九曜機関
7月31日月曜日。
九曜機関。
公には存在が知られていない、日本と皇室の守護に関わる民間組織とでも言えば聞こえは良いが、実態は、細々と命脈を保つに過ぎない小規模な集団である。
現在、機関の主幹を務める安居家は明治以降、華族に列していた家柄で、先祖は越前松平家の重臣、安居盛忠。
創立は西欧の蛮風が吹き荒れた嘉永年代。公家、武家の有志が古文書や美術品の保管、海外への流出防止を名目に集まったのが発端だった。
残念ながら先の大戦でメンバーの多くが離散し美術品の多くが海外へ流れてしまった。
戦後の混乱と貧困の中、祖父はGHQに対して美術品の一部を売却し、機関員たちの生活を救ったという。その時の恩義が今も組織の結束を保っていて、現在でも全国に約100人の構成員が存在し、そのほとんどが同族であり、社会生活を送りながら機関に属している。
主な活動は、残された文書の管理と分析、そして「特定の血脈を持つ一族」の緩やかな監視と護衛だ。
都内の雑居ビルの一角に居を構える機関の事務所では、安居を含む三名が常駐している。表向きは「歴史の道」という出版社を装い、地方の伝承や都市伝説を取り扱った記事や動画を配信しており、それなりの人気も得ている。
そのネタの多くは、機関に残る文書の中から差し障りのないものを抽出して用いたものである。だが、中には国家の根幹を揺るがしかねない情報を含む文書もあり、それらは厳重に保管されている。
安居盛正。
彼自身は主幹の立場を引き継ぐまで、日本の歴史に特別な関心を持っていなかった。だが、いくつかの文書を通して知った「真実」が、彼の認識を一変させた。
この国が孕む、あまりにも根深く複雑な光と闇に、心胆を寒からしめた。
「残念ながら、これは我々だけが知っている事ではないのだよ…」
臨終間際の父が口した言葉だ。
曰く、九曜機関だけが知り得ているのではない。天皇家も知っている。それ以外にも知っている者達がいるという事らしい。らしいというのは人物や団体を特定できた訳ではないという事のようだった。では何故、他にも認知している者達がいると思うのか尋ねると。
「秘密とはそうい物だ、善悪や正誤では測れない物だからな…」
天井を見つめながら父は続けて、
「視点を変えて見ろ、知られては都合の悪い輩もいるんだ…それに秘密であるがあるが故に秘密なのだ、明るみになれば価値が増す物もあれば、逆も然り」
御大層な話をしているように見えるが、日々の業務は淡々と続く。
だが7月23日の深夜に奇妙な事象が観測された。周波測定器が異常な数値を示した。
それは、陛下が祈りを捧げた際に観測される波長と、同レベルの数値だった。
皇室では年間を通して複数の祭祀が行われるが、そのたびにある周波数帯が反応を示す。それを最初に発見したのも、かつての主幹である父だった。
「ある人から教わった…すべては振動しているんだ…音は分かり易いだろう?それと同じで人間の細胞、物でさえ振動している。よくあの人と波長が合うと感じることがあるだろう。それは文字通り互いの振動、つまり波長が合っているという事なんだ」
観測された日に、皇室での行事はなかった筈で、各地のメンバーからの情報収集の結果、その発信地は香川県の夕凪島と断定された。
安居は、その地名に初めはピンとこなかったが、映画「二十四の瞳」の舞台となった島だと説明を受けて思い出した。
翌日に調査員を一名派遣し調査に当たらせた。
潜行した調査員の報告によると、真偽はともかく、神の末裔が現存する可能性があるということだった。特筆すべき事でもない。日本には由緒ある血統は数多存在するのだから。ただ面白い事にその末裔を守護するような団体が存在しているようだ。そうなってくるとますます面白い。そのような団体が実在するのであれば、それはそれで本物の血統である可能性が高い。ここでいう本物がどういう定義かというと、男系なり女系なり、血統が続いているという事とそれを守るような集団がいるというのは、簡単に言えば大事、大切だからである。しかし残念なことに素性を特定するまでは至っていない。
それと、もう一つ興味をそそられる報告が舞い込んだ。当機関に所属する人物の名を騙った男が行方不明になったというのだ。人一人が失踪しているに不謹慎かもしれないが面白い。仮にその者が何をしたのか分からないが、騙られた人物は何を隠そう夕凪島出身の人物なのだから。
夕凪島で何か起こっているのか?何にせよ、彼の地には…いずれ赴かねばなるまい。
さらに、奇異な出来事が続く。7月30日には京都洛北で真反対の波長が観測された。現在の計測器を使用して以来初めての事だ。分かり易く言えば、陛下の波長と夕凪島の物はグラフの上に反応が出たのに対し、京都の物はグラフの下に反応が出たということ。京都には曰く付きの人物がいると耳にしたことはある。影なる存在として何かしらの事件がある度に話題に上る人物だが、こちらも素性は分からない。
「失礼します」
ノックもせずに見た目凡庸としている一人の青年が入ってきた。
大学時代の友人の息子で、東京に出てきた際に「気にかけてやってくれ」と頼まれていた縁がある。
以来、時折、本業とは別に調査依頼を任せている。
「すまないね…そろそろ帰省する頃だと思ってね…そのついでに頼みたいことがあるんだ」
安居は自慢の顎髭を撫でながら目の前に立つ青年を見上げた。
あまり喜怒哀楽を表に出した所は見たことがないが、それにも増して、どこか上の空の様な印象を受ける。
「ああ、来週帰省する予定だったので…」
彼は軽く頷くと眼鏡のブリッジを人差し指で押さえ佇まいを正す。
「電話でも話した通り、君の名前を騙った男が行方不明になった。その事に関して調査をお願いしたい。君自身も興味があるだろ?それに地元の君なら何か分かるかもしれない。面白いネタだったら記事にして報酬も出す」
「はあ…」
安居がデスクの上にある調査費用の入った封筒を押し出すと、彼は軽く頭を下げながら片手で受け取る。
「どうしたんだい?浮かない顔をして」
「そうですか?」
「何かあったのかい?」
「いいえ、別に」
真っ直ぐ視線はこちらを向いている。相変わらず心の内が読めない。人付き合いは得意ではないのだろう飲みに誘ってもきっぱり断る。
「うん、そうか。すでに冥鬼と蜉蝣が先行している、調査内容は君の名を騙った人物の目的と素性。詳細は彼等から現地で聞いてくれ、場合によっては私も出向くことになるかもしれない」
「分かりました」
彼は一礼すると部屋を出て行った。
リモコンを手に取りテレビを着けると首相が記者会見を開いている。どうやら衆議院を解散するらしい。
「なんの為の選挙かね…日出国の人々よどこに行こうとしているんだ」
チェアを回転させテレビに背を向け煙草に火を着ける。窓の外の賑やかなネオンサインが微かに見える黄昏空に映えている。
「ふー」
吐き出した煙でそれを濁らせる。
「この国の魂は滅んでしまうのか…いや、今までも危機はあった訳だし…な」
ふーっと息を吐き漂う煙を払いのけた。
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