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カゲヌシ  作者: ぽんこつ


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明かされたこと

挿絵(By みてみん)

応接室の扉を開けると、先ほどの女性が静かに佇んでいた。

きちんと整った所作に、どこか他人行儀な印象を受ける。娘さんにしては、少しよそよそしい気がした。

「あの、お手洗いお借りしたいんですけど」

「はい、こちらです」

女性は柔らかく微笑み、首をかしげながら一歩進んだ。

白いブラウスにグレーのロングスカート、髪はひとつに結って下ろしている。

背丈は私と同じくらいで、どこか落ち着いた気配をまとっていた。

女性のあとについて、応接室の前からまっすぐに伸びる廊下を歩く。

左手に並ぶガラス戸から、やわらかな光が差し込み、磨き抜かれた床を淡く照らしている。

――ミシッ、ミシッ。

歩くたび、ところどころで古い木の軋む音が響いた。

庭では剪定業者の人がパチン、と枝を切る音を立てている。

「廊下、ぴかぴかですね。これだけ大きなお屋敷だと、お掃除も大変そう……」

思わず漏らすと、女性はくすっと喉の奥で笑った。

「全部を毎日というわけではないんですよ。人目につく廊下や玄関は、丁寧に手を入れるようにしていますけれど」

「そうなんですね……」

彼女がふとこちらを見て、じっと私の顔を見つめながら微笑んだ。

眉間に寄る皺が目立つけれど、笑うと目尻にやさしい皺が浮かんで、そこに親しみがわいていた。

「奥様は、毎日お掃除されているの?」

「――あ、いえ……」

その言葉に頬がふっと熱を帯びる。思わず、うつむき加減に小さく答えた。

「今日、プロポーズされたばかりで……」

「あら、まあ……失礼しました。でも、すごくお似合いなお二人です」

彼女は小さく頭を下げながら、笑みを含んだ声で目を細めた。

「……ありがとうございます」

私達の事を知らない人だからこそ、真っ直ぐに受け取れる言葉だった。

「どうぞ、こちらになります」

彼女がすっと手を差し出す。

その先、廊下の突き当たりに洗面所があった。

「あ、ありがとうございます」

軽く会釈をすると、女性も一礼して廊下を戻って行った。

洗面所の扉は他より新しく、リフォームされたばかりなのか、木の新鮮な匂いが空間に満ちている。

屋敷の中では異質なほどモダンな内装で、白を基調に明るく清潔感があった。

洗面台が正面にあり、右手にお風呂、左側にトイレがある造りのようだった。

手を洗いながら、ふと鏡に映った自分を見つめる。

五月のこと、玲美の父、玲美のこと、そして友昭から語られたカゲヌシのこと、祖母の写真の送り主こそ定かではないけど、沢山の事柄が収束してきている。そう思った。

鏡の中の自分に、ほんの少しだけ微笑みを残し、洗面所をあとにする。

一人、廊下を歩く。

ガラス戸の向こうには、手入れの行き届いた庭が広がっていた。

点在する植栽の間から、大きな木々の緑が濃く立ち上がっていて、それがこの家を外の世界から守っているように思える。

その中で作業をしていた業者の男性と目が合った。

首に巻いたタオルで汗を拭いながら、白髪混じりの頭を軽く下げてくれる。

私も自然と会釈を返した。

その一瞬だけ交わったまなざしの中に、どこか温かな色があった気がして、肩をすくめた。

反対側の壁には、障子の引き戸で仕切られた和室がいくつか並んでいる。

そのうちの一つ、襖がわずかに開いていた。

何の気なしに、その隙間から中を覗いてみた。

畳の敷かれた、静謐な空間。

空気はひんやりとして、ほんのりと畳の香りが漂ってくる。

奥には床の間があり、薄闇に慣れてくるにつれて、部屋の輪郭がじわじわと浮かび上がってきた。

――っ!

視線が掛け軸に釘付けになる。

そこに書かれていた文字――三宝神社。

さすがに中は薄暗くて、墨の色までは分からなかったけれど、その筆致には見覚えがあった。

大きさこそ違うけど、跳ねや止めが、諒が持っている御朱印帳に記されている物と酷似している。

吹いてもいないのに風が抜けたような気がした。

思いがけず、過去と現在が繋がるような瞬間。

さっき、諒が御朱印帳を見せて問い掛けた時、友昭は明らかに知っていて否定したということになる。

そのとき、廊下の先から足音が近づいてきた。

後ろ髪を惹かれながらも、応接室へと足を向ける。

ちょうど友昭が木箱を抱えて戻ってきたところだった。

「すみません、お手洗い借りていました」

「さ、どうぞ」

友昭は片手で木箱を支えながら、もう一方の手を軽く差し出した。

私は小さく会釈をして、先に部屋へと入る。室内には、微かに煙草の香りが残っていた。

諒は、私の姿を認めると、ふっと目元を和らげた。

私も頬が自然と上がる。

席についた私を見届けてから、友昭は古い木箱をテーブルに置いた。

時間の重みを吸い込んだような、深い飴色の木肌。

その蓋を、丁寧に、まるで供物を捧げるような手つきで、そっと開ける。

「これは、たかぼうと交わした手紙です」

低く抑えた声でそう告げると、薄紙に包まれた一通の手紙を取り出し、諒に手渡した。

諒は黙って目を通し、眉をわずかに動かしたかと思うと、私にその手紙を渡してきた。触れた指先が、少し冷たかった。

「友ちゃん、辛いよ、珠代さんは、縁談を受けるみたいだ。もうどうしたらいいかわからない。もう僕に出来る事はこれくらいしかない。友である君の父上にお願いして欲しい、同封した珠代さんの写真を形代として祈祷して欲しい。もちろん、一番最上級の。僕は詳しくないから君が取り計らってくれ。珠代さんの幸せと健康。頼む。

追伸。お布施が足りない時は、融通を利かせて欲しい。わがまますまない。   根元高太朗」

便箋の文字は、筆圧の強弱や線の揺らぎから、書き手の心の震えがそのまま伝わってくるようだった。

あの白昼夢で見た、彼の照れくさそうな笑顔が脳裏に浮かんだ。

そして――おでこに触れた、あのやわらかくて、どこか切なさを湛えたキスの感触までも。

死の間際に至ってなお、祖母の幸せだけを願っていたのだ。

その想いが、今こうして時を越えて、私たちの手の中にある。

「私は父母に、それとなく珠代さんや高太朗の縁談が、どこから持ち上がった話なのか聞いてみました」

友昭は、手を膝に置いて背筋を伸ばしながら、まっすぐに言葉を紡ぐ。

「どうやら、根元本家の意向があったようです。宗家の根元宗顕の。真名井家には金銭的援助という条件もあったようで……当時、真名井家は家柄こそあれ、金銭的に困窮していた訳ではないにせよ、魅力的な話だったのでしょうな」

「そんな……」

思わず口をついて出た声は、風のように小さく室内に溶けた。

障子の隙間から、外の光がわずかに差し込み、テーブルの縁に白く滲んでいた。

「それと、宗顕さんが珠代さんに恋慕していた──という噂もありました。もうすでに妻子もいたというのに」

ほんの一瞬、胸の奥で何かが沈むような感覚がした。

表情には出さなかったつもりだったけれど、指先が少しだけ硬くなったのが、自分でもわかった。

妻子がありながら、恋慕だなんて──

それは、恋という名を借りた、ただの欲望じゃないの?

けれど、すぐに自分をたしなめる声が、どこからともなく湧いてきた。

知らないのだ、あの時代の、あの人たちの関係も、状況も、覚悟も。

軽々しく裁いてはいけない。

祖母の、あの穏やかな微笑みを、私は信じていたい。

諒の方にそっと目を向けると、眉をひそめていた。

まるで、耳慣れない不協和音を聞いたかのように。

「……もう妻子がいたのに、ですか」

声は静かだったが、言葉の奥に小さく尖ったものがあった。

考えを巡らせるように目を伏せ、手元のグラスに視線を落とす。

その水面がわずかに揺れた。

「なぜ、その話を?」

諒の問いが、深く静かに部屋に響く。

「珠代さんの写真が、最初から入っていなかったと考えると……持ち去ったのは宗顕さん以外には考えにくい」

「なるほど。根元宗家に、写真があったと」

諒が頷きながら繰り返すと、友昭も深く頷いた。

「ええ、証拠はありませんが、私はそう思います」

ならば、あの封筒――差出人不明で送られてきた、写真の出所は……。

私はそっと指先を組み直しながら、口を開いた。

「あの、本家の玲美って知ってますか?私の親友なんですけど」

友昭は小刻みに頷き、口角を上げる。

「ああ、玲美ちゃんはよう知っとるよ。そうですか友達とは……これも何かの縁ですな」

聞きたいことが上手く言えず、柔らかな笑みとともに返された言葉に微笑み返した。

そして、諒が静かに口を開く。

「同じことを伺いますが、根元宗顕が写真を持っていたとして、妻に送ってきた理由はなんだとお考えになりますか?」

「あくまで推測の話ですが、よろしいですかな?」

諒と顔を見合わせ、一緒に頷く。

「もしかしたら、呪術の類やもしれません」

聞きなれない言葉に、諒を見ると視線が重なった。

そのまま、諒は静かに体の向きを変え、再び友昭の方へと向き直る。

「……呪いということですか?」

「……一概に呪いという事ではないと思います。例えば、高ぼうからの依頼の祈祷は本人の代わりに写真を媒介として祈りを捧げます。それと同じような効力があるかもしれません……ただ……ご本人の写真でない所が、奇妙ではあります」

「確かに……」

諒の声が、かすかに沈んだ。

指先で額の端をなぞるような仕草をしながら、思考を巡らせているのが伝わる。

「ですので、他に理由があるのかもしれません」

私は二人の遣り取りを聞いていて、頭に浮かんだことを口にした。

「あの御朱印帳に書いてある赤黒い墨について、何かご存知ですか?私や……主人に当てた封筒の宛名にも使われていたのですけど」

友昭は静かに頷いた。

「それも……呪術の一種。血の盟約ですな。自身の血で相手の名を記すことで、強制的に“縁”を結ぶというものです」

鳥肌が立つ。諒も同じだったのか腕を擦っていた。

「それと御朱印のものに関しては、神威を得るために書き手が自らの血を持って、その名を記します。先程のご主人の御朱印には加護があると思いますから、肌身離さず持っておられるがよろしいかと」

諒は怪訝そうに首を傾げる。

「……友昭さんは書き手をご存知なのですか?」

「ん?……ああ、そう言う訳じゃないです。ただその立場にある人間が依頼によって、そのような施しをするという事があるだけです。私も書いたことはありますから……」

「……なるほど……ちなみに、あなたの周りでAB型の方はいらっしゃいますか?」

諒が少し声の調子を変えて、間合いを詰めるように訊ねた。

「AB型?ですか。いや、うちにはおりませんな」

「その根元宗顕という人物はいかがですか?」

「さすがに……そこまでは、存じません」

一瞬、沈黙が落ちた。

部屋にある掛け時計の音だけが、ぽつぽつと時を刻んでいた。

私は、もう一つの写真のことが気になっていた。

諒に送られてきた封筒に同封されていた写真。被写体はぼやけていて誰だか分からない。だが、背景に写る重岩の形状と撮影された角度を考慮すると、それが祖母と同じ場所で、高太朗さんが一人で写っていたものではないかと、諒は推測していた。

意を決して、口を開く。

「あの……高太朗さんの写真は、送られてきていなかったのでしょうか?」

少し声が上ずっていたかもしれない。けれど、友昭さんは特に驚く様子もなく、不思議そうに小さく首を傾げた。

「高ぼうの……写真ですか? どんなものでしたかな。うーん、なかったと思いますが」

「祖母と同じ重岩で撮ったものです。高太朗さんがお一人で写っていました」

「なるほどね……」

小さく呟いたあと、友昭さんは再び首を傾けた。

記憶の奥底を探るように、ふと視線を宙に泳がせ、額にかすかな皺を寄せる。何かを思い出そうとしているのが、表情から伝わってくる。

けれど、それも長くは続かず、やがて静かに首を横に振った。

その顔を見ながら、諒は小さく苦笑していた。

私に送られてきた写真は、根元宗顕の手元にあった可能性が高いという。

でも──高太朗が一人で写ったあの写真は、では、どこへ行ってしまったのだろう。

疑問の淀みが、ゆっくりと沈殿していくのを感じる。

「……友昭さんは、呪術的なことに関して造詣が深いようにお見受けしましたが、あなたも“できる”方なのですか?」

率直すぎたかもしれないと一瞬戸惑ったが、友昭は「はは」と朗らかに笑い、顔の前で軽く両手を振って見せた。

「私は祈祷ぐらいですよ。こう見えても宮司をしとりますから。ただ、その手のものは……できませんな。術式の類の知識は、まあ、少しは持ち合わせておりますが」

その穏やかな言い方に、頬が緩む。

諒は静かに鞄を開き、数枚の写真を取り出してテーブルの上にそっと並べた。

それは、根元勝太郎氏の家の庭で撮影されたもの。

紙垂をまとった、ひときわ大きな古木。

そして古木に釘で打ちつけられていた写真、祖母と高太朗の二人が写っていたもの。

その根本の空洞には、木彫りの人形が二体、納められていた。

「これはどうでしょう?高太朗さんが行ったもののようなのですが、なにかお分りになりますか?」

「高ぼうが?……んー……見たことはない代物ですが、明らかに、何かの儀式を施したように思えますな」

友昭は手に取った写真を一枚一枚丁寧に目で追いながら、首を小さく振った。

「高太朗さんは、“結界”だと家族に話していたそうなのですが」

諒の問いかけに、友昭は腕を組みながら何度か頷き、表情を引き締め、口を一文字に結ぶ。

「うむ……結界ですか……一応、文書を調べてみましょう」

「それは……助かります」

感謝の言葉を口にした諒は、わずかに眉を緩め、深く頭を下げた。

会話がひととき途切れ、麦茶の氷がカランと涼やかに音を立てた。

私はさっき見たことを尋ねてみる。

「……あの」

「どうした?」

諒が静かに首を傾けて、私の顔を覗き込むようにする。

優しい声音に、ほんの少しだけ勇気が湧いた。

「ごめんなさい。さっきトイレをお借りしたときに……ちょっと、奥のお部屋が見えて。その、掛け軸に“三宝神社”って書かれていたのですが……」

私の言葉に、友昭は驚いた様子も見せず、ただ静かに、しみじみと頷いた。

「え?」

逆に、諒が小さく目を見開き、意外そうな声を上げていた。

「それから……主人の御朱印の物と筆跡が似ているように見えたんですけど、どなたが書かれたのでしょう?」

友昭は組んだ腕をそっとほどき、両手で太ももを軽く叩いて顔を上げた。

「……三宝神社は、奥宮の正式な名とでも言いましょうか」

「どういうことです?」

諒がスッと身を乗り出す。

「これも言い伝えになります……」

友昭は視線を宙に投げるようにして、過去の記憶を探るように語りはじめた。

──夜明家は元々、羽代氏の一族であるということ。

その昔、朝廷の下で祭祀を司っていた羽代氏は、同じ渡来氏族の当麻氏や、有力な豪族の物部氏、蘇我氏と共に天皇家の血統を本来の流れに取り戻そうとしていた。

その“本来”とは、古来より連綿と続いてきた日本の歴史をつまびらかにし、純然たる血を保つという理念に基づいたものだったらしい。

そして、羽代氏はその一環として、三種の神器を密かに宮中から運び出した──。

それを祀る社こそが、三宝神社の起源。

ただし、その名を知るのは代々の宮司のみで、夜明、羽代、根元の三家で秘かに守り伝えられてきた。そして時代の変遷とともに“山王神社”へと名を変え、表向きはその名で呼ばれるようになったのだという。

「……じゃあ、三種の神器は、今も神社にあるんですか?」

私はそう問いかけたが、友昭は答えを明言せず、ただ、にこりと笑みを浮かべただけだった。

真実の一端だけを匂わせ、核心には触れようとしない。

老獪な、それでいてどこか慈しみを感じさせる沈黙。

それでも私は諦めたくなくて、さらに尋ねる。

「それで、掛け軸を書いたのは、どなたなんですか?」

「……ああ、私の父ですよ」

「そうですか……」

淡々と語る口調は変わらないが、目尻には微かな笑い皺が寄っていた。

友昭の表情を見ながら、私は思う。

諒の御朱印も、その父が記したものになるのだ。

血を混ぜて名を記すことで、神威を宿す。

それが、どうして諒の手元に巡ってきたのだろう。

――持っていた方がいい、ということなのだろうか。

羽代氏の末裔だから?

それとも……怨霊の、なにかに関わっているの?

「……羽代酒祭の怨霊を封じたというのは、ご存知ですか?」

「あはは、私がその時に生きていたわけじゃありませんからね。文書や口伝の中の話ですよ」

笑いながらそう言う友昭に、私は「ごめんなさい」と頭を下げ、耳にかかった髪をそっとかき上げた。

「では……」

友昭は、そう前置きをした。

──そして、話は古代へと遡る。

すべての発端は、先に語られた天皇家の血脈を“本来のもの”へと戻そうとした試みにあるのだという。

外来の血筋が混ざった当時の朝廷に対し、古来からの秩序を取り戻そうとした勢力があった。

それは有力氏族たちの連合体による計画であり、その中核を担ったのが、渡来系であるはずの羽代氏と当麻氏だったというのは、どこか皮肉めいていた。

けれど、当時の朝廷内においても、御多分に漏れず激しい権力闘争が渦巻いていたらしい。

その証左として、かつて手を組んでいた蘇我氏と物部氏は激しく争い、一時は勝ちを収めた蘇我氏も、やがて滅びの運命を辿った。

羽代氏は物部氏と親しい関係にあったため、その流れに巻き込まれ、「天皇家簒奪を企てた」との濡れ衣を着せられて――当主、羽代酒祭は処刑され、一族はことごとく追放された。

──ただ、それでも三種の神器だけは、密かに護り続けたという。

追放のさなか、彼らの船は播磨灘で難破し、流れ着いたのが、今まさに私たちのいる夕凪島だった。

命を繋いだのは、酒祭の弟・羽代黒麻呂の一族と、根元、夜明の祖先。

酒祭の遺体もまた、同様にこの地に辿り着き、奥宮に三種の神器と共に祀られたとされている。

当時、夕凪島には物部氏の支族・弓削氏が強い影響力を持っていた。

彼らの庇護のもと、羽代の人々は匿われるようにして、島で静かに暮らしはじめたという。

さらに、秦氏や和気氏といった大和の有力氏族も秘かに後援していたらしい。

ただ、その背景には、朝廷と大臣おおとみ氏による蠢動があったと友昭は言う。

勢力の拡大を警戒された羽代一族は、やがて謀略に巻き込まれていく。

誰かが計画を密告したのか、それとも離反者がいたのか――

真相は不明だが、大臣氏はまず物部氏と蘇我氏の抗争を焚きつけ、その混乱に乗じて、羽代氏を「簒奪を企てた」として排除。

当麻氏は密告者として取り立てられ、氏族連合は内側から分断されていった。

乙巳の変で蘇我氏が滅ぼされたのを契機に当麻氏は地方へ離散したという。

ちょうどその頃、都では不可解な事象が相次ぎ、怨霊や祟りを恐れた朝廷は、陰陽師・山背日立を遣わし、怨霊鎮めに乗り出した。

古文書や伝承によると、羽代酒祭が処刑されてからは、確かに都での異変は起きていたようで、その怨念は現実に影響を及ぼすほどのものであったようだ。

山背日立は夕凪島へ赴き、羽代黒麻呂、根十三麻呪蛇麻呂ねとみのますたまろ(根元の先祖)、代砂部隠倉よさべのおくら(夜明の祖先)、当麻言福、巫女の一族の神奈備百々楚姫らと協議し、怨霊を封じる結界を張った。

三宝神社の鬼門と裏鬼門に位置する磐座の力を使い、さらに、高潔な魂を人柱として捧げることで。

しかし、その結界には、もう一つの意図が組み込まれていた。

それは、根十三麻呪蛇麻呂が密かに施したものだった。

その企みが露見しかけたことで、彼は山背日立と羽代黒麻呂を相次いで殺害。

さらに、結界を支えるためと称して、百々楚姫の妹・奥勢理姫をはじめとする巫女の少女たちの魂を、生贄として捧げ続けたという。

血統の純粋性を重んじたがゆえに、羽代氏は三宝神社の神官として代々形式上の役割を与えられ、実権は根元氏が握っていた。

夜明氏は、それを黙認するかたちで、血筋の保全に努めてきた――。

──そして。

根十三麻呪蛇麻呂が密かに封じ込めた“もう一つの目的”。

それは、ある人物の“復活”だったという。

その人物は、「主祭」と呼ばれ、今もなお伝承にその名が残る存在。

どろどろとした陰謀と、裏切り、血の犠牲に塗れた物語。

私は……正直、こういう話は苦手だ。

どうして人は、己の欲のために、人を陥れることができるのだろう。

背中の方から、冷たいものが這い上がるような感覚がした。

「もしかして、その主祭という人物が……影の主ってこと、だったりしませんか?」

無意識のうちに口をついて出た言葉。

その瞬間、友昭の顔から、見る見るうちに血の気が引いていく

何か……言ってはいけないことを言ってしまったのかと、不安になる。

思わず隣に座る諒へと目を向けると、私をじっと見つめていた。

言葉ではなく、その目が、何かを訴えている。

深く、真剣で、どこか遠くを見つめているような、静かな光を湛えて――。

「……文菜、それ、的を射てるかもしれない」

「え……?」

私は首を傾げる。

自分が放った言葉が、そんなにも核心を突いてしまっていたとは思わなかった。

「有り得ることですな……」

絞り出すように、友昭が口を開く。

苦々しさを隠しきれないように、深く息を吐き、押し黙る。

誰もが、沈黙した。

暑さとは別の、重たく粘るような空気が、部屋中にゆっくりと沈殿していく。

テーブルの上。

麦茶の入ったグラスでは、氷がすでに音を立てることもなく、ただ、静かに、溶け続けていた。

お読み頂きありがとうございます_(._.)_。

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