助言
入店してきた新たな男は、さっきまで義兄が座っていた席に腰を下ろす。
伊達眼鏡に薄い口髭。少し派手な装いの割に、表情はくたびれていた。
「呼び出しておいて、車で待機ってなんだよ」
男は、ポケットから取り出した煙草を咥えながら、じろりと睨む。
「すまない」
「で用件は?」
カチッとライターに火を点け焔の先に煙草を近づける。
それを見て自分も煙草を取り出した。
「ああ、とりあえず大丈夫だ」
諒は、ライターを探すが見当たらない。
それを察知した男がテーブルの上にライターを滑らせた。
「そうか、会っていた男は?」
「義理の兄」
煙草に火を点け、煙を深く吸い込んで、長く息を吐く。
「ほう」
男は興味ありげに鼻を鳴らし、背もたれにふんぞり返る。
「何か食べる?奢るよ」
「じゃあ、折角だから」
眉を上げ、薄っすら笑みを浮かべた男は、メニューも見ずにチキンドリアを注文した。
御朱印帳の中にあった「小瀬石鎚神社」の事を尋ねる。
「あれは、重岩のことだろ。あの岩の所にもそう記述があったと思う。あそこには、小さな社もある」
男は吐息と共に煙を吐き出し続けた。
「あそこの管理は近くの別の神社が受け持っているようだが、そこも小さな神社で御朱印はない。例の御朱印帳はその持ち主が書いた可能性が高いだろうな」
「聞いてなかったけど」
「ああ、すまない」
「珍しく殊勝だね。今日は、報告がなかったってことは、進捗は芳しくない?」
「いや、まだ報告するほどの収穫がないだけだ。変装して山王神社に参拝してみたが、御朱印は至って普通だった」
「なるほど…」
「まあ、目的はそれじゃあない、一度御朱印はもらっているしな、あそこの神社の裏手は立ち入り禁止になっていた。ただ、あそこ、妙な気配がある。気になる」
「妙な?」
「衛星マップを見たんだ。木々に覆われてるが、どう見ても建物がある」
灰皿に煙草を押し付けて消す。男の方を見ながら、細く煙を吐く。
男が人差し指を立てて小さく振る。
「…それから、あくまでも推測だが…」
そう前置きして語った内容は、「葦田八幡神社」「山王神社」「重岩」が地図上で直線で結ばれることについての考察だった。衛星地図の建物を「三宝神社」とすると御朱印帳に記された、四つの神社が連なる。「小瀬石鎚神社」と「葦田八幡神社」には磐座がある。「山王神社」には磐座がない事を踏まえると。オセロのように二つの磐座で挟んで何かを封じているのではないか。御朱印帳の「葦田八幡神社」だけ日付が今年なのは、今年の8月11日の日の出のラインが四つの神社と重なることに関係があるのではないか、という内容だった。
結界……
胸の奥をざわつかせるその言葉を、心の中で呟いた。
ただ、実際のところ結界についての知識は神社に関わるものしかない。
あの男なら詳しいかもしれない――。
しかし、目の前の男からこのような考察を聞くとは思わなかった。
あの体験が、考え方を柔軟にしたのかもしれない。
「にわかには信じがたいが。面白いとは思わんか?」
男は目を細めてにやりと笑う。
「うん。いい線のような気がする」
「まあ、「山王神社」の裏の建物に近づけないか、考えてはいるんだがな」
「あなたのことだから心配はしていないけど、無理はしないで欲しい」
「もちのろんだ」
男は片目をつむってウインクするように笑う。
「ところで、あなたが、人間の殺気に対して恐怖したことってあるの?」
男の灰皿で煙草の火をもみ消す手が止まり、睨みつけてきた。
「どうなの?」
「あるよ……」
「そういう時、どう対処するの?」
「状況によるだろ」
「そう、なるよね」
「今でいいなら……強いて言えば、生きれるかどうか、それが判断基準だ」
何故、そんな質問をしたか探るように、男は顔を前に出した。
「どう?手に余裕ある?」
「例の特務が無ければ、な」
男の眼光が一層鋭くなる。
「悪いな、無理はさせてる」
「……いや、構わない」
男は姿勢を戻し、煙草を手に取り、テーブルにトントンと軽く打ち付けて咥えた。
この男には無理を言えるし、信頼している。それは理屈ではなく、時間と覚悟が育てたものだった。
「手がかりを三つ」
文菜に似た女性の写真の解明、封筒の送り主の可能性が高い「根元」という人物、そして義兄の話の中で唯一名前の出た「夜明」という名。
加えて、昨日文菜に起きた奇妙な現象、家に届いた封筒の中身を、写真と共に男に見せた。
「これが山王神社の鳥居?いやこんなわびしい鳥居じゃなくて立派なものだったぞ……やはり裏手が匂うな」
「この写真、スマホで撮ったの送るから、それを持ってある人に見せて来てほしいんだ……今送る」
諒は画面を数度タップし、送信を終える。
「……このはた?はたけ?に会えばいいんだな?」
「ああ、畑正信。俺の高校時代の恩師だ。定年後、島の歴史を調べている。もしかしたら何か知っているかもしれない」
「なるほど……分かった」
「それと先生に三宝神社についても聞いてみてくれる?」
「了解」
男は、左手の水晶の腕輪に右手を添えながら、スマホを操作していた。
「今回の封筒で確定だな。送ったのは――島の人間だ」
そのままの姿勢で、低く言い放つ。
「そう、思う」
「彼女の友人が尋ねて来たというのは、まるで友人の影のような気もするが……」
「彼女は、多少パニックになっていたようだから、確実に友人とはいいきれないようだったけどね、それに該当時間、友人からメッセージがあり、数回やり取りしている」
「本人とか?……まあそれも確実なアリバイにはならんが……」
「なぜ?」
「なぜって、そうだろ?彼女が嘘を言ってないにしても、友人に似ていた人物を目撃した。その友人が実際にその場にいてもメッセージくらい送れるだろ?」
「ああ……なるほど」
「おいおい、しっかりしてくれよ」
そうだな、そういう見方も出来るし、そう見ていかなきゃいけない。
誰がどう「カゲヌシ」に繋がっているのか分からない訳だ。
文菜の動揺を思うと、嘘とは思えないし思いたくはない。
そうだったとしても、男の話す可能性も現実的にあり得る。
そうした時、玲美は「カゲヌシ」を知っているという事になる。
でも、そうだとして、文菜を狙う要因はなんだ?
「……でも進展だよ……その夜明って珍しい苗字だが、まずは根元だな」
「ああ、そのつもり、明日訪ねてみる」
そこへ、男の頼んだチキンドリアが運ばれてくる。
男はスプーンを手に取ると、嬉しそうに手を揉みながら、スプーンを手に取った。
まるで子どもが好物を前にしたように、目尻が緩んでいる。
「しかし、ドリアってのはすごい発明だよな。グラタンとご飯を一緒にするって、誰が考えたんだか」
「なあ、一つ聞いていいか?」
「どうぞ」
「あなたが人を信じる基準てなに?」
「ん?」
男は口に運びかけた手を止め、グッと見つめ返してきた。
こっちの意図を測ろうとする目だ。
「フン」
男はスプーンを受け皿に置き。
腕を組む。少し天井を仰ぎ、考え込むように眉間に皺を寄せてから、答えた。
「そうだな、そいつに裏切られたり、失望したとしても、後悔しないと思えるかどうか……とでも言っておこうか」
「じゃあ、俺のことは?」
「聞くだけ野暮だろ」
男の口元が一瞬だけほころぶ。
「すまない、ありがとう」
「じゃあ、何で俺を信じている?」
「そりゃあ…」
男は、もうこっちが話したい内容を理解したかのように、広げた両腕を背もたれの上に乗せ寄りかかる。
「いいんじゃないか……信じてみるのも、一寸先は闇っていうだろ、明日、俺達だって目覚めないかもしれない」
「冗談でも、やめてくれ」
「いや、そういうことだよ、人を信じるって事も。保証なんか無いんだ」
俺は黙って煙草を取り出し、火を点ける。
紫煙が細く立ち昇り、天井へと溶けていく。
「フン、俺はあんたの依頼は受けているが、恋のお悩み相談は別でやってくれ」
「ハハ、そうだな」
男は再びスプーンを手に取り、ドリアに視線を落とした。
数口食べた後、思い出したように口を開いた。
「こんなん阿保らしい。何で俺があの美人の護衛を手の空いてる時にしなきゃいけないのか、それは、あんたの依頼だからだ。じゃなきゃ今頃、口説き落として、よろしくやってるよ」
その軽口に、思わず目を伏せた。
「いいか。腕っぷしがあって、武道を嗜んでるからって、守れるもんでもないんだよ」
その言葉が、鋭く胸を突く。
「……あんたが、傍にいてやれよ。彼女だって、それを望んでるんだろ。……それに当事者でもある訳だ……」
「そうかもな……でも、ふみ……彼女が望んでるってなんでわかる?」
「知りたいか?」
「勿体ぶらないで」
「あんたを見てれば分かる」
男はニタリと笑う。
「というのは、冗談だよ」
「おいおい、カマかけたのか」
「そうでもないぜ、二つ。一つはあんたが私情を挟んだ。一つ彼女の目だ」
「目?」
「さっき、あんた彼女の見送り受けただろ、幸せそうな目をしてた」
「そっか……」
文菜の瞳を思い出す。
幸せそうなという言葉がピンと来ない、いつだって文菜の瞳は、優しく、温かく澄んでいた。
あの日の空を見上げた瞳だって、悲しさも、切なさも、すべてを包み込むような、静かな強さがあった。
「……俺さ、自分が何者か分からないのが怖いんだよ。両親が事故で死んでから、ずっと空っぽでさ。自分の中に、思い出せない何かがいる気がして、居場所が分からなくなった……何のために存在しているのかって………逃げるように東京に出た。新しい居場所を自分で探そうとして。……だから今回の手紙に、あえて乗ってみたんだ……何か分かるんじゃないかって……」
煙草の火先を見つめる。じわじわと色を変え灰になっていく。
「もちろん、あなたが協力してくれなかったら、俺は戻ってなかった。運命なんて信じてない。もしあるなら、父さんも母さんも死ぬ運命だったってことになる。……それに、産みの親のことを聞いた時、思ったんだ。もしかして、自分自身が『カゲヌシ』なんじゃないかって。……俺のせいで親たちは死んだんじゃないかって……」
「……それがどうした。……といいたいところだが」
男は食べる手を休め、柔らかく目を細めた。
「いいじゃないか、誰もわかりゃしないよ、なんの為に生きてるのか、活かされてるのかってのは……迷いながら生きてるよ」
「すまない」
煙が目に沁みて、灰皿で煙草をもみ消す。
「いや、むしろ、喜ばしいとさえも思う」
思いもよらぬ言葉に思わず視線を上げる。男は目じりを下げ、珍しく表情が緩んでいた。
「あんたの一面が見れた。俺も運命は信じないくちだが、必然はあると思う。あんたと彼女の過去は知らないが、迷うという事は、ある答えを出したい時に。都合のいい否定材料を並べているだけなんだよ」
ハッと息を呑んだ。そんな俺を見た男は、目を閉じながら大きく頷いていた。
「人生相談はまた別途料金だな、……ありがとう」
俺はテーブルに手を付いて頭を下げた。
男はもくもくとドリアを口に運んでいる。
少しの間を置いて口を開いた。
「ただし……」
両手を前に出し男の言葉を制した。
「くれぐれも警戒は怠るな、だね」
男はニタリと笑うと皿を持ちドリアをかき込んだ。
そして席を立ち敬礼をして去って行った。
静けさが戻ったテーブル。
煙草に再び火を点けた。その瞬間、スマホが震える。
冥鬼からのメッセージ。
『住所は分かったよ、役に立てたかな?』
「助かった」
『今度は、ご馳走して欲しいんだけど、有名人』
「考えとく、ありがとう」
煙を深く吸い、ゆっくりと吐き出す。
「?」
文菜からのメッセージに気づいた。届いたのは、今から30分程前。
『写真見つかったよ、明日、持っていくね』
もう一度、大きく煙を吸う。
「わかった。明日7時に迎えにく。おやすみ」
口をすぼめて煙を吐き出す。
すぐに既読が付く。
『うん、明日も楽しみ。おやすみ諒くん』
「俺も楽しみしてる。おやすみ」
そう打って指を止めた。送信はせず、スマホの画面を伏せて置く。
煙草の煙は目線の高さでゆらゆらと漂いじわじわと空気に馴染んでいく。
灰皿で煙草をもみ消し、スマホ片手に席を立つ。
会計を済ませ外に出ると、さすがに夜風は涼しい。
一寸先は闇……か……
持ち上げたスマホをタップする。
小さな光が、闇の中でひとつ、確かに灯った。
お読み頂きありがとうございます_(._.)_。
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