独りじゃ駄目でも、2人でなら
それが起きた瞬間、レヴァイセンは激しく動揺した。風遥との一体化が何故か解かれていたからだ。
「えっ……!?」
「レヴァイセン!?」
まさに璞を祓おうと身構えていた風遥がこちらを驚愕の表情で見る。だがそれが大きな隙となってしまい、緞帳の様に璞が襲い掛かる。
「風遥ッ!!」
主を覆うように伸びてきた黒を掻くように祓うも、祓った先も漆黒で風遥に届かない。手を伸ばせば触れられる距離だったはずなのに、レヴァイセンの手先は何の形も捉えられなくなってしまった。
「風遥、風遥ーっ!!」
せめて声だけでも届かないかと叫ぶも、返事は無い。それどころか、普段ならどこにいても感じられるはずの僅かな気配ですら不明瞭。
もしかすると、完全に隔離されてしまったのか? なら、この空間そのものを破壊することで助けられるはずだ。前回は内側だったが今回は外側にいるので、こちらも全力を出せるので不利ではない。
『危ない!!』
「!?」
が、直後誰かの声が飛んできて、背後から何かが襲ってきているのを把握したレヴァイセン。振り向きざまに祓おうとしたそれは――対抗手段を持たないあの触手で――
「ぐっ!!」
迎撃ではなく回避が正解だった。大きく後方に弾かれ怯んだ隙に、また深く絡まれ身動きが取れなくなってしまう。人間と違い浮遊も出来るのに、この璞が絡まるとエネルギーが寸断され、理の機能が正常に働かなくなってしまうのだ。
「ここまで来れますか、狛犬はん?」
風遥を中心にドーム状に展開された璞の結界の上、いつの間にか黒兎の璞が座っている。
「っ、消えろよ……!!」
一縷の望みを賭けもう一度浄化の手順を繰り返してみるも、やはり消えない。こうしている間にも風遥が、と焦りはいくらでも増えるのに、ここを抜け出すための力には全く反映されず時間だけが過ぎようとしている。
「……やっぱり、駄目ですかねえ?」
そう楽しげな声で嘲笑する黒兎の璞を睨み付ける。すると「おお怖い」とわざとらしく肩を竦められ、煽られた。
その上自分の内側では「無明のプログラムを起動するか?」と言う声が響く。
――まただ。また、同じ展開じゃないか――ぎり、と歯を食いしばる。
『レヴァイセン、聞こえるかい?』
ところが、唐突に響いてきた声に目を見開く。それはさながら天の助けのようで。
(風臣……!?)
『……良かった。君だけでも通じて』
(おめー、何で……?)
思わず声に出るところだったが、黒兎に怪しまれてはいけないと胸中に留めた。
『神器の力は陽使にも作用する。でも、詳しい事は省略だ。
一刻の猶予もないのは分かってるね』
(ああ。でも、どうすりゃいいんだ?
こいつは、既存のデータじゃ対処できねえんだ)
通常なら領域にいる専門職の理が研究して対処法が共有されるわけだが、まだこの璞については研究中で情報の更新が無かった。だから、レヴァイセンでは対処不能なのだ。
『こういう時こそ神器の力だよ、レヴァイセン』
そう堂々と告げた風臣。表情は見えないはずなのに、自信に満ちた笑顔が想起された。
(……!)
神器の間で集中していた時の光景が一気に脳裏を駆け巡り、期待と緊張の入り交じった反応か体に熱を感じる。
『君の強い思いと神器の意図が一致した時、この世の全ての理を超越した事象が起きる』
そうだ。確かにあの広大な場所には、処理しきれないほどの大量の情報に満ちていた。
その中から、かつて風臣は自身のコピーを創り風遥に遺した。それも風臣の強い意思の元に創造されたものに違いない。
『そうすれば、まだ未解明の璞の浄化方法を即座に編み出すことも、強力な璞に通用する浄化の力だって簡単に得られる』
ならば、風臣の言う事はレヴァイセンでも実現可能なのだろう。
――今のレヴァイセンの意思の強さなら、当時の風臣にも負けないはずだから。
『私が神器との繋ぎ役になる。
……さあ、君の意思を示してくれるかい?』
その上神器に直結している状態の風臣が誘導してくれるなら、もう何も懸念することなど無い。
レヴァイセンは拳を握り締め、黒の空間と、その上にいる黒兎の璞を強く、睨みつける。
「この触手を浄化して、あの空間をぶっ壊す!」
もう声に出して聞かれようが関係ない。自らの意思を示すには、心に留めておくだけでは勢いが足らないからだ。
「……どうしました?」
黒兎の璞がきょとんとしているが、今に答えを分からせてやるとそれすら燃料になって覇気のある声に注がれる。
「んで風遥を助けて、一緒にあいつを浄化する!!」
それを受けて、黒兎の璞はニヤリと笑った。
『つまり?』
風臣から、具体的に挙げた4つが何に集約されるのかを問われた。その答えも1つしかない、最初からそれを示せばよかったのかと思う程には。
そして、風臣もその答えを期待しているからこそ、あえて聞いてきたのだと!
「俺が――風遥を、守るんだ!!」
そう高らかに宣言して巻き付く璞に身体を捩って抵抗にすると、それまでびくともしなかったはずのそれが緩み、すぐさま鷲掴みにすれば溶けるように浄化された。
「消えた……!」
レヴァイセン自身は式を構成するまでもなく、ただ念じて触れただけだというのに。これが神器の力なのか。
(すげえ!)
内心で高揚するのを感じながら、璞の空間へと駆けて行くレヴァイセン。
「!」
すると、脱出したのを見てか黒兎の璞がふわりと宙に浮いて退避した。しかしこれなら救出の邪魔はされないのだから、寧ろ好都合だ!
「うおらぁあっ!!」
レヴァイセンは荒々しく叫んで、黒の空間に手を叩きつける。一気に亀裂が入り、ガラスが割れるように璞が飛散した。
「風遥!!」
その弾け飛ぶ黒と粒子の白もろとも手で振り払えば――座り込んでいた風遥と目が合った。
「……レヴァイセン……!」
風遥は大きく目を見開いていたが、程なくして安堵の表情で溜息をついた。
「遅くなってすまねえ! 大丈夫か!?」
レヴァイセンは屈みつつ風遥に向かって手を伸ばす。
「大丈夫だ……、っと」
「あぶねっ」
風遥はその手を掴んで立とうとしたが、少しよろけたので咄嗟に支える。
「……今度は、ちゃんと間に合ったな」
「風臣のおかげだ。風臣が、俺と神器の力を繋いでくれたんだ」
そう言いつつ、風遥がゆっくりと立つのをフォローするレヴァイセン。
『違う違う、私はあくまでサポートしただけ。紛れもなく君の実力だよ、レヴァイセン』
「えっ……」
間髪入れず風臣がレヴァイセンをやや過剰なまでに持ち上げたので、正直に認めて良いものか少し反応に困る。
「そうか。修行の成果があったな」
ただ、そう言って風遥は笑ってくれたし、何より主に褒められたのが嬉しい。
「へへっ」
なので場違いだとは分かっているが、レヴァイセンはにやけてしまった。
『じゃあ次は、2人の力を見せてくれるかな?』
そんな2人の様子を微笑ましげに見ていたであろう風臣の声音からは、黒兎の璞の浄化を期待しているのが分かる。
「……勿論だ、行くぜ!!」
レヴァイセンは大きく頷いて、風遥と一体化。
「ああ」
風遥は大幣を再度握り締めて、黒兎の璞を見上げた。
「……わえを浄化できる、と?
ホントに、そう思ってはるんですか?」
黒兎の璞は焦りのひとつも見せないどころか、心底不思議そうに首を傾げている。煽りというよりも、言葉通り、出来るとは思っていないのだろう。
「……確かに、俺1人じゃ無理だ」
実際、風遥と黒兎の璞には距離がある。そしてこの高さは、人間である風遥では到底届かないし、大幣を祓って起こす浄化の波動では、一体化していたとしても黒兎の璞を浄化する程の威力には至らないだろう。
つまり、一体化した状態で直接触れなければ勝ち目は無いが、直接触れるための手段に乏しい。それを、恐らく黒兎の璞も分かっている。
だが……風遥もレヴァイセンもそれは織り込み済み――示し合わせたわけではないが、互いの意図が一致して大幣を持つ腕に力が帯びる。
「でもな、もう俺は1人じゃ――ないんだッ!!」
上空に向かい、大幣を力強く薙ぎ払う風遥。それは祓うためではなく、突風を起こすため!
「っう……!?」
一体化した神主と陽使が起こした風は浄化の力だけではなく、巻き上がる砂や枝葉や風そのもののと様々な要素が入り交じる攻撃となり、流石の黒兎の璞にも一度に対処のしようが無かったようだ。
着物の袖や黒髪が大きく揺れる中、黒兎の璞は堪らず腕で顔を覆う。
レヴァイセンはその風に乗るように、風遥から飛び出して――
ようやく落ち着いた、と腕を降ろした黒兎の璞の背後から低い声で笑い、
「ああ、2人なら何だって出来るぜ?
――お前を浄化することも、なッ!!」
「……!」
完全にこちらを振り向く前に、レヴァイセンはその背中へ回し蹴り。
最初に一方的にやられた時の屈辱も含むありったけの力を込め、風遥が待つ地上へと吹っ飛ばす。
完全な不意打ちに加え神器の力による補正効果も相まってか、黒兎の璞は人型を保てなくなり黒兎の姿へと変化しながら落下していく。
ただそれで終わりではない。風遥の元に戻るためレヴァイセンはすぐさま光球化、その後を追う。
「今度は、逃がさないからな」
ちょうど足元に叩きつけられた黒兎を、逃げたペットを捕まえるような素早い手つきで捕まえる風遥。
逃げようともがく黒兎だが風遥が抑えつける方が強く、レヴァイセンが再び一体化するまでの時間稼ぎは十分だった。
そうして神主と陽使双方の浄化の力が合わさり満ち満ちた時、主は口角を上げた。
「もう大人しくしてろ、コクト」
刹那、強い閃光が迸り、視界を真っ白に染め上げる――
白い何もない空間の中、正装の風遥が大幣片手に立っている。
その正面には俯き座り込んでいる人間と思われる生物がいるが、レヴァイセンには誰なのか分からない。
不明な人間は風遥と違い服は着ていないし、地面に広がる程の長い長い黒髪が服の代わりとばかりに性別を特定させず、表情も伺えない。ただ髪の隙間から見える腕や足は、人間にしてはかなり痩せ細っていた。
主は暫くじっとその人間を見下ろしていたが、一歩前に出て膝をつき、大幣を置く。
人間は紙垂が擦れる音に顔を上げるも、やはり髪の毛が横顔の大部分を隠してしまっていて。
対して主は表情は真顔だが、しかし掴まれとばかりにその者へ手を伸ばす――……
「!」
そこで映像は途切れ、一瞬の暗転の後、元の光景に戻った。
……ただし、黒兎の璞の姿は消え、代わりにそこには大量の光の粒子が舞っている。
浄化の作用が正常な証拠としては十分すぎるその量に、レヴァイセンは黒兎の璞に打ち勝ったことを確信した。
「……やった、のか……?」
一方の風遥はまだ信じられないようで呆然と呟いているので、レヴァイセンは一体化を解き前の空間を指し示す。
「ああ! こんな大量に粒子が出てるのは初めて見るけどよ、それだけ相手が強力だったってことだ」
「っ……!!」
今までの経験を根拠として話せば、風遥は声を詰まらせる。
「だから、やったんだ。
俺達、勝ったんだ……!!」
「ホントに、勝てたのか……」
興奮が抑えられずひたすら拳を握り締めて振るレヴァイセンに対し、風遥は半ば呆然としながら呟く。
『本当だよ、風遥』
「父さん」
「風臣」
すると、風臣の声が聞こえてきた。どこに姿があるわけでも無いのだが、何となく上を向くレヴァイセン。
『……ありがとう。
かつて私達が出来なかったことを、君達は成し遂げてくれた』
繰り返すが姿は実際には見えない。だが風臣が穏やかに笑っているイメージがレヴァイセンには見えていた。
『黒兎の璞を浄化することが出来たんだ、もう立派な神主と陽使だ。
よく頑張ったね、2人とも』
「父さん……」
風遥が声を震わせ、少しだけ涙ぐんでいるように見える。コピーではあるが父親に認めてもらえて、感極まるものがあったのだろうか。
『とはいえ反動が後から来るかもしれないから、早く神社に戻ろう。
一休みしたら、皆に話をしてあげると良いんじゃないかな』
言われてみるとそれもそうだ。香月、智秋……それと、ソラリスにも報告だ。まさか黒兎の璞を浄化しただなんて知ったら、あの仏頂面も少しは驚くに違いない。
「っしゃ! 帰るぜ、風遥!」
さあ、凱旋の時だ――レヴァイセンは狛犬に変化した。
「……ああ!」
風遥も軽やかにその背に乗ったので、ひとつ遠吠えしてから地を蹴った。
駆け出した先には、まるで2人を祝福するかのように青空が広がっていた。