義兄から告げられた過去
内海町のファミレスに着くと、義兄は店内の奥の席で煙草を吹かせていた。
薄暗い照明の下で、小さく片手を上げる仕草がどこか頼りなげに見える。
席に向かう途中、ふと義兄の表情に目をとめる。やつれたような顔。
輪郭が少し痩せたせいか、無精ひげが影を落としている。
どこか疲れ切ったような目元だった。
「よお」と、義兄は煙草を灰皿で消しながら、低く声をかけた。
諒が席に着くと、周囲を気にするように目を走らせたあと、義兄は両手をテーブルに着き、顔をぐっと近づけてきた。
「いいか、諒。できるだけ早く島を離れた方がいい」
声を潜めて発せられた唐突な言葉に、俺は眉を寄せた。
「……どうして?」
「お前の名前を騙った人物が失踪したのは知ってるか?」
「……ああ。警察が東京の家に来たから、そんな話を聞いたよ」
そのとき、店員が注文を取りに来て会話が中断される。二人はドリンクバーを頼み、俺はアイスコーヒーを取りに行った。
ドリンクコーナーでグラスを満たしながら、店内を見渡す。一人の男と目が合う。
そして、二人分のアイスコーヒーをテーブルに置き、静かに腰を下ろす。
義兄は再び声を潜めて話し始めた。
「諒の両親が、うちの親父に残した手紙、覚えてるか?」
「うーん……たしか『影を追うものは~』とかいう文があったような……」
「そうだ。『影を追うものは、影に囚われる』『重ね岩にて、影は目覚め待つ』、そして『カゲヌシ』だ」
「それがどうしたの?」
義兄の目が鋭くなる。
「カゲヌシは、実在する」
思わず息を呑んだ。
「……どういう意味?」
「俺は叔父さん――お前の父さんには本当によくしてもらった。だから、親父とは別に事故を調べてたんだ。叔父さんが、不注意で事故るなんて、俺には信じられなかった」
義兄はグラスの水を一口飲んでから続けた。
「当時の担当刑事に何度も掛け合って、ようやく口を開いてくれた。今年、定年で退官したばかりの人だ」
「……」
「事故現場は寒霞渓へ繋がる山道。見通しのいいカーブで、ブレーキ痕がなかった。叔父さんは消防団員だ。万に一つ、判断を誤るような人間じゃない。刑事はふと叔父さんのスマホ履歴を確認したらしい。事故当日、登録されてない番号からの着信が一本あった」
「それで?」
「そこはさすが刑事だよな、その場で掛け直したんだよ。そしたら、電話に出た相手が言ったらしい――『影を追うものは、影に囚われる……追うな……追えば、そいつらのように死ぬ』そう言って電話は切れたそうだ。」
背筋にぞくりと冷たいものが走る。思わず義兄の目を覗き込む。
「すぐに折り返したが、繋がらなかった。番号を調べたら、すでに死亡していた人物の契約だった」
「どういうこと?」
「死んだ人物が契約していたもので、解除されることなく使われていたということだ。その人物の関係者を調査したが事件でない以上、話を聞く以上の追及は出来なかったようだ」
「それは誰?」
「夜明昭三という人物で、事故の2年前に死亡していた。病死で享年65歳。6歳下の弟がいたが、亡くなった時に携帯は解約したと話したそうだ。その時の書類の控えを見せてくれたと言っていたな」
「つまり、もう一台携帯を持っていたってこと?」
「ああ、おそらく」
「でも、その番号で料金の支払いとかで分かるんじゃない?」
「だが、事件でない以上踏み込めなかったようだ。ただ、叔父さんの携帯のGPSで当日どこに行ったか分かったよ」
義兄はスマホの画面を親指でなぞりながら言った。
「朝9時に家を出る。10時寒霞渓。12時オリーブ公園。そして15時……山王神社」
「山王神社……」
「刑事は神社に聞き込みに行った。そしたら案の定、知りませんという回答だったと」
「……」
「そこで、何気なくあの言葉を言ってみたそうだ『影を追うものは、影に囚われる』って」
「それで?」
「応対した男は明らかに動揺したらしい。さらに踏み込もうとした時、宮司らしき人物が出て来て、一言、『お引き取りを』ってな」
「え?それで引き下がったの?」
「刑事が言うには、直感的にマズイと思うほど殺気を感じたようだ。柔剣道の有段者がだ」
「それにしても」
眉をしかめた。にわかには信じがたい。そんな殺気を感じただけで、刑事が退くものだろうか?
「ああ、言いたい事は分かる。その帰りに刑事は事故ったんだよ。場所は違うが峠道で、幸いスピードが出てなかったから命に別状はなかったが……ブレーキが利かなかったらしい」
「でも、細工できるんじゃないの」
「ちゃんと調べたさ、覆面の警察車両だ。そのような痕跡はなかったそうだ」
背もたれにゆっくりと身を沈めながら口を開いた。
「うーん、それと俺が島を出た方が良い理由ってどう繋がるの?」
「これを見てくれ」
義兄は内ポケットから封筒を取り出し、テーブルに置いた。
ポケットの中のスマホが震える。
それを無視して、封筒を手に取る。
宛名には、見覚えのある文字でこう記されていた『俊彦君へ』。
封筒を手に取り、手紙を引き抜く。何度も目を通したのだろう、紙はよれている。
『勝手を言うが、諒を頼む。
あいつに過去に囚われて生きて欲しくない。今を生きて欲しい。
もし、諒が過去に縛られそうになった時はどうか手を差し伸べてやって欲しい。
この世には足を踏み入れては、知ってはならない領域があるようだ。
もし万が一、私達の身に何かあればよろしく頼みたい。
何もなければ叔父の戯言だと思ってくれていい。
俊彦、お前の諒への愛情。感謝している。改めてありがとう 譲二』
「どうだ?」
「どうって………そんなこと、急に言われても……」
「親御さんの願いだ、悪い事は言わない……」
「いやでも義兄さんは?まだ調べてるんだろ?」
「俺のことはいい……」
少しの沈黙が流れる。
「……少し時間をくれないか……整理したい…」
義兄は、静かに頷いた。
「ああ、いい返答を期待してるよ、それと人を信じるな、迂闊にな」
「義兄さんの事も?」
「……そうだ」
表情を変えずに言い放ち、義兄は静かに席を立った。
そして会計を済ませると、特に振り返ることもなく店を出ていった。
それを追うように、さっき目が合った男が何気ない足取りで店を後にする。
スマートフォンを手に取り、画面を見つめながら親指を滑らせて短いメッセージを送信する。
5分ほどして、店のドアが再び開いた。
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