トキノワ
朝ベッドの上で目を覚まし、身を起こしながらカーテンを開く。眩しい日差しに目を細めながら今日は何をしようかななどと、意味のないことを考える。
だって、最初から答えは決まっているのだから。
―――いつも通り、と。
◯
手早く身支度を済ませて学校に向かう。授業を受けた後は家に帰って一時間弱勉強をして、お気に入りのドラマを見て寝る。それが私の日常。
最近は曲を聴きながら寝る密かな楽しみが増えたけど、だいたいいつもそんなかんじ。
何も変わり映えのない生活だけど、もう慣れた。
「慣れてでもなきゃやってけないわよちくしょう」
そんなことを呟きながら自転車で坂道を登る今日この頃。お母さんからは立ち漕ぎは危ないからするなって言われたけど、少しくらいいいよね。あ、歩いてたお爺さんに変な目で見られた。ごめんなさい…。
そんなこんなで学校に着き、相変わらずお堅い教室のドアをガラリと開けると、私の席には先客がいた。
「お、ナリっち来た!おは〜〜す!」
「うん。おは…ところで、さっちゃんさ、立つのはいいけど、私の椅子はやめてくれない?」
「うぇ?…あ、ご、ごごごごめん!すぐ拭くよ!わ〜えっとティッシュハンカチティッシュハンカ…あったー!」
そう言ってポケットから掘り出したくしゃくしゃのハンカチを引っこ抜いた聖剣のように掲げる寒上紗希。通称さっちゃん。この高校に入ってから知り合った仲だけど、いつも明るくて誰にでもフレンドリーなその性格から私たちはすぐに仲良くなった。
かくいう私は成野美羽。中学の時の友達は全員どういうわけかナリ活用だとかナミだとか海のリナちゃんだとか呼んできてあまり気に入ってはいない。ちなみにさっちゃんが呼ぶナリっちもあまり気に入ってはいない。
「な、ナリっちさあ…今考え事してた?」
「ん?あぁ、そだね」
「そ、その状態で片手で椅子を拭いて、もう片方はあたしのポケットから出たガラクタ共を拾って並べてるっていうのか……恐ろしい子っ!」
えー?普通でしょこんくらい。というか驚きたいのはこっちなんだけど。二センチくらいの赤鉛筆にシャー芯ケース、片耳が外れたクマのキーホルダーにヘアピン5本とか。さっちゃんは小学生かっての。あとあんたのポケットは四次元か。
「というかさっちゃんは私の席で何をしてたのさ?」
「…ふっふっふ。ナニをしていたのかだって?聞きたい?聞いちゃうの?本当に…?」
「そういうのいいから。デコピンするよ」
「あべっ!してから言うなぁ…!ぐぬぬ…ならばよく聞けぃ!あたしは、これを見ていたのさ!」
さっちゃんが取り出したのは彼女のスマホだった。
三日前と比べてクマのぬいぐるみが増えてる…クマ好きだね。
『…これよりあなたに見ていただくのは、それはそれは恐ろしい、本当にあったある怪事件の噂です……ギャァァァァァァァァ!』
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ‼︎‼︎」
「あ、間違えちった」
「……………アンタ後でしばく」
「ん?ナリっちなんか言った?…まいいや。えとコレよコレ」
衆人環視の中で絶叫をあげ、盛大に赤面する私をよそに、さっちゃんは新しく開いたタブを見せてきた。
「なになに?『奇跡!行方不明の男性が生還!神隠しにあったのではと言う声も』?何この記事。めちゃめちゃ胡散臭いね。」
事件の概要はこうだった。
某日、とある男性がこれまたとある神社の近くを、用事があって自転車で通っていた。その時に男性は少しアルコールが入っていたこともあり、その神社を見た際に昔遊んだ記憶が蘇り、懐かしくなったそうな。そこで男性は久しぶりに来た神社が今ではどうなっているのかというか好奇心の元、神社がある山の中に足を踏み入れ……気がついたら、近所に住んでいた方々に見下ろされていて、それまでの記憶は無くなっていたとのこと。
うーん、単純に酔ってただけじゃないのと思ってしまう。というか記事自体もどうにも怪しい。特に男性の目に黒い棒が入れられてるとことか。
「いやー、あたしは本当だと思うなー。特にこの黒棒とか」
悲報。どうやら私達は相容れない関係のようです。
「でもさ、これがどうしたっての?」
「ふふんっ、忘れたのかい?あたしの家系を…ふふんっ」
「あー…なんだっけ、元は神社で、三歳くらいから引っ越したんだっけ?」
「まあ、そんな大昔のことは覚えてないけどねぇ」
大昔ではないでしょうが。さっちゃんまだ十六でしょ。
「でねでね、その時の巫女教育の賜物か、こう、ビビッと来たんだよねー」
「ちょっとさっちゃん大丈夫?クラスの男子から厨二病移った?精神病院紹介しようか?」
「ちょっとナリっちやめてよ!そんなことないやい!」
「…ふふ。冗談だって」
「ナリっちが言うと冗談も冗談に思えないんだよなぁ」
「それを言うならさっちゃんも真実が真実に思えないよ?」
「…ま、まぁ、それはいいとして。この記事を読んでビビッときちゃったあたしは、知り合いに頼んでこのオジの住所から友好関係、および現場となった例の“神社”を調べてみたのよ。ちなみに張り込みで裏は取れてる」
…お巡りさんこちらです。
「そしたらまあなんとびっくり!その現場が、すぐ近くにあったのよー」
「へえ。具体的にはどこなの?」
「子灰神社」
「…え?」
子灰神社。それは、私達の学校のすぐ近くにある、寂れた神社だ。大体自転車で十分もあれば着く。
昔はお祭りをやったり、公園も隣接していたから子供の遊び場になったりと、地域からの人気は高かったらしいのだが、ある日突然起きた事件によって、今では誰も寄りつかないある種の心霊スポットのような有様になっている。
その事件というのが―――
「そ、その神社ってさ…子妃舞事件の所じゃないの?」
「ん?そだよ?」
通称、子妃舞事件と言われるその事件は、その神社に遊びに行った二人組の小学生が行方不明になったまま帰ってこなかったというものだ。
元はこの神社、妃舞神社と呼ばれていたのだが、その事件が未解決事件認定されたあたりから、誰が始めたのかネットで『あの神社はその昔、子供を焼き殺した時の灰を供物として捧げていた』という噂が囁かれ始め、そのうち子灰神社という名前で呼ばれるようになった。
元の宗教は忘れたが、確か美容とかも効果の内に入っていたので、それも子供の生気を奪っているだのなんだの言われ、さらに助長させる結果となった。
ちなみに宮司さんは町のイベントに参加していたのでアリバイはある。
しかしそれにしても、そんな神社でまた人が行方不明になり、かつ記憶がないとなれば……。
―――ゾワリ、と。酷く“イヤな感じ”が背筋を這った。
「よし、さっちゃん、この話題はここまでにしよう。さ、もうすぐホームルーム始まるんじゃない?ほらほら、席に戻った戻った」
「………むふふ、ナリっち、まさか………ビビ」
――――――――――――――――キーンコーン――――
よし来たチャイム!ありがとうチャイム!愛してるよ!
「くっ、この借りはいずれ……」
なんかさっちゃんが怖いことを呟きながら去っていったけど、気にしない気にしない。
◯
それからのことは、正直あまりよく覚えていない。
どうにも、今朝さっちゃんと話したことが気になって仕方なかった。
消えた小学生二人
戻って来た記憶喪失の男性
子妃舞事件の謎
子灰の噂
そして、あの話以降、一切話しかけてこなくなったさっちゃん。もしかしたらただ私を怖がらせるためにそうしているのかもしれないけれど、どうにも引っかかる。
引っかかるんだけど……やっぱり、このことを深く考えるたびに、不自然に寒気がする。
うん、このことをこれ以上深掘りするのはやめておこう。嫌な予感がするから。するったらする。ただ怖いからとかそんな幼稚な理由じゃない。よし、論理武装完了。
その後も私の内心などつゆ知らず、無情にも時間は過ぎていった。授業を受けて、お昼になって、お弁当を一人かき込んで、図書室に籠る。お昼が終われば慌てて教室に戻り、また授業を受け、帰る。
いつも通りの日常。たいして変わり映えしない時間。いつもならこの後すぐに家に帰る、はずだったけど―――。
◯
「…来てしまった」
はい、来てしまいました――――子灰神社。の階段の下。
いやね、本当はそのつもりじゃなかったよ?でもね、その、帰り道の途中にこの神社があるし、さっちゃんから聞いた話もあるし…そう、気になったのよ。気になった。それだけ。うん。
「……ふぅ、女は気合い……」
我ながらよくわからないことを呟きながら階段を登る。長いこと放置されていたらしい石段は所々が砕けていて、そこらから雑草が生えている。階段の脇には背の高い木がずらっと並んでいて、樹皮の剥げた幹には何年前から寄生しているのか、とても太い蔓が巻き付いている。
木の葉で日を遮られた道はまだ夏の四時だというのに薄暗く、奥から吹いてくる冷たい風とひぐらしの合唱で、好奇心だけで寄って来たことを後悔しそうになる。
―――カナカナカナカナと、どこかの小説にあるようなひぐらしの鳴き声は、でもどこか誘ってきているような不思議な雰囲気がある。
…石段でカツカツ鳴ってる足音とひぐらしの鳴き声を合わせて録音したらなにかに使えるんじゃないかしらん?
そんなくだらないことを考えていると、いつの間にか階段を登り終えていたらしい。
驚いたことに、神社はまだ綺麗な状態で保たれていた。宮司さんは退職したはずだけど、誰が管理しているんだろう?
近付いてみても、賽銭箱や鈴緒、さらには障子まで、小さな汚れはあるけど傷が見当たらない。でも、後ろを見ると。
「薄気味悪いなぁ…」
不自然に鳥居だけ塗装が剥げ、錆び、汚れ、欠けている。まるでそこまでが現実で、鳥居から先、つまり今私が立ってる空間だけが世界から切り離されたような―――そんな感じがする。
…えっと、こういう時は何をすればいいんだっけ?とりあえず賽銭箱に五円玉は入れたけど…二礼二拍手一礼であってたっけ?…それにしても。
「願い事かぁ」
礼をして俯いた状態で考える。
願い事。私にはそれが無い。さっちゃんなら『クマのぬいぐるみが欲しい』とか、クラスの男子なら『異世界に行きたい』(と言うか本当に言ってる子がいた)とか考えるんだろうけど…私には、“変化”という考えがまず浮かんでこない。いつも通りの日常を過ごして、気がついたら大人になっていて、社会人になって、働き始めて……そのうちそれが日常になっていって、おばあちゃんになって、年老いて……死ぬ。
変化のない生活。いつかはそれに慣れていく。私は宝くじも買わないし、ファンタジー小説のような奇跡が起こるとも考えていない。
だって、そんな思いを抱いてしまったら、現実とのギャップに悩み、苦しみ、むしろどんどん逃げて、のめり込んでいくことになるから。そういう人達のことをオタクとかヒキコモリって呼ぶんだとさっちゃんは言っていたけど、あながち間違ってはいないのだと思う。彼らなりに悩んでいるのだから、馬鹿にする気は起きない。
さて、そんな私がわざわざ神社に来てお願いすることと言えば……変わらない人生。平穏。それくらいしか思い浮かばない。
だから―――
「ずっと、この日常の中で過ごしていけますように」
…………何も起きない。
いや、それが当たり前なんだけど、あの事件とかを聞いちゃうと…お願いしたり近付いたら何か起きるのかと思ってたから…。
――――――帰ろう。
◯
朝ベッドの上で目を覚まし、身を起こしながらカーテンを開く。下の階からはすでにいい匂いがしてきていた。
昨日と同じベーコンの匂い。早速お腹が空いてきた。
朝ごはんを食べ終えて、家を出る。自転車を漕ぐ私の頭の中には、昨日のことが思い出されていた。あれからすぐに帰ったけど、結局何も起こることなく、家に着いた。昨日のこともしっかり覚えてる。行方不明にもなってない。うん、問題なし。正直あっけなかった。
やっぱり所詮噂は噂だった。そんなことを考えてニヤつきながら自転車で坂道を登る今日この頃。あ、歩いてたお爺さんに変な目で見られた。毎度ごめんなさい…。
そんなこんなで学校に着き、相変わらずお堅い教室のドアをガラリと開けると、私の席には先客がいた。
「お、ナリっち来た!おは〜〜す!」
「……おはよう。…ねぇ、さっちゃんさ、立つのはいいけど、私の椅子はやめてくれない?」
「うぇ?…あ、ご、ごごごごめん!」
「昨日もそうだったよね…」
「え?昨日?何言ってんのさナリっち―――昨日は、日曜だよ?」
「…………え?」
慌ててスマホを確認する。八月三十日ーーー月曜。スマホは電波で時間を確認してるはずだから時計が狂うなんてことはありえない。そして昨日は学校があった。その前は休み。つまりそれもまた月曜日。
つまり………私は、同じ日を2回繰り返している。
顔を上げる。そこにあるさっちゃんの顔はいつも通りの気怠げな微笑が浮かんでいるけど、ひどく、その瞳が寒々しいモノに感じられた。
それと同時に、“昨日”神社で言ったことを思い出す。
―――“ずっと”、この日常の中で過ごしていけますように。