二十二、命ある言葉
フユが音も無く一歩を踏み出し、ドールフェイスが後ずさる隙も与えず、その首を掴んで乗り上げるように押し倒した。
「―っ!!」
私の立ち位置からは、フユの表情は栗色の髪に隠されて見えない。唇だけ小さく動くのが、辛うじて分かった。
「言え。生きたいのか、死にたいのか」
殺伐とした台詞が低音で静かに紡がれる。下敷きになった相手の首にかけたフユの手に、ゆっくりと力が入っていく。それなのになぜか、微かな殺気も感じない。まるで答を促すような、待っているような柔らかな沈黙だけが辺りを埋める。
「……く、…死にたく……ない…」
弱々しく零れた声に、ぴくっとフユの手が緩む。揺れた髪の隙間から、ドールフェイスを見つめる瞳が露になる。
―『分かってる』
そういう目をしていた。漣一つ立たない、諦めとも優しさとも取れない瞳。
「それでも俺を抹殺するのは、オマエの正義なのか」
感情を殺しているのか、何も感じないのか、事実確認のためだけの質問のようだった。抹殺されることで、目の前の相手の正義が貫かれる。そんな理不尽な回答を、フユはあの不思議な目をして待っている。
「……君は、…危険………だ、から」
フユはそう聞いた瞬間にぱっと手を離し、地面に寛いだ様子で腰を下ろした。もうどうでもいいというように苦笑する。
「危険なものは排除せよ。…賢者の教えは馬鹿の一つ覚えだな」
「ばっ、フユ!そいつを自由にするな!!」
乱火が怒鳴った。
けれど攻撃しようと腕を振り上げたドールフェイスを、フユはただじっと見つめただけ。
―それも、有りか。
フユがそう思っている気がした。
―もう抗うのも疲れた。
だってその目が。
ここで殺されとくのも、手間が省けていい。そう言っている気がした。
「フユさんは!危険なんかじゃないです!!」
「―朝凪!」
朝凪が必死でドールフェイスの腕を掴んだ。
「キレイで強くて、ちゃんと!あなたを助けようとしてる!!!」
ドールフェイスに向かって叫んでいる。フユが与えたのは、死ではなくて、逃げ道。
「あなたは気付いてるくせに、まだ攻撃しようとする!」
フユが少し驚いた顔をして朝凪を見ている。
「あなたのやってることはおかしいです!フユさんのことを何にも知らないくせに!!!」
「………………オイ」
フユが朝凪に声をかける。
「ハイ」
「テメーだって知らねーだろ、俺のこと」
溜め息混じりにくしゃりと髪を掻き揚げたフユは、面倒そうにぼやいた。
「アンタ朝凪っつったっけ」
「―!ハイ!!」
朝凪が頬を微かに染めたのを見て、「女の子」だな…と場違いな感想を抱く。でもだからこそ、朝凪を連れて行きたくはない。朝凪は現状の先にある未来に、充分に幸せを見つけることが出来る。戦ってでもエゴを押し通したい私とは、根本的に違う。
「黒髪、あんたは」
「……詩月」
フユが理解したと言う風にそれと気付かないほど小さく頷く。
「で、オマエは。お人形」
フユがドールフェイスにかけた声は、「抹殺」なんてなかったように静かで優しい。
「名前。なに」
「……砂都」
躊躇いがちに答えたドールフェイスは、フユがすっと立ち上がって空気のように近付いて来てももう攻撃する気はないようだった。
「砂都、プレステ3あんだけどゲームしねぇ?」
「えっ…」
「!?」
フユの誘い文句に全員が息を呑む。
「おい、フユ…っ」
「んだよ」
止めかける乱火に涼しい顔を向けるフユ自身は、自分の言動に疑問を抱いてはいないらしい。
「そいつはお前を殺しに来たんだぞ!」
「…はあ?だから何だよ?」
だから、何、って。
「まだその気があんのか、砂都」
フユが砂都に直接聞くが、「今は違う」なら許せるとでも言うのか。
「……」
返答に詰まる砂都を見つめるフユは、無表情でいながら、どんな答えも否定しないと思わせるような安心感を抱かせる。答えられないことすら、受け入れてもらえると錯覚しそうになるほどに。
「まぁイイや。ほら行くぞ」
そう言って砂都の頭を掻き混ぜたフユは、大人びていて、痛みなど僅かも見せない。
「フユ、待てよ!分かってんのか!!」
呼び止めた乱火を振り返りもせず、フユが呟く。
「俺、刃向かってくる奴って、好き。
……それで文句ねーだろ。めんどくせーよ、イチイチイチイチ」
好きの一言で、こんなに簡単に片付けてしまう人間を、私は知らない。
「おいで、砂都」
戸惑いながら付いて行く砂都が伺うように言う。
「ぼく、テトリスやりたい」
「あー…もっと現代的なゲームやんね?」
その光景は仲の良い兄弟にさえ見える。
後ろ姿を見送って、二人の声が聞こえないほど離れてから乱火に話しかける。
「さっきの、ガード間に合ってたのかしら…。朝凪を庇って自分を守りきれてなかったように見えたけど……」
「ああ、……」
乱火は深く語らず曖昧に濁した。
「とにかく、砂都に話を聞こう。あいつはなんか知ってるだろ」
「砂都さんって、何者なんですか?」
朝凪が尋ねる。
「ピンクの髪のドールフェイスな…。あれは風姫の側近だ」
「風姫…?」
「これは思ったより、根が深い戦いらしいな」
乱火が独り言のように言った。