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第四章

あれは一年半ほど前の春の陽気が感じられる晴れた日の昼頃のことだ。江夢沁(こうむしん)の買い物の付添(つきそい)施訂再(していさい)は街の郊外まで外出していた。江夢沁はこの時、読書に凝り始めており本を買いに行くために秀斗町(しゅうとちょう)の南にある書店に出かけたのである。

二人は書店に向かう途中でとある路地に入り込んでしまったが、そこは裏路地に続いているため奥へ行くことは避けようということになり引き返そうとした時だった……。

突如として前方から一人の青年が走ってきて道端に倒れたのだ。


(あれは……確か、大秦覇蛇館(だいしんはじゃかん)秦然忠(しんぜんちゅう)じゃないか)


その青年はなんと大秦覇蛇館の問題児こと秦然忠で、彼は酷く憔悴(しょうすい)した様子で息切れを起こしていた。どうやら相当な距離を走ってきたようで疲労困憊(ひろうこんぱい)といった様子であったがそれでもなお立ち上がろうとしていた。そこで江夢沁が心配そうに彼に駆け寄って(たず)ねる。


「あの……大丈夫ですか?」


しかし彼は江夢沁を一瞥(いちべつ)するだけで何も答えなかった。そのうえ彼女を一瞥した途端に目を大きく見開き驚愕したように固まってしまう。そして彼の口から衝撃的な言葉が発せられた。


「君の名前は?年齢はいくつだ?出身はどこだい?」


突然の質問に江夢沁は戸惑いながらも答えようとするが、その前に秦然忠は彼女の返答を待つこともなく矢継(やつ)(ばや)に質問を繰り出す。その必死さが不気味であり何か切羽詰(せっぱつ)まっているように見えたので江夢沁は心配になった。


(この人……一体どうしたんだろう?)


「あの、落ち着いてください。私は江夢沁と申します。歳は十六です」


「十六歳か!そうか……ならば君を我が花嫁として大秦覇蛇館へ迎え入れよう!

 さぁ、私について来るんだ!」


秦然忠は目を輝かせながら言うと有無を言わさずに江夢沁の手首を(つか)む。彼女は咄嵯(とっさ)に抵抗しようとしたが秦然忠の手はびくともしなかった。


「ちょっ…… いきなり何するのよ!」


「何を言う、妻を家に連れて帰るのは夫として当然のことじゃないか、フフフ、父上も母上も姉上もさぞ   お喜びになるだろう」


秦然忠は江夢沁を強引に連れて行こうとしたので施訂再が慌てて割って入る。


「ちょっと待て!何を言ってるんだ!!」


そして彼は秦然忠に殴りかかった。しかし秦然忠はそれを難なくかわすと今度は逆に蹴りを浴びせてくるのでそれを防ぎつつ距離をとる。


「おい!お前、自分が何をやってるのか分かってるのか?これはれっきとした誘拐だぞ!」


「ふん、下郎(げろう)め……貴様こそ私の花嫁を連れ去ろうとするとは言語道断だ!」


江夢沁をむりやり手篭(てご)めにしようとする秦然忠に施訂再は憤慨して非難するが、秦然忠はそれを気にもとめないばかりか逆に挑発するような態度を取る始末であった。


「ふざけないで!誰がいつあんたの花嫁になったのよ!冗談も休み休み言いなさいよ!」


江夢沁は激昂(げっこう)しながら秦然忠の手を振り払う。そして彼に向かって怒鳴るが当の本人はまったく聞く耳を持たないようだ。それどころか逆に彼女に対して言い寄ってくる始末である。


「ふふふ……照れているのかい?可愛いな……君のような美しい人は見たことが無い……きっと将来素晴らしい女性になるだろう……どうだい?私と一緒に来ないか?幸せにしてあげようじゃないか」


秦然忠は江夢沁の肩をつかみながら熱っぽい視線で語りかける。


「……ッ!?」


秦然忠の言葉に江夢沁は絶句し恐怖を感じた。このままでは本当に拉致されてしまうのではないかという危機感を抱いたのである。そこへ施訂再が躍り出て二人の間に割って入る。


「そんな勝手なことを俺が見過ごすと思ってるのか?それ以上の狼藉(ろうぜき)はこの施訂再が許さんぞ」


「ふん……下郎が、邪魔をするというなら容赦はしないぞ!」


秦然忠は長剣を構える。どうやら本気で戦うつもりのようだ。それを見た施訂再も構えを取る。そして二人の戦いが始まったのだが、それはあまりにも一方的な展開であった。


「うおおっ!!」


秦然忠が雄叫びを上げながら突進してきたかと思うと目にも留まらぬ速さで刺突(しとつ)を繰り出してきた。しかし施訂再はその攻撃を難なく(かわ)すと、逆に反撃に出るべく斬りかかる。だがそれを読んでいたのか秦然忠は素早く後退すると再び突撃してきた。その動きは流麗であり洗練されていたが……単調な攻撃であったために施訂再にとっては避けるのに造作(ぞうさ)もないことだった。それゆえに秦然忠の実力を見誤ることなく対処することが出来たのだ。


(この程度なら余裕で(さば)けるな……こいつは確かに強いが剣の技量に関しては大したことないかもしれない)


しかしそう思ったのもつかの間、突如秦然忠の剣捌(けんさば)きに変化が生じて閃光が|(きらめ)いたように見えたその刹那(せつな)!彼の持つ長剣が鎌首(かまくび)をもたげた(へび)のような動きで施訂再の右腕を斬りつけようとした。


「なにっ!?」


思わず驚きの声を上げた施訂再だが(すんで)の所で躱すことに成功する。秦然忠の剣が(くう)を切り裂く音を聞いた瞬間に反射的に飛び退()いていなければ右腕を切断されていただろう。


「今の斬撃(ざんげき)を躱すとは……やるな。下郎の割に反射神経が良い。しかし、次はそうはいかんぞ」


秦然忠は余裕の笑みを浮かべながら長剣を構えると再度突撃してきた。今度は先程よりも更に速く鋭い斬撃が繰り出される。しかもその攻撃には規則性がまるでなく予測がつかないのだ。


(これは一体どういうことだ!?さっきまでとは動きが全然違うじゃないか!)


施訂再はその変化に戸惑いを隠せなかった。先程までの動きとは明らかに違う……まるで別人のような動きだ。


「どうした?動きが(にぶ)くなったな、それでは私の攻撃を捌くことなどできんぞ!」


これぞ秦然忠の得意技『変幻(へんげん)弱扮襲(じゃくふんしゅう)』である。この剣技(けんぎ)は彼の生家(せいか)である秦家(しんけ)に代々伝わる大秦覇蛇剣(だいしんはじゃけん)第一式(だいいっしき)攻破逆襲(こうはぎゃくしゅう)』を改変したもので、本来の攻破逆襲は敵の攻撃を逆手(さかて)に取って反撃を加えるものに対し、変幻弱扮襲は敵に自分は弱いと油断させてから致命的な一撃を叩き込むという悪辣極(あくらつきわ)まりない剣法(けんぽう)であった。しかし、秦然忠の両親と姉は変幻弱扮襲を先祖代々伝わる大秦覇蛇剣を改悪したあげく先祖の顔に泥を塗りたくる邪道(じゃどう)剣技(けんぎ)として激しく非難していた。秦家一門(しんけいちもん)にとって武術とは世のため人のために使い、武芸者同士お互いの技を繰り出しながら切磋琢磨(せっさたくま)しつつ成長していくことこそが武芸者の矜持(きょうじ)として受け継がれているのだ。従って秦然忠の剣技は戦う相手に致命傷を負わせかねない危険な技であり、両親も姉もこの邪道の剣技を封印するように言っていたのだが……秦然忠は自らの行動を正当化するために家族の考え方は古いと言わんばかりに一蹴(いっしゅう)し続けた。彼は家族のみならず荒河(こうが)静湖(せいこ)をはじめとした世間の評判など全く気にしない性格であったためにこのような行動をとり続けていたのであった。


「くっ!」


施訂再は秦然忠の攻撃を紙一重で回避し続けるが徐々に追い詰められていく。


「はははっ!どうした?防戦一方じゃないか!ほら、ほら、ほら、ほらぁ!!」


秦然忠は嘲笑(あざわら)うような笑い声をあげながら執拗に攻撃を繰り返す。その様子を見て江夢沁は心配そうな表情で見守っていたが次第に不安を感じ始めていた。


訂再(ていさい)……負けないで)


そう祈るしかない彼女であった。だが……この攻撃によって施訂再は翻弄されて防戦一方になりつつあったのだ。


「くっ、厄介(やっかい)な技を使いやがるな……だがそう何度も同じ手を食うと思うなよ!」


施訂再は大きく跳び上がると空中で逆さまになりそのまま回転しながら剣を振り下ろした。それはまるで宙を舞う独楽(こま)のような動きである。


「おおっ!!」


秦然忠はその攻撃を間一髪で避けるがその隙を見逃すことなく追撃をかける施訂再。今度は逆に秦然忠が防戦を強いられる形となった。しかし敵もさるもので施訂再の攻撃を的確に捌いていき反撃を試みるが……なかなか攻勢に転じることが出来ないでいた。


(ちぃっ!下郎の分際で小賢しい真似を……)


施訂再の華麗な剣技を前に徐々に後退していく秦然忠。だが彼は(おく)することなく攻撃を仕掛けていく。その度に剣戟(けんげき)の火花が散り、辺り一面が火の海に包まれるような錯覚さえ覚えるほどの激しい打ち合いであった。


(……くそっ!こいつ中々やるな)


施訂再は舌打ちをする。先ほどから何度か決定的な(すき)を見せているにも関わらず全くと言っていいほど反撃の糸口がつかめないのである。しかも秦然忠の表情にはまだ余裕があるように見えた。


「どうした、もう終わりなのか?ならば……そろそろ本気でいかせてもらおうか」


秦然忠はさらに速度を上げて攻撃を仕掛け始めた。その速さはまさに神速(しんそく)というべきものであり施訂再がこれまで戦ってきた強敵たちの中でも上位に入るだろうと思われるほどのものだった。彼はその猛攻(もうこう)(しの)ぎながら冷静に分析する。


(なるほど……これが奴の本領発揮って奴か。だが、俺だって負けちゃいないぜ!)


施訂再は秦然忠の猛攻を受け流しながら反撃の機会を(うかが)う。そしてついにその瞬間が訪れたのだ。


(ここだ!!)


施訂再は渾身の一撃を放つ。その攻撃は鳳凰(ほうおう)が天空を舞い上がるかの(ごと)く猛烈なものであり秦然忠に防御する(いとま)を与えなかった。次の瞬間……秦然忠の剣は宙高(ちゅうたか)く舞い上がり地面に突き刺さる。


「馬鹿な……私が……この私が、こんな下郎如きに負けるだと……!?」


秦然忠は信じられないといった様子で呆然としていた。施訂再は息を整えながら語りかける。


「まだやるかい?これ以上無益(むえき)な争いはしたくないんだがな……」


「……」


秦然忠は何も言わないままゆっくりと立ち上がると悔しそうな表情を浮かべながらその場を立ち去ってしまった。


(助かった……のか?)


秦然忠の背中を見送りながら施訂再は安堵(あんど)溜息(ためいき)()いた。そして江夢沁の方を見ると彼女もホッとした様子で胸を撫で下ろしているのが分かった。


「ありがとう、訂再……おかげで助かったわ。怪我はない?腕とか切れてないわよね?」


江夢沁は心配そうな表情で訊ねてくる。それに対し施訂再は笑顔で答える。


「ああ大丈夫さ。それより……早く書店に行こうぜ?日が暮れる前に帰りたいからな」


彼は江夢沁を(うなが)すと彼女とともに歩き出したのである。それから数日後のことだった……またも秦然忠が秀斗町に現れて暴れ出したのである。どうやら彼は霊峰白蛇山(れいほうはくじゃさん)に帰ることなく、江夢沁を我が物にしようと秀斗町で騒ぎを起こして回っていたようだ。


(あいつ、()りずにまた現れやがったな……今度こそ決着をつけてやる!!)


施訂再は怒りに震えながら剣を手に取って泊まっていた宿の部屋を飛び出そうとした時だった……ちょうどその直後に誰かが扉を軽く叩く音が聞こえてきたのである。


(まさか、秦然忠の奴が先手を打とうと外泊先の宿にまで押し掛けて来たのか……!?)


施訂再はそう思い込み緊張感を高めていく。そして扉の向こう側に向かって叫んだ。


「誰だ!?一体何の用だ?」


しかし……返事がない。おかしいと思って聞き耳を立ててみると(かす)かにすすり泣くような声が聞こえてくるではないか……どうやら女性の声らしい。恐る恐る扉を開けてみるとそこには見知らぬ女性が立っていた。年の頃は二十代前半ぐらいだろうか?彼女は山水画(さんすいが)から飛び出した仙女(せんにょ)の如き美しい顔立ちをしているのだが目元は赤く()れていて涙の跡が残っていた。女性は(うつむ)いたまま震えており何かに(おび)えているような印象を受ける。


貴女(あなた)はいったい……?」


施訂再は困惑しながらも優しく話しかけると彼女は顔を上げて答える。その瞳には涙が浮かんでいたがとても美しく()んでいるように見えた。


(こりゃ……綺麗(きれい)()をしたお嬢さんだなぁ……)


そんなことを思いながら見惚(みほ)れていると不意に女性が口を開く。


「あ、あの……失礼ですが……あなたは施訂再様でしょうか?」


「ええ、そうですけど……貴女はどちら様で?私に何か御用でも?」


施訂再が返答すると彼女はその場に倒れ込むように(ひざまず)いて大声で言った。


愚弟(ぐてい)……秦然忠の数々の無礼な振る舞いを謝罪に参りました!私は秦然忠の姉、秦由莉(しんゆうり)と申します……霊峰白蛇山は大秦覇蛇館の当主である父に言われて愚弟を連れ帰るために()せ参じた次第にございます……!どうか愚弟を連れ帰るために御力(おちから)をお貸しいただきたく、お願い致します!!」


秦由莉(しんゆうり)と名乗った女性は必死になって頼み込むのであった……。



「……で、なんで秦然忠のお姉様をうちに連れてくるわけ?」


龍登山荘(りゅうとうさんそう)の応接間で江夢沁が柳眉(りゅうび)逆立(さかだ)てながら施訂再と彼の(かたわ)らに立つ秦由莉の顔を交互(こうご)(にら)みつける。


「いや、それがな……事情を聞いたら由莉さんは弟……つまり秦然忠を連れて帰るために秀斗町に来たそうなんだ……大秦覇蛇館の御父上(おちちうえ)御母上(おははうえ)から頼まれて遥々(はるばる)ここまでやって来たんだ。そこで龍登山荘へ一緒に来てもらって詳しい話を聞いてもらおうと思ったわけさ」


施訂再が弁解すると秦由莉は丁寧な言葉遣いで頭を下げた。


「申し訳ありません……この度は愚弟が多大なご迷惑をおかけしました……つきましては……」


しかし江夢沁は不機嫌そうに答える。


「何言ってんの!その馬鹿のせいで私たちがどれだけ迷惑していることか!それに、どうせくだらない理由で押しかけて来たんじゃないの?ほんっと、迷惑千万(めいわくせんばん)なんだけど!!」


「それは本当に申し訳ありません……愚弟には必ずや(きゅう)をすえて反省させますのでどうかご勘弁下さいませ……!」


秦由莉は深々と頭を下げながら江夢沁に謝罪をする。その姿に同情したのかそれとも情が映ったのだろうか……施訂再は江夢沁を(なだ)める。


「まぁまぁ、そう怒らないでくれよ夢沁お嬢さん。由莉さんも悪い人じゃなさそうだし……少し話を聞いてみてから決めようじゃないか。な?」


施訂再の説得に彼女は渋々といった感じではあるが納得してくれたようだ。その様子を見て安堵すると同時に彼は改めて秦由莉へ視線を向ける。


(……この人、本当に美人だよな……)


思わず見惚(みほ)れてしまうほどの美貌(びぼう)を持つ彼女だが、その目元には涙の跡が残っているのが痛々しく見えた。恐らく秦然忠のことで心を痛めているのだろうと想像がつく。

その髪色は秦然忠と同じ輝くような銀髪で、腰まで届くほど長く(つや)やかな髪の持ち主だ。体格は細身で背丈(せたけ)は江夢沁より僅かに高いがそれでも決して高すぎるわけではない。それどころか全体的に均整の取れた体つきをしており出るところはしっかり出て、引っ込んでいる部分はしっかりと締まっており、まるで理想的な女性の美しさを体現しているかのような体型を誇っていた。肌は雪のように白く(すべ)らかではあるが……その美しさ故にどこか(はかな)げな印象を抱かせるのだ。顔立ちも非常に整っておりまさに絵に描いたような深窓の令嬢、もしくは絶世の美女と言えるだろう。身につけている着物は白い(きぬ)の生地に金色の糸で刺繍(ししゅう)(ほどこ)された品のあるもので彼女の艷やかな銀髪を際立たせていた。素肌を露出している部分は少ないものの、その服装越しにも分かるほど彼女の美しい肢体(したい)が透き通って見えるような錯覚を覚えてしまうほどである。


「あの……どうかなさいましたか?」


秦由莉は施訂再が自分をじっと見つめていることに気づき不思議そうに首を(かし)げる。その仕草すら絵になる美しさがあった。


「あっ……いや、失礼。何でもありません!」


あまりの美しさに見とれてしまったことを恥ずかしく思いつつ慌てて目を()らすと彼女は微笑(びしょう)を浮かべた。それだけでも施訂再の心をときめかせるには十分すぎるほどの凄まじい破壊力があったが、何とか平静を保つことに成功する。しかし、江夢沁にとってはそんな彼の態度自体が気に入らないのだろう。不機嫌そうに鼻を鳴らすとそっぽを向いてしまった。

施訂再は秦由莉の美しさに()かれながらもハッと我に帰る。いけない……今は彼女の美貌に心をときめかせている場合ではないのだと思い直すと、慌てて咳払(せきばら)いをして気持ちを切り替えた。そして再び口を開く。


「とりあえず……詳しい話を聞かせてもらえますか?」


「はい……実は……」


秦由莉は施訂再と江夢沁の目の前に置かれた椅子に腰掛けて語り始めた。

彼女の話によると……先日秦然忠がこの秀斗町にいる少女……つまりは江夢沁を自分の花嫁にすると両親と自分に手紙を送って来たとのことだ。その(しら)せを受けた秦然忠の父親である大秦覇蛇館の当主・秦等顧(しんとうこ)は息子が相手の了承も得ずに勝手に決めたのだろうと烈火(れっか)の如く怒り狂い、即刻秀斗町へ行き秦然忠を引き()ってでも連れて帰ると(いきどお)ったそうだ。秦等顧は普段は温厚な性格の人柄なのだが怒らせたらとても怖いらしい。しかし、あまりに怒りすぎてしまったために血圧が急上昇して倒れてしまい、それが元で寝込んでしまっているという。倒れた父親につきっきりで看病をしている母親の姿を見た秦由莉は両親や大秦覇蛇館の門弟(もんてい)たちの手を弟のために(わずら)わせてはならないと感じ、自分が秦然忠を迎えに行くために秀斗町に(おもむ)くことを決意したということだ。彼女自身も秦然忠の増長ぶりには辟易(へきえき)しており、そろそろ灸をすえてやらねばなるまいと以前から考えていたようである。


「なるほど……そういうことでしたか」


施訂再が納得して(うなず)くと秦由莉は申し訳なさそうな表情で頭を下げた。


「本当に申し訳ございません!愚弟がとんだご迷惑をおかけしてしまいまして……」


「いえいえ、別に貴女が悪いわけじゃないですから顔を上げてください。それより……秦然忠についてですが、彼を捕まえるためになにか有効な弱点などはありますでしょうか?例えば、こういう時に限ってこういうことはしないだろうとか……他に苦手な物とか苦手な生き物があれば教えて頂きたいのですが……」


施訂再の問いかけに秦由莉はしばし沈黙した後……ゆっくりと口を開いた。


「そうですね……あの子の弱点といいますか……唯一の天敵を()げるとすれば……それは、あの……その……」


彼女は言いにくそうに口籠(くちごも)る。その様子を見て施訂再は何かを察したようにハッとした表情を浮かべた後、江夢沁の方へ視線を向けると彼女もまた同じ事を考えていたようでコクリと頷いた。そして秦由莉の方へ向き直ると優しく微笑みかけながら語りかけた。


「大丈夫、ゆっくり話してみてください」


その言葉に安心したのか秦由莉はホッと胸を撫で下ろすと意を決したように話し始めた。


「はい、実はあの子には一つだけ弱点があるのです」


それを聞いて施訂再は内心嬉しくなりつつもそれを悟られぬよう表情に出さないように努めた。しかしやはり心の中では喜びが(あふ)れてくるのを止めることはできない。なぜならば彼女の口から飛び出してきた秦然忠の弱点はとても意外なものであり(なお)かつ彼を確実に止めることが出来るであろう最大の切り札となり得るものであったからだ。


「その弱点というのは……?」


施訂再の質問に対して彼女は真面目な面持ちになるとキッパリと言い切った。


「はい、あの子の弱点は……その……大変言いにくいのですが……椎茸(しいたけ)なんです」


「し、しいたけ……?」


想像していた答えとは全く違っていたため施訂再は思わず聞き返してしまった。すると秦由莉は真剣な表情のままコクリと頷いたのである。


「……はい、椎茸です」


(いやいや!まさかここでその言葉が出るとは思ってなかったぞ!?)


内心驚きながらも何とか冷静さを保ちつつ、会話を続けることにした。


「あの……それが一体どんな弱点なのか詳しく聞かせてもらえませんか?」


施訂再の言葉に秦由莉は再び語り始める。その表情からはどこか悲しさのようなものが感じられたが……気のせいだろうか?


「はい……あの子は昔から大の椎茸好きだったのですが……一度だけ毒キノコのツキヨタケを椎茸と間違えて食べてしまって酷い目に()ってしまいまして……それ以来、見るだけで拒否反応が出てしまうようになったのです」


その言葉を聞いた途端に施訂再は思わず噴き出してしまいそうになる衝動を堪えた。江夢沁に至っては

腹を抱えて笑い出す寸前だったくらいだ。しかし、施訂再はその感情を抑えて話を続けることにする。

ここで茶々を入れたら話が進まなくなってしまうし何より秦然忠に対する情報収集が最優先だからだ。


「ちなみに……その時に食べた椎茸はどうなったんです?」


「あの時は……台所に置いていた椎茸の中に混ざっていたツキヨタケを椎茸と間違えて食べてしまったのです。幸い中毒症状自体は軽症で済んだのですけれど……あの時の苦しみようは今思い出しても胸が痛みます……」


秦由莉は悲痛な面持ちで話すが……江夢沁は呆れ果てた様子で(つぶや)いた。


「……秦然忠ってほんとにアホね。普通なら毒キノコかどうか食べる前にきちんと確認すべきでしょうに……」


「お恥ずかしい限りです……あの子がもう少しだけ注意深ければ……あんなことにはならなかったかもしれないのに……」


秦由莉は恥ずかしそうに俯く。その様子を見て江夢沁は少しだけ同情してしまった。


「まぁいいじゃないですか、過ぎたことですし。それよりも今は秦然忠をどうやって捕まえるかを考えましょう。由莉さんが彼の弱点が椎茸だと教えてくれたので、私に一つ考えがあります」


施訂再は二人に向かって微笑むと作戦内容を説明し始めるのだった。


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