十七、既に始まっている
時の止まったような彼岸の世界で、白い背景に馴染む色素の薄い金の髪と、紅茶色の目を持った彼。彼の正面に艶やかに佇む、挑発めいた笑みをたたえた黒髪の彼。ここに存在するのは対立する色彩と、それを引き立てる不穏な空気。
「よぉ」
黒髪の青年が親しげな軽い調子で声をかける。
「華夜、お前…」
「ん。なんだよ、裏切った、とか言うなよ?」
里雪の纏う空気が一瞬で敵意へと変わった。直後に天井から落ちたのは、白い美しい欠片。
そして、爆音と、白煙が舞い上がる。それは作り物のようにきらびやかな光景。
「うん…腕は落ちてないね。心配が一つ減った」
白煙の中心で身を屈めた華夜が満足気に呟いた。煙が晴れて全てが晒されれば、直撃にも関わらず服すら乱れていないことが分かる。
「ふざけんな」
詩月の前で揺れた暖かそうな紅茶の目が、冷酷な色を持つ。短く吐き捨てられた言葉が真っ直ぐに華夜に届いた。
「心外だな。俺は真剣だよ」
挑発。
爆音。
ばらばらと天井が落ちる。
―彼岸が壊れていっっても、構わない。
里雪の攻撃を真正面から受けて面白そうに目を細めた華夜は、身じろぎ一つしない。
「シールドに頼り過ぎると後悔するぞ」
「俺が防御に徹するとでも思ってんのかよ」
すっと華夜が構えた刹那、どこからか《ストップ》と声が聞こえた。瞬間、舞っていた煙が消え去る。残ったのは穴の空いた床と折れた柱、砕けた天井、その残骸。
「……出た。無力化女。面白いとこだったのに」
声の主を見とがめた華夜がぼやく。
「喧嘩なら他でして下さい」
『無力化女』と呼ばれた彼女が事務的にたしなめる。
「音波…」
音波。里雪が彼女の名を呼ぶと彼女はそちらに視線を移し、知的な眼鏡の奥で瞳を細めた。
「もういいや、冷めた。またな里雪」
溜め息混じりに華夜が言い残し、あまりにあっさりと背を向ける。
「おい待てよ!」
「里雪さん!!」
音波が華夜を追おうとした里雪を引き止める。
「らしくないですよ。攻撃をしかけるなんて……なぜです」
そして問いかけて、思い当たる。
「…また詩月絡みですか」
「うるせぇ」
里雪がバツが悪そうに零した。
「ああ。そうなんですか…」
やれやれと首を振る音波は呆れながらも続ける。
「それもいいですけど、もう少し考えて行動して下さいよ。ただでさえ素行不良で目立ってるんですから。一体いくつ揉み消したと思ってるんです。あなたと詩月の勝手な行動を」
「…悪い」
「……こっちも本職があるんですから、私だっていつもいつも書類を書き換えられる訳じゃないんですよ?」
音波が豆粒ほどに小さな欠片を放る。それが損傷した床に接したと同時に元通りに復元された。同じように、柱も。最期に特に大げさな素振りも無く弾いたそれが高い天井に当たって、何もかもが元通り。
「下手をしたらランカの二の舞いに…」
里雪の顔を見ず音波は言う。
「それは私も本意じゃないのでしっかりして下さい」
「…………了解」
充分過ぎるほど間を置いて、里雪が居心地悪そうに答えた。