れたとしても。
きっとフユは、真っ直ぐに視界を上げることはない。
ハルやナツメやフユが、諦めているのを見たくない。その為に私一人で事足りるなら、全て投げ出したって構わない。
「フユさん……」
朝凪の心配そうな声が痛い。
人間に肩入れするのは、彼岸を否定するのと変わらない。生死を管理するという存在意義を存続するために、彼岸は躍起になっている。
―死神のアイデンティティーなんて、誰が決めたんだ。
殺すことを放棄したら、私たちは用無しで、だけどそんなこと誰が望んだのか。
私が自分のエゴを振翳して人間を保護するためにクーデターを起こすなら、当然それは彼岸に取っては危険因子で、摘み取るべき芽だ。
もしも私が勝ってしまったら、彼岸の世界は恐らく現状維持なんて出来ない。きっと新しい意味を見出す前に崩壊していくだろう。そのくらい彼岸は『生死の管理』に固執している。
鎮圧されて抹消されるか、破壊神となって彼岸の終わりを眺めるのか。どちらにせよ結局、未来はない。
それを知りながら尚戦おうとしている私はやはり異端だ。
―朝凪も、里雪も、好きだ。
敵対するだろう桜や華夜も、本当は彼岸を守ろうとしているだけだ。
私は永遠に堕落していく連鎖を断ち切りたいだけで、彼岸の誰かを憎んでいるんじゃない。
けれどそれはキレイゴト。言葉を飾ったところで結果残るのは、殺戮なのだから。
ああだけど、ハル、ナツメ、フユ。
―朝凪、里雪。
どうして愛すべき存在を、同じだけ大切に出来ないのだろう。