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カゲヌシ  作者: ぽんこつ


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52/95

送り主の行方

挿絵(By みてみん)

建物の角からそっと覗き込むと、縁側の先に庭が広がっていた。

草木が鬱蒼と茂るその奥に、一本の古木が静かに佇んでいる。

幾世代もの時を超えてきたその巨木の幹には、白い紙垂しでがいくつも巻かれていた。

生い茂る緑のなかで、それは異様なほど白く、まるで浮かび上がるように見える。

風に揺れるたび、どこからともなく、かすかに……鈴のような音がした。

耳を澄まさなければ聞き逃すほどの、か細い音。

諒は振り返り、不安げな瞳で見上げてくる文菜に、声を抑えて話しかけた。

「文菜、いいかな。ちょっとここで待ってて、すぐ戻る。……ついてきちゃだめだよ」

「え? あ、うん……」

胸の前で手を組んだ文菜は、小さく頷いた。

俺は微笑みを残して、ゆっくりと向きを変える。

膝の丈ほどの伸び放題の草むらに向かって一歩踏み出す。

さっき振った雨のせいで足元はぬかるんでいる。

草を掻き分ける度、水滴が飛び散り、ひやりと肌を打つ。

家の中には人の気配は感じられない。

古木の幹には、一枚の写真らしき物が大きな釘で打ちつけられていた。

まるで、丑の刻参りの藁人形のように。

スッと風が抜けると、古木の葉からパラパラと滴が零れてきた。

写真は風雨にさらされ、色も形も滲んで、もはや何が写っていたのか判別できないほどに劣化している。

片手を幹に添え、釘に指をかけた。

力を入れると、思いのほかあっさりと抜け、ストンと音を立てて写真が地面に落ちた。

拾い上げて裏返すと、文字がうっすらと浮かんでいる。

原型はほとんど失われていたが、俺には読めた。

なぜなら——

ほんの少し前、その文字と同じものを目にしていたから。

そこにはこう書かれていたはず。

「重岩にて、高太郎、珠代。昭和43年撮影」

さすがにこれは文菜に見せる気にはなれなかった。

……珠代さんに、何か恨みを抱いていた人がいたのだろうか?

古木の根元に目を移す。

濡れた地面には、使いかけのろうそくの痕や、雨で溶けた紙片のようなものが散らばっている。

呪符の類だろうか。

風化の跡が深く、何年、いや何十年も前から、ここにあったのかもしれない。

地面の近くの幹にくりぬいたような空間がある。

しゃがみこんで、それを覗くと、中に置物のような物がある。

二つ?

陰で良く見えないので手を突っ込んでみるとカサッと、何かが中で倒れた。

手探りでそれを探し掴んだ瞬間、ピリッとした電気が走るような感覚が掌に伝わった。

慎重に手を引く。

それは掌より少し大きい、円筒形の木だった。

角度を変えて見てみると、微かに彫られたような形跡がある。

人形?

そんな気がした。

僅かに頭と思える部分と体と思える箇所の間が細い。

もう一度、空間に手を伸ばす。

今度はさっきの感覚はなく手にすることが出来た。

見比べても、最初に取った物と大きさや形に大差はない。

人形が二つ。

釘で打ち付けられた二人が写る写真。

呪詛?

パッと、頭に思い浮かんだのは、やはりそれだった。

そして、鞄から取り出したスマホで、木の人形や穴、その根元、紙垂を纏う幹を写真におさめる。

さすがに木の人形は元あった場所に戻す。

静かに立ち上がり、手にしていた写真をショルダーバッグにしまい込んだ。

もう一度、辺りを見回す。

草木は自由奔放に伸び、目立った手がかりは見当たらなかった。

大きく深く息を吐く。

縁側のガラス戸の中を覗くと、薄暗い室内の馬のちゃぶ台の上に湯飲みが二つ置かれているのが見えた。

両手を顔に添え、ガラス越しに明るさを遮って目を凝らす。

視界の奥で、ボーン、ボーン……と振り子時計の音が響いていた。

誰かがまだ、この家で暮らしているのは確かなようだ。

ふと気になって古木に目をやる。最初に木に紙垂が巻かれているのを見て、異様、奇妙と思ったが、写真や人形を見た今思うと明らかに儀式の痕跡だと思う。

ただそれは最近のものではない。

「ん?」

古木の背後の山の上、なだらかな稜線に、ぼこっと突き出た重岩が見えた。

庭の全景と、その背後の重岩を何気なくスマホに収める。

そっとポケットに仕舞い、歩き出す。

自分が踏みならした小径を辿り、草の中を進み、家の角を回ると――

そこに居るはずの文菜がいない。

「文菜……?」

小さな声が風に溶ける。返事は、ない。

慌てて玄関前まで戻る。

姿はない。

家の扉に手をかけるが、鍵は掛かったままだ。

「文菜……」

もう一度、絞り出すように呼ぶ。

息を呑み、足音を殺して道路まで走り、左右を見渡す。

少し離れた空き地に止めてある車の中にも姿がない。

ひりひりとした焦りが思考を停滞させる。

「あっ、諒くん」

足元から声がする。

「!」

そこに、文菜はしゃがんで猫を撫でていた。

思わず天を仰ぐ――

大きくため息が漏れ、そのまま深く息をつきながら、膝に手を当てる。

「……いないから、びっくりしたよ」

「ごめんね、この子が、足に纏わりついてきて……じゃあね」

猫は、まさに猫なで声を上げ、名残惜しそうに立ち上がった文菜を見上げていた。

「何かあったの?」

文菜はキョトンして首を傾げている。

「ああ、いや、あの、何か儀式のような物を行った痕跡はあった……」

普段しないような身振りをしたせいだろう。文菜の顔に笑みが浮かぶ。

「……よく分かんないけど」

焦りを抑えようとして、また余計な手振りが付く。

文菜は優しく見つめている。

その笑みを見たら、自然と笑っていた。

「諒くん、儀式って?」

「うん。――あ……いや、何の儀式かは分からないけど……」

口にした瞬間、しまったと思った。

言うつもりじゃなかった。

あの庭で見た光景は、どうにも不気味で、文菜には話すべきじゃない気がしていた。

だからこそ、文菜を残した理由でもあるのに。

「……とりあえず、車に戻ろう」

わざとらしく咳払いしながら、視線を逸らす。

文菜の横顔がこちらを見ようとした気配を感じ、何でもないふうに歩き出す。

「はい」

文菜はトコトコと駆け寄り、二人で並んで歩く。

穏やかな時間が戻ったかに思えた。だが――

前方から、ビニール袋を片手に下げた老人がこちらへ向かってくるのが見えた。

すれ違いざま、老人はほんの一瞬、視線を逸らさずに文菜を見つめた。

誰だ……?

無意識に、文菜との間に一歩体をずらして立つ。

見たことのある顔ではない。グレーのスウェットの上下。寝ぐせのついた白髪頭、日焼けした顔。やつれた頬に無精ひげを蓄えている。

老人は何も言わず、ゆっくりと通り過ぎていった。

それでも、ざらりとした違和感が残る。

軽く後ろを振り返る。

老人もまた、同じようにこちらを振り返っていた。

視線がぶつかる。

何かを確かめるような目だった。

思わず足が止まる。

「……諒くん、どうしたの?」

横で文菜が声をかけてきた――そのとき、

老人も首を傾げながら、俺たちに声をかけてきた。

「あの、もしかして……真名井さんではありませんか?」

突然自分の名前を呼ばれ、文菜はきょとんとしたあと、戸惑うように一歩、足を引いた。

老人は文菜の顔をじっと見つめたかと思うと、両手を前に出し、何かを呟きながらゆっくりと近づいてきた。

「珠代さんに……生き写しじゃ。若い頃の珠代さんに……」

その目には、確かに涙が浮かんでいた。

「失礼ですが……?」

文菜の前にそっと半身を出し、低い声で問いかける。

「ああ、すまないな。わしは根元勝太郎ねもと かつたろう。……しかし、よぉ似とるのぉ」

目を細めながら、懐かしそうに文菜を見つめている。

「一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか?」

「なんじゃろう」

「……高太朗たかたろうさんは、今どうされてますか?」

名前の読み方が勝太郎かつたろうと訓読みであることから、高太朗も同様に「たかたろう」と読むのだと確信が持てた。

「ん……? なぜ、その名前を?」

勝太郎の顔に、わずかに警戒の色が浮かぶ。

俺は小声で文菜に訊いた。

「見せてもいい?」

文菜は黙って、こくりと頷いた。

俺は文菜の祖母、珠代と高太朗が一緒に写った、写真を取り出し、老人に見せた。

「これは……なんと……。あいつは……バカ者だった……」

勝太郎は写真をじっと見つめ、目を細めた。口元に微かな笑みが浮かぶが、それは寂しげなものだった。

「この写真の経緯について、高太朗さんからお話を伺いたいと思いまして」

「そうですか……ここじゃなんですから、家はすぐそこです。寄っていきなさるか」

「ありがとうございます」

「……そうか、珠代さんは……」

もう一度写真に視線を落とし微笑み浮かべ小さく頷くと、写真を静かに返してきた。

文菜は黙ってじっと遣り取りを聞いたいた。

三人は言葉少なに、勝太郎を先頭に家へと歩き出した。

文菜は黙ったまま、その背を見つめていた。

「何もお構いできませんがね」

勝太郎は玄関の鍵を開けながらそう呟いた。

家の中は、外観の印象に反して綺麗に整えられていた。

ただ、よく見ると物が極端に少なく、整っているというよりは閑散としているようにも思える。

縁側から見えた居間に通された。

「お客様でしたか?」

「……ああ、本家のな。客言うもんじゃない」

どこかに嫌悪感を滲ませたような言い方だった。

老人は湯飲みを手に台所へ向かった。

俺と文菜は並んで座る。

部屋の中は、先ほど見た通り特に変わった様子はない。

やがて、老人が麦茶の入ったグラスを三つ、お盆に載せて戻ってきた。

「どうぞ」

お盆をそのままちゃぶ台に置き、向かいに腰を下ろす。

俺は持参した写真を三枚、ちゃぶ台の上に並べた。

「それで、お話というのは、その写真のことでしたな?」

「ええ。それで……高太朗さんは、今どちらに?」

「……死にました」

一瞬、空気が止まったようだった。

「えっ……?」

文菜と声が重なった。文菜は口元を覆い、目を伏せた。

「いつ……でしょうか?」

文菜の問いに、老人は遠い目をしながら言った。

「もう……何年前になるかのう……。あいつが19歳の時じゃったから、55年前になりますな」

「……そうでしたか……」

文菜は高太朗の写真を手元に寄せ、静かに手を合わせている。

それを見つめる老人の目は、どこまでも優しかった。

「ご病気か……何かですか?」

「……ああ……」

うつむいて首を振る老人の姿から、その苦しみの深さが伝わってきた。

俺はそれ以上、何も言わずに見守った。

「自ら……入水して、命を絶ちましたわ」

「どうして……」

――文菜の小さな声だった。伏せていた目を上げ、勝太郎の顔を見つめた。

「それは……」

勝太郎は、手を膝の上に置き、俯いたり天井を見上げたりしながら動作を繰り返す。

「……あいつはのう……ほんま、アホじゃった」

ぽつりと、過去の記憶を語り始めた。

「二人は中学の時に、お互いを見初めて、秘かな恋を育みはじめたんですわ」

ただ、当時は今と違って、恋愛というものに寛容ではなかった。

特に結婚となると、家の意向がすべてだったらしい。名家であればあるほど、その傾向は強かったようだ。

根元家は、土庄地区でも名の知れた大地主で、勝太郎さんや高太朗さんの家は、その分家にあたる。分家とはいえ、男子の結婚となれば本家にお伺いを立てるのが習わしだった。

一方、真名井家はごく一般的な家庭で、家柄の釣り合いという意味では、根元本家には到底及ばなかった。……という以上に、本家には真名井家を毛嫌いしていた節があったらしい。

今では、滑稽にすら思えるような価値観かもしれない。

でも、「そういう時代だった」で済ませるには、あまりにも救いがなさすぎる――

「珠代さんと、ほんまに好き合うとったんです。うちの家のしがらみも、どっちも分かった上で、……それでも、将来一緒になるつもりでおったんです」

ふたりの間に芽生えた想いは、年を重ねるごとに静かに、けれど確かに深まっていった。

けれど、高校に上がった頃、ふたりの関係は周囲に知られてしまい、お互いの両親から注意を受けたという。――別れなさい、と。

「そんな二人が不憫でな、両親が留守の時、うちの納屋で会えるよう、こっそり段取りしてやったんですよ。珠代さんは、そりゃあいい子でした。ある日、お兄さんありがとうって、自分で焼いたクッキーをくれました……」

「高太朗は、東京に出て学問を修めて、それから珠代さんを迎えにいくつもりでおったんです。……それが、叶うことはなかった。」

「ふたりの仲が、ばれたんですわ」

勝太郎は、静かに唇を噛んだ。

「どっちが先に気ぃついたのか分かりませんけどな。ある日、珠代さんの家から呼び出しがあって……そして本家の宗顕むねあきさんにも呼び出されて……あいつ、しばらく帰ってこんようになった」

「それから数日後、珠代さんが“高校卒業を機に東京におる親戚を頼って、向こうで暮らすことになった”って、町内で噂が立ちました。ほんまかどうか分からんけどな、わしは、……珠代さん、無理矢理、連れていかれたんちゃうか、って、今でも思うとる」

「それに、本家が裏で糸引いとったって話もありました。実際、高太朗にはその頃、縁談が持ち上がっとったしな」

「あいつ、それからはまるで魂が抜けたみたいになってしもうて……わしも声かけたりしたんやけど、うわの空で、何も答えへん。ただ、家の納屋で、写真をじっと見とった。何度も、何時間も……」

「それで、ある日、置手紙を残して忽然と姿を消してな……家族も警察も探したけど、何日経っても見つからん」

「置手紙には、こうありました。

『父さん、母さん、兄さん、庭の結界は壊さないでほしい。一生に一度の願いだ。壊さないでくれたら僕は珠代さんを諦める』

……さすがにわしらの両親もそれを見て、思う所があったんでしょうな。本家には黙って、真名井家にお伺いを立てに行ったそうです……時すでに遅し、珠代さんに縁談話が進んでいました」

勝太郎は、そっと麦茶を一口、喉に流し込んだ。

「それから何日かたった日、……近くの戸形の浜に、履き古した靴が、ぽつんと置いてあった。……あいつが家を飛び出した日に履いとったもんや、警察も家族も、もう分かっとったんです。……けど、身体はとうとう上がらんかった」

勝太郎の声が、かすかに震えていた。

「わし兄貴として、何もしてやれんかった……ずっと悔しうて、腹立たしくて」

勝太郎の肩に力が入り、何度も首を捻っている。

「誰が悪いんかなんて、よう分からん。けどな、あいつはほんまに、珠代さんのこと、愛しとったんです。……それだけは、間違いない」

勝太郎が話した内容は想像以上に鮮明で、残された兄としての悔しさ、怒り、悲しみ……言葉にしきれない感情がそこに込められていた。

文菜は、静かに泣いていた。

写真の中のふたりは、幸せそうに、いや、確かに幸せな表情で写っている。

沈痛な空気が部屋を包む。

文菜が、涙声で問いかけた。

「でも……なんで、ふたりは“こうたろう”“みよ”って呼び合ってたんですか?」

「……どうしてそれを?」

勝太郎は目を丸くし、やがて続けた。

「そう呼び合うようになったのは、高校に入ってからじゃな。ただ理由を聞いても笑って教えてくれんかった……この重岩の場所も、そうそう人は来んからの。ふたりのデートは、もっぱらあそこじゃった」

勝太郎の視線は、かつてふたりが愛を育んだであろう場所――重岩へと向けられているようだった。

「ちなみに、この写真と同じものが、こちらにもあると思うのですが……?」

「ああ、あったと思うが」

「今、拝見できますか?」

「ちょっと待っててな」

勝太郎は「よいしょ」と立ち上がると、襖の向こうの隣室へ入っていった。チラッと仏壇が見える。

「大丈夫?」

小声で尋ねると、文菜はうんうんと黙って頷き、唇を噛みしめながら、真っ赤になった目で笑って見せた。

「おかしいな?」

少しして、勝太郎が首を捻りながら戻ってくる。

「ありませんでしたわ」

手ぶらだった。

「そうですか……」

ふたりで写る写真は、庭にあった。

これで、文菜の家に送られてきた写真――珠代の写真が、高太朗の所持品だという事は確認はできた。

今、目の前にいるこの老人が、珠代の写真を文菜に送る理由は見つからない。

高太朗が絶望のあまり、錯乱してふたりの写真を釘で打ちつけた。

ただ、あの異様な感じ、幹に打ち付けられた写真、木彫りの二つの人形、紙垂、明らかに儀式的な匂いがする。

珠代を呪って、自分も死ぬつもりだったということなのか?

だが、なぜ“ふたり”の写真なのか。

呪う相手は一人のはずだ。珠代ひとりが写っている写真を使えばいい。

なぜそれを使わなかった?

考えられる要因はその時点で、珠代の写真は高太朗の手元になかったという事か?写真を捨てたのか?

もう一つの疑問が湧く。

自分に送られてきた写真はもしかして、高太朗が写っていたのではないか?

人物はぼやけていて判然としない。

だが、背景の重岩の画角を考えると、文菜が見たビジョンにあった、今はなき岩場から撮った可能性が高いように思う。

「すみません。誰かがこちらへお邪魔した時に、珠代さんや高太朗さんの写真を持ち出した……なんてことはありませんか?」

「それはないと思うが? ……どうしてそんなことを?」

「……私に、送られてきたんです」

俯いたままの文菜が、独り言のように呟く。

「……ん?」

勝太郎が、顔をこちらに突き出してくる。

本当は黙っておきたかった。

でも、今の文菜の心情を思えば、話してしまうのは仕方のない事だというのも分かる。

文菜は、写真が送られてきた経緯を勝太郎に簡潔に説明した。「カゲヌシ」という言葉だけは伏せて。

「……はあ……なるほど。写真が、ね……」

結局、振り出しに戻ってしまった。

でも、どこかの時点で、誰かの手に渡っていないと、今こうして手元にある写真の説明がつかない。

「あの、高太郎さんが生前、親しかった友人とかはいませんか?それも、珠代さんとの関係を知っているような」

「どうですかな……おったかもしれんけど……分かりません」

「そうですか……もし何か思い出したら、連絡いただけますか?」

「はあ、構わないが……やけに熱心ですな」

「ええ、まあ」

勝太郎は俺と文菜の顔を交互に見比べると、穏やかに頷いて膝を叩いた。

「まあ、よろしい、分かりました」

「お願いします」

俺は深々と頭を下げた。

勝太郎が携帯を差し出し、「連絡先、入れてくれるか」と言う。

番号を打ち込みながら、ふと画面を覗く。

「本家」と登録された番号を見つけ、記憶の奥に刻みつけた。

文菜は小さく息を吐くと、まっすぐ勝太郎を見上げた。

「……あの、お仏壇に……手を合わさせて頂いてもよろしいでしょうか?」

柔らかさのなかに震えを含んだ声。

「ああ、それは是非、お願いしたい。ささ、どうぞ」

勝太郎は立ち上がると、腰をかがめたまま奥の部屋へ案内した。

線香の匂いが染みついた室内は、絶やさずに、欠かさずに勝太郎が日々、高太朗の供養を続けていることがうかがえた。

細く香煙が立ち上り、りんの高い音が空間に伸びていく。

文菜は涙こそ流していなかったが、合わせた手と、肩が小刻みに震えていた。

すっとまぶたを開けた横顔が一瞬だけ笑ったような気がした。

やがて勝太郎の方に向き直ると、両手をつき、髪が畳に触れそうなほど、ぴたりと額をつけた。

顔を上げた瞳は壊れてしまいそうなほど悲しみをたたえ、うつろだった。

その後に俺も手を合わせる。

珠代を失ったことで、生きる望みさえ失った高太朗の絶望……それだけ珠代が、かけがえのない存在だった。

学生服姿の遺影の中の高太朗は、切れ長の目を細めて、穏やかに笑っていた。この笑顔の行方は、珠代に向けられたものだったのかもしれない。

もしあの世があるならば……一緒にいる事を願わずにはいられない。

そう思えるのは、今の俺だからかもしれない。

隣の文菜は、唇をそっと嚙み、高太郎の遺影を見つめていた。

真っすぐ伸びた背中から、心の奥で何かを必死に抱きしめているのが伝わってくる。

推し量ることしかできないけれど、きっと——

祖母のことを、高太朗のことを思いながら、文菜は、自分自身をそこに重ねているのかもしれない。

「ありがとうございました、あいつも喜んでるんじゃないかな」

勝太郎は感慨深げに遺影を見つめ、その頬を伝った一筋の涙が、そっと肩に落ちた。

お読み頂きありがとうございます_(._.)_。

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