墓前にて誓う
未明に降った雨のせいか、澄み渡る空は雲ひとつなくて、斜面の草を撫でていく風が心地よい。
山の緩やかな傾斜地にある墓地には、朝の静けさが漂っていた。
耳を澄ませば、遠くで鳴く蝉の声と、木々の葉ずれだけだった。
諒は線香の束に火を点け、その小さな炎が消えないように手で覆いながら線香立てに立てる。
隣では文菜が、持ってきたばかりの花束を花立てに丁寧に挿している。
白と淡い紫の菊、昨日供えたひまわり、恐らく伯父か義兄が供えてくれた百合――。
どの花も、朝の日差しを受けて優しく揺れていた。
墓石に水をかけると、冷たい水が石の表面を滑り落ち、きらきらと太陽の光を反射して広がっていく。
まるで時間が止まったかのような、静謐な一瞬だった。
二人で並んで、目を閉じて手を合わせる。
俺はしばらく目を閉じたまま、心の中で呼びかけるように言葉を探し、それから静かに口を開いた。
「父さん、母さん、話がある」
目を開けると、視線を文菜の方へ向ける。
スカイグレーのノースリーブに、真っ白なスカート。
その裾が、そよ風にふわりと揺れている。
遠くで、風鈴の音がかすかに鳴っている。
光を受けた文菜の輪郭が、やわらかく浮かび上がる。
「文菜、君にも」
文菜が小さく首を傾げて耳に髪を掛ける。
「なあに」
答える声には、ほんの少し緊張が滲んでいた。
俺は一度深く息を吐くと、静かに片膝をつく。
乾いた草の感触がズボン越しに伝わってくる。
見上げると、文菜は胸の前で両手を握りしめ、驚いたように瞳を見開いていた。
その瞳は、陽の光を映して、いっそう澄んで見える。
唇を軽く湿らせ、喉が鳴る。
さらさらと風が吹き抜け、文菜の髪とスカートをふわりと撫でていく。
目の前で、じっと自分の言葉を待っている。
「……文菜、ずっとそばにいて欲しい。……俺と結婚してください」
差し出した手のひらがわずかに震えていたのを、自分で感じていた。
けれど文菜は、何のためらいもなくその手を取った。
華奢な両手で、そっと包み込むように。
「うれしい、諒くん、よろしくお願いします」
顔を上げる。陽の光を浴びた文菜の笑顔が、まぶしいほどに輝いていた。
その唇が、感情をこらえきれずに小さく震え、瞳の奥からあふれる想いが、そのまま表情ににじみ出ていた。
俺の手を握る指先に、わずかな力がこもる。
その笑顔に引き込まれるように、もう一度、表情をゆるめて笑う。
文菜の手をそっと包み込んだまま、ゆっくりと立ち上がる。
まばたきのたびに光を滲ませる文菜の瞳。
言いたいことがきっとたくさんあるのに、口元は何も形にできず、ただそっと開いたまま、言葉が見つからずに閉じられる。
両手は胸に添えられ、こみあげるものがあるのだろうか、息をするのも少し苦しそうに見えた。
俺はポケットから、小さなケースを取り出す。
文菜は黙って、その動作を見つめていた。
ケースを開くと、中には淡い緑色の翡翠がついた指輪が入っていた。
それをそっと摘み取り、文菜の左手を取る。
「これ……母さんの指輪なんだ。サイズが合えばいいんだけど」
震える薬指に、慎重に滑らせると、小さな音もなく、指輪はぴたりと収まった。
「……ピッタリだ……」
文菜は目を丸くし、指輪をつけた手を裏返したり、陽の光にかざしたりして眺める。
その指の間から、銀色のリングがやさしくきらめいていた。
「お母さんの大切な指輪……翡翠の……」
その声は感極まったように、そっと震えていた。
「ごめん、時間なくて……でも、今日伝えたかったから。今度、ちゃんとした指輪を渡すよ」
「ううん、それはお母さんに失礼だよ」
文菜は小さく首を横に振る。
「他の人はどうか分からないけど、私は嬉しい。すごく嬉しいよ」
「そっか、そうだな、母さんゴメン」
墓石に向かって頭を下げる。
「……諒くん、ありがとう……」
そのとき、文菜が一歩、ためらうように近づいてきた。
指輪を見つめていた瞳が、そっと俺を見上げる。
何か言いかけて、言葉にならず、唇を噛む。
まぶたが伏せられ、呼吸をひとつ整える。
一瞬、迷いを含んだまなざしが揺れて――
それでも決意を込めるように頷いた。
小さく息を吸い、そっと背伸びをする。
そして、ほんの一瞬、やわらかな唇が、頬に触れた。
それは羽のように軽くて、けれど確かなぬくもりを残すキスだった。
唇を離したあと、文菜は恥ずかしそうに頬を赤らめて、ふいに目を逸らした。
風に吹かれて揺れた髪が、頬にかかる。
それを指先でそっと払いながら、小さく笑う。
「……どうしても……伝えたくなっちゃって」
耳までほんのり赤く染まっていて、それを隠すように、両手で頬を包むようにしてうつむいた。
けれど隠しきれない笑みが、唇の端にふわりと浮かんでいる。
俺が見つめていることに気づくと、文菜は少しだけ戸惑いながらも、目を上げた。
その瞳は涙ぐんでいたが、それ以上に、喜びと安堵に満ちていた。
「夢みたい……」
呟くように言ったその声はかすかに震えていて、それでも今この瞬間をしっかりと受け止めようとする、決意のようなものが込められていた。
そしてまた、俺の手を両手で包み込む。
「ほんとに……ありがとう。こんなに大切なもの、私がもらっていいのかな」
指輪の嵌った手を胸元にそっと添え、微笑む文菜。
その姿は、風に揺れる木漏れ日の中で、まるで一枚の絵のように穏やかで、美しかった。
俯き加減で見上げる文菜に、心がそっと支配されていくような感覚があった。
何か、冗談でも言わないとこの胸の高鳴りを隠せない気がして、口を開きかけた……。
けれど、今この瞬間は、ふざけてごまかすよりも、ただ一緒にいることを大切にしたかった。
「似合ってると思う……ありがとう、文菜」
文菜は少しだけ首をすくめて、俺の顔の前に左手をそっと差し出した。
指先には、さっき渡したばかりの指輪が陽射しを受けきらめいている。
「諒くんからの、初めてのプレゼントなんだよ」
その仕草に、不意に微笑みがこぼれる。
すると文菜も、それに応えるようにふわりと笑い返してくれた。
「じゃあ、行こうか」
「うん」
差し出した手を、文菜はしっかりと握り返してくれる。
その細く温かな指先の感触が、まるで心そのものに触れているように思えた。
見上げた空は高く、どこまでも透き通っていた。
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