狛犬の懸念も梅雨の如し
まさか風臣が自身のコピーを創り出しているとは知らなかった。自分にもしもの事が起きた時用にと、風遥に遺しておいたのだろうか。
「じゃあまずは、コクトをどうしたいのか決めようか。
――追い払うか、浄化するか」
その風臣が方向性を決めるべく選択肢を提示してきたが、レヴァイセンの中ではもう答えは出ている。浄化一択だ。
「追い払うってのは、父さんたちと同じ……持久戦、ってことか?」
「そうなるね。コクトはしつこいだろうから、相当粘らないといけないと思う」
風遥の確認に頷く風臣。すると、風遥は首を横に振りつつ溜息をついた。
「……無理だな。俺にそんな気力は無い」
レヴァイセンもそうだ。風臣たちと同じ方法を取るとしても構築のための時間が圧倒的に足りない状況で、一晩中戦い続けるというのは無謀すぎる。
だったら短期決戦、寧ろ一瞬で片が付く方法を取る方が賢明――ようは、一体化した状態で触れ、浄化のエネルギーを叩きこむのだ。
「俺も一緒だから浄化一択だな。
……散々風遥に嫌な思いさせたんだ、絶対逃がさねえ」
目を細める。黒兎の璞は風遥は勿論、風臣達の頃から神守町を翻弄して来たのだ。いくら強力な璞と言われていても、いつまでも放置しておくわけないはいかないというのは理達も分かっているはず。
神器の力は未知数だが、かつて師がそのような高等な技術をモノをしているのなら、何かレヴァイセンに合った方法で浄化の力を強化する術だってあるに違いない。
「その意気だよ、レヴァイセン。
……じゃあまずは風遥に神器から情報を引き出す方法を教えるから、一旦外に出て待っててもらえるかな?」
「ああ、分かったぜ」
師は神器には近寄らせなかったから、アクセスする方法をレクチャーしてもらえるのは非常に助かる。レヴァイセンは言われるまま外に出て、拝殿の屋根の上に座った。
「…………」
そして目を閉じて、昨日の出来事――自分の無力さを、思い起こす。
触手のような璞に捕らわれたレヴァイセンは、酷く焦っていた。絡めとられている状況そのものに、何もかもが封じられてしまっているのだ。
(なんでだよ……っ)
まず、何度浄化を試みてもびくともしない。これまで理が培ってきた数多の璞のどのデータにも引っかからず、浄化のパターンがどれも通じない。
次に、ソラリスに応援を要請しているのだが、拘束が正常な通信を阻害してしまい要請に応じる声が返ってこない。
なら無理矢理にでも抜けてやろうと身を捩るもびくともせず、こちらがダメージを負う始末。
(どうしたらいいんだよ……!)
黒兎の璞はこれをゲームと称し、自分は救出対象なのだそうだ。だから本当に、ただ救出されるのを待つしかないのだろうか?
「風遥……」
名前を呼んだところで風遥の何になる訳でも無いのに、呼ばずにはいられなかった。どうしてなのかは、自分でもよく分からない。
分かるのは風遥に明らかな疲労の色が見て取れること。間を空けずに連続して璞を浄化しているので、反動が蓄積してしまっているのだ。
「そんな顔するな。もうすぐ助けてやるから」
なのに風遥は、レヴァイセンを見て笑った。
(なんでだよ、風遥……)
俯く。レヴァイセンの油断が招いたことだというのに、風遥は怒りをぶつけることも、怜悧に睨むこともしない。それどころか気遣ってくれることが、寧ろ申し訳なくて苦しい。
今回だけじゃない。主は、自分の失態をいつだってフォローしてくれていた。例え自らが傷つくことになったとしても、決して見捨てることは無かった。
今だって、突然璞と連続で戦う事になったというのに、勇敢にも1人立ち向かっていて、こちらの不安を取り除こうと笑いかけてくれる。
その精神的な強さに惹きつけられる一方、自らの無力さを呪う程に痛感していた。
「風遥ッ!!」
「っ……!」
主に向かって勢いよく突撃する璞を追い払う事はおろか庇う事すら出来ないなんて、何のための陽使なんだ!!
「俺から、出て行けっ……!!」
そうして璞の攻撃を受けよろめくも、髪を引っ張ってでも踏ん張って祓うその姿は――かつての風臣を彷彿とさせる。13年前、神守町やその住民達を守ろうと必死になって町中の璞の浄化にあたっていた、あの時の……。
「風遥っ!!」
「……大丈夫、だ……」
まただ。また、小さく笑っている。そう言えば風臣もそうして住民に声をかけていた。疲労も強いだろうに、住民の前ではそれを一切見せず微笑んでいた。
けれど風遥が守っているのは、町の人たちじゃない。取るに足らない理1体の為に、どうしてここまで……罪悪感と劣等感が圧し掛かるが、それ以上に、主に対し何か言葉にしがたい特別な感情を抱いているのに気づく。
(……何だ、これ……?)
それは風遥の瞳から感じるものなのだろうか? それとも、璞に思考まで侵食されているのか? けれど身体面はさておき、精神面においてその類の警告は出ていない。
「風遥……」
ゆっくりと伸ばされた手に、何故か安堵が最初に巡ってきた。本来は主に助けられる事への羞恥と罪悪感でなければならないはずなのに、俺は……
(嬉しい、のか……?)
その邪な感情が、行わなければならなかった風遥の制止を見落とさせてしまった。
黒兎の璞が風遥を阻もうと手を伸ばしていたことに、気づかなったのだ。
だから、風遥の手はレヴァイセンに僅かに届かなかった。
「今度こそ、わえが思い出させてあげましょか――」
そうして謀られた風遥に、容赦ない攻撃の手が伸びた。
「風遥!!」
ダイレクトに精神に作用したそれは一気に風遥を蝕み、彼の意識を過去の記憶の中に閉じ込めてしまった。
「やめろ!! 風遥から手を離せ!!」
レヴァイセンはそう叫ぶも、黒兎の璞はこちらを振り向く事すらしない。
「離せって言ってるだろ!?」
虚しく響く怒号、もがけばもがく程舞う光の粒子。
「離せって、っ、………!?」
終いには発声機能に異常が出た。空気に吸い込まれるように、声が出なくなったのだ。
(声が、出ねえ……!!)
レヴァイセンはその瞬間、干渉するための全ての術を失ったのだ。
風遥の呼吸が荒い。見せられているであろうモノは、璞の性質からして最も餌を引き出す記憶の再生――それは本人にとってはこの上ない苦痛と絶望を齎すもの――
「俺だって、好きで白くなったわけじゃない!!」
「……!!」
心の底からの悲痛な叫びに、レヴァイセンの中で熱を帯びた衝動が湧き上がる。その熱が何なのか分からないが、とにかく、自分の体を熱いと感じたのだ。
(風遥、風遥ッ……!!)
限界まで目が見開かれ、身体に力が入る。今すぐ風遥の傍に行きたい。自分の下半身を引きちぎってでもこの璞から逃れ、黒兎の璞を浄化したい。そして残った両腕で風遥に触れ、記憶の束縛を断ち切りたい。
理の浄化の力なら、璞が構築した世界を無に帰すことが出来るから。
(っ抜けろ、抜けろよ!!)
だから一刻も早く脱したくて暴れるも、粒子化は進むだけで身体が千切れる様子は無く。
風遥が危険なのは明らかなのに、どうして俺は何も出来ないんだ!!
焦りと苛立ちが頭を混乱させる中――その声は唐突に聞こえてきた。
『神主を助けられる方法が、1つだけある』
(!?)
この声を聞いたのは久しぶりだ。自分を監視する“レヴァイセン”の声……。
『レヴァイセンにだけ搭載している特殊機能が存在している。無明のプログラムだ』
(無明の、プログラム……?)
『このプログラムを起動すると、一時的に全ての能力を高めると同時に、いかなる璞に対しても浄化作用を働かせることが出来るようになる』
(!! じゃあ、それを起動すれば、風遥を助けられるんだな!?)
希望に満ちる。まさか自分にそのような機能が備わっていただなんて! どうして師はこの事を教えてくれなかったのだろうか!
『可能。ただし、起動中はレヴァイセンの全ての権限をプログラムに移譲する』
しかし高揚は一瞬だった。権限を移譲することで、その間自分で操作したり止める事が一切不可能になる……つまり、レヴァイセンがそのプログラムに乗っ取られるという事を意味しているからだ。
いくら風遥を救出できるとはいえ、自らの主導権を全て手放してしまっていいものか……
「ああぁあぁああぁあああぁぁ―――!!!」
(っ!!)
しかしその悲鳴に直感する――このままでは、風遥の精神が壊れてしまう!!
駄目だ。もう思慮深く考えている場合じゃない! レヴァイセンにはどうする事も出来ない以上、今はこの無明のプログラムに任せるしかないのだ……!!
(分かった、全部承認する! だからお願いだ、風遥を助けてくれ!!)
『了解――無明のプログラムを起動する』
刹那、大量の承認事項が流れてきた。けれど自らが処理するよりも先に、勝手に移譲が行われている。その、自らが他のモノに書き換えられていくような感覚に、今更ながらに恐怖のような感覚が湧いてきた。
『……あーあ。
ホントにお前は考え無しだよな、レヴァイセン……』
(なっ!?)
その感情に便乗するかのような、砕けた口調にいよいよ乗っ取りの凶兆を見る。
しかしその言葉に応じる事も出来ぬまま、レヴァイセンの意識は途絶える。
「………!」
次にレヴァイセンが自らを認識した時――黒兎の璞は消え、風遥はレヴァイセンの腕の中にいた。
無明のプログラムは宣言通り風遥を助けてくれたようだ。その寝顔は苦しそうでは無いので、夢まで侵食されている訳では無さそうで安心した。
「……、………」
だが、横抱きは嫌だと散々言われていたのに、横抱きの状態で立っていた。
しかしこれは無明のプログラムを実行していた時の出来事。なので例えレヴァイセンの意識があったとしても、止めることが出来なかったことになる。
(すまねえ、風遥……)
そう呟こうとしたが、相変わらず声は出ない。誰にも見られていないはずだが、自分の知らぬところでまた嫌な思いをさせてしまったかもしれなくて申し訳ない。
否、それよりももっと重大な過失がある――自分のせいで、風遥を酷い目に遭わせてしまった事――
『レヴァイセン』
そんな感傷に浸りかけていたレヴァイセンを浮上させる、“自分”の声。
『神主の救出および黒兎の璞の撃退に成功した』
(ああ、助かったぜ。
……このプログラムは、複数回起動できるのか?)
そう聞きつつも、得体のしれないプログラムという印象はしっかりと残っている以上、出来ればこれっきりにしたいのが正直なところだ。
『可能。ただしお前はこのプログラムの存在を他者に一切知らしめてはいけない。
当然神主にも秘匿を貫く事』
(守れなかったら、どうなる?)
『即座に陽使の資格をはく奪されることになるだろう』
表に一切出してはいけないという事も怪しさを増長させるが、これはもしかするとプログラムという名の不具合なのかもしれない――だとすれば、“例外”である自分に相応しいかと自嘲。
(……分かった)
とはいえ念のため、自分自身の状態をスキャンする。損傷し粒子化した状態と、各種権限が無明のプログラムの起動前と書き換えられた場所が無いかどうかだ。
……損傷状態については芳しくないが、権限関連はそっくりそのまま元通りだったので安心した。
そうしてレヴァイセンはソラリスに救援を出した後、風遥を背負って神社へと戻っていった。本当は狛犬の姿で運びたかったのだが、損傷が酷すぎて変身出来なかったのだ。
「――終わったぞ、レヴァイセン」
ふと、主の声が聞こえてきたので目を開ける。
夜風吹く中わざわざ呼びに来てくれたようで、相変わらずの気遣いに小さく微笑む。
「ああ、今行く」
レヴァイセンは軽やかに着地し、風遥の後をついていく。風遥はこのまま居所に戻るとのことなので、玄関で別れた。
(神器の力を引き出す、か……)
器と名前がついているが、実際に形になっているわけでは無く、その正体は大いなる力の源流にして、ありとあらゆる情報の記録媒体とも言われている。
だから神器のある神社に陽使は派遣され、担当する区域の安定の為に神器を用いる訳だが、あまりに参照元が膨大な為、予め定められた範囲内で用いる事を推奨されていたはずだ。
しかしかつて師が神主と共に引き出していた情報はその内容には載っておらず、安定のためとはいえ例外的な使い方をしたようだ。
(絶対に、せんせーみたいに使いこなしてやる。
もう無力なのは嫌だ)
新たに創造された風臣も神器から色々な情報を引き出せるようになったと言っていたし、その中にはレヴァイセンが全く知らない情報も多々あるのだろう。
――ならば、自分の“例外”の謎も解けるのだろうか? そんな仄かな期待を胸に、再び神器の間へと入って行った。