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○○をやめたいと思った日

 次の瞬間、目の前が真っ暗になった。どぷんと水の中に突き落とされたかのように意識が深い所まで沈み、感覚が消えそうになる恐怖から息が苦しくなる。

 その水底から気泡が上がって来るようにぽつぽつと、くぐもった音が聞こえてくる。

 人の声だ。反芻して大きくなったり小さくなったり、歪んだように響く。

(やめろ)

 内容はどれも「白」を疑問に思い、時に拒否するものだ。

 ある時は訝し気に。

 ある時は嫌悪が入り交じりながら。

 ある時は迷惑な好奇心から。

 ある時は無邪気に。

(うるさい、うるさい……!)

 聞きたくない。聞きたくない……思い出したくない。

 拒絶反応が悪寒となって出た事で体の感覚が戻った。言葉に起こすまいと耳を塞いで、荒々しく口で息を吸って直ぐに吐き切る事を繰り返す。無理矢理空気を通しているだけなので、喉が乾いて痛いがそれでいい。

 ただ、そうして意識を呼吸に反らしても、音に乗ってくる感情までは防げない。それらは波のように寄せては心にのしかかり、引いたと思えばまた違う波が襲ってくる。

 何度も被ってはギリ、と歯を食いしばる。

「俺だって、好きで白くなったわけじゃない!!」

 答えとしてはそれしかない。けれど叫んだところで止むわけでは無く、寧ろびしょ濡れになって座り込んだところに石を投げつけられるように、今度は視覚情報が飛び込んでくる。

 電車の隅にいても。

 教室の片隅にいても。

 人気のない道を歩いていても。

 出来るだけ目立たないように帽子やマスクで隠していても。

 視界に入ればギョッとされ、大人しくしていれば珍獣を見るかのように観察され、少しでも牽制すれば即座に目をそらされ、何をしていなくても不思議に思われれば指を差される。

 異質な人間を見る目たちは、露骨に避けようとこそしないが、決して受け入れようともしない。

 その視線は心に突き刺さり、実体のない痛みを強く感じさせる。

 ……そして自覚するのだ――“自分”は、人間の中の例外――独りなんだ、と。

「やめろ、流れてくるな!!」

 出来るだけ小さく縮こまるように身体を伏せ、更に強く耳を塞ぎながら目をぎゅっと瞑る。けれど映像は消えず、胃が握り潰されそうになる。

 一体どうしてこんなことに? どうやったらこの世界から逃げ出せる? ……目覚めなければ、この悪夢から。

 眠る時に見る夢は、今自分は夢を見ているという自覚さえあればその内容をコントロールできるという。ここまで意識がはっきりとしているなら出口を見つけるのは容易だろうし、なんなら物理的に目を開けば覚める。

 ……しかしどう念じてもどう目を開こうとしても景色は一向に変化しない。自分の身体のはずなのに、主導権を失っているというのか。

 この世界に完全に閉じ込められてしまったというなら、そこから自力で抜け出す術は……無い。

「………もう良いだろ、もう……」

 となれば力なく笑い、暴走する自分のアタマに懇願するしかない。

 しかし乱雑に引っ張り出されては突きつけられているソレは、とうとう音と映像をかけ合わせてきて――過去のあの瞬間に引きずり出されたかのような臨場感でもってなだれ込んできた。

『見て、あの人……』

 怪訝。見ず知らずの他人は、遠巻きに眺めながら呟く。二度見されるのは当たり前、じーっと見られることもあった。特に混雑した電車の中など逃げ場が無いところでは不愉快すぎて、その相手を睨んだこともあった。

『ハクトくん、ちょっとこわい』

『霜月君って……不気味だよね』

 恐怖あるいは嫌悪。黒の中に混じる白は、密かな声を拾い上げてしまう。クラスメイトから距離を置かれるのも分かっていたし、疎外されるのも知っていた。だから遠足の日は毎回仮病、文化祭や体育祭も極力係わりを控えた。修学旅行なんてもっての外。

『凄い! あの人、目まで白いよ!』

『バズりそうじゃね? あいつ』

 好奇心。彼らは人として扱わない。良い話題を見つけたとばかりにスマホを向けられたこともあった。

『ハクトくんは、どうしてしろいの?』

『ねえおかあさん、髪の毛がまっしろなひとがいるよ!』

 無邪気。何も知らないが故の子供の問いに、親はたじろいてこちらを気まずそうに見る。

 指差されたり、それとなく指し示されているのが視界に入る事も日常茶飯事だ。いくら露出を抑えても、この白の不自然さ全てを隠すことは出来ないから。


 俺を見るな。

 わざわざ言葉に出すな。

 俺は見世物じゃない。

 どうして白いのか? そんなの俺が一番知りたい。


 何度そう思って、何度そう答えようとしたか。けれどそれを殆ど言葉にすることはしなかった。余計な波風を立てて、ひなた園の人たちに迷惑をかけたくなかったから。それよりかは、さっさと諦めて無感情になった方が楽だったからだ。

 そうして抱えた感情を、ただひたすらに押し込めて行った。

 だから、そんな過去の記憶はとっくに色褪せているはずだし、そうであってほしかったはずなのに、こんなにも色鮮やかな記憶で抉ってくる。

 ……自分自身の白は未だ、何一つ染まらないというのに。

「もう、やめてくれ……」

 山積するそれらを根底からひっくり返されたかのように続く、断片的な記憶の再生と繰り返し。

 それを抵抗する術もなく、ただ見せつけられている。終わりのない再生はもはや拷問。

「ははっ……」

 様々な不快の感情を散々味わい尽くしたからか、逆に笑えてしまう。最も、何も状況は変わらないが。

 ああ、そうだ……何も変わらない、変われないのは――いつだって、そうだったじゃないか。

 頭に手を伸ばし、髪の毛が抜けそうになる程に強く引っ張る。

 もう嫌だ――息を大きく吸い込む。


 俺が異質なのは分かってる。だからそんな目で見ないでくれ。

 手を差し伸べてくれなくて良いから、ほっといてくれ。

 ……独りで良いから。俺をあんた達の世界から、消してくれ!

 

「ああぁあぁああぁあああぁぁ―――!!!」

 悲嘆に暮れる自分の声が響くのも、聞きたくない。何も聞きたくない。自分の存在を感じさせ認知させる情報全てから隔絶されてしまいたい。

「あぁーっ、あぁぁー!!」

 この音ですらもう嫌だ。でもこうやって奇声を上げれば外からの音と重なって聞こえなくなる。

 そうか、ならいっそこの忌まわしい記憶と一体化して、自分自身も過去の一部になってしまえば良いではないか。どうせ未来も変わらないなら、今を生きていることに何の意味がある?

「う、ぁああぁあ……!!」

 もっと早く、もっと早くからそうすれば良かったんだ。イレギュラーな存在なんてこの世にいなくても構わないし、寧ろ排除すらされるべきなのだから!

 ボロボロと涙が零れているようだが意味が分からなくて気持ち悪い。もう何もかもが嫌だ。

 だから、自分から消えてしまえばいい、今からでも、消えてしまえばいい……!!

 どうせ消えたところで、誰も……


 刹那――ブチン、と。映像も、音も、途切れた。


(っ!?)

 異様なネガティブに高揚していたところに、冷や水を被せられたかのように平静さを取り戻す。というより、実際に水を浴びているようで体が冷えて震えている。

 一体何があった? また何か違う映像でも流れるのか? でも真っ暗なままで、安寧すら感じられる静かさだ。

(……何が……?)

 全ての雑音が消えてはじめて、自分は直前まで狂乱していたと気づく。あわや精神崩壊しかけていた訳だが、それが留められたのには安堵と……いささかの残念さがあった。

 いっそ本当に狂ってしまってよかったのかもしれない。何も好転しないのだから、と。

 しかし悲しいかな、正気に戻った以上は今の状況を把握しなければと考える生真面目さ。ものの数秒で、この暗さは自分自身が目を閉じているからだと分かった。

 なので気は乗らないが、ゆっくりと顔を上げながら目を開く。

「…………」

 大粒の雨が降る中、自分のすぐ前で背を向けて立っている存在が目に入る……赤い宝珠のついた簪の映える金髪、鮮やかな和装、ふわふわの尻尾……観察していくうちに、徐々に自分の状況が鮮明になっていく。

(……そう、か……)

 ――風遥はそこでようやく、自我を取り戻した。

 レヴァイセンがあの璞からやっと抜け出して、この悪夢を終わらせてくれたのか。

「………遅かったな……」

 口の端に笑みが浮かぶ。今度こそ護るって息巻いていた割に随分難儀していたようだが、まあそれでも最後の一線ギリギリで風遥の精神を護る事には成功したか。

「……!」

 レヴァイセンがこちらを振り向いて、小さく目を見開く……その空色と目が合ったことで、安堵が広がって瞼が重くなる。

 継承した時以上に精神が疲労している、もう無理だ。あとは重力に従うまま、風遥は意識を沈めていく。

 その最後、聞こえたのは雷の音と……

『――ごちそうさまでした。

 また満月の日にお会いしましょう? 神主はん……』

 ……聞きたくなかった、嫌な声。

  

 それからどのくらい時間が経ったのか分からないが、ふと目を開くと、自室の天井だった。

「風遥! ああ、良かった……」

 それを心配そうにのぞき込んでいたのは香月。

「……ぁ……」

 おばあちゃん、と言おうとして声が掠れてうまく出なかった。頭と喉が痛い。あと、多分熱がありそうだ。

「無理に何か言わなくて大丈夫よ。お水持ってくるわね。

 食べれなくても良いから、おかゆも持ってきても良いかしら」

 確かに水を飲めば声が出るかもしれないし、空腹感もあると言えばある。なので風遥は頷く。

「すぐに戻るわね」

 そう言って部屋を出て行った香月をぼんやり見送って……また、天井を見つめる。

 途端気絶するまでの出来事がまざまざと思い起こされ、嫌悪感から吐き気がして顔を顰める。

(最悪だった……)

 過去の記憶の強制的な露呈。……ただ、確かに溜め込んでいた時期も長かったが、ずっとそうだったわけでは無い。智秋に「そろそろ表に出していいんですよ」と言われ続け、高校入学前にようやく腹落ちしたからだ。

 なのでそれ以降は不快感はストレートに相手に伝える事にしたが、結果何故か友人と呼べる存在まで出来ていた。その上彼を介して他のクラスメートとの関わりも少し増え、最後の修学旅行には参加していたのだ。

 だがあの世界は違った。まるでその先が無かったかのように、未来に一切の希望を感じさせなかった。

 そしてそこにどっぷりと浸からされ溺れていた今の風遥も、完全にそれと同調してしまっていた。

 ……また、コクトが来る。それも満月という、璞がもっとも力に満ちている時に。

 今度は一体何で“遊ぼうと”してくるのか? 考えるだけで体は重たくなっていく。

(……やめたい)

 心の奥底からポツリと零れた言葉を拾って、ふーっと細く細く息をつく。

 新生活、それも全く未知の世界。何かしらの洗礼があるというのは覚悟していた。

 しかし今回のはあまりに酷すぎた。一番心が暗く沈んでいた頃の記憶を掘り返され、嫌というほど食わされ、もう神主という仕事に対しての恐怖感でいっぱいだ。

(帰りたい……)

 既に帰る場所は無いというのに。ひなた園での平和な暮らしが恋しくて、思わず手を顔で覆った。

 

 その小さな嗚咽は、本降りの雨の音にかき消されてくれるだろうか。


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