厚い雲間から、月光が一筋
レヴァイセンが小さく頷いたのを見てから、風遥は静かに告げる。
「……俺はな、多分、この世に1人しかいない人間なんだ」
「え?」
「肌や髪が白い人間というのは、全くいないというわけでは無い。
ただ、色だけじゃなくて、記憶もないというのは……恐らく俺だけだ」
遺伝子の異常による病気のひとつ、アルビノは色素が薄くなる症状がある。なので霜月ハクトもそうである、と表向きにはそう伝えられてきた。
ただ、本当はそうではないのだろうな、とは当時から何となく感じていた。そしてその確信を強めたのは、皮肉にも自分に風遥の自覚が出てきてから。
アルビノは先天的な病気。風遥の場合は13年前に後天的に失ったものなので、それに該当しないのだ。
「どこにいようと絶対に目立っていた。悪い意味でだ。
俺を見た誰もが一度は必ず奇異の目で俺を見たし、あからさまに忌避している人もいた」
どんなに隠しても全てを隠すことは出来ないし、隠そうとすることでかえって目立ってしまうこともあった。
「当然、学校にも馴染めない。諦めていた。
……俺は孤独だって、ずっとそう思って生きていたんだ」
少なからず同じような「白い人」はどこかにはいるのだろう。しかし子供であった風遥の世界はあまりに狭く、そこにおいて自分の存在は異端だったし、時に排除しようとする動きすらあった。
「けどよ、ミカゲとは友達なんだろ?」
「……勿論、俺を受け入れてくれる人はいた。ミカゲや、ひなた園の皆がそうだ」
レヴァイセンの指摘に、小さく頷く。
「でも、どんなに他の人と同じように接してくれたところで、やっぱり俺は異質なんだって、ふとした瞬間に思ってしまうんだ」
白くても気にしないと言ってくれる人はいたが、その気遣いが言わば既に線引きとなっていて、やっぱり自分は違うんだと感じさせてしまう。
ミカゲの「特別だよね」は更にだ。今でこそそう言われることについて不快感は無いし、半ば聞き流しているので良いのだが、最初の頃はその特別という響きが嫌で仕方なかった。
「俺はこの世の中の“例外”――そんな風に捻くれてた時もあった」
色を取り戻そうと、ありとあらゆる手段を試みたが、この白は頑なに拒否し染まることは無かった。身体的な色も、記憶も。
その白が、自分自身をも否定されているような気がして。
結果として、色は諦め、せめて外の世界では目立たないようにと過ごしていた。誰の視界にも入らないようにと。誰の記憶にも残らないようにと。
「……久しぶりに、その時の感情を散々引きずり出された。
正直、神主を辞めたいと思ったな」
「っ……!!」
辞めるという単語にレヴァイセンが肩をピクリと震わせた。また泣きそうな顔になっているので、安心させようと風遥はその目を見て微笑む。
「でも、必死なあんたの姿を見てたら……そんな気は失せたさ」
「え……?」
思い出すのは、荒廃した神守神社でレヴァイセンを起こした時。
「そもそもあんたは、初めて俺を見ても眉一つ動かさなかったし、目を逸らすことも、逆に過剰に俺の事を見る事もしなかった。
……初めてだったんだ。俺をあんなに自然に受け入れてくれた奴は」
あの時は切羽詰まっていたのでそんなことを考える余裕などなかったわけだが、ふと振り返ってみると、レヴァイセンはありのままの「自分」を見て、受け入れてくれていた。
「あ……」
「それはあんたが異種族だからってのが大きいんだろうが、それでも……嬉しかったんだ」
その後は理という種族の事を理解するのに難儀してきたわけだが、少なからずレヴァイセンは他の理よりも感情が豊かで、風遥の事を深く理解しようと歩み寄ってくれているというのは分かった。
「理の事も、ちょっとずつ分かってきたしな。嫌いじゃないぞ、あんた達の事」
今となっては異種族同士、違う事が当たり前なので何も気にしなくてよくて居心地が良い。相互理解を阻む価値観や存在はあるが、そんなことは今は知った事じゃない。
「だから、あんたが俺の陽使であるうちは、俺も神主を続けようと思った」
そこまで言ってレヴァイセンの様子を窺うと、目を少し潤ませ、口を引き締めていた。
「……風遥。
俺も、風遥と同じだ」
やがて胸の辺りに手を当てて、落ち着いた声でそう零した。
「え?」
「俺も……領域では、散々、“例外”って言われてたんだ。
他の理なら当たり前に出来る事が、俺には全然出来なくて。
『お前には一体いくつ例外処理を設定しなきゃいけねえんだ!?』ってせんせーが頭抱えてた」
「!」
その告白に風遥は驚く。レヴァイセンの機能に問題があるのは13年前の件が原因だと思っていたのだが、どうやら問題自体は更に前からあったというのだ。
「だからおめーと一緒で、悪い意味で目立ってた。
出来ないことを怒るのはせんせーだけだったけどよ、他の理は『何で出来ないんだ?』 って不思議そうに俺に言ってきた。
……あとは『自分の機能に悪影響が出ては困るから接触してくるな』って言って来るやつもいたな」
「そんな……」
理は整った種族らしく、生まれた時に既に完成しているとソラリスが言っていた。
なのでそれは恐らく嫌味ではない。本当に疑問に思っているし、“例外”に対しての適切な対応が分からないからそう正直に言っているだけなのだろう。
「何でって聞かれても答えられねーし、どうしたらいいのかも分かんねえ。
考えても考えても結論は出ないから……いつしか考えるのは、止めちまった」
……ただ、その正論は、いくら理とてレヴァイセンを酷く傷つけたというのは、想像に難くない。
「当然、俺と同じような奴は1人もいねえから、ホントに俺は“例外”なんだなって思ってる」
そう言ってレヴァイセンは悲しげに目を伏せるので、風遥の胸も痛んだ。出来るはずの事が出来ない事による苦痛は、風遥とはまた違った孤独感の種となっていただろう。
「それでもなんとか陽使にはなれたけど、最初は上手くいかないことだらけで、やっぱりせんせーに怒られた。風臣の仕事に支障が出たことは無かったから、良かったけどよ……」
そこで暫く間を空けてから、ゆっくりを顔を上げるレヴァイセン。
「でも、風遥には、俺のせいで何度も迷惑をかけちまった。
なのにおめーはいつだって怒らないで、受け入れてくれた……」
その声はまた少し震えているが、口の端は弱弱しくも上がっている。
「そんなこと初めてだったから、最初は戸惑った。けどよ……やっぱり、嬉しいんだ」
その目にじわりと涙が浮かぶが、今度は直ぐに気づいたかささっと涙を手で拭って、ニッと笑う。
「だから、俺、ずっとおめーの陽使でいたい。
璞を浄化するだけじゃねえ。風遥の事を悪く言うやつから、守りてえんだ」
――すとん、と何か腑に落ちた感覚があった。レヴァイセンとどんなにすれ違おうとも彼を突き放すことが出来なかった最後の理由、それが、
「……俺達、同じなんだな」
自分と彼が――似たような境遇の元に育った存在だったから。
「え?」
「記憶喪失なだけじゃない。
種族は違うけど、同じ“例外”仲間だ」
「あ……!」
レヴァイセンもそれに気づいて目を見開くとその表情が見る間に明るくなり、耳が勢いよく立った。
「そっか……俺、風遥と一緒だったんだな!」
「ああ」
子供のような純粋な笑顔に、風遥も嬉しくなって頷きながら笑う。
あんなに重苦しかった空気が軽くなり、鈍化していた頭が動き出す。
(……そうか……)
そして気づく。レヴァイセンがありのままの感情を爆発させたことで、風遥の心にも火がついていると。コクトに対しどうしようもない諦めを抱いていた気持ちが払しょくされ、一矢報いたい欲がふつふつと湧いてきた。
……初めてではないか? 心の底から悔しいと、諦めたくないと叫んでいるのは。
このまま終わるわけにはいかない。これ以上神守町、ひいては自分達のことを翻弄させるわけにはいかない、と強く思ったのは。
「それに、俺も悔しいんだ。
コクトに振り回されるのは、もう沢山だ」
故に風遥は決意する――次の満月で、コクトと決着をつける。やられっぱなしだったこの関係を清算し、断ち切ると。
神主の仕事をしんどく思う事もあるが、その原因のほぼ全てはコクトの引き金によるもの。つまり、コクトさえ何とかすればこの職場は合っている。それをその場の勢いで手放してしまっては、あとで後悔することになる。
もっともコクトとまともに対峙し勝つことは相当な壁であることは理解しているが、詰んでいるわけでは無い。絶対、まだ何らかの策があるはずなのだ。
「力を貸してくれ、レヴァイセン」
俺はコクトに打ち勝ちたい。そう言って風遥はいつかと同じように協力を求め、レヴァイセンに手を伸ばす。
「ああ、勿論だ……!」
それを、レヴァイセンは迷いなく握り返した。強めに握られたその手は温かい。
同じ意志を灯した瞳はまっすぐ風遥に向けられており、心はひとつであることをしかと感じさせたのだ。
外から聞こえていたはずの雨音は、いつの間にか消えていた。