二十一、何が出来る
「ラッキィ。乱火とフユが同時に釣れちった☆」
声に吊られて顔を上げれば、屋上のフェンスにピンクの髪をしたドールフェイスが腰掛けている。私と面識はないが、今の攻撃から見て間違いなく彼岸の使いの一人だろう。しかも厄介にも、人間界での戦いを厭わないタイプらしい。
「なんだ…俺にも用があるのか。乱火の客だと思ってた」
特に動じる様子も無くフユが応える。感情の伺えない声音だった。
「んー。どっちかってとキミへの用事がメインかなっ」
ドールフェイスが無邪気に笑う。
「かっ…、
かわいいです!!!」
朝凪が思ったままを叫んだ横で、乱火が白けた目を向けた。
「あれ、オトコ」
「!!」
「おい詩月!朝凪がショックで倒れた!!」
「うそ、なんで気絶すんのよ!?」
騒いでいるこちらを後目に、ドールフェイスがフユに言う。
「話進めていいっかなー?」
「ああ、気にするな」
「じゃ、お言葉に甘えて。フユ、キミを、」
「―抹殺しに来た」
「な…、」
驚いた乱火が小さく声をあげる。対照的にフユは冷静で、試すような笑みを浮かべた。
「ふうん。案外暇なんだな、オマエ」
―フユ、挑発……、してるの?
「そうでもないよ、他にも仕事はある」
だって、抹殺、って。
「待って、フユは…『人間』でしょ、関係ない…」
つい口を挟んだ。
たとえ彼岸が見えたとしても。取り違いがあった訳でも、寿命が近い訳でもない。なのに、どうして。
「関係あるよ」
言葉と同時にフユ目掛けて何かが投げられた。ドガッとコンクリートが抉れて、直撃したら確実にフユの命を奪えるだけの威力があることを物語る。
けれど、それよりも驚いたのは、フユの軽い身のこなし。
ふわりと風のようにかわし、その着地に音一つ立てない。
「派手な奴。…品のねぇ攻撃」
それはわざわざ自分を狙えと言っているような台詞。
「なんとでも言ってなよ」
破壊音と飛び散るコンクリートの欠片が、平和を遮断する。
カシャンとフェンスに飛び乗ったフユが真っ直ぐに相手の目を見て言った。
「邪魔だな。焼いてやろうか」
フユが翳した手の平に、青い炎が現れる。
それ、は。
「乱火の術…、どうして」
あれは確かに、彼岸の火で、昔乱火がよく手の上で転がしていた。何か持て余すように。丁度さっきの、煙草のように。
「人間の三文呪術なんてタカが知れてるよ。バカじゃん、そんなんで何とかなると思ってんの?」
挑発に挑発で返されて、フユが青い炎を翳したまま綺麗に微笑んだ。
「―オマエ化学反応って知らねえ?小学校で習う」
彼がそう言って、炎を持たないもう一方の手で羽織ったシャツの胸ポケットから小さなボトルを取り出す。コルクの栓を銜えて外す様はまるで、計算しつくされたよう絵のように艶やかで、現実味がない。
「フユさん!!」
むくりと起きた朝凪が立ち上がる。
「フユさんがピンチです!!」
―朝凪の言葉にはっとする。「助けよう」と思考が固まるより速く、フユに目を奪われていたと気付く。
「フユ、止めろ!!」
乱火が叫んだ。
その声も無視してフユが穏やかに続ける。
「火気に反応する物質なら腐るほどある。威力は絶大」
「フユさん!!!」
朝凪がフユの前に飛び出したのは、フユの持ったボトルの中身と、彼岸の炎が混じり合った瞬間だった。
途端、火種が倍以上に燃え上がって、ドールフェイスと朝凪と、一瞬朝凪に気を取られたフユもろともを包み込む。
「フユ!!」
「朝凪!!」
爆発のように拡大した炎はすぐに消え、紫煙が後に残る。彼岸の炎が人間界で継続的に存在することは出来ないらしい。晴れていく煙の中心で、フユが朝凪を庇うように抱え込んでいた。
「……邪魔すんなバカ女。アイツは俺に用があるんだ」
ふらりと立ち上がって吐き捨てたフユが正面を睨む。
対峙するドールフェイスは今の爆破でダメージは受けても、戦う気は失っていないようだった。
彼岸の方がフユに用があったにしろ、それは彼岸の都合であって、フユが真正面から受け止める必要はどこにも無い。
まして攻撃だとか抹殺だとか、どうしてフユは、否定しない?
声を荒げて「ふざけるな」の一言でもいい。
どうして分かったような顔をして、甘んじて受け入れる、なんて。
痛い。
「乱火、…今、朝凪を庇って彼自分のガード遅れなかった?」
そう見えた。
フユ、あなたは今まで散々人間の命を奪ってきた彼岸を見ていて、それでも朝凪を庇って傷付くのか。
「ああ…」
悔しそうに答えた乱火も、多分私と同じことを考えている。
いつだって、ただただ傷付くことで他者を救っていく人間がいる。
それは苦しいくらいに綺麗だと、私は思う。
だけど少なくとも、それが私が関われる場所にあるなら、
―傷を埋めたい。