236話 立派な母親
藍李は琴音と桜の下に歩いていく。
その後ろ姿は、遠目で見てもとても強ばっていた。
「源さんになにか吹き込んだのか?」
「いやぁ、まぁ…別に。てか、父さんなんか知ってんの?」
ドライバー要員のため、藍李同様お茶を飲む羽響は『気づかない方がおかしいだろ』と、遠くで聞こえる声に耳を澄ませていた。
「お母さん上手く話せますかね?」
「怪しいとこだな。まぁ、結果はどうあれ、母さんが言うことなんてだいたい予想つくけどな」
響も羽響と同じく耳を澄ませながら、二人の行方を見届ける。
この場合、『見届ける』よりも『聞き届ける』の方が正しいのだろうか。
「いやぁ満開ですねっ、こんな日に一緒にお花見できて最高ですね!」
「え、えぇ…そうね。いやっ、そうですよね…?」
硬い。既に藍李のライフはギリギリのようだ。
「源さん」
「っは、はい!?」
琴音は何かを感じ取ったのか、自ら藍李に声をかける。
「何かお話があるんですよね?」
話題を切り出せずにいた藍李にとっては、絶好のチャンス到来だ。
「…お宅の響さんについて話したいことというか…謝罪をさせてもらいたいと思っていて…」
心配そうにしながらサンドイッチを頬張る菖蒲を尻目に、藍李は話し出す。
「二月にうちの菖蒲が誘拐された時、響さんを含めたお友達に迷惑だけでなく…大きな怪我までさせてしまい…」
藍李が言い切る前、琴音が口を挟む。
「あの事件は、とても肝を冷やされましたね」
琴音の話に、口を飛び出しかけていた言葉は再度引っ込んでしまう。
「いきなり病院から電話が来て『あなたの息子さんが銃に打たれた』って聞いて、心臓が破裂しそうな思いで向かって…」
藍李はただ黙って言葉を待つ。
「でも扉を開いてみれば、脳天気な顔で『日本人で銃に打たれるの稀なんだってよ』って、笑いながら言ってくるから膝から崩れたのよっ」
琴音はいつもの声色で笑って見せた。
「っその節は!私の不甲斐なさが招いたことで、お宅の大事な響さんを傷つけてしまい、申し訳ございませんでした!」
ガバッという音ともに謝罪の声が聞こえてくる。
「源さん、顔をあげてください」
隣をチラリと見ると、羽響はただ何も言わず目をつぶっていた。
「もちろん、響が怪我をしたことで何も思わなかった訳ではなかったです」
その直後に発した琴音の言葉に、羽響は『さすが我妻』と言うようにビールのプルタブを開けた。
「ですが、次に心配になったのは、菖蒲ちゃんを失いかけた『源さん』だったんですよ」
思いもよらない返答に藍李は、口ごもる。
「自分の大事な子どもが居なくなるというのは、どんな痛みよりも堪えるものがあります。そんな源さんのことを考えたら、自分のことのように身体が強ばりました」
「道元さん…」
藍李の声が震える。
「…夫と別れてから菖蒲に対して、最低な態度をぶつけてきて…水商売でお金を稼いでるような私なんかを…」
「その話は、響から色々聞かせてもらいましたよ。過去はどうであれ、今の源さんの菖蒲ちゃんへの表情は『立派な母親』ですよっ」
この『立派な母親』という言葉は、藍李が言われたかった言葉なのだろう。嗚咽にも似た声が、涙を流していることを物語る。
「菖蒲ちゃん」
「っもぐもぐ!っぐ…っはい!なんでしょう!?」
どれだけ食べれば気が済むのか。口に入った食べ物を水で流し込むと、羽響からの呼び掛けに応じる。
「藪から棒ですまないが、菖蒲ちゃんは、お母さんのどんなところが好きなんだい?」
菖蒲は突然の質問にもしっかりとした答えを出そうと、頭をゆらゆらと揺らしながら考えている。
「お母さんは優しいですしっ、どんなに疲れていても帰ってくると『ただいま菖蒲』って、優しく頭を撫でてくれるんですっ」
『それにそれにっ』と菖蒲は、藍李の好きなところを恥ずかしげもなく羅列していく。途中途中、藍李の隠している部分を羽響にバラしていたが、菖蒲は気づいてはいないようだった。
「ですが一番好きなところは…」
「菖蒲?」
先程と変わって少し頬を染める菖蒲は、照れながら呟く。
「私の事を大事にしてくれて『大好きよ』って、言ってくれるところ…ですかね…」
羽響はそれを聞くと、菖蒲の頭をワシワシと撫でた。
「いいお母さんだ」
「はいっ!自慢のお母さんです!」
そんなことを話していると、目と鼻を真っ赤に腫らした藍李たちが戻ってきた。
戻った藍李は、羽響にも頭を下げたが『全部聞こえていました』と言いながら『私も妻と同じ考えですよ』と珍しく微笑んで見せた。
『っお母さんすごい鼻水ですよ!?ほらティッシュ…って、お母さん!?』
藍李は菖蒲を抱きしめると、もう離さないと言わんばかりに強く、強く背中に手を回した。
「源さんっ、いや…『藍李ちゃん』親睦の証に乾杯しませんっ?」
「…えぇ、いただくわ『琴音さん』」
照れる藍李は、琴音とビールの缶をぶつけると勢いよく飲み干した。
「おぉっ!いい飲みっぷり!あれ?藍李ちゃん?藍李ちゃん!!?」
フラフラとしながら響の肩に持たれた藍李は『ひっくっ』と喉を鳴らした。
つまり、お酒に酔ったという合図だ。




