邂逅
8月3日木曜日。
神社の境内には、朝の挨拶に来た雀たちがチョンチョンと地面を飛び跳ねていた。ここの所、天気は良くてこの時間でも気温は上がっているようだけど、時折、山から吹き下ろす風がサッと流れ気持ちよさを運んでくれる。
あれから何事もなく日常が過ぎて行き、あの日の霧が晴れた山のように、影の男の話題も自然と人々の口から消えていった。
代わりに、島の中では映画撮影の話題で持ち切りで、何処そこで俳優の誰々を見掛けたとかいう噂話が飛び交っている。
けれど、聡にとっての楽しみは、芸能人に会うことではなかった。映画のシーンの一環で、10日に先輩達の神舞がもう一度披露される――それこそが、心から待ち遠しい。
先月の瀬田神社のお祭りで初めて見た、先輩たちの神舞。それはただ美しいだけではなかった。まるで神様がそこに降りてきたみたいに神聖で、どこか懐かしくもあって、見ているうちに胸の奥がじんわりと温かくなり、気づけば涙が溢れて止まらなくなっていた。
あんなに自分の心が惹きつけられた出来事は生まれてこの方なくて、生まれて初めて、「やってみたい」という気持ちが心の底から自然と湧き上がってきた。その衝動に突き動かされて、両親に自分から話を切り出したのは、それが初めてだったかもしれない。両親は驚くほどすんなりと賛成してくれて、むしろ嬉しそうだった。
けれど、すぐに不安が押し寄せてきた。本当に、私にできるんだろうか?
運動は得意じゃないし、人前に立つのも苦手。ピアノの発表会の時もステージから会場のお客さんを見た時に頭の中が真っ白になって演目とは違う曲を弾いてしまった。
ピアノも書道も、もともとは親に勧められて始めたものだったけど、今では気が向いた時に弾いたり書いたりできる、自分だけの気晴らしになっていた。そして御朱印を書いたりする今の自分にとって、結果的にその経験が役立っていることも、素直にありがたいと思っている。
夏休みに入る前、神舞のことを先輩たちに尋ねた時、「私たちは小さい頃からの幼馴染で、姉妹みたいなもんだからね」と笑って話してくれた。その息の合った舞は、やはり特別だった。
私も、誰かと一緒に踊りたい。
そう思って、何人かの幼馴染に声をかけた。でも、全員に断られてしまった。「古臭い」「めんどくさい」「興味ない」…どの言葉も、胸にちくりと刺さった。
でも神舞は一人では行えない。一人でも応募は可能だけど、4月に選考が決まり、7月の本番まで3ヶ月しかない。出来れば気心の知れた友達と二人で応募したいという思いは、今も変わらない。
そんな事を考えながら磐座のお清めの準備をしていると、背後で人の気配がした。
振り返ると、そこに立っていたのは、いつもの年配の男性ではなく、黒いゴシックロリータ風のワンピースを着た少女のような女性。
金色のヘアアクセサリーが太陽の光を受けてきらりと光っていた。
神社という場所にはまるで不釣り合いな姿。
けれど、その存在はなぜか場に溶け込んでいて、不思議と違和感はなかった。
身長は同じくらい。
顔立ちは幼くて……もしかしたら自分より年下かもしれない。
「おはようございます」
「んだ、おはよう」
目を細めたまま発した女性の言葉は風貌に似つかわしくなく、思わず目をパチパチさせた。
「お参りですか?」
「んだ、ちょっと磐座さ、挨拶に来たんじゃ」
「挨拶?」
「この島さ不思議じゃでな…ん?」
女性はこっちを向いて目を見開く。思わずドキリとする。大きくてクリッとした瞳。かわいいのに、さっきまで目を細めていたのはどうしてだろう。
「ん?それは眩しいからじゃ」
「え?」
心の中をまさに見透かされた。
「ん?」
「私の心、読めるんですか?」
「ん?」
しばらくジーッと見つめていると、女性は見るからに「しまった」という感じで頭をポリポリと掻いている。
「あの…」
「……勘じゃ、勘…」
明らかに嘘…絶対、この人には見えるんだ。冴ちゃんみたいな人なんだきっと。
しばらく見つめ合っていると、女性は目を細めたまま、にやりと口角を上げた。
「あんたさ、自分のご先祖様さ大事にするんじゃ、さすれば願いも届くじゃろうて」
「え?」
何のことか、すぐには理解できなかったけど、その言葉は胸の奥に不思議と残った。
「まなさーん、行くわよ」
甲高く明るい声が境内に響き渡る。振り返ると、日傘を差したロングヘアの女性がオレンジ色のワンピースをひらめかせながら手招きしていた。
「んだば」
女性…「まな」さんは大きな声に導かれる様に、小さく手を振り歩き出した。その姿を目で追うと年配のスーツ姿の男性、声をかけた女性と三人で楼門を潜って行く。
頭を下げて、その背中を見送る。
それにしても心の中が読める人に会うなんて…そういえばあの男の人も…社務所の座敷で会ったあの日以来、見掛けていない。
「ご先祖様か…」
お墓参りは毎年行っているけど、あまり気にしたことがなかったかな。でも、大事にするってどうするんだろ?ただ墓参りをするだけじゃ、足りない気がする。
「いけない……」
ハッとして、もう一度磐座の前に立ち直った。
「あれ?今日はあの人来てないな」
振り向いて人のいない境内を見渡す。ミンミンゼミの鳴き声に合わせる様に木漏れ日がキラキラ揺れていた。
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