言えたことと、言えなかったこと
車内が徐々に薄暗くなり、走る車は小さなトンネルへと入っていく。
オリーブ公園のラウンジを出るとき、慎哉は、あの女性の方を何度か見ていた。……ような気がする。
私たちが席を立っても、彼女たちはそのままラウンジに残っていた。
百々楚姫の面影を受け継いだ彼女は、美しい人だった。
私なんかより、ずっと華やかで、人の目を引くような光を纏っていて。
慎哉は、会話をしている最中も、ときどき上の空のような、心ここにあらずという瞬間があった。
きっとあの女性のことを考えている。
勝手にそんな風に思ってしまっていた。
別に慎哉と何もないし、何も始まってもいないのに。
車はトンネルを抜けて黄色に染まる空の下、私達が住む福田町へと続く海沿いの道を走っていた。
「ねえ、長髪くんって、彼女いるの?」
栞の明るい声にハッとして隣を見ると、ウインクをして、ニヤニヤと私の顔を覗き込んでくる。
目を細めてジーッと睨み返してみると、栞も同じようにして見つめ返してきた。
「いないけど、それがどうしたの?」
「そうなんだ、じゃあさ……」
栞が私を見たまま、片方の口の端を引き上げ、悪戯っぽく続ける。
「じゃあ、じゃあ、私、彼女に立候補してもいいかな?」
「え?」
慎哉と私の声が重なる。
胸がチクリとして胸元の服をキュッと握った。
「ああ、でも~、聡の方がいいなら、私は辞退するけど……」
「え?」
また、二人の声が重なる。
栞は笑ったまま、こっちを見ている。
「ねえねえ、どうすんの、長髪くん?」
「……ああ、いや、困ったね」
慎哉は跳ね毛の長髪をかいていた。
「はっきりしない男はモテないよ?」
「もう、しーちゃん! 慎哉さん困ってるから、やめなよ」
私は思わず、栞の腕をつかんで首を振った。
そんな私を見て、栞はニコッと微笑んだ。
それは、まるでいたずらっ子が何かを思いついたときの、キラキラした瞳。
「だってさ……あーちゃん、好きなんでしょ?」
ぶわっと、顔に熱が上った。
それが耳まで届いているのが自分でも分かる。
「もう、しーちゃん、怒るよ」
私は叩くつもりなんてないけれど、冗談まじりに手を振り上げる。
それを見て、栞はひょいっと肩をすくめた。
「まあまあ、二人とも」
穏かに間を取ろうとする慎哉。
「なに!」
私と栞の声がぴったりと車内に響いた。
別に怒ってるわけじゃない。
でも、あまりにもぴったりで、思わず笑ってしまいそうになる。
「あ、ごめんなさい」
慎哉が小さくなって謝っていた。
その姿が、ちょっとだけ可笑しくて、ちょっとだけかわいく見えた。
栞が私の背中を押そうとしてくれているのは、ちゃんと分かってる。
その気持ちが本当に嬉しい。
……でも、たぶん。
今もし、慎哉に心を覗かれたら……
バレる。
そう思ったら、胸に両手を添えていた。
それから、沈黙のまま福田港に着いてしまった。
「ここでいいのかい?」
「はい」
栞はあっさりと答え、勢いよく車を降りた。
ドアがバタンと閉まり、車内に静けさが戻る。
突然訪れた、ふたりきりの時間。
このまま何も言わずに降りてしまったら、もう会えないかもしれない。
だって、私の中の“百々楚姫の印”は落ち着いて、今の私の中にあるから――それはつまり、物語が終わったということかもしれない。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして。……聡ちゃん、そうしたら元気でね」
「はい。あの、もう……会えないんですか?」
心臓がバクバクして、口から飛び出そう。
「どうだろう。仕事が終わったら東京に戻るからね」
「……また、連絡してもいい?」
「……ああ、うん、構わないよ」
その言葉に少しホッとする。
私の問いかけに、慎哉がまっすぐに答えてくれている。
「じゃあ……色々ありがとうございました」
私は深々と頭を下げた。
この想いだけは、きちんと伝えたかった。
「どういたしまして、僕の方こそ、ありがとう」
運転席から振り向いて見せてくれた慎哉の笑顔は、芝居っけのない、あの時のような無邪気なものだった。
それを見た私も、しっかりと微笑みを返した。
返せた、はず。
ドアに手をかけ、押し開けると、少しだけヒンヤリした潮風が流れ込む。
髪を後ろに引きながら私は車を降りる。
助手席の窓越しに覗き込むようにして手を振ると、慎哉も手を振り返してくれる。
ふと前を向いてハンドルに手を置いた慎哉の横顔には、さっきまでの柔らかさが消えていた。
その瞳は、まっすぐに何かを見据えている。
今、見えているのとは別の何かを見抜こうとしている。
そんな風に思えた。
車はゆっくりと走り出し、ブレーキランプを一回灯らせて、海岸沿いの道へと消えていった。
ふいに、栞が私の腕を取ってきた。
「あーちゃん、どうだった?」
「なにが?」
「何がじゃないよ、ちゃんと伝えたの?」
私はゆっくり首を振った。
ふわりと髪が風に巻き上げられ、そっとそれを手でおさえる。
「そうか……」
栞は小さく息をつきながら頭を振り、その動きにあわせて髪が風にそよぐ。
横顔が少し寂しそうに見えたのは、気のせいだったかもしれない。
「でも、また連絡するって言えたから」
「そう……」
私の肩を、栞はポンと叩いた。
「そだね、あーちゃん。これからだよ、応援する」
「ありがと、しーちゃん……でも、さっきみたいのは焦るから」
「はいはい、気をつけまーす」
悪びれる様子もなく、ぴっと舌を出して、目尻にあたたかい皴を寄せる。
ボーッ。
フェリーの汽笛が、背後から静かに響く。
山の向こうに消えそうな夕焼けが、稜線を染めて燃えているように見えた。
港には夜の気配が忍び寄っていたが、それでも世界はどこか優しくて、やわらかかった。
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