18話 体育祭前日の本音
菖蒲を少しでも成長させるためのトレーニングは、ほとんど毎日行われた。響と菖蒲の家の近くにある公園で放課後に二人で集まり、様々な練習を行った。
「まずは腕をしっかり振る!」
「こうですか!?」
「足も動かしてくれ」
「こうですか!!?」
「地団駄を踏んでるようにしか見えないな」
菖蒲の運動音痴は稀に見るもので、基本の『き』の字から教える必要があった。
「じゃあ俺が腕を構えておくから、走って俺の手にバトンを渡してくれ」
「分かりました!ていっ!」
「そこは頭って言うんだぞ…」
「うっかりしてました!」
「元気だけはいいんだけどな…」
もしかしたら基本の『き』の字よりも、まずは『あ行』から教えていくべきなのかもしれない。菖蒲の運動能力を向上させるために様々な作戦を考えたがどれも失敗に終わった。
お互い限界を迎え始めてきたので公園の真ん中で仰向けになって休む。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
「はぁ…はぁ…はぁ…」
「なんで…響さんも疲れてるん…ですか…?」
「それは…菖蒲が…バトンを毎回投げるせいで…その度に取りに行ってるから…だろうな」
「まるで…わんこみたいですね…」
その日はしばらく休んだ後、お互い帰路に着いた。
また次の日も、その次の日も、何回明日から今日に変わったのかそれすら考えることを止めるほど、二人は練習に勤しんだ。
そしてついに体育祭が明日となっていた。前日に動かし過ぎると本番に全力を出せないため、今日はお互いゆっくり休むことにした。しかし、菖蒲は帰り道の別れ際、少し寄りたいところがあると響を連れ、寄り道をした。
「ついに明日ですね!」
「ついに明日だな」
「今日まで毎日頑張ってきたんですから、本番はきっと完璧ですよ!!」
「フラグを立てるな。でも、ほんとに見違えるほど成長したよな」
「ふへ?やけに素直ですね?そんなギャップを見せても何も出ませんよ?はい、これどうぞ」
「しっかりと飴が出てるぞ、いただきます…」
いつもなら菖蒲を素直に褒めるなどするはずもないのだが、菖蒲の緊張をほぐす為なのか、それとも自分自身の緊張を和らげる為なのか、その時の響には分からなかったが、今思うと正解は『どちらも』だったのであろう。
「響さん!着きましたよ!」
「ここっていつも練習してる公園だよな?」
「その通りです!」
「今日は練習しない約束だろ?」
「練習はしません、『練習』は!」
「じゃあ何をしに来たんだ?」
「今からするのは『本番』です!!」
訳も分からず菖蒲の話を詳しく聞くと、要するに『今までのは練習だったから、一度本番を意識しながらやりたい』とのことらしい。
「じゃあそこでいつも通り待っていてくださいね!!」
「あぁ、分かった」
響にバトン渡しのポーズをさせると、菖蒲は少し距離を取り『行きまーす!』と掛け声をかける。
菖蒲のバトンパスをいつもより気を引き締めて待つ。菖蒲の足音が近づいてきて、響もテイクオーバーゾーンをゆっくりと走り出す。菖蒲の足音がすぐそこまで聞こえてきたため、手を思い切り伸ばす。
しかし、響の手にはバトンは繋がれず、その代わりに背中に大きな衝撃を受けた。
「なんだ!?どうした?」
「響さん…今は少しだけこうさせてください…」
「…分かった」
菖蒲は響にバトンを渡すことなく、響の背中に抱きついた。響の背中には菖蒲の体温と震えが伝わってきた。
「私…知ってたんです、足を引っ張ってるのは私だって…私のせいで皆さんに迷惑かけてしまうのが怖いんです…」
「菖蒲が頑張ってたのを少なくとも俺は見てたぞ」
「でも、練習が必ず実を結ぶとも限りません…」
菖蒲は心にある不安を包み隠さず響に吐露する。背中に掴まっていた手が力なく離れていく。菖蒲の方を振り返ると、今にも涙が零れそうなほど表情を曇らせていた。そんな菖蒲に語りかける。
「菖蒲は緊張した時とかに心の支えになる動作や言葉はあるか?」
「…なんですか、藪から棒に…特にはないですよ」
「なら落ち着く物とかはあるか?」
「一応…ありますけど…」
「なら、本番不安になったらその物の名前を叫べばいい」
「恥ずかしいじゃないですか!?」
「仮に菖蒲が他の奴らに抜かされても、その後には俺も佑馬も控えてる。俺の手をゴールだと思ってそのまま走り切ればいい」
「響さん…」
「あぁ、響さんだ」
菖蒲は緊張が解けたせいか、涙腺も緩まってしまう。
「その涙は本番まで取っとけ、ほらこれハンカチ」
「ありがとうございます…ズズッ……チーン!」
「バカ!鼻じゃなくて涙を拭くために渡したんだよ!」
「うっかりしてました!」
「はぁ、まあいいか。もう元気そうだな、明日は勝って焼肉だ」
「はい、頑張ります!響さん度々ありがとうございます!」
日も沈み始め、響は菖蒲を家まで送っていった。ハンカチは責任を持って洗うと菖蒲が持って帰った。響は明日のためにいつもよりも早くベットに潜った。
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