神主を支える人たち:朝から昼にかけて
翌朝。風遥は香月と朝食を過ごしていた。テーブルには焼き魚が乗っており、目玉焼きばかりの日々からすると少々新鮮に感じられた。
「本当に、もう大丈夫なの?」
「うん」
昨夜時点で特に体調面に大きな不調は無く、メンタルも回復傾向ではあったが、念のためと香月が泊まってくれていたのだ。
「熱は?」
「平熱だった。昨日は喉が痛かったけど、それも治った」
昨日はあの後軽く夕飯を食べて直ぐに寝たのだが、その効果があってかすっかり元通りになっている。思えば、昔から多少の不調は一晩寝れば治る事が多く、今回もその範囲に収まったようだ。
「……おばあちゃん達が直ぐに対応してくれたからだと思う。ありがとう」
それも、香月達の早急な看病あっての事。レヴァイセンが風遥を連れて帰ってきた時には、既に智秋経由で連絡を受けた香月が駆けつけていたらしい。智秋に異常を知らせたのはレヴァイセンから知らせを受けたソラリスだから、この3人の迅速な連携と行動に助けられた形になる。
「身体を拭いたり、お着替えをさせたのはレヴァイセンよ。
あの子、自分の怪我も治して無いのに、風遥を看病するって言ってきかなかったの」
「そうだったのか?」
それは本人から聞いていなかった。てっきりまずは治療のため石像で休んでいたとばかり思っていた。
「ええ。それで、風遥のお着替えが終わったところで、やっと休んだの。
……風遥が起きたら直ぐに起こしてくれって言ってね」
「………」
それは合理的な判断とは言い難いが、昨夜の感情の発露からしてそういう行動になるのも頷ける。主が危機的状況に陥った事がトリガーだったのだろうか。
そんなレヴァイセンは、今朝は風遥が起きる前には既に見回りに出発していた。やはりコクトが暴れた影響で、あちこちに歪みが生じているらしい。
今日は祓廻りがあるのでそれまでには一旦戻って来るそうだ。風遥としても、祓廻りを休まなければならない程では無いが、昨日の今日なので、やはりレヴァイセンがいた方がありがたい。
「昔、風臣にも同じような事があったのよ。ちょうど風遥と同じように、神主を引き継いで直ぐの頃だったわ」
「!」
香月のその一言で、連携のスムーズさを納得できた。もしかすると、似たような何かが起こるかもしれないと予感してくれていたのかもしれない。
「その時は、3日くらい寝込んでいたの。こはるちゃんが、毎日通って看病してくれて……」
「そうだったんだ……」
先代神主に思いを馳せる。継いだばかりと言う事は今の風遥とそこまで年齢は変わらないのだろうか。かつて若き父もコクトに翻弄され、3日程も影響が残っていたのなら……自分と同じように、彼にも暴かれたくない過去の記憶があったのかもしれない。
「だから、風遥も元気になるまでそれ位かかるかなって思っていたんだけれど……風遥は強いのね」
香月はそう言ってくれたが、自分には疑問だ。少なからず、純粋な強さではない。
「強いかは分からないけど、確かに人より気持ちの切り替えは早かったな。
白いのも、記憶喪失なのも、どうしようもないって分かってるから」
全ての根本はそこだ。だから、自分にとって芳しくないことがあったとしても、仕方ないと割り切れるのは早かった。
「……全部早々に諦めてた、とも言うのかもしれないけれど……」
「風遥……」
今回の場合は、レヴァイセンが先に気持ちを爆発させたことでいい意味で白けた訳だが、仮にあのまま黙りこくっていたとしても、程なくして冷静になり仕方ないと受け入れていたのだろうか? それとも、本当に風遥を諦めていた? ……今となってはどうでもいいが。
「でも、今は違うんだ。
俺はこれからも風遥でいたい。だから、諦めないために、早く作戦を立てたいんだ」
なにせ昨夜の静かな奮起は今朝もしっかり残っており、今日は祓廻りの後に智秋が来て相談に乗ってもらえることになっている。そして夜はレヴァイセンと共に、風臣の元に赴くと決めている。
「……ごちそうさまでした。片づけはするから」
そんな風に今は目の前の現実について考える事がたくさんで、無かった未来の事を考える余力はない。はやる気持ちを抑えるように席を立ち、お皿をシンクに置く。
「……分かったわ。
じゃあ、満月の日まで、家事はおばあちゃんに任せて」
「え?」
風遥は思わずまだ着座している香月の方へ振り向く。既に十分助けられているのだが、何と更なる助力を提案された。
「黒兎の璞への対策は、風遥達にしか考えられない事だからおばあちゃんには分からない。
でも、それに集中できる環境作りなら、おばあちゃんにも手伝えるわ」
その裏方力に瞠目する。そうだ、彼女も神森家の一員。直接神主の力は無いにしても、こうやって歴代の神主達を支えてきたのか。
「……ありがとう、おばあちゃん」
なので風遥はそれを素直に受け取る。満月まで後3日――限られた時間の中で、神主としての仕事に専念させてもらえる事に感謝した。
そうして祓廻りを終え、昼食を食べ終わって少しした頃に智秋が神守神社に来た。レヴァイセンは定例通り14時からの見回りに出発。ついで、今日の20時からの見回りを前倒しにするため、帰ってくるのは夜になる。
「香月さんから話は伺いました。
祓廻りは大丈夫でしたか?」
「はい、問題なく行えました。智秋さん達の迅速な対応のおかげで風邪も引いてないです。ありがとうございました」
心配そうに問われるので、風遥はまずはっきりと頷いてから直ぐさま相談を切り出す。
「――だから率直に聞きます、俺達はどうやったらコクトの力に勝てるんでしょうか?」
それは立て直すための相談ではなく、カウンセラー相手というより同じ神主に向けての相談だ。コクトによってぶちまけられた記憶達は、さっさと箱に詰め込んで戻した。なので、今はもう触れなくていい。
「そうですね……。
まず、神主の浄化行為には反動が伴います。特に璞に直接触れた場合と、相手が強力であればあるほどそれは大きいです。なのでそれを緩和する為にも、浄化の際は祓廻りの時の様にレヴァイセンと一体化するのが良いかと思います」
「分かりました」
一つ頷く。反動については確かにそうで、以前から感じていた。そして昨日も、後になればなるほど負の力が流れ込んでくるような感覚があった。具体的な体感としては、寒気や言いようのない不安、不快感などが襲ってくる。
「精神的な結びつきの強化にもなるので、例えば相手の精神攻撃に対しても、レヴァイセンの声が届きやすくなります。
一体化は一定の信頼関係が無ければ寧ろ集中を阻害されかねないですが、今の2人なら大丈夫でしょう」
「そうですね、大丈夫だと思います」
昨日の一件で、レヴァイセンとの絆はまた深まったと確信している。相手の声を煩わしく感じ、バラバラになるということは無いだろう。
……これだけでコクトに勝てるかは分からないが、少し希望は見えた。
「後は、こちらはカウンセラーからのアドバイスとなりますが、
――そろそろ、過去の出来事の解釈を変える事をお勧めします」
「解釈を、変える……?」
が、次の助言については何を言っているのか正直よく分からず、思わず聞き返す。
「ええ。13年前の出来事によって失った事に対し、“それは自分にとって必要なことだった”と考え方を前向きに変えるのです」
「!! そんなの……どうやって……」
ぞわぞわと寒気が迸る。忌まわしき記憶をポジティブに転換するだなんて、一体どうやって? 何も思いつかない。
「簡単なやり方としては、過去のネガティブな出来事に対し、“おかげで”から始まる文章を考えるのです。そうすると、自然と良かったことに目を向けられます」
「…………」
成程、その方法自体は簡単だし十分理解できるものだ。しかし……それを実施するには、ハードルが高すぎる。嫌な記憶をわざわざ掘り起こして、そこに良い意味を付与せよと?
「……昨日のコクトの襲撃も、そうしろと?」
「ええ」
念のためと聞いてみれば、さらりと肯定されるので、いよいよ頭を抱えたくなる。
「あんな酷い目に遭ったのに、ですか?」
そう言いつつ“酷い目”の内容は智秋は分からないわけだが、同じ神主だ、言わずとも分かるだろう。それは風遥としては自ら傷つきながら無理矢理癒せと言っているように思えるのだが、自分が斜に構えすぎているだけだろうか。
「ええ、そうですね……
黒兎の璞に襲撃されて酷い目に遭った。おかげで……過去の事と向き合う機会を得られた、なんてのは如何でしょうか?」
「っ……!!」
智秋からの躊躇いの無い返答は実に適切な表現だと思ったが、受け取るには抵抗しかない――あまりに正直な「おかげ」に、片隅でパンドラの箱が傾いたかのように頭が大きくぐらつく。
しかし智秋は冷静なまま。先の様に気遣ってくれる様子は無さそうだ。
「確かにハクト君は過去の事を受け入れていました。けれど、それは少し消極的な理由で、諦めて蓋をしていた、とも見てとれました」
「……それは……そうですが」
人生を諦めていた事は智秋に直接訴えたことは無かったが、やはりとっくに見透かされていたようだ。決まりが悪くなって顔を反らす。
「それを無理矢理を開けられ、嫌でも直視させられてしまったのが今回の件です」
「…………」
目を伏せる。どこまで正確な分析をし、涼しげな顔で言うのだろうか。なんだか智秋には、風遥が一度はこうなる未来が見えていたのではないかと疑いたくなってくる。
……否、恐らく彼にも見えていた。風臣が過去に同じ目に遭っているなら、それが風遥にも起きてもおかしくない、と。
「貴方にとっての過去が直視するには耐えがたいものなら、その解釈を変えなければなりません」
「……~っ……」
そしてその対策も、この上なく的確だ……少し唸りながらも、観念して智秋に向き直る。
「どんなに凄惨な過去でも、貴方自身がそれを前向きに捉えているなら、その記憶は貴方の精神に牙を突き立てることは無いのですから」
「それは………」
確かに、一度解釈を変える事が出来れば、何度箱をひっくり返されようと気にならなくなる。とすれば精神の安定は間違いない。……本当にそうなるなら有難さしかないし、是非そうしたい。
「………。
……おかげ、で」
ぽつりと、しかしその言葉を強く意識しながら呟く。過去を断ち切り前を向くための言葉は、まるでおまじないのような4文字。
「はい。
どんなこじつけでも良い、とにかく、貴方の中で納得できる理由が必要です」
「…………」
ただ正直、今この瞬間に希望を見出す言葉は紡げない。けれど客観的な判断を必要としないのなら、まだ考えられる気がしてきた。
「この経験は自分にとって必要なものだったんだと腑に落ちた時、黒兎の璞の攻撃は無効化されます。
――そしてその過去は、誰かの未来を救う事になるでしょう」
微笑む智秋。その濃藍の瞳はいつだって自分を優しく見守ってきた。
神守町に神主がいない間、智秋は神守町の神主代行として2つの町を行ったり来たりしていた訳だが、神主になった今だからこそその生活の大変さは理解できる。
なので本心では色々思う事もあったかもしれない。けれどそう言った面は一切表には出さず、ハクトの生き方を常に尊重し、必要とあらばこうして助言し、自立を応援してくれていた。
「……分かりました、考えてみます」
だからそこから先の「おかげ」は自分で導く事――風遥は、覚悟を決めて頷いた。