十五、遠離る人近しい人
「賢いハルの担当で羨ましいわ。詩月」
桜が囁くように言った。
ハルは、直接的な発言をしなくてもナツメに取り違いがあったと悟っている。彼女の伏せた目が数秒苦しげに閉じられ、ナツメを抱えた腕にぎゅっと守るような力がこもったのが分かった。
「この調子ならハルが消滅するのも時間の問題ね」
煽るような桜の言葉。聞きたくもない。
「その前に桜が消えるんだ」
真っ直ぐに言い捨てて睨んでも、桜はゆったりと構えたまま。
「私は消えない。あなたの力じゃね」
「…面倒クセェ」
成り行きを傍観していた華夜がつまらなそうに呟いた。
「桜、俺はもう行く」
華夜はいつも協調性に欠けて、他者と慣れ合うなんてことはしなかった。飄々として自分本意で、誰にも属さないかわり、誰の敵でもなかった。
「ええ、私も行くわ」
その華夜が桜と共にいる。
「華夜!」
―あなたは『敵』なの?
『面白そうだから』、あなたは私と反対の立場にいるっていうの?これはそんなに簡単な話なの?
「じゃあね。105地区の詩月」
その台詞を置いて二人は消えた。二人の気配が無くなった瞬間、遠くから華やかな叫び声が聞こえた。その声に聞き覚えがあって、咄嗟にハルに呼びかける。
「ハル!避け…」
「センパイ!!!」
途端、激突して来たのは彼岸105地区の後輩。
「……アレ?大丈夫ですか?」
強烈な一撃を風のように忘れ、私の上に乗り上げたままその人物がぽかんと言う。
「朝凪っっ!」
アサナギ。長い金髪を二つに束ね、夏空のようなライトブルーの瞳を持つ彼女は、とても手のかかる後輩だ。
「まァいいっか。会いたかったです!!」
「はぁそりゃどうも……」
ぎゅうぎゅうと抱きついてくる朝凪には悪意の欠片も無い。
「そうそう、はい、なぜかここに来る途中でナツメくんの魂拾って。あやうくみーちゃんが食べちゃうところでしたよ」
そう捲し立てながら素手で掴んだナツメの魂を目の前に突き出した。
「みーちゃん?ああ、あの何の役にも立たない使い魔…」
記憶を頼りに確認する。
「役には立たないけど癒してくれますよ」
「…癒されるのはあんただけ」
『みーちゃん』は生々しい大蛇だ。漢字にするなら『巳ーちゃん』。……センスが無さ過ぎる。
「それにしても…」
偶然とはいえナツメの魂の無事が確保できたのは奇跡だ。
「大手柄。朝凪最高」
「…………」
うっかり褒めた後の間に嫌な予感が過った。
「っ、やっぱりセンパイ大好きです!!!」
がばーっ!!という効果音付きで再び激突され予感が的中したことを知る。こと朝凪の奇行に関して的確な表現があるとすれば、抱きつくなんて可愛らしいのもじゃない。文字通りの『激突』だ。
「いちいち全身で表現しなくていいから!」
押しのけながらハルに向き直った。
「―ハル、紹介するわ。朝凪。見ての通りかなり暑苦しいけど別に害はないから」
「朝凪です。初めましてハルさん」
辛辣な紹介を意に介する素振りもなく朝凪はハルに笑いかける。
「ハルさん、心配しなくてもセンパイがいれば万事上手くいきますから!バッチリです!私もいます!」
「…朝凪、余計なこと言うんじゃない。保証出来ない」
不確かな気休めで紛らわそうとするなら、それは無駄なことだ。
「保証は私がします。大丈夫です」
それでも朝凪は雑誌モデルのような完璧な笑顔で笑って、そう言った。