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カゲヌシ  作者: ぽんこつ


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正体……?

挿絵(By みてみん)

友昭は、手にしたグラスをわずかに傾け、麦茶を口に含んだ。

喉を鳴らす小さな音が、沈黙を微かに破る。

「ご主人の親御さんの事故の時の話ですが……当時、兄のもう一台の携帯を使っていたのは、恐らく息子の友一だと思います」

低く穏やかな声。

語りながらも、友昭の目はどこか遠くを見ていた。

「兄は病気がちで、生涯独り身でした。息子を自分の子のように可愛がっていましたから」

私は、膝の上で組んだ手に力が入るのを感じていた。どこかでずっと繋がっていた糸が、今少しずつ結び直されていくような感覚。

「友一さんは今どちらに?」

諒がゆっくりと尋ねる。

「山王神社の禰宜をしております。ここにはおりません、いまは神社の近くに住んでいます……」

諒の体はわずかに前へと傾いていた。

「育ての父と母の事故に何があったと思いますか?……刑事がその携帯に電話した際、『影を追うものは、影に囚われる……追うな……追えば、そいつらのように死ぬ』と返答があったそうです。いったい何が」

言葉のひとつひとつが、諒にとっては切実な手がかりなのだと、私は横顔を見て感じた。

声の奥に潜む、抑えた焦りと哀しみ。

友昭は、口元にわずかな陰を落としながら静かに言葉を継ぐ。

「お若い人には信じてもらえるかどうかどうか……術式の中でも秘匿されてきたものに禁呪と呼ばれるものがあります」

どこか遠い時代の話をしているような口調だったが、その語り口の奥に、微かに滲む緊張を私は感じ取っていた。

「禁呪」という言葉は慎哉からも聞いていて、すでに耳にしていたから、驚きはない。

――なのに、どこかがむず痒くなる。

つかみどころのない違和感。

それは、湿度の高い日に肌にまとわりつく空気のようで、振り払ってもどこかに残る。

「その一つに周波数を合わせる、波長合わせる事によって、その人物の意識を操作することが出来る。一種の刷り込みのような術があります」

一瞬、意味が掴めず、思考が足元で絡まった。

私はそっと隣の諒を見る。

目を伏せたまま黙っていた。

その横顔には感情の影が落ち、指先が微かに膝の上で動いているのが見えた。

「……催眠術な様な事ですか?」

声に出すと、冷房の効いた室内に、自分の声だけが少し浮いて聞こえた。

「ええ、分かりやすく言えばそういう事です。ただ催眠術と違ってその禁呪は面と向かわなくても、同調さえ出来ればどこにいても問題ないのです」

慎哉の言葉が、頭の奥で重なる。

振動の共鳴。

でも、そんなことが本当に可能だとしたら……。

「……その行動に対しての代償はないのですか?そんな力が使い放題なら、あまりにも恐ろしい……」

無意識に肩をすくめ、二の腕を擦る。

冷房の風が肌を撫でているはずなのに、背筋を伝うのは冷たさではない。

深い底からせり上がってくるような、不安と戦慄。

「ええ、あなたの仰る通り、禁呪と呼ばれる物には代償はあるようです。だかたこそ滅多に気安く使える代物でもないですし、そもそもそう簡単に同調出来る訳でもないんです」

少し口を濁すようにして、友昭は続けた。

そこから語られたのは、“共鳴呪”という、あまりに危うい術の代償だった。

波長を合わせ、対象の意識に干渉するその術は、「共鳴呪きょうめいじゅ」とも「心写しんしゃ」とも呼ばれる。

古くは密儀の中で伝えられ、ごく限られた血筋の者にのみ継承された、禁じられた術式である。

対象と自らの精神の波長を完全に一致させることで、術者は距離を問わず、対象の思考に“刷り込み”を施し、行動の一部を操作することができる。

けれど、それはまるで身を焼く焰を手にするような行為だった。

──第一の代償は、「魂の混濁」。

干渉することで、術者と対象の境界が曖昧になり、記憶や感情の断片が術者に流れ込む。繰り返すほどに自我が揺らぎ、やがて“自分が誰なのか”すら分からなくなる。

──第二の代償は、「共振の逆流」。

意志の強い対象に対して術を行えば、逆に術者の精神が引き込まれ、対象の怨念や恐怖に支配されることすらある。いわば共鳴の“反射”による精神汚染だ。

──第三の代償は、「器の崩壊」。

術を重ねるごとに、術者の“存在の波長”が徐々に乱れ、現実との接触が希薄になる。やがて鏡や写真に映らなくなり、誰の記憶にも留まらなくなっていく。人の世から“影”となって消えるのだ。

──第四の代償は、「因果の反転」。

干渉した対象が歩むはずだった未来が、術者自身に呪いとして跳ね返る。命運、家族、血統、あらゆる“因果”が歪み、本人だけでなくその周囲をも巻き込んで崩れていく。

これらすべてが、術の使い手に静かに、だが確実に積み重なっていく。

まるで、毒をもって運命を撹乱するような術。

だからこそ、“共鳴”とは慎重を極めるべき術であり、禁呪として封印されたのである。

影を追う者は、影に囚われる。

あの言葉が、ふと脳裏をかすめた。

ただの戒めではない。

その言葉が遺された理由が、ようやく肌に落ちてくるような気がした。

間違いなく諒にも関係している。

諒自身がもしかして――。

その時、沈黙を破るように、諒が静かに口を開いた。

「でもどうして?両親は死ななければならなかったのですか?」

その声には感情が押し殺されていた。

だけど、その奥に張り詰めたものがあるのを、私は感じた。

真実を問うような目で、まっすぐに友昭を見据えていた。

「あなたの話を聞いていると、その禁呪で殺されたように聞こえるのですが」

問いかけに、友昭はわずかに顔を歪め、首を横に振った。

「具体的な話の内容は、残念ながら私は知りません。ですが……兄とご両親は、会っていたようです」

諒はほんのわずかに眉を寄せ、沈黙の中で次の言葉を待っている。

私は、諒の掌が膝の上でそっと握られるのを目にした。

「兄が他界してからのちは、息子の友一がご両親と連絡を取っていたようで。まあ、友一は、兄によく懐いていましたから」

友昭の声には、微かな寂しさと後悔の色が滲んでいた。

「ある時、尋ねたんです。……何をこそこそ兄とやっているんだと。そしたら伯父さんは凄いよ、と。父さんは知らない方が良いって、この家のためにもって。そんなようなことを、ぽろっと……」

私は、冷えかけた麦茶のグラスに目を落とすと、氷はすでに溶けていた。

「そんな友一も、今じゃ宗顕さんになびいている。まあ、悪い事ではないのですがね……夜明の家を思うと、距離を置いて欲しいというのが本音ですが」

どこか遠いものを見るような眼差しで、友昭は視線を落とす。

語られた言葉の端々に、もう戻れない過去への断絶が垣間見えた。

「人が亡くなっているので、安易な憶測で語るのは避けたいのですが、何かを知ってしまったか、あるいは……」

「あるいは?」

諒が低く問い返す。

「脅威となったか、邪魔になったか、脅迫者となったか……」

友昭の言葉が、部屋の空気に沈むように広がっていく。

諒はじっと黙ったまま、それを受け止めるように息をつめていた。

やがて、ぽつりと声を落とす。

「あの……その術……それを扱える方というのは、どなたでしょうか」

目は伏せられていたけれど、その声音には、揺るぎないものがあった。

友昭が少し身を乗り出し、諒の顔をまじまじと見つめた。

「知ってどうなさる?」

穏やかな声音の中に、見えない警戒の刃が潜んでいた。

それでも諒は、迷いなく言った。

「……根元宗顕ですね?」

数拍の沈黙が流れたあと、友昭は静かに、しかし確かに頷いた。

「ただ……宗家には、足を向けない方がよろしい」

「なぜですか?」

「うちの息子の友一や、孫の洋一は……すっかり宗顕の“信者”のようになってしまっています。まるで操られているようで……。だから、くれぐれも、宗家には手を出さない方がいい。理由がどうであれ、あなた方は……」

その言葉の終わりは、まるで霧に紛れるように、静かに部屋の中へと溶けていった。

あれ?洋一って名前もしかして……

「あの……お孫さんの洋一さんと玲美って……」

「ああ、お付き合いしているようだね……最近はめっきり会っていないがね」

どこか寂し気な物言いだった。

息子が家を出たということは、孫も一緒。

この大きなお屋敷に友昭は一人で住んでいる。

やはりあの女性はお手伝いということ。

洋一は夜明家の人間、そして根元宗顕を慕う。

玲美は根元家の娘。

神社で五月と玲美の父、義信が会っていた。

義信の父である宗顕は、妖しげな術を用い、主祭なる人物の復活を企んでいる。

どう考えても、この渦中に玲美がいるような気がしてきてしまう。

玲美……。


結局、分かったような、分からなかったような。

頭の中は、まとまりきらない思考の欠片で散らかっていた。

禁呪――共鳴。

誰かの意識を術で操る。

現実離れした話だと一蹴したいのに、今の自分には妙に現実味をもって響いていた。

それは、これまでの断片的な出来事の数々が、この話と静かに接続していく感覚があったからかもしれない。

もしも本当に、そんな術が両親の死に関わっていたとしたら。

真相を暴く術はあるのか。

それとも最初から、立証なんてできないものなのか。

テーブルの上に伏せた視線の先で、自分の拳がかすかに震えていた。

力が入っていたことにも気づかず、指先が白くなっている。

ゆっくりと握りしめていた手を解くと、皮膚に爪痕が残っていた。

そして、あの名が浮かぶ。根元宗顕。

その人物が禁呪を操る。

そして、友昭が語った“主祭の復活”。

カゲヌシ――影の主。

文菜が言ったように、それはこの主祭を差すのだろう。

復活というくらいだ、かつて確かに存在した人間……あるいは、人の形を借りていた何か、かもしれない。

記憶の奥、手放しかけた過去の隅に、何かがひっそりと目を覚ましそうな気がした。

そして、もう一人。

友一――友昭の息子。

あの事故のとき、「影を追うものは、影に囚われる……追えば、そいつらのように死ぬ」と応じたのが彼だとすれば。

彼こそが、あの時の真相を知る唯一の鍵かもしれない。

義兄なら、彼の居所を知っているはずだ。

そこから、何かが掘り起こせるかもしれない。

ふと気がつくと、障子の向こうから、うっすらとした陽射しが、絨毯に影が短くなっている。

言葉を交わすうちに、いつの間にか時間は流れていたらしい。

部屋の時計に目をやると、針はすでに十二に届こうとしていた。

ポケットからメモを取り出し、俺が連絡先を書いて差し出すと、友昭は黙って立ち上がり、低い引き出しから名刺を取り出してきた。

手渡された名刺は、しっかりとした厚紙に金の六芒星があしらわれていた。

その周囲には神文。光にかざすと、控えめな鈍い反射が浮かび上がる。

呪の封印にも似た、重く静かな気配を宿していた。

「ありがとうございます」

そう告げて頭を下げると、友昭は深く頷き、その目元に微かに笑みが浮かんだ。

そのとき、不意に隣の文菜が、小さく息を呑む音を立てた。

振り返ると、彼女は目を伏せたまま、静かに唇を結んでいた。

何かを思っているのは確かだが、それを言葉にはしなかった。

沈黙のなかにも、確かな意志がある。

ただその存在が、いまの俺には支えだった。

答えは近いようで遠い。

けれど、歩き続けなければ何も変わらない。

名刺を丁寧に財布へと収めると、深く一度、息を吐いた。

――どこから、何を問い直すべきか。

そのとき、友昭がゆっくりと、低く腰を折るようにしてテーブルに両手をついた。

「それから、友一の件は……私に預けてくださらんか」

伏せられた顔は見えなかったが、その声には強い意志と、どこかにためらいが混じっていた。

「それまでは、くれぐれも自重して頂きたい」

突然の頭を下げる動作に、思わず目を見張った。

隣の文菜と目が合う。

文菜は一瞬だけ迷ったように見えたが、やがてコクッと、小さく頷いた。

「……分かりました」

俺も声を整えながら返す。

「ただ……お話を聞いて、俺らがもう渦中にいることは理解したつもりです。どう関わっているのかは、まだあやふやですが……」

その言葉に、友昭はわずかに顔を上げ眉を上げた。

「でも、まさか羽代と当麻の一族の末裔がご結婚されるとは」

その口調に、皮肉めいたものはなかった。

ただ、静かな驚きと、どこか遠くを見るような眼差し。

「これも巡り合わせという事でしょう。末永く幸せが続かんことを……お祈り申し上げます」

深く、穏やかな声だった。

そのときの友昭の表情は、晴れやかだった。

お読み頂きありがとうございます_(._.)_。

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