2話 囁き少女とギャップ
響は思いがけず菖蒲と目が合ってしまい、戸惑いを隠そうと考えもなしに口走る。
「さっきの自己紹介でも言ったけど道元響です。しばらくの間よろしく」
菖蒲は多少動揺した表情を浮かべながら口をパクパクさせ言葉を紡ごうとするが、すぐにやめてしまう。するとおもむろに机の中から一冊のノートを取り出すと、乳白色のきめ細やかな指でペンを握り、スラスラと文字を連ねる。
十数秒の間に書かれたノートの文字を響の目の前に突き出す。
『道元響君、源菖蒲です!よろしくお願いします!』
女の子特有の可愛らしい文字で書かれ、文章には見た目とは裏腹に感情が顕著に現れていた。
響は突然ノートを顔面に突きつけられたことを疑問に思い、ノートの文字の意図を問う。
「えぇっと、よろしく?あと、このノートは一体?」
響の怪訝な顔を見た菖蒲は再びノートに文字を紡ぐ。
『私!声が小さくて会話をするのが苦手なので、いつもノートを使ってるんです!』
再度突き出されたノートを目にしたあと、響は先ほどの自己紹介の時のことを話す。
「俺、人よりも耳がいいんだ。だからさっきの自己紹介もちゃんと聴こえてたぞ」
響の思いがけない返答に鳩がサブマシンガンをくらったようなを表情を浮かべる。余程信じられないのか息を飲みながら口を静かに開く。
「こ、これも聴こえていますか!?」
「聴こえてるぞ」
すると菖蒲は目を見開き、次へ次へと質問を投げかける。
「好きな動物は!?」
「ビーバー」
「得意教科は!?」
「道徳」
「……ロリコン?」
「全くもって違う!」
菖蒲は普通の質問の中に、社会的に終わってしまう選択を忍ばせる。危うく初対面から変質者のレッテルを貼られてしまうところだった。
響の回答がツボに入ったのか、お腹を抱えながら肩を揺らす。
「ど、道元響さんはおかしな人ですねっ」
笑いすぎたためか、目元に滲む涙を拭いながら響に向き直す。
「私の話をノートを介さずに返事をくれた方は道元響さん、あなた一人です!」
フンっと鼻を鳴らしながら、自慢にもならないものを自慢げに語る。
「その『道元響さん』って呼び方長くないか?嫌じゃ無ければ上でも下でも、なんなら横でも好きに呼んで構わないぞ」
「横?………エコー、さん?」
「すまん、冗談だ。横文字は止めてくれ、上か下かで頼む」
「なら、道元さんでっ」
響は思いのほかウィットに富んだ返答がきて、思わず狼狽える。菖蒲はそんな響の隣でノートと睨めっこしながら、唇を揺らす。
「道元さん…道元さん…」
忘れないためか、はたまた人の名前を呼ぶことに慣れていないためか、小さい声で何度も名前を復唱する。
「源さん?おーい、みーなーもーとーさーん」
菖蒲はノートを見つめたまま、自分の世界に入ってしまったのか響の声を耳が拒絶する。返事がなく、心配になった響はノートを置いた机をコンコンと指で叩く。
「!?!」
自分の世界から現実に強制送還された菖蒲は、ガタっと音を立て席を立ち、音に反応した生徒の視線を避けるように、椅子に素早く座る。
「な、なんでひゅか?!」
「いや、返事がなかったから」
尻尾を踏まれた猫のように動揺した菖蒲は、むぅっと頬を赤らめながら膨らませる。
「…道元さんのばかっ」
響は、そんな菖蒲に思わず吹き出してしまった。