第二章
龍登山荘の外観は古風で瀟洒な造りでいかにも大富豪が住んでいそうな雰囲気を漂わせている。敷地内に足を踏み入れて玄関に入ると板張りの床が広がっていて正面の壁には水墨画が飾られており、落ち着いた空間になっていた。中央は広々とした吹き抜けとなっていて左手奥にある階段の上の方に細長い引き戸があってその先に廊下が続いている。そして右手側には二つの扉があり一つは台所へ通じているらしい。江才覚の話によると彼の高祖父が龍登山にこの広大な自宅を建てた頃からこのような造りだったのだという。その後数代にわたって増改築が繰り返された結果現在の形になったようだが内部の作りは基本的に昔のままだそうだ。
(それにしたって、何度来てもデカいお屋敷だよなぁ~)
龍登山荘に入ってすぐ目に入ったのは広い土間だった。玄関のすぐ横に厠がありその反対側には花瓶や桶などが置かれている。玄関から見て真っ直ぐの位置にある扉を開けると広々とした居間に出る。居間は大型の真紅の絨毯が布かれた板張りの床でその向こう側には縁側があり庭が一望出来るようになっていた。縁側の近くにあった窓から外を眺めることが出来たので外の景色を見てみると、そこには龍登山から見下ろす形となる雄大な景色が広がっていた。外に見えるのは深い緑色をした森で木々の隙間からは遠くの方に山肌が見えておりさらに遠景には青い山脈があった。空は雲一つない快晴であり、涼し気な風が緩やかで穏やかな陽気が続くのだろうと思われるほど秋の訪れを感じさせるような天候だ。そんな中で一番最初に目に飛び込んできたのは龍登山の中腹にある雄大な龍潜湖とそこから流れる影龍川の清らかに輝く景観だった。
(ふうん……やはりいい眺めだ。ここで昼寝が出来たら最高なんだけどな)
居間の様子に満足した後、施訂再がぐるりと見回すと二階の方で使用人と思われる人々が忙しそうに走り回る足音が聞こえてくる。どうやら江夢沁が昏睡状態となったのを聞いて慌てて支度をしているのだろう。この家の主である江才覚は使用人に厳しく接する人ではないがこういう時の彼の態度は普段の彼からは想像できないほど厳しいものだったりする。
(さてと、夢沁お嬢さんを待たせておくのも悪いからな。そろそろ行こうか)
施訂再は階段を登って奥にある廊下へと向かった。この建物の構造は左右対称になっていて右側に武術の鍛錬に使う訓練施設と大浴場があり、左側に客間や書斎等が並んでいて江親娘の部屋が並んでいるようだ。そのため夢沁がいる場所へ向かうには自然と右方向へと歩いて行くことになる。
「あの〜すみません」
廊下の角を曲がったところで偶然出会ったのは江夢沁の世話役と思われる少女だった。
「施訂再様ですね?ようこそいらっしゃいました……旦那様がお待ちかねですのでどうぞこちらへ」
彼女はニコリと微笑みながら会釈をして促してくる。施訂再は少女についていって、江才覚の部屋へと歩いていった。そして案内された部屋の前に立つと扉を軽く叩いて室内に声をかける。
「失礼します、入っても宜しいでしょうか?」
「どうぞお入りください」
返事を確認してから扉を開けるとそこは本棚が立ち並び、机には書物や竹簡などが整然と整理されて並んでいる。この部屋の主の性格がよく表れていると言えよう。ただ部屋全体を見渡す限りでは生活必需品と思われるものは全て揃っており衣食住に関しては不自由していないことが伺える。また部屋の隅の方には仏壇もありそこで線香を焚いていたのだろう。微かに漂ってきた香りは独特な甘さを持っているものだった。
「どうぞこちらへお座りください」
施訂再は勧められるままに椅子に腰掛けた。部屋の主である江才覚は机越しに向かい合うように彼を見つめている。
「施訂再殿、本日はご足労いただきましてまことにありがとうございます」
江才覚は椅子から立ち上がると深々と頭を垂れて礼を述べる。
「あっ……いえ、恐れ入ります」
施訂再は慌てて立ち上がりお辞儀をする。一通り挨拶が終わった後江才覚は笑顔を見せつつ言った。
「遠路遙々我が家まで足を運んでいただき感謝いたします……それにしてもお早いお越しで、娘を心配してくださり誠にありがとうございます」
「いえいえ……とんでもございません」
施訂再の返答に対して江才覚は柔和な表情を崩さずに話を続ける。
「ところで、お嬢さんがご病気になられたということでお見舞いに来たのですが……」
施訂再はさりげなく探りを入れてみた。江才覚の顔色が良くないところを見るにどうやら本当に健康状態が思わしくないのかもしれない。それならば無理に会って話をする必要はないだろうと思ったからだ。
「それはご心配をおかけしてしまいました。娘は先日、急に目眩がすると言って倒れてしまいまして……今は寝室で休んでおります」
江才覚が心苦しげに語っているのを見て少し同情してしまう。自分が思っていたより大事になってしまっているようだ。だがそれでもなお疑念が残る。
(もしかして仮病ではなく、本当に具合が悪いなのか?だとすれば何の病気だろう?)
「そうですか……では長居するとご迷惑になると思うのでそろそろ帰らせていただきます」
施訂再は椅子から立ち上がろうとするが江才覚によって制止されてしまう。
「まあまあ、そうおっしゃらずにもう少しお待ちになってください。せっかくいらしてくれたのですからお茶でも飲んでいきませんか?」
江才覚はニコニコしながら言う。施訂再としても嫌とは言えなかったので言われた通りその場に留まる他無かった。
(危ない、危ない……ここで施訂再殿に帰られてしまっては夢沁にどやされてしまうわい)
内心で冷や汗をかきながら安堵する江才覚。父親として娘である江夢沁に花を持たせてやりたいと思いながらも、騙し討ちという形で娘に施訂再から一本取らせるというのは武芸者としての誇りに憚られたのである。しかしそんな心情を知らない施訂再は大人しく指示に従い椅子に座り直したのだった。
一方その頃、江夢沁は寝台の上で寝そべりながら施訂再が部屋に入ってくるのを今か、今かと待ち構えていたのだが、一向に彼が来ないことに目を瞑りながら苛立っていた。もちろん父親の江才覚に対して文句を言いたい気持ちもあったが、それよりも施訂再がまだ自分の寝室に来ていない方が問題だった。
(どうなっているのよ!?アイツは一体どこで油を売っているわけ!!?まったく忌々しいったらありゃしないわ!!!)
彼女が描いた施訂再騙し討ち作戦『仮死欺剣の計』の内容はこうだ。まず、自分が病気に罹ったことを知らせる手紙を父親に書かせて施訂再へ届ける。次に使用人に指示して施訂再をこの寝室へ誘導させる。そして彼が隙を見せたところで寝台の枕の下に隠してある木剣でその頭をぶん殴るという作戦であった。ここまで順調に事が進んでいたのだが肝心の本人が全く姿を見せないため不安になりはじめたのである。
(本当に何やってんのよ!いつまでこの私を待たせる気なの、あの馬鹿は!!!)
江夢沁は布団の中でジタバタしているが一向に解決策は思いつかなかった。すると寝室の扉を軽く叩く音が聞こえたので、慌てて昏睡しているフリをする。
「お嬢様、私です……小蓮です。失礼いたします」
小蓮と名乗った少女が扉を開けると、江夢沁は安心したように上半身を寝台から起こすのだった。
「小蓮、どう?施訂再の奴は到着した?」
江夢沁はいつもと同じ調子で訊ねる。
「はい。施訂再様なら先程いらっしゃいました」
「本当!?よかった〜、やっとアイツをぶん殴れるのね!」
彼女は喜び勇んで寝台から飛び起きようとするが小蓮によって静止される。
「いけませんお嬢様……旦那様の指示でお嬢様は病に臥せっていることになっています。この部屋を出られてはなりません」
「わかってるわよ……でも早くしないとアイツが帰っちゃうじゃない」
江夢沁は口を尖らせながら文句を言う。
「大丈夫ですよ……旦那様曰く施訂再様はしばらくここに滞在されるようですから」
小蓮の言葉を聞いてホッと胸を撫で下ろすと江夢沁は大きく息をつく。小蓮はそんな彼女の様子を見て盆に載せた湯呑み茶碗を渡した。
「まずは気を落ち着かせ、機会が来るまで辛抱なさいませ。そしてその時は必ずやってきますから……」
「わかってるわよ、それぐらい。あぁ、イライラしてたら喉が乾いてきたわ」
そう言って江夢沁は小蓮から渡された湯呑み茶碗に入った緑茶を一息に飲み干す。そして飲み終わってから口を開いた。
「ありがとう小蓮。貴女のおかげで大分気が楽になったわ、お父様に貴女のお給料を増やしてもらえるよう頼んでおくからね!」
「ありがとうございます……お嬢様。私はお嬢様のお力になれることは何でもいたしますから」
小蓮は嬉しそうに笑みを浮かべる。江夢沁は幼少期から江才覚に溺愛されて育てられていたため家族以外の使用人に対しても分け隔てなく接してきた。その甲斐あってか龍登山荘の使用人は皆夢沁の味方で施訂再に対しても好感を抱いていたのだ。小蓮は江夢沁より一つ年下の十六歳で、二人は姉妹同然に育った仲であるため特に仲が良かった。そのうえ、小蓮は夢沁よりも背が低いこともあってか二人の会話はまるで実の姉妹のような雰囲気があった。
「えぇ……私もあなたの働きには感謝しているわ」
夢沁は微笑んで礼を言う。そして小蓮は微笑みながら告げる。
「それではお嬢様、くれぐれもご無理をなさらぬようにお願いします。それと……」
「わかってる。私がここを出ていけば仮病だとバレちゃうでしょうから大人しくしてます。
それじゃあ……手はず通りに頼むわね」
江夢沁の言葉に小蓮は小さくうなずいた。
「かしこまりました。それでは湯呑みを片付けて参ります」
彼女は江夢沁が飲み終えた湯呑み茶碗を盆の上に乗せると部屋を出ていった。そうしてから階段を降りて一階の台所へ盆を置いて再び二階へ向かうのだった……。
施訂再と江才覚は部屋の中でお茶を飲みながらお茶菓子を食べる和やかな時間を過ごしていた。時折会話に花が咲き楽しげな様子だったが彼らが話し込んでいたその時、少女の叫び声が聞こえてきた。
「旦那様!大変です!お嬢様のご容態が……!」
慌てふためいた様子で現れたのは小蓮であった。彼女の報告を受けて施訂再と江才覚の二人はお互い顔を見合わせて無言のまま肯き合うと椅子から立ち上がって部屋の外へ向かい、廊下を抜けていくと前方に薄紫色の可愛らしく装飾された扉が見えた。江夢沁の部屋の前に到着した施訂再は額に汗を浮かべながら把手に手をかける。
(さて……夢沁お嬢さんがどんな手段で俺に一泡吹かせようとするのかお手並み拝見といこう)
意を決して扉を開けると部屋の中は綺麗に清潔に掃除が行き届いていて、天井や壁に張り巡らされた白い壁紙は明るい雰囲気を醸し出していて居心地良さそうに見える。だがそれ以上に施訂再の目を惹いたのは部屋の奥にある豪奢な寝台に眠っている江夢沁の姿であった。枕元には香炉のような陶製品が置いてあって火が点されており仄かに甘い香りが立ち込めている。
「夢沁お嬢さん……大丈夫なのか?」
思わず口をついて出た言葉に傍に控えていた小蓮が答える。
「はい……お嬢様は数日前から昏睡状態でずっと眠っておられていたのですが、
突然苦しみ始めまして……」
彼女がそこまで言うと寝台に近づき江夢沁の身体に触れてみる。脈拍や体温を調べるためだろう。しばらく診察を続けていた小蓮だったがやがて首を振ると立ち上がって言った。
「……いけませんね。かなり熱が高いようですし一刻も早くお医者様を呼ばないと……」
小蓮の声を聞きながらゆっくり近づいていき江夢沁の顔を覗き込む。艶やかな長い黒髪に陶磁器のような白くて滑らかな肌に小ぶりな鼻梁を持つ端正な顔立ちをしている。睫毛の長い大きな瞳は固く閉ざされているものの、僅かに開いている桃色の小さな唇から寝息が漏れていることから確かに生きているということがわかるのだがその姿はあまりに神秘的で幻想的な雰囲気を纏っていた。
(ふーむ……これといって様子がおかしい気はしないが……一つ試してみるか)
施訂再は何を思ったのか懐から小さな包みを取り出すとそれを開いて江才覚と小蓮に見せる。
「施訂再殿、それは……」
「無花果……ですか?」
二人の言葉に目を閉じたままで眠ったフリをしている江夢沁がピクリと反応した。
「そう、この無花果は秀斗町の青果店で買っておいたものだ。夢沁お嬢さんの大好物だからお土産にと持ってきたんだが、昏睡状態なら仕方ない。ここで喰っちまおう」
言い終わると同時に施訂再は皮も剥かずに無花果にかぶりついて食べてしまった。
(こ、こいつ……!人が動けないのを良いことに、私の大好物を平気で目の前で食べるなんて……!!)
江夢沁は悔しさに布団の中で拳を握りしめる。
「うん……美味い。夢沁お嬢さんにも味わって欲しかったんだけどな」
施訂再はまるで挑発するかのように目を閉じたままピキピキと青筋を立てている江夢沁に向き直る。江才覚と小蓮は唖然とした表情で彼の様子を眺めていた。
「施訂再様……あまりお嬢様にお構いなさらない方が……」
小蓮が小声で注意すると、江才覚も同意するように肯く。しかし当の本人は気にも留めずに続けた。
「いやあ、本当に残念だ。もし元気だったらたくさん食べられたのに」
そう言いつつ彼は包みに入っていた無花果を次から次に平らげていく。当然その光景を見せつけられている江夢沁の怒りは頂点に達しようとしていた。
(この野郎……許せない!!)
そして遂に堪忍袋の緒が切れてしまい布団から飛び出そうとしたその時だった。突然、扉が開け放たれると同時に大勢の人々が部屋の中へと雪崩込んできたのだ!
「江大人、お嬢さんが病気になったというのは本当ですかな?我ら南海剣友会が滋養強壮に良い薬草をたくさん持参して参りましたぞい!」
「拙者も色々とお見舞いの品物を持ってきましたぞ。これを食べれば夢沁嬢はきっとたちどころに元気になるであろう!」
押し寄せてきた人々の中から数人の老人が口々に言い出したかと思えば彼らに付いてきた十数人の男たちが部屋の中に荷物を運び込んでいる。どうやら彼らは江夢沁のことを心配して集まった面々のようで皆それぞれ贈答品などを持ち寄っているようだった。集まった人々は皆、荒河に名を馳せる武芸者たちで誰もが名の知れた流派の遣い手ばかりなのだ。そして彼らは一斉に江夢沁に駆け寄ってきて励ましの言葉をかけてくるのである。
(おいおい……ちょっと待ってくれよ。俺は夢沁お嬢さんに一泡吹かせるつもりだったんだぜ?それがなんでこんな騒ぎになってんだ?)
呆気に取られたまま突っ立っている施訂再をよそに彼らは盛り上がっていくばかりだった。そんな様子を眺めつつ彼は思うのだった。
(ふむ……これは面白いことになってきたぞ)
するとそこに慌ただしく江才覚が人々の前に進み出て言った。
「みなさん!娘をご心配いただき、誠にありがとうございます……ですが今のところは特に異常はありませんので、もう暫くの間安静にしていれば回復すると思います」
「なるほど……確かにそのようだ」
「それは良かったですなぁ……」
「いや、待て!俺は江大人がお嬢さんの病気を治した男にお嬢さんを嫁がせるってお触れを出したと風の噂で聞いたけど、そりゃあどういう意味なんだ!?」
唐突に放たれた一言をきっかけに喧騒は嘘のように静まり返り人々は互いの顔を見合わせる。そして視線の先にいたのは勿論江才覚であった。彼は慌てた様子で思わず叫んでしまった。
「ファッ!?いや……あの、ちょっと……ちょっと待ってください、皆さん……えーと、それはですね……」
しどろもどろに弁解しようとするも誰一人として耳を貸す者がいない。それどころか寧ろ更に根も葉も無い噂が次々に湧いてきて収拾がつかなくなってしまった。
「おいおい、本当かよ!?そしたらお嬢さんを嫁に貰えるだけじゃなくて、江大人が会得した江湖龍昇剣の後継者に選ばれて龍登山荘の跡取りにもなれるっていうことじゃないか!?」
「つまり某は将来、荒河で一、二を争う大金持ちの家督を継ぐことになるのか?素晴らしいではないか!」
「いや、しかし……病気を治療したところで相手が誰であっても娘を結婚させたいと思うであろうか……?」
「まさか……いや!断じてそんなことはあり得ない!仮に病気が治ったとしてもお嬢さん自身が気に入らない男と結婚することを望むはずがないだろう?そうだろ、江大人!」
口々に勝手な話をまくし立てる武芸者たちに江才覚は圧倒されながらもなんとかこの場を収拾しようと大声で訴える。
「み、皆さん、少しお待ちを!私はそのようなお触れなど出しておりませんし、そもそも病気を治療した御方に娘を嫁がせるなどというような噂話は何の根拠もないデタラメです。ですから……」
江才覚が必死の表情で弁明するもやはり誰も全く聞く耳を持とうとしない。それどころか逆に興奮状態にある者が多いほどであった。施訂再は内心溜め息をつきながら江才覚へ歩み寄る。
「皆さん、私は江大人と仲良くさせていただいております施訂再と申します。この度は江大人のご息女、江夢沁お嬢様のお見舞いに馳せ参じた次第でございますが皆様はどこでその噂話をお聞きに……?」
彼が丁寧な口調で尋ねると一人の武芸者が手を挙げて答える。
「そりゃあ……お前さんが江大人が使いに寄越した使用人と一緒に歩いてるところを見た奴がいたからだよ。江大人のお嬢さんが病気で臥せっているとな」
武芸者の言葉に施訂再はハッとなって龍登山荘に来た経緯を思い返した。
(あの人か……!そういえば江の旦那の使者を名乗っていた人を見失ってから屋敷の中を見て回ったけど、あの人を見つけることはできなかった……つまりあの人は俺が屋敷の中に入ったことを他の人間に伝えた後に行方を眩ましたって事か?でもどうして……)
そう考えた矢先に江才覚が口を開いた。
「お待ちください、私は施訂再殿に使用人を派遣してはおりません。施訂再殿には手紙を送って娘のお見舞いに来ていただく手筈となっていたのですが……」
そう言った瞬間、施訂再は耳を疑った。彼に江夢沁が病気で倒れたのでお見舞いに来るように伝えに来た使者は江才覚からの手紙を持っていなかった。だが今の江才覚の発言と合わせると明らかに矛盾している。
「ということは……私に江大人の使用人を名乗り、接触してきたあの人はいったい……?」
施訂再はまるで狐につままれたような表情で呆然と佇む。彼と江才覚が困惑していると突如扉が激しく開け放たれ一人の女性が息せき切って部屋に飛び込んできた。
「旦那様!大変です!大変です!大変なんですー!!」
使用人の女性は顔色を真っ青にしながら慌てふためいている様子で江才覚と施訂再の二人に向かって捲し立てるように報告した。
「旦那様……大変なんです!今し方屋敷の前にこのような手紙が……」
「見せてくれ……こっ、これは……!?」
江才覚が思わず叫ぶと同時にその手紙を施訂再に手渡した。それを受け取るとすぐに文面に目を通す。手紙には次のように書かれていた。
『今宵、龍登山荘に江湖龍昇剣の奥義書と宝剣・龍臨剣を頂戴に参上する。万が一抵抗するようであれば、
江夢沁お嬢様の命は保証できないのでご了承願いたい』




