234話 お花見、開幕
車内には、ほのかに漂う気まずいオーラがあったものの、窓から見える景色や花見のポカポカとした空気感がどうにかかき消してくれていた。
移動すること、約一時間。視界を占める色合いは緑から、やわらかなピンク色に変わっていた。
「ここまでくると圧巻だなぁ」
「今すぐ車から飛び出してっあの木の下で寝転がりたいですっ!」
藍李の肩を揺らす菖蒲は、もちもちのほっぺたを窓ガラスにこすりつける。
「ふふっ、菖蒲ちゃん?危ないからしっかり座っててねぇー?」
シートベルトに邪魔されながらも、窓の奥に見える桜に魅了されていた菖蒲は、琴音の言葉に頬を桜色に染め、手を膝に置き、落ち着きを取り戻していた。
「ちょっと遠いけど、車はここでいいか。響、荷物運ぶの手伝え」
男手が足りないため、響は両手いっぱいに荷物を抱え、千鳥足で歩みを進めた。
「あなた大丈夫なの?私にも少しぐらい荷物を…」
「っ俺だって男ですから…任せて…くださいよっ」
いつもは頼りない所しか見せられていなく、少し張り切ってみたものの、張り切れる程の力は無かったようだ。
「仕方ないですねぇ」
「仕方ないわね」
菖蒲と藍李は、ほほ同時に響から荷物を取った。
同タイミングで同じ行動をとった二人は、笑顔に差はあるものの笑い合っていた。
「…大変恐縮ですが…もう二つ程お願いしても…?」
二人は息を合わせたかのように、またもやハモった。
「場所が取れるか心配だったけど、こーんだけ広ければ杞憂だったみたいねっ」
人はやはり多いものの、敷地面積に比べればまだまだ余裕がある。
駆け回る子どもたちに、既に出来上がってる会社員。これら全てをひっくるめて花見というものなのだろう。
『羽響さんっ!ビニールシート広げるの手伝いますよ!』
「助かるよ。響もこれだけ気が使えるようになればなぁ」
疲れた身体を癒していた響の耳に、嫌味が聞こえてきた気がするが、まだ身体は動けそうにはなかった。
「私がしっかりっ!響さんの身体に叩き込んでおきますので安心してくださいっ」
わざとこちらにも伝わるよう、文字でも声でも宣言する菖蒲の元へ、響は渋々手伝いに行った。
『ではっ!!道元家、源家のお花見を今ここに開幕しますっ!!』
「っいぇーい!!」
やはり、琴音と菖蒲は反りが合うようだ。
「源さん、私のことは気にせずビールでもどうです」
「っいや…っ最初はお茶にしておきます…」
いつもの藍李なら、喜んで手を伸ばしていただろう。
しかし、まだ気持ちの整理ができていないのか、ちょびちょびとお茶に口をつけていた。
「響さんっあーんっ!」
「俺がする側なのかよっ」
菖蒲は、重箱に入れられた唐揚げを今か今かと待ちわびている。
そんな菖蒲を見ていると、かなり前の思い出が蘇る。
『響さん、そこはほっぺです』
『あぁ、うっかりしてた』
『もういいです!ふん!……美味しいです…』
去年の体育祭。菖蒲の弁当を食べさせ合った事を思い出す。
「もういいです!ふん!……美味しいです…」
「ふははっ!」
体育祭の時と一言一句違わない菖蒲のセリフに思わず、大きくツボに入ってしまった。
「響がこんなに笑ってるの初めて見たかも。じゃないお父さん?」
「だな。菖蒲さんには不思議な力があるのかもな」
もぐもぐと口を動かす菖蒲は、何がツボだったのかと首を傾げていたが、その疑問を解消するよりも先にもう一つ唐揚げに手を伸ばしていた。
「っはぁ、今年で一番笑ったな」
「今年は、まだまだ始まったばっかりですよ?これよりも、もっっと!笑えるイベントがあるかもですよ?」
笑いすぎて溢れた涙を拭いながら『そのイベントでも笑いの対象は菖蒲だろうな』と冗談混じりに返すと『当たり前ですっ』と満面の笑みで返ってきた。
「響さんにあーんっしてもらったので、私もお返しですっ」
菖蒲から差し出された、一口で食べるのは不可能に近い大きさの唐揚げの前に二つの意味で動きを止める。
「どうしたんですか?私の手作りですよ?」
菖蒲にはないのかもしれないが、響には『思春期』という名の抑止力があるのだ。
両親の前では、恥ずかしいものがある。
「ほら響っ?菖蒲ちゃんからの『あーん』だよっ?」
この母親、完全に目が笑っている。
「ふふ、菖蒲からかうのも程々にね」
「藍李さん…藍李さんも目が笑ってますよ?」
こうなったらもうやけになるしかない。響は想像上のフルフェイスを被り、菖蒲の手元だけに集中した。
響の大きく開いた口は、ギリギリ唐揚げを収納することに成功した。
「どうですかっ?美味しいですかっ?まだまだっおかわりありますからねっ?」
響は咀嚼し終え、菖蒲のクエスチョンマークに少し経って答えた。
「今度はさっきよりも大きい唐揚げですよ!どうぞ!!」
「窒息死するぞ!!?美味しいけど!」
菖蒲は微笑みながら『死ぬほど美味しいってことですね!』と拡大解釈をする。
その時、再び体育祭の一コマが脳裏を横切った。
『っあ!また響さんがツボに入ってます!』
「ほんとに菖蒲ちゃんが大好きなのねぇ」
セリフの変わらない菖蒲に笑いながら、よく一年も前のセリフを覚えていたなと、自分の記憶力に自信を持った今日この頃。




