梅雨明けはすぐそこに
その後、香月や智秋達に事のあらましを話した。2人は心底安心した様子で、風遥達を労ってくれた。……ソラリスは相変わらず無表情だったが「これもお2人の実力ですね」と智秋に振られると、そこは素直に「そうだな」と頷いており、地味に嬉しかった。
ただ、風遥の隣でレヴァイセンがガッツポーズしていたのに対しては「調子に乗るな」と咎めていたが。
そうしているうちに今夜は香月が餃子を作ってお祝いするという事で、夕飯は3人で食べた。レヴァイセンはじーっとその様子、特に餃子を見ていたようだが、ソラリスが妙な睨みを利かせていることもあってか何かを言い出してくることは無かった。
食後すぐに陽使2人は見回りへ行き、風遥は香月と智秋と暫く雑談していたがそのうち2人も帰宅。そうして一息ついたら一気に疲れが押し寄せてきた。
なので風臣に会いに行くのはレヴァイセンが見回りから戻って来たらと考えていたのだが、気づけば寝落ちしていた。
そして、翌朝。
風遥は久しぶりに台所に立ち――
「…………」
ダイニングテーブルに着座する人間の姿のレヴァイセンは、眼前に置かれた陶器の平皿とそこに乗っている目玉焼きに釘付けだ。顔を近づけてあらゆる方向から眺め、手で目玉焼きをひっくり返してはまた眺め……と、もう5分近くそうしているのではないだろうか。
「そんなまじまじと見るものか?」
既に風遥は食べ始めているのだが、あまりに真剣になって観察している様子に箸を止めて尋ねる。
「ああ。おもしれーなって……割った時は透明だったのに真っ白になってよ……しかも、裏はちょっと茶色いんだぜ?」
そう言って焼き色を指し示してから、レヴァイセンは風遥を見て首を傾げた。
「なあ風遥、何で色が変わったんだ?」
「卵に熱が加えられた影響だ。白はたんぱく質の凝固、茶色はメイラード反応」
理科か家庭科か……とにかく何かで習った内容を簡潔に伝える。よく覚えているのは、固まった白身が自分の白と似ているが何か関係性があるのだろうか? という少し複雑な理由だ。……勿論、関係は無い。
「……メイ?? 何だって?」
「メイラード反応。詳しくは“図書館”にでも行って調べてくれ。
卵の専門家が残した情報があるだろうからな」
ただそれ以上深堀されると毎度のことながら厄介なので、風遥は“図書館”へと誘導する。
「へーい」
この“図書館”というのは神守町にある図書館でも、神器の間に存在する図書館でもどっちでもいいが、単に卵の事を知りたいなら、検索機があるリアルの図書館の方が早く調べがつくだろう。
「っしゃ! じゃあ、いただきます!」
そんな見かけの観察に満足したようで、両手を大きな音を立てて合わせてから実食に入るレヴァイセン。
まず手で掴んで黄身を外してから、白身を半分ほど口に入れる。長めに咀嚼して飲み込んでから、今度は黄身を手で2つに割って半分だけ食べる。
その様子はあまり行儀のよい食べ方ではなかったが、食事というより実験しているような素振りに近いようなので特に指摘するつもりはない。
「ん~………」
すると、今度はまた白身を手に取ったが、目を閉じた状態で咀嚼する。
視覚情報を遮断し、考える事に集中しているのだろうか。
その状況がなんとなく昨日の自分に重なって、ふと思い出した。
(そう言えば……結局、答えが出なかったな)
――智秋からの課題。13年前、色と記憶を失ったおかげで得たものについて。
コクトに閉じ込められた時に考えようと閃いたのはいいが、その直後にレヴァイセンが助けに来てくれたので向き合う前に終わってしまったのだ。
(まあ、急いで結論を出さなくてもいいか)
ただもう悪夢を見せてくる璞はいないので、今すぐに答えが必要な状態ではなくなった。それに、何となくだが、過去の記憶を引っ張り出されることへの耐性がついた気がする。
それは色々な意味で。その中には、もう過去に囚われる必要は無い、という安心感も含まれている。なのでもし仮にまた同じような事が起きたとしても、狂乱する事はもう無いだろう。
「ごちそーさまでしたっ」
と、レヴァイセンが食べ終わったのでそちらに意識が向く。レヴァイセンは中身をしっかり飲み込んでから目を開けて、また手を合わせた。
「……で、どうだ?」
異種族の味覚がどのように目玉焼きを捉えているのかは非常に気になるので聞いてみる。
「白身も黄身もざっくり2種類の食感があるんだな。特に黄身は中心部分がドロッとしてたから驚いたぜ」
「成程」
今まで生きてきて目玉焼き(やや半熟)の食感を客観的に述べたことなど無かったので、新鮮な感想だ。
「んで、味は……どう言葉にして良いか分かんねーんだけど、これが目玉焼きの味なんだな、ってのが分かったぜ!
……で、これが美味しいってことなのか?」
「人それぞれだな。あんたがそう思うなら、そう言えば良い」
「んー、じゃあ、美味しいってことにしておくぜ!」
レヴァイセンはそう元気よく言って席を立ち、シンクにそっと皿を置く。
「風遥! 作ってくれてありがとうな!」
そして振り向いて、人間そのもののような砕けた笑みを浮かべる。
「ああ」
風遥も微笑んで頷く。何のこだわりもないただの目玉焼きに対し、ここまで嬉しそうにお礼を言われるのは後にも先にも無いだろう。
「……次は味噌汁、分けてくれよな!」
が、まさかの追加要求に、風遥の笑顔は一瞬で消える。
「はあ?」
「んじゃ、外で待ってるぜ!」
「おい!」
止める間もなくレヴァイセンは光球化、逃げるように外に出て行ったので溜息。
「ったく……」
その内全部の食事を寄越せと言い出しやしないだろうか。別に2人になっても作る手間はそこまで変わらないとはいえ、食費が2倍になるのはあまり頂けない。元々無意味な行為のはずなのに――……と、そこまでごちてふと、以前の様子を思い出す。
かつてこのテーブルでは……神森親子と、レヴァイセンとアルフィード4人が紛れもなく“食事”をしていたのだと。
「………。
まあ、良いか……」
かつて食事は不必要だと断じていたはずのレヴァイセンが、食事という行為に意味を見出してくれるのなら、一緒に食事を楽しむ仲になるのも悪くないだろう。
……とはいえ、そうなるとマナーを思い出してもらうか再度覚えてもらう必要はありそうだが。
「――さて、仕事だ」
今日は午前中は祓廻りが2件、午後は氏子の方々と打ち合わせ。初日のあの雰囲気に比べればかなり気は楽だし、智秋がいなくても大丈夫な程度には慣れた。
コクトを浄化し、神主を続けていくにあたっての最大の懸念事項が晴れた。
その上、神器の新たな活用法を得た上に、レヴァイセンとの絆が深まり浄化手段の幅も増えた。
だから13年前の真実も、考えそびれた解釈の再定義も、自身の“白”を取り戻す方法も――このまま神主を続けていれば自然と見つかるのではないかと、風遥はそんな希望めいたことを思った。
その裏で、神主はまだ知らない。
知らずと進む陽使への侵食が、今まさに顕在化しようとしていることに……