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カゲヌシ  作者: ぽんこつ


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八年越しの想い

挿絵(By みてみん)

諒は文菜を家まで送り届けると、そのまま車をゆっくり走らせ、角を曲がった先で道路脇に車を寄せて停めた。

エンジンを切ると、しんとした夜の気配が一気に車内に流れ込んでくる。

住宅街の街灯には、光に誘われた虫たちが群がり、風に揺れる葉の音が小さく窓を叩いた。

ハンドルに額を預けた。

疲れている訳ではない。

ただ、文菜と一緒にいたことで、自分が確実に変化しているのを痛感した一日だった。

学生時代、文菜に好意を抱いていたのは確かだが、それ以上を望んだことはなかった。

でも今は――、

自分の心の中を文菜が占めている。

その存在を思うだけで、優しくなれる自分が怖かった。

一呼吸おいて顔を上げ、夜空を映すフロントガラス越しに、アスファルトを照らす光をぼんやりと眺めた。

カゲヌシの調査の方も少しずつ進んでいる。

遠い昔の歴史が、今へと繋がっているのを感じる。

羽代という旧姓に纏わる怨霊、それを鎮めた慎哉の祖先の陰陽師。

人柱となった文菜や聡の先祖たち。

どうして、こんなにも因縁が重なるのか。

偶然なのか。

明智なら、迷いなく必然だと言い切るだろう。

両手を組んで伸びをすると、小さくため息が漏れた。

ポケットからスマホを取り出す。

飛田五月と義兄。

どちらに連絡を入れるべきか――

スマホの画面に反射する街灯の光を見つめながら、短い迷いの末に義兄の番号をタップした。

まずは義兄の真意を確かめたかった。

ほどなく、義兄は電話に出た。

「おう、諒か。どうした?」

その声が、昨日よりも少しだけ弾んでいる――

そんな気がした。

「……もしもし、義兄さん。今から出れる?」

「ああ、構わんが」

迷いがない声。

「……相談があるんだ」

声の震えが気になって、舌先で口の中を濡らすようにして言葉を整える。

「そうか、じゃあ……ファミレスで10分後でいいか?」

「ありがとう……え、10分後?」

言い終わらないうちに、プッと短いクラクションが響いた。

バックミラー越しに、後ろの車のライトが止まる。

「偶然、親父の車を見掛けてさ」

「……そう」

「じゃあ……あとで」

通話が終わると、後ろの車は動き出し、追い越して行った。

テールランプの赤が闇の中に消えていく。

深く息を吐いた。夜の底に溶けるような、胸の奥の不安と決意の入り混じった吐息だった。

「偶然ね……」

再びハンドルを握り直すと、暗いフロントガラスの向こうに滲む街灯を見つめた。

どこからつけていたのか。

なぜ、つける必要があったのか。

会ってから確認すれば済む話だけど。

義兄が俺を島から出したい思いは本音だろう。

両親の事故死や刑事の不可解な事故。

もしかしたら、義兄自身も似たような経験をしているのかもしれない。

要するに、それだけ気に掛けてくれている証拠でもある。

義兄の声に、どこか頼もしさを感じていた。

あの人ならきっと大丈夫だ。

この夜の先に、何が待っているのか。

それはまだ分からない。

けれど、確かめなくてはならない。

大切な人を守るために。

エンジンをかけると、ヘッドライトの白い光が夜の闇を切り開くように広がった。

夜風が再び窓を打つ。

その音さえも、背中を押してくれるように思えた。


ファミレスに着くと、義兄はすでに席に座っていた。

店内は夜の客でそこそこ賑わっていたが、義兄は端の窓際で、どこか余裕の表情を浮かべてコーヒーカップを片手に持っていた。

昨日よりも幾分、顔色が明るい気がした。

「で、なんだ。島を出る報告か?」

コーヒーを口に運びながら、義兄が軽く顎を上げて問いかける。

その声が、いつもより柔らかい。

「その逆だよ」

深く息を吸い、テーブル越しに義兄を見た。

「なんだって?」

義兄の眉がぴくりと動き、薄い笑みが消える。

「ていうより……どこからつけてたの?」

少しだけ声が硬くなるのを、自分でも感じた。

「ん?」

義兄は、飲みかけたカップを止めた。

「そんな偶然、伯父さんの車を見かけたなんて、妙すぎるだろ」

義兄は一瞬きょとんとした顔を見せた後、ふっと口元を緩めて笑った。

カップをテーブルに置くと、肩を揺らして小さく笑う。

「ああ、ちょっと用があって、あのホテルに行ってたんだよ。そうしたら、お前が彼女と出てきたってわけだ」

「……そう」

真っ直ぐ見つめる義兄の視線に嘘はないように――

思う。

彼女と言われた瞬間に文菜の顔が浮かび、俯いて小さく息を吐く。

「その、用事ってなんだったの?」

「ん?」

そのまま、少しの沈黙がテーブルを挟んだ。

店内のざわめきが、妙に遠くに感じられる。

俺は、義兄の言葉を待った。

どちらの問いかけも遠回しだけど、決意は義兄には伝わったはず。

俺はカップに口をつけ、そっと受け皿に置く。

「……ある人物をマークしていた。根元宗顕ねもと むねあきという男だ」

義兄は組んだ腕をテーブルの上に乗せ、声を潜めた。

「根元って……本家の?」

自分でもわかるくらい、声がわずかに震えた。

なにかが繋がっていく期待と不安。

「そこで、その根元宗顕は何をしていたの?」

「今日、瀬田神社で映画の撮影があったろ、その打ち上げのようだ」

「……なるほど」

「根元……宗顕、気になるのか?」

義兄の目が細くなり、底の見えない海のように冷たい色を宿した。

「まあね」

「本気か?」

「何についてか……だけどね」

静かに息を吐いた。

沈黙がまた降りる。

「そう言えば、義兄さんはどうして家を出たの?」

「ん?」

虚を突かれたようで、義兄は顔を突き出した。

「色々あってな……」

どこか答えづらそうに視線を逸らすと、そこで言葉が切れてしまう。

またしてもはぐらかされる。

義兄は苦笑いを浮かべて、首をかしげた。

「そっか……」

俺は小さく呟いた。

義兄は一瞬、目を伏せて肩を揺らした。

その笑いは、どこか自嘲めいて見えた。

「……俺もお前には甘いわ」

だが、顔を上げると、その笑顔はすっと引いて真剣な眼差しで俺を射抜いた。

「ここのところ、山王神社の出入りが妙に激しい。何かあるのかもしれん」

義兄は背もたれに深く身を預け、天井の灯りを仰いだ。

その光が義兄の顔に陰影を作り、その表情をより鋭く見せた。

指先でテーブルの縁をとんとんと叩きながら、ゆっくりと話し始める。

「どうしてそう思うのか、今の山王神社の宮司は夜明友昭って爺さんだが、高齢でな。実際に仕切ってるのは息子の友一だ。そいつの息子――孫の洋一が、深夜に神社へ出入りしているのを何度か目撃している。それと、さっき言った根元宗顕。根元宗家の当主だ。もうかなりの高齢だが、ここ数日、神社に頻繁に顔を出してる」

俺は黙って聞いていたが、指先がテーブルの縁を擦っていた。

「ちなみにだが、叔父さんの事故当時の山王神社の宮司は、その根元宗顕だ」

背筋がぞくりとした。義兄の目は、俺を深く見据えている。

「なるほど……じゃあ、僕の番だね」

俺は手帳を取り出し、これまでの調査と知っている限りのことを、淡々と語った。

話しているうちに、何かが解けていくような、ホッとするような気がしていた。

義兄の視線は鋭いが、どこか優しさも含んでいるように思えた。

あの、ドライブに誘ってくれた時のように。

「……お前、一人で調べたのか?」

義兄の目と口が大きく開かれ、驚きと誇らしさが入り混じった表情が見えた。

「いや、協力者してくれる人がいる」

その言葉に義兄の顔が綻び、小刻みに頷く。

「そうか……」

義兄は、笑みを湛えたまま、ゆっくりと手を差し出してきた。

その手の甲には、細かい傷跡がいくつも走っていた。

俺はその手を握り返した。義兄の手は温かかった。

「叔父さんの仇を取ろうってわけじゃない。ただ……無念を晴らしたいんだ。何があったのか知りたい。それから、お前に直接関わることだ。何があるか分からない。聞くだけ野暮だが……覚悟は出来てるんだろうな?」

俺は目を閉じ頷く。

「それで……俺もその協力者の仲間に入れてもらえるのか?」

「もちろんだよ、義兄さん」

義兄は、ほんの少し目を細め、嬉しそうに笑う。

「車じゃなきゃ……呑みたいところなんだがな……」

そう言って、コーヒーに口をつけた義兄は、わずかに肩の力を抜いたようだった。

「だね……義兄さん、夜明友昭に会いたいんだけど、山王神社に行けば会えるかな?」

「ん……どうだろうな。最近は神社にはあまり顔を出してない。自宅にいると思う。住所はスマホに送っておく」

「……ありがとう」

義兄は鞄を開き、何枚かの写真を取り出すと、辺りをさっと確認してからテーブルの上に並べた。

「これは?」

「まず、これが根元宗顕だ」

そこには望遠で撮ったらしい一枚の写真。長い顎髭をたくわえた老人が、ゆっくりと車から降りているところが映っていた。皺だらけの顔だが、目だけは異様に若々しく、ぎらりとした光を放っていた。

「そして、これが夜明友昭と孫の洋一」

神社の境内らしい背景と装束姿。

友昭は髪が薄くなった短髪、いかにも穏やかそうな老人。

洋一は短髪で、にこやかな笑顔を浮かべて参拝客を迎えていた。

「これが、夜明友一だ」

オールバックの髪型に、目つきの鋭い顔。

まるで裏社会の人間みたいだ。

神社の境内で、女性参拝客と話している場面だった。

「こっちは根元義信。宗顕の息子で夜明友一と一緒に山王神社の禰宜をしている」

境内の写真。義信は顎髭を蓄え、どこか威圧感のある顔つき。

周囲には伯父や瀬田神社の宮司、僧侶らしき人物が立ち並んでいた。

「そして……これが根元順次。義信の息子だ。夜明洋一とは同窓のようで、よく一緒にいる」

遊び人風の男が女性と並んで笑っている。どこか軽薄そうなその笑顔に、なぜか腹立たしさがこみ上げた。

「義信には娘が二人いるが、今のところ関係ないと思ってる。ただ……山王神社へ行くときは、気をつけろよ。おそらくお前の顔は割れてる。それに……」

「ん?」

ふと、義兄がテーブルの向こうから真っ直ぐに俺を見つめた。

その瞳の奥には、ひとことで言い表せないような複雑な色が宿っていた。

そして、口角をほんの少しだけ持ち上げる。

「そういえば、さっきの彼女って高校の時の、あの子だよな?」

予想もしなかった義兄の言葉に、自然と視線を落としてしまう。

「ああ、そうだけど……」

声が少しだけ掠れていた。

義兄は一瞬だけ目を細めると、やわらかな笑みを浮かべた。

「そうか……」

「どうしたの?」

問いかける俺の声に、義兄は肘をテーブルにつき、指先でコーヒーカップの縁をゆっくりとなぞり始めた。

「いや……当時お前、俺には面白い子だと話していたじゃないか」

「ああ、そうだったっけ……」

記憶の中で、あの頃の景色が曖昧に揺らぐ。

義兄の指がふと止まる。少し首を傾げ、やわらかな瞳で俺を見つめた。

「あの子、初詣来てただろ?」

「……そうだね」

義兄の視線が、再び真っ直ぐに俺へ向けられる。

黒目が少し潤んで見えたのは気のせいか。

「話している二人を見て、てっきり付き合ってるのかと思ったよ」

「……見てたんだ」

声が少し震えていた。

「そりゃあな。友達一人連れてきたこともないお前が、バイトそっちのけであんな楽しそうに喋ってるんだもんな」

「……」

義兄はふっと息を吐くと、笑みをひそめ、少し顔を伏せる。

それから、急に真剣な眼差しになって、低い声で続けた。

「卒業式のあと、何日か経った頃だったかな。あの子、神社に来てたんだ。昼間なのに雪がちらついて、やけに寒い日だった」

「……」

「お前、卒業式のあと彼女と連絡取ってなかったろ」

「ああ、まあ……」

自分の声が、どこか遠い響きになった。

「“東京に出るから、島でのしがらみを全部忘れたい”って言ってたな」

「……そうだった」

義兄は視線を少し泳がせ、記憶を辿るようにまぶたを閉じていた。

「でもさ……あの子、あまりにも寂しそうだったんだよ。お前のこと、諦めたような顔してさ」

「……」

「だから、俺……お前が出発する日時を、あの子に教えたんだ」

「……?」

「会ったか?」

「……いや」

思わず目を伏せる。

義兄が吐いた息の音が、あの日の風のように微かに耳に残った。

「そんな気がしてた……でも、どっかでお前のこと見送ってたんじゃないかな」

「どうして分かるの?」

「13時のフェリーで行っただろ?」

「……」

「15時くらいだったかな。真っ赤な目をした彼女が来て、お前への手紙を託された。“お兄さん、ありがとう”って言って、帰っていった」

「……手紙?」

初めて聞く事柄に、声が詰まった。

義兄はどこか後悔するような、けれど慈しむような目で俺を見た。

「当時な、お前の気持ちを優先したくて……俺の手元に置いておいた。でも、間違ってたのかもしれない」

「……」

「責めるつもりはないさ。ただ、俺はお前に、あの子みたいな子が一番合ってると思ってたんだ。だからさっき、二人でホテルから出てくるのを見て、ホッとしたよ」

「……義兄さん……」

義兄は少し照れ臭そうに目をそらし、それからまた真顔に戻った。

「結婚は?」

「いやそれは……」

頬が少し熱くなる。

「どういう経緯で付き合ったのかはしれないが、大切ならいつでもいいんじゃないか、失ってからじゃ、会う事さえ話す事さえできないんだ」

「……大袈裟な……」

思わず、口の端が少しだけ上がった。

「……俺にとって、叔父さんや叔母さんはそういう存在だった。実の親よりもな」

胸の奥で小さな罪悪感のようなものが疼いた。

義兄はいつもこうして、俺の背中を押してくれる。

「……案外おせっかいなんだな義兄さんは」

「兄弟だろ」

その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた気がした。

「義兄さんの方は?彼女?」

「ああ、おれもいるにはいるにはが」

義兄が口元を指先で掻きながら、困ったように笑う。

「俺が手貸そうか?」

「ハハハ、この一件が片付いたら紹介する」

「俺には、急かせといて」

義兄は声をあげて笑った。ふと真顔に戻り、目を細めた。

「ハハハ……おれは引き続き根元、夜明をマークするでいいか?」

「是非、お願いします」

義兄は立ち上がり、鞄の中から一通の手紙を取り出すと、テーブルにそっと置いた。

その手紙は、どこか重い過去を背負っているように見えた。

義兄の背を見送ると、胸の奥で熱いものがこみ上げてきた。

ずっと気づかないふりをしてきた何かが、今ようやくほどけ始めていた。

その背中が、少しだけ頼もしく思えた。


ファミレスを出て車に乗り込みルームライトをつける。

薄明かりの中で映える、シンプルなデザインの手紙の表面には、見覚えのある柔らかな筆跡で――「香取諒様」へと書いてある。

恐る恐る封を切ると、中には便箋と一枚の写真が入っていた。

卒業式の日――文菜の母が撮ってくれた、俺と文菜のツーショットだった。

桜の木の下で、少し恥ずかしそうに笑う文菜と俺。

あの日の春風が、写真の中からそっと吹き抜けてきた気がした。

便箋に目を落とす。

「諒くんへ

卒業式の写真が出来たよ。

楽しい思い出ありがとう。

東京に行っても体に気を付けて頑張ってね。 文菜」

便箋を持つ手が小さく震える。

「なんだよこれ……」

思わず、声が漏れる。

声に出すことでようやく実感する。

あの日、文菜は――何も言わずに、責めもせずに、ただ「頑張って」と、自分を見送ってくれていたのだ。

今、こうしてまた隣にいることが、どれだけ奇跡に近いことなのか。

あの頃のように、変わない笑顔で、寄り添ってくれている。

自分をそのまま受け止めてくれる人が、ずっとそばにいたんだ。

最初から居場所はあったんだよ。

何かが喉の奥に詰まったようで、息がうまく吸えない。

唇をかすかに震わせながら、手紙を膝の上に置いた。

──どうしてだろう。

ゆっくりと頬をつたう熱い雫に、気づくまで少し時間がかかった。

手の甲で拭ってみても、次から次へとあふれてくる。

苦しいほどに胸がきしみ、喉が詰まり、声にならない声が漏れた。

ただひとり、闇に包まれた車の中で泣いた。

初めて生きている人を想って涙が出た。

俺は封筒を静かに畳み、胸ポケットにしまった。エンジンをかけ、ギアをドライブに入れる。

文菜を、もう二度と、ひとりきりにはしない――。

お読み頂きありがとうございます_(._.)_。

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