1話 入学式、花のような微笑みに出会って
「本日入学の日を迎えられた新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます」
この春、期待と緊張が入り交じる体育館の中で岩久高校の入学式が行われた。
定型文を毎年毎年呪文のように唱える校長の式辞に生徒、教員共々虚ろな目で耐えていた。
この体育館には見知った顔はいない、新入生の席の中で道元響はそんなことを考えていた。
「それでは新入生は退場してください」
気がつくと終わっていた入学式を上級生や各生徒の親御さんたちの拍手を浴びながら退場する。
朝の数十分居ただけの教室に戻ると微かな安堵を感じ、肩の力が抜けていく。
「――東中だったの?!俺南中出身だよ!」
「――部活何入るか決めた〜?」
「――連絡先交換しよっ!」
ホームルームが始まる前、ものの数分の間にそんな会話が繰り広げられていた。
その間、響は大人しく席に座り静観していた。
この会話の波を止めるように教室のドアがガラガラと音を立てる。
「よ〜し、それじゃ皆席に着け〜」
覇気がなく、もう既に疲れきった顔をしている男が教壇に立つ。
先程まで教室に充満していた声は次第に霧散していく。
「とりあえず自己紹介、この一年C組担任の高山四郎だ、高山家の長男なのに四郎だ。とりあえず一年よろしく頼む」
ツッコミどころが多い自己紹介を終えた四郎は、生徒たちの自己紹介に移る。
「じゃあ、出席番号一番の相葉愛さんから自己紹介よろしくぅ」
「――えぇ、?は、はい!」
苗字も名前も『あい』から始まる出席番号一番にお誂え向きの少女の自己紹介が始まった。
思ったよりも自己紹介のタイミングが早かったためか、詰まりながらも自己紹介を終える。
「――よろ…しくお願いします!」
そこからの自己紹介は、相葉のフォーマットを使い、順調に進んでいく。
「――おなしゃす!」
ほぼ九割の確率で運動部であろう男の自己紹介が終わった。
今までスムーズにバトンを渡されてきた相葉のフォーマットをフル無視し、一発ギャグをしてクラスの笑いを取る。
この流れを作られた次のランナーはとてつもなくやりにくいであろう。
「じゃあ、次は道元だな」
もう二度と参拝はしないと神との決別を決めた響は静かに立ち上がった。
「えぇ、道元響です。訳あって引っ越してきたばかりで分からないことだらけですが、一年間よろしくお願いします」
他の生徒たちの好奇な目が響に突き刺さる。
響は生徒たちの期待を一身に浴びながらもゆっくりと腰を下ろした。
生徒たちの上がりきった熱気が一気に冷めていくのが如実に分かった。
「あい、ありがとう」
響は相葉の作ったフォーマット通りに自己紹介を終え、ノリを捨てることでモブキャラの地位を確立した。
手を湿らせる汗が引いてきた頃、自己紹介も終盤に差し掛かる。
「じゃ、次」
四郎の言葉に続くように一人の少女が立ち上がる。
見るからに清楚で奥ゆかしい少女の、アメジストよりも遥かに濃い至極色の髪が肩を滑り落ちる。童顔で全体的に控えめ、身体の凸が少ないながらも、思わず守ってあげたくなる小動物的な可愛さがある。
「……………」
響を除いた生徒たちが訝しげな目で少女を見つめる。
確かに口元に動きはあるものの、連動して声は聞こえてこない。
「何か喋ってた?」
「いや、なんも聞こえんかった」
「頭真っ白になっちゃったのかな?」
生徒たちが様々な憶測を投げかける中、響は少女の自己紹介に耳を傾けていた。
「源菖蒲です、一年間よろしくお願いします…」
響の耳にはしっかりとか細いながらも、ガラス細工のような透明感のある少女の、菖蒲の声が聴こえていた。
「源、どうした?」
四郎の耳にも菖蒲の声は届いていなかったらしく、生徒たちと同様の疑問を投げかける。
「……………」
再度、菖蒲が自己紹介をするも先ほどと同じく、響以外の耳に声は届かない。
「えぇ、源菖蒲さんだ。仲良くするように」
痺れを切らした四郎は菖蒲の自己紹介の代弁をする。菖蒲はほのかに顔を赤らめ、スカートの裾を気にしながら静かに座り直す。
それからは特に目立ったことも無く、通常通りの自己紹介が進んでいく。
自己紹介の時間が終わり、今後の日程や諸々の資料の配布が終わったタイミングで時間を気にした四郎がブツブツと呟く。
「早く終わりすぎると教頭の野郎にどやされるからなぁ…」
そんな教員ならではの悩みを呟いているとお調子者の生徒の一人がある提案をする。
「時間があるなら席替えしません!?」
今の席順は苗字のあいうえお順で、男女関係なく決められている。
そのため隣が男同士などというラブコメではあってはならない席になっているところもある。
「席替えか…いい案だ、お前に三ポイントやるよ」
「やりぃ!せっかくなら男女隣同士の席替えにしません?!」
「まぁ、いいぞ」
その言葉にクラスの半数が歓喜の声をあげる。
お調子者の案に流され、何に使うことができるのか分からないポイントを配布した四郎は簡単にくじ引きを作り席替えの準備をする。
準備が整った四郎は生徒たちを順々に前に呼び、くじを引かせる。
前の方からは喜びと悲しみが交互に聞こえてくる。
響の番がくると、ついさっき決別を決めた神に謝罪をし恐る恐る箱の中に手を入れる。こういった時は一番上のくじを素直に取るのが吉と、くじの山頂を掴み取った。
「道元は一番後ろの窓際だな」
学園モノでは一番主人公の採用率が高いポジションを確保した響を、生徒たちが恨めしそうに睨みつける。
ホクホクと元の席に戻り、喜びを隠しながら今後の授業の想像をする。寝てもよし、早弁もよし、内職もよしと最高のスタートを切った響を尻目にくじ引きが終わる。
「それじゃ他のクラスの邪魔にならないよう静かに移動しろぉ」
四郎の言葉を完全に無視し、生徒たちはガヤガヤと席を動かす。眉間をつまみ、ため息を漏らす四郎を見ると申し訳なくなるが、浮き足立つ心を抑えることは難しく、いつもよりも軽快なステップで机を運ぶ。
くじ引きで決まった席に響は机を配置し、響は知っている神々に改めて感謝を述べる。
席替えが落ち着いてきた頃、付近からフローラルな香りが近づいてきた。ふとその香りの方向に目をやると、先ほどの自己紹介で印象に残っていた菖蒲がいた。
丁寧に机を置き、響の隣に机を合わせると軽い会釈をして前を向く。
近づいたことにより、香りが顕著に伝わり妙に艶っぽく見えた。横目で見る響に気づいた菖蒲がキューティクルのある髪をなびかせながらこちらに目をやり、一瞬目を逸らした後、響にほのかに微笑んだ。