完璧令嬢? いいえ、ポンコツ令嬢です! ~完璧令嬢(仮)は執事への恋心を忘れるために自立したい!~
ブレゴール公爵家には、容姿端麗で誰もが憧れる令嬢がいた。
彼女が社交界へ参加すれば流行が生まれ、彼女の選んだ茶菓子やブランドは瞬く間に急成長するといわれている。
“完璧な令嬢”といえば、皆が彼女を想像するだろう。
それが、ラミーシャ・ブレゴールなのだが……。
「貴族学院になんて入ったら、ラミーシャがポンコツなのがバレるじゃないの!?」
ブレゴール公爵家の女当主――ミレディアは頭を抱えていた。
ラミーシャは今年、フォレード王国の貴族学院に入学する。
「あぁ……愛する夫を亡くして以来、ブレゴール公爵家のためにと奮闘してきたけれど、今回ばかりはどうしようもないかもしれないわ。だって、学生寮に入らなければならないのよ!?」
「当主様、お任せください。私が必ずや公爵家の秘密を守りますよ」
ミレディアの前に跪いたのは、オレンジ色の短髪にアンバーの瞳を持つ執事。とはいえ、仕事内容はほとんどラミーシャの世話係だ。幼い頃からずっと、ラミーシャを傍で守り続けてきた。
「カイル、あなただけが頼りだわ……!」
「もう、お母様もカイルも心配しすぎだわ」
そんな二人のやりとりを前にため息を吐いたのは、話題の中心にいるラミーシャだ。
美しい金色の長い真っすぐな髪に、憂いを映すラピスラズリの瞳。白くなめらかな肌は、真珠のように輝いている。身に着けた濃紺のドレスや銀の装飾品は彼女を引き立てるための道具でしかない。それほどまでにラミーシャの容姿は整っており、誰もがその姿に見惚れずにはいられないのだ。
しかし、完璧なのは見た目だけ――というのはブレゴール家最大の秘密だ。
「心配もするでしょうよ! わたくしが甘やかしすぎたせいで、あなたの頭の中は平和なお花畑。人を疑うことを知らず、誰もが優しい人だと信じている……まさか十七になるまで変わらないとは思わなかったわ……」
「それは私にも責任があります。お嬢様が社交界での立場を確立できるよう、ドレスや装飾品を手配し、お茶会での言動を操作してきたのですから」
「いいえ。裏で手を回すよう頼んだのはわたくしよ。この子は所作や見た目は美しいけれど、しゃべるとポンコツだから……」
「ポンコツってひどいわ、お母様。私だって皆さんとおしゃべりしたいのに」
「それは絶対にやめた方がいいでしょうね。お嬢様が話すと、“完璧な令嬢”のイメージが崩れますよ」
普段、ラミーシャは人前では扇子を使い、カイルを通してしか他人とコミュニケーションをとっていない。
つまり、社交界において自分の言葉で誰かと会話をしたことがないのだ。
そんなに自分の会話力は酷いのだろうか、とラミーシャは地味にショックを受ける。
「……そうよね。ブレゴール公爵家のために、私がおかしな言動をしない方がいいのよね。お母様もカイルも、私のことを思ってのことだとちゃんと分かっているわ」
社交界での失態は直接ブレゴール家への影響につながってしまう。
それに、様々な思惑渦巻く社交界で、人をすぐに信じるお人好しな性格がバレれば、悪事に利用されることもある。
“完璧な令嬢”として高嶺の花になっていれば、気軽に近づけないため余計なトラブルは回避できる。
素直で心優しい彼女を守るために、ミレディアとカイルは社交界デビューの前から“完璧令嬢”のラミーシャを作り上げたのだ。
おかげでラミーシャはこれまでトラブルに巻き込まれたことはなく、貴族令嬢の憧れの対象となっており、貴族令息からの縁談の申し込みも増えてきた。もちろん縁談はすべて丁重にお断りを入れている――カイルが。
「ラミーシャ……やっぱり、貴族学院に入学するのは」
「お母様、だからこそです。今まで私を守ってくださったことは感謝していますが、守られるだけなのが嫌なのです。ラミーシャも自立したいのです」
これまで母であるミレディアの言うことは何でも素直に聞いてきたラミーシャだが、初めて母に反抗して自分の意志を訴えた。
ラミーシャの覚悟を目の当たりにし、ミレディアは渋々入学を認めたのだった。
* * *
(やっとだわ! やっと、自由になれる!)
貴族学院への入学の日。
ラミーシャはようやく独り立ちできる喜びに内心震えていた――のだが。
「ねぇ、カイル。どうしてあなたがいるの?」
「言ったでしょう。私が必ず公爵家の秘密を守る、と」
なぜか貴族学院行きの馬車にカイルも同乗しているのだ。意味が分からない。
「もしかして、あなたも学院に?」
当然だというようにカイルは頷く。
「学院は自立を促すために従者の同行は許していないはずよね?」
ラミーシャが貴族学院への入学を熱望したのはこのためだ。
普段は母の庇護下にあり、常にカイルに“完璧令嬢”に仕立て上げられているため、ラミーシャには自由がない。
だが、学院に入学すればそれらから解放されると思っていたのだ。
「もちろんブレゴール家の名を使って特別に許可をとっていますよ。国王陛下からの推薦もいただいていますしね」
その言葉を聞いて、ラミーシャは天井を仰いだ。
(叔父様ったら、全然わかってくれていない……!)
実は貴族学院への入学は、国王陛下の後押しがあって決まった。普通にお願いしても、あの母が許すはずがないのだ。
ラミーシャの亡くなった父は王弟で、国王陛下は叔父にあたる。叔父もラミーシャを可愛がってくれており、今回自立するために貴族学院に入学したいとお願いしたら、あっさり叶えてくれたのだ。
しかし、味方だと思っていた叔父にまさかの形で裏切られることになってしまった。
ラミーシャは無駄と知りつつも、カイルを説得しようと口を開く。
「私はもう一人でも大丈夫よ。何年もカイルに仕立て上げられていたんだから、さすがにもう自分でもできるわ」
ラミーシャにはなんとしても自立したい理由があった。
「いいえ。お嬢様一人だけだと、怪しげな壺を買わされたり、新興宗教に入信させられたり、コロッと騙されて誘拐されたり、公爵家のコネがほしい人間に利用されるのがオチですね」
「そ、そんな簡単に騙されたりしないわ」
「本当に?」
「えぇ」
「だったら、試してみましょう」
「望むところよ!」
売り言葉に買い言葉で、カイルの口車に乗せられてしまった。
けれど、ここで認めさせることができれば大丈夫だと自分に言い聞かせる。
こういう単純思考の言動がポンコツと言われてしまう所以だとラミーシャは気づいていない。
覚悟を決めてラミーシャが頷くと、急に視界いっぱいにカイルの顔が広がった。
「ラミーシャ様、お慕いしております」
「ひぇっ」
顔が近い。近すぎる。ラミーシャの心臓が飛び出しそうなくらいバクバクと暴れていた。
普段は「お嬢様」なのにいきなり名前呼びはずるい。卑怯だと叫びたいのに、内心喜んでいる自分がいた。
ラミーシャは執事であるカイルのことが好きなのだ。
身分違いの叶わぬ恋だと自覚している。だからこそ、この恋心には蓋をすると決めた。
けれど、“完璧な令嬢”を演じるためには常に彼が傍にいる。そんな状況で諦めきれるわけがない。
(私が何のために自立しようとしたと思っているの……!)
母とカイルにポンコツと言われてしまうラミーシャだが、誰のせいだと言いたい。
誰だって好きな人の前だと緊張して思ってもみない行動をとってしまうことだってあるだろう。
ラミーシャがポンコツなのはカイルのせいだ。
せっかく貴族学院に入学してカイルから離れればきっとこの恋を忘れられると思っていたのに。
カイルはラミーシャの心をすぐに乱してしまう。
「……ほら、全然ダメじゃないですか。そうして固まっているだけじゃ自分を守れませんよ」
至近距離にいたはずのカイルは、もうすでに向かいの席に戻っていた。
ラミーシャだけがあの瞬間で止まっていたのだ。
「これは。だって……」
相手があなただから――とは言えない。
ラミーシャは言葉を飲み込んだ。
「しどろもどろになっていたら、相手の思うつぼです。やっぱり、お嬢様を一人にはできませんね」
結局、カイルを諦めるために入学を決意した学院でも、彼から離れることはできそうになかった。
(こうなったら、別の方法を考えないと……!)
「それで、どうして急に自立したいなんて言い出したんです?」
「えっ!?」
「当然、お嬢様の執事である私は把握しておかなければなりません」
「そ、それは、前にも言ったとおり、守られるだけが嫌、だから……」
「それもあるでしょうが、本当の理由は?」
カイルに詰め寄られ、ラミーシャはのらりくらりとかわそうとしたが、無理だった。
「私、恋がしてみたいの!」
新しい恋をして、カイルへの恋心を忘れるのだ。
多くの出会いがある学院ならきっと、それができるはず――そう信じて。
* * *
フォレード王国貴族学院の入学式。
「新入生代表ラミーシャ・ブレゴールによる宣誓」
「私たち新入生は、フォレード王国貴族学院の教育理念を理解し、勉学に励み、より良い他者との関係を築き、学生の本分を全うすることをここに誓います」
凛とした声で、宣誓文を読み上げたラミーシャに、新入生たちの席から黄色い悲鳴が上がる。
「きゃ~! ラミーシャ様、素敵!」
「ラミーシャ様と一緒に入学できるなんて、幸せすぎるわ」
「ぜひお近づきになりたいわ……!」
そんな彼女らを横目に、カイルは自慢のお嬢様が晴れ舞台を終えて席に戻ってくるのをじっと見つめていた。
彼女たちの目はギラついていた。当然、ただ友人になりたいだけではないだろう。
(公爵家という肩書きに寄ってくるハイエナ連中がうようよいるってのに、どうしてうちのお嬢様は学院に入学なんてしたのか……)
基本的に、ブレゴール家はラミーシャに対して過保護である。貴族社会の闇に染まっていない純粋な心根は、ブレゴール家の宝だ。
できればラミーシャに腹黒い人間の闇なんて見せたくない。
そのために、自分がいるとカイルは思っている。
ラミーシャの優しさに救われた一人の人間として――。
「ご立派でしたよ、お嬢様」
役目を終えて隣に座ったラミーシャの耳元で囁く。
「ありがとう。これで私が一人でもやっていけると納得してくれたかしら?」
「それとこれとは別の話です。私は、当主様よりお嬢様を任されていますので」
今まで“完璧な令嬢”としての振る舞いに従順だったラミーシャが、突然自立したいと言い出した時は驚いた。
やけにカイルを遠ざけようとするのも気になる。
学院へ向かう馬車の中、理由をしつこく聞いた時には、嘘がつけないラミーシャはうっかり答えてくれた。
『私、恋がしてみたいの!』
まさかの理由に唖然とした。と同時に、ラミーシャが恋する相手に一瞬で殺意が沸いた。
自分以上にラミーシャのことを理解している男などいない。
ラミーシャを愛している。
けれど、使用人に過ぎないカイルにはそんな資格はない。ましてや孤児だった自分を雇ってくれた公爵家への恩を忘れてはいけない。
(俺はただ、お嬢様の幸せを傍で見守れたらそれでいい)
そう自分に言い聞かせる。たとえ、ラミーシャが恋する姿を最も近くで見ることになったとしてもかまわない。
その相手が本当にラミーシャに相応しいかだけは厳しくチェックするつもりだが。
* * *
学院入学から一週間が経った。カイルが心配していたようなトラブルは一切起きていない、いたって平和な学院生活だ。
しかし――。
「どうしましょう。新しい恋どころか、友達さえ作れそうにないわ」
ラミーシャは寮の自室で悩んでいた。
“完璧な令嬢”として、皆の模範になるように気を付けていたら、結局遠巻きに見られるだけで気軽におしゃべりなんてできない。
それに、いくら学院とはいえ、身分の低い者が公爵令嬢であるラミーシャに声をかけるのは相当な勇気がいる。
ラミーシャから話しかけに行こうと思っても、何と声をかけたらいいのか分からない。
今まで人前ではすべてカイルに会話を任せていたツケが回ってきた。
当のカイルは、生徒ではないため授業中は別室で待機しており、これまでのように常に傍にいるわけではない。
(そんなのは言い訳で、自分の言葉で話すことが怖いだけね……)
自立したいと言いながら、いざ自分の力で何とかしなければならないと思うと、怖くて動けなくなる。
今までどれだけ母とカイルに甘えていたのか嫌でも気づかされた。
その時、コンコンとノックの音がして、カイルが入ってくる。
「お嬢様、まだ一人も友達ができていないようですが、大丈夫ですか?」
「こ、これからよ。まだ様子を見ているだけで……」
一人では何もできないと思われたくない。ラミーシャは強がりを口にする。
「あまり難しく考えず、まずはあいさつから声をかけてみるといいですよ。皆、お嬢様と話したそうにしていますから、きっとすぐに仲良くなれるはずです」
てっきり嫌味を言われるのではないかと身構えていたが、カイルは一人悩むラミーシャを励ましにきてくれたようだ。
「カイル……あなたは学院をやめさせるためにここにいるのだと思っていたわ」
「私はお嬢様のために傍にいるんです。いつもそうでしょう?」
そうだ。カイルはいつもラミーシャを傍で支えてくれていた。
はじめて人前に出る時、礼儀作法がうまくできるか不安だったラミーシャに「お嬢様の作法は完璧ですよ」と優しく笑みを向けてくれた。カイルに完璧だと太鼓判を押されたことで、ラミーシャは怖気づかず、堂々と振舞うことができた。
ラミーシャが“完璧な令嬢”になれたのは、カイルが傍にいてくれたから。
(カイルがいなくても大丈夫にならなくちゃいけないのに……)
わざわざ様子を見にきてくれて嬉しい。いつものように頼りたくなってしまう。
だけど、それでは学院に入学した意味がない。
「カイル、ありがとう。明日は私から話しかけてみるわ」
「えぇ、がんばってください。お嬢様に友人ができれば当主様も喜ぶでしょう」
カイルは執事として、母に頼まれて自分の傍にいることを忘れてはいけない。
(カイルは私に恋人ができても、きっと「よかったですね」と微笑むのよね)
まだ諦めきれない恋心がチクリと痛んだ。
* * *
翌日。ラミーシャは早速教室に入るなり、「おはようございます」とクラスメイトに声をかけてみた。
「おはようございます! あぁ、まさかラミーシャ様に声をかけていただけるなんて!」
ある人は感激のあまり涙を流し。
「お、おはようございます……これ、夢ではありませんよね?」
ある人は夢ではないかと頬をつねり。
「…………」
ある人は固まったまま動かなくなった。
反応は多種多様ではあったが、ラミーシャとしては大きな一歩を踏み出した。
そのおかげか、ラミーシャに話しかけてくれる令嬢も出てきたのだ。
「ラミーシャ様、ロイネル伯爵家のリリーと申します」
遠慮がちにラミーシャ様の席にやってきたのは、茶色の巻き毛に緑色の瞳を持つ大人しそうな令嬢。
「リリーさん、もちろん存じておりますわ」
「え、私のことをご存知で?」
「ロイネル伯爵領の蜂蜜はとても美味しくて、私のお気に入りですもの。リリーさんも、蜂蜜を使った美容法などを色々と試されているようで、ぜひ一度お話を伺ってみたいと思っていましたわ」
クラスメイトの家柄はすべて記憶している。記憶力はいい方なのだ。
当然ブレゴール公爵家と関わりのある家もあり、そのあたりの会話パターンは習得済みだ。
「まあ! 嬉しいです! うちの蜂蜜は美容効果がかなり高くてですね……またこういう使い方をすれば……」
けれど、だんだんリリーの熱弁が止まらなくなり、ラミーシャは内心パニックになっていた。
大人しそうという印象は撤回だ。彼女は自分のこだわりについてはとことん語る主義のようだ。
(こういう場合はとりあえず頷いておけばいいの? それとも、相槌を入れるべき? 感想は言った方がいいわよね?)
「リリーさん、ラミーシャ様が困っているわよ」
と助け船を出してくれたのは、コラール侯爵家のジュリアンナだ。
「はっ! ジュリアンナ様……そうですよね、申し訳ありません。嬉しくて、つい……」
「謝らないでください。とても楽しかったですわ」
そうこうしていると授業も始まる時間となり、二人は自分の席へ戻っていった。
「ラミーシャ様、もしよければご一緒にランチはいかがですか?」
午前の授業が終わると、リリーが早速声をかけにきてくれた。
「え!? いいんですの?」
「ぜひお願いしたいです!」
「ちょっと待っててね」
ルンルン気分でラミーシャはカイルのもとへ行く。
いつもは食堂の特別室でカイルに給仕をしてもらいながらランチを食べていたのだ。当然、他の令嬢たちと一緒には食べていない。
「ねぇカイル! あなたの言う通りにしたら、話しかけてくれるようになって、ランチに誘われちゃったわ!」
「お嬢様、スキップをおやめください」
「っ!?」
思わず青ざめた。“完璧な令嬢”は人前でスキップなどしない。
「大丈夫ですよ。ここは社交場ではありませんから。ですが、気を付けてくださいね」
「分かったわ……」
「それで、ご友人とランチでしたね。私は離れたところで待機していますから、楽しんできてください」
カイルが優しくて、なんだか調子が狂う。もっと厳しく注意されると思っていたのに。
(でも、私のことを認めてくれているようで嬉しいわ)
自立したいというラミーシャの願いを叶えようとしてくれているのかもしれない。
「ラミーシャ様、メニューはどうしますか?」
はじめて皆と同じ食堂を利用するため、利用方法が分からない。
社交場以外でこんなに人が多いところに一人で来るのは初めてだ。
食堂のカウンターにおぼんを持って並ぶ生徒たちを茫然と見つめていると、リリーが優しく声をかけてくれる。
「ここに書いてあるメニューから、お好きなものを選ぶんです」
「そ、そうなのね……」
数種類あるランチメニューの中から、ラミーシャはミートパスタを選んだ。
リリーに先導され、おぼんを持って自ら並ぶ。
(なんだか、自立に近づいた気がするわ!)
おぼんを持つのも、行列に並ぶのも、何もかもが初めてでソワソワしてしまう。
「リリーさんのオムライスもおいしそうですわね」
ようやくテーブルについて、食事を始める。リリーはオムライスを選んでいた。
「はい! 私、オムライスが大好きなんです。ラミーシャ様はパスタがお好きなのですか?」
「えぇ」
人の目がある場所での食事は気を遣う。
けれど、不思議とリリーの前ではゆっくりと落ち着いて食べることができた。
さすが貴族の子息令嬢たちが通う学院だけあって、料理の腕は一流だ。
ラミーシャはリリーの話に相槌を打ちながら、料理を味わう。
「――ラミーシャ様って実は親しみやすい方だったんですね」
「えっ!?」
突然のリリーの言葉にドキッとする。
完璧な令嬢としての仮面がはがれてしまったのだろうか。
「私、ラミーシャ様を食堂に誘った時、失敗しちゃったって思ったんです。公爵令嬢であるラミーシャ様料理を取るために並ぶなんて絶対にあり得ないだろうって。でも、ラミーシャ様は快く承諾してくださって、今もこうして楽しんでいらっしゃるから、安心しました」
「私こそ、リリーさんに誘ってもらえなければ、賑やかな食堂を特別室から眺めるだけだったはずよ。実は、ずっと来てみたかったの。誘ってくれて本当にありがとう」
「わ~ん、ラミーシャ様完璧な上に優しいなんて、本当に女神です!」
何故か女神だと崇められてしまったが、こうして話せる友人ができたことはとても嬉しかった。
* * *
ラミーシャがリリーと楽しくランチタイムを過ごしている様子を影から伺っている者たちがいた。
「あの伯爵令嬢が近づけるくらいだ。“完璧な令嬢”といえど、ただの年頃の娘と違いない。ブレゴール公爵家の秘密はあの娘が持っていると噂だ」
「あぁ。さっさと秘密を探ってブレゴール公爵家を蹴落とそう」
ブレゴール公爵家は王家の血縁ということもあり、社交界での地位が高い。
その上、監査の役目を持っており、国内の貴族の会計事情をすべて精査しており、不正があれば厳しく罰せられる。
痛いところがある者ほど、ブレゴール公爵家を恐れる。
しかし中には、ブレゴール公爵家の弱みを握り、逆に不正をもみ消そうとする者や蹴落とそうとする者もいる。
「ほう。どうやって秘密を探るおつもりで?」
そんなやり取りをしていた二人の背後から、カイルはそっと忍び寄る。
「ひぃっ! お前は、ブレゴール公爵家の……!」
「えぇ。執事です。お家のためでしょうが、あなた方の悪巧みは無意味ですよ」
「な、なんのことだか……」
「おや、とぼけるのですか? すでに我が当主様はルドノ家の不正の証拠を握っていますし、そろそろ屋敷に調査が入るのではないでしょうか」
「何っ!?」
「だから無意味と言ったのです。お嬢様を使ってブレゴール公爵家の秘密を探ったとしても、あなたの家はとっくに終わっています」
にっこりと笑みを浮かべれば、ルドノ伯爵家の令息は膝から崩れ落ちた。
そしてルドノ家の不正に関わっている従弟のレイード家の令息も悔し気に拳を握っていた。
「お嬢様の楽しい学院生活を邪魔しないでいただきたい。まぁ、あなたがたは退学になるでしょうがね」
ラミーシャに気づかれる前に片を付けるのがカイルの流儀だ。
(さて、お嬢様のランチも終わったようだし、こちらも戻るとしようか)
こんな輩のことは知らず、ラミーシャは楽しそうにカイルの方へやってくる。
「ねぇカイル、食堂のパスタもとてもおいしかったわ! あなたは何を食べたの?」
貴族令嬢は自分の感情を表に出してはならないというのに、素直なラミーシャはそのまま顔に出てしまう。
いつもは扇子で表情を隠しているが、学院生活ではそうもいかない。
だが、ここは社交界ではない。大目にみよう、とカイルは笑みを浮かべる。
それに、貴族社会に合わせて一見近寄りがたい完璧令嬢に仕立ててはいるが、本来の彼女は素直でかわいらしい人柄なのだ。
完璧な令嬢ではなくても、きっと誰もが彼女に魅了されるだろう。
だがもう少しだけ。素直で可愛いラミーシャを独り占めしていたい。
「よかったですね、お嬢様。私はサンドイッチをいただきました」
カイルは笑顔で嘘をつく。ずっとラミーシャを見守っていたので食事はとっていない。
「サンドイッチもいいわね! 明日は私もサンドイッチにしようかしら」
「おすすめの具はハムレタスですよ。チーズも入っていて美味でした」
「まぁ。それはいいことを聞いたわ」
ふふ、と屈託なく笑うラミーシャが眩しい。
他の生徒と同じように学院の制服を着ていてもなお、カイルにとってはラミーシャだけが輝いて見える。
この笑みをいつかは別の男に向けるのか。想像しただけで胸が苦しい。
(あぁ……恋なんて、結婚なんてしなければいいのに……)
心の底に黒く渦巻く感情が、喉元まで出かかっていた。
* * *
リリーと仲良くなってから、他のクラスメイトたちともおしゃべりする機会が増えた。学院のテラスで持ち寄ったお菓子でお茶会をしたり、食堂でランチを食べたり。
まさに理想の学院生活を送っていた。
(あぁ、友人とのおしゃべりって、なんて楽しいの!)
肝心の恋は後回しになっているが、友人と過ごす時間が楽しくてだんだんどうでもよくなってきていた。
そうやって油断していたのがよくなかったのだろう。
「あれ? ここどこ?」
方向音痴を自認しているラミーシャは、広い学院内で基本的にいつも誰かについて行っていた。
けれど、授業前、一人でお手洗いに行って、教室へ戻ろうと歩いていたらいつの間にか知らない場所に来ていたのだ。人の名前と顔は覚えられるのに、道だけは覚えられないのが悔しい。
(誰もいない……なんだか、建物も古そう?)
おそらく今は使われていない旧校舎だ。
「きっと、カイルも心配しているわよね」
勝手に迷子になっただけなのが恥ずかしい。
とりあえず来た道を戻ってみようと歩き出した時、話し声が聞こえてきた。
「おい、まだなのか?」
「執事のガードが固くてなかなか近づけません」
「さっさと方法を考えろよ」
切迫したやりとりが聞こえて、ラミーシャは思わず声をかけていた。
「何かお困りごとですか?」
「っ! ラミーシャ様!? 何故ここに!?」
反応したのは、茶色い髪に緑の瞳を持つ男。見覚えがある。
「通りかかっただけですわ。あなたはたしか……ショーン伯爵家のライリー様?」
一人は以前社交界で挨拶したことがあるライリーだった。もう一人の男はなんだか怖い顔でこちらを見ている。
「それで、何か困っているなら力になりますわ」
思い返してみれば、学院に入学して初めて男子とまともに言葉を交わした。
もしかすると、困りごとを一緒に解決することで恋が生まれるかもしれない、とラミーシャは張り切っていた。
彼らがまさか自分の誘拐を企てようとしていたなんて思わずに。
「それは助かります! ラミーシャ様、どうか僕と一緒に来てほしい場所があるのです」
「一緒に行くだけでいいのですか?」
「ここでは解決が難しい問題でして。場所を移して相談したいのです」
人を疑うことを知らないラミーシャは、必死に頼み込んでくるライリーの言葉を信じた。
それから馬車に乗せられて、数十分。
学院内は広いから、馬車に乗ることも疑わなかった。
しかし、一時間ほど経ったとき、さすがに移動時間が長すぎると気づく。
「あの~、そういえばどこに向かっているのでしょうか?」
馬車に乗る前に聞いておくべきだった。
やっぱり自分は普通にポンコツなのかもしれないとラミーシャは思い始めていた。
「もちろんショーン家です。僕はあなたをずっとお慕いしていました。ぜひ僕のことを知ってほしいのです」
「まぁ。そうだったのですね。嬉しいですわ」
相槌を打ちながら、脈のない男に好意を匂わせるようなことを言ってはダメだとカイルに言われたことを思い出す。もう遅いが。
「あぁ、ラミーシャ様も僕と同じ気持ちだったなんて嬉しいです! ずっと、あなたに近づきたくて、でもできなくてもどかしい思いをしていたのです。僕の、僕だけの女神様」
なんだろう。リリーに女神と言われる時と違って、全然嬉しくないしときめかない。
むしろ恐怖を感じてしまう。本当にこの人についてきても大丈夫だったのだろうか。
「やっぱり私、学院に帰らせてもらえませんか? また改めて、私の執事も一緒に伺わせてくださいな」
「それはできません」
「え、どうしてですか?」
「ラミーシャ様、あなたはずっと僕の傍で微笑んでいてください。その美しい顔を眺めているだけで僕は癒されます。他の誰にも、その笑顔を見せないでほしい」
そろそろラミーシャもやばい状況だと理解した。
「ライリー様……今ならまだ引き返せますわ」
「あぁ、その凛とした声で名前を呼ばれるのはたまりませんね。ずっと、完璧なあなたを僕のものにしたいと夢見ていた。そして、完璧ではないあなたを暴いてみたくて……まさかあなたの方から来てくれるなんて、これは運命だ……!」
ライリーの瞳に映るラミーシャは怯えているのに、彼は嬉しそうに笑っている。
「あぁ、嬉しいなぁ。きっとあなたのこんな怯えた表情は僕しか知らないのでしょう? もっと、誰も知らないあなたを見たいな」
そう言って、向かい側にいたライリーがいきなりラミーシャの隣に座ってきた。その上、ラミーシャの手首を握り、壁際に押し付けてきた。
「ちょ、やめてください……!」
「ラミーシャ様の顔はどんな時でも美しいですね。愛していますよ」
吐息がかかるくらい近くにライリーの顔がある。カイルの時とは違って、すぐに体が拒否反応を起こす。
ラミーシャが暴れていると、ライリーにパン!と平手打ちされた。
誰かにぶたれるなんて初めてで、あまりの痛みに体が怯えて固まってしまう。
「大人しくしていてください。僕はあなたを傷つけたくはないんです」
「嘘つき……本当に私のことを愛しているなら、こんなことはできないはずだわ」
痛みと恐怖に涙しながらも、ラミーシャは言い返す。
学院に来たのは自立をするため。自分の身くらい自分で守れるようになりたい。
だからこそ、心を強くもたなければ。
ラミーシャがそう思った時、ガタンと馬車が揺れ、急停止した。
「な、なんだ……おい、どうした?」
ライリーが御者に声をかけるが、返事はない。
次の瞬間、勢いよく扉が開く。
「私の大切なお嬢様を返してもらいましょうか。クソ坊ちゃま」
いつも冷静なカイルが怒りをあらわにしてそこにいた。
「カイル……!」
名を呼ぶと、カイルと目が合った。その瞬間、その目が見開かれ、一瞬で殺意に染まる。
ラミーシの頬が赤く腫れていることに気づいたのだろう。
カイルはライリーを馬車の外に引きずり出し、一方的に殴りつける。
貴族のたしなみとして剣術はしているだろうが、実践経験はないのだろう。
ライリーは抵抗という抵抗もできずにボコボコにされていた。
「カイル、もうやめて! それ以上は死んでしまうわ」
「ですが、お嬢様を傷つけた人間を生かしてはおけません」
ラミーシャが知らないカイルの姿がそこにあった。
いや、知ろうとしなかっただけで、カイルはラミーシャのために裏でこうやって守ってくれていたのだろう。
「カイルの手に傷ついてほしくないの。お願い」
ラミーシャはカイルの背中から抱きつき、その動きを封じる。
カイルほどの強さであれば簡単に振りほどけるだろうが、彼はぴたりと動きを止めた。
「お嬢様、遅くなり申し訳ございませんでした」
カイルはラミーシャの震える手をぎゅっと握った。
「いいえ……来てくれて、ありがとう」
「もう二度とお傍を離れません」
カイルのその言葉を聞いて安心したのか、ラミーシャは張りつめていたものが解けて意識を手放した。
次に目が覚めた時、ラミーシャはブレゴール公爵家の寝室にいた。
「ラミーシャ! 無事でよかったわ!」
母に抱きしめられ、だんだんと意識が覚醒してくる。
「あれ? 私……」
「あなたはショーン家のバカ息子に誘拐されて、カイルに助けられたのよ」
そうだった。意識を失う前のことをすべて思い出した。
「ねぇお母様。お願いがあるの」
「あなたのお願いにはろくなことがないけれど、何かしら?」
母は観念したように頷く。
「私、実はずっと前からカイルのことが好きなの。学院に入学したかったのも、新しい恋を見つけるためだったけど、無理だった。ライリーに押し倒された時、真っ先にカイルの顔が浮かんだわ。彼でなければだめだって、その時はっきり分かったの……」
「あなたがカイルを好きなことぐらい、分かっていたわ。母親だもの。それと、カイルからも頼み込まれたわ」
「何を……?」
「それは、本人の口から話してもらいましょう」
扉が開いて、真剣な顔をしたカイルが入ってくる。
母は「またあとで」と言って出ていった。
「お嬢様。私はお嬢様がどこかの家へ嫁いだとしても、ずっと守り続けるつもりでした。けれど、私以外の誰かにお嬢様を託したくないと思ってしまったのです」
「それは……どうして?」
まっすぐに向けられたアンバーの瞳の奥にどんな感情があるのか。
恐る恐るラミーシャは尋ねた。
「お嬢様を愛しているからです」
「!」
ラミーシャに都合の良い幻聴ではないか。
聞こえた言葉が信じられなくて、ラミーシャは思わず息をのむ。
「あなたを見守るだけではなく、あなたの隣で支えたい……使用人の身で差し出がましい申し出だとは分かっています。それでも、もうこの気持ちを隠し通すことはできません。当主様にも私の気持ちをお伝えしました」
「お母様はなんて?」
「お嬢様の気持ち次第だ、と……」
カイルに見つめられ、ラミーシャの鼓動はどんどん速くなる。
諦めなければならないと思っていた恋だった。
もしかしたら、叶えられるかもしれない。
ラミーシャも、ずっと秘めていた気持ちを伝えるのだ。
「カイル。私も……あなたのことが好き。ポンコツ令嬢の私でも、愛してくれる?」
「当然です。あなたがどんなことをやらかしたとしても、すべて私が解決してみせますよ。この気持ちが変わることは絶対にない。私は、出会った時からずっとあなたの笑顔に救われているんです」
「出会った時から? 私、まだ七歳くらいだったのに?」
「関係ありません。孤児で礼儀も何も知らなかった私に何の偏見もなく笑いかけてくれたのはあなたが初めてでした。それに、こうしてあなたを守る役目まで与えてくれた」
カイルと出会ったのは、ラミーシャが七歳の時――方向音痴を発揮して下町に迷い込んだ時だった。
そこでカイルが道案内をしてくれて、元の場所に戻れたのだ。仕事を探しているという十二歳の彼をブレゴール公爵家に雇ってほしいとお願いしたのはラミーシャなのだ。
その時からずっと、カイルはラミーシャを特別に想ってくれていたということだろうか。
ラミーシャがカイルを特別に思っていたのと同じように。
「ということは私たち、出会った時からずっと好き同士だったってこと?」
その事実を口にするとなんだか嬉しくて、にやけてしまう。
「そのようですね」
カイルの顔にも、ようやく笑顔が浮かぶ。両想いだと自覚した途端に、気恥ずかしさも覚えた。
「お嬢様――いいえ、ラミーシャ様。どうか私と結婚してください」
「えぇ、もちろん!」
カイルに抱きつけば、たくましい腕が受け止めてくれる。
ずっとこうして抱きしめてほしかった。幸せに胸が満たされる。
と、そこへ母が入ってくる。
「話はまとまったかしら~? かわいい娘に嫁がせてあげるんだから、これからもしっかり仕事してちょうだいね」
「はい。もちろんです」
母はカイルを婿養子にしてこき使う気満々だった。けれど、カイルもそれを納得しているようで、当然のように頷いた。
「これは、お母様が無茶ぶりをしないように私がしっかりしなくっちゃ!」
心の中で拳を握ったつもりが、おもいきり声に出ていた。
「お嬢様は頑張りすぎない方がうまくいくので、そのままで大丈夫ですよ」
戦力外通告が早すぎる。若干落ち込んだが、言われたことは事実なので黙って首を縦に振ることにした。
ブレゴール公爵家が執事を婿養子として迎えたことは社交界で話題になり、非難する者もいたが、すぐに美男美女の“完璧な夫婦”だと皆が羨望の眼差しを向けるようになった。
「ねぇカイル。私たち二人でいればずっと“完璧”ね」
「もうすぐ、三人の“完璧な家族”になりますけどね」
愛しさが溢れる二人の間には、新しい命が宿っていた。
これからどんな問題が起きたとしても、カイルと一緒ならきっと“完璧”に幸せな毎日が待っている。
今の幸せに感謝しながら、二人はそっと口づけを交わした。
未来はもっと、幸せに満ちている。




