↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カゲヌシ  作者: ぽんこつ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

37/95

いつまにか

挿絵(By みてみん)

玄関の扉を開けると、焼酎と焼き魚の匂いが鼻をくすぐった。

奥の居間からは、伯父の低い笑い声と、それに応じる伯母の穏やかな声。

テレビの音がかすかに混じっている。

「おかえり、諒くん」

伯母の声に軽く頷き、靴を脱ぐ。

居間の戸口に顔を出すと、伯父が湯呑みを片手に振り返った。

「一緒にどうだ」

諒は卓上の肴に目をやりながら、軽く笑って首を振った。

「風呂、先にいただきます」

風呂で軽く汗を流し、湯気をまとって自室へ戻った。

髪をタオルで拭きながら、静かに自室のドアを閉める。

この家に帰ってきても、何かが満ち足りるわけではないし、期待している訳でもない。

ベッドの縁に腰を下ろし、しばし黙考する。

明日は神舞の撮影の日。

今年は祭りの本番に帰ってこられなかったぶん、ぜひ見届けたいと思った。

撮影は午前中で終わるだろうか。

できれば午後には、“こうたろう”という男の子の家を訪ねてみたい。

文菜に送られた写真の謎は、ひとまず解けたと言っていい。

写っていたのは、彼女の祖母――珠代。

なぜ、それが文菜に届いたのか、送られた意図は未だ霧の中だが、それでも、着実に前進している感触があった。

スマホの通知履歴を確認する。

男と安居からの連絡はまだ入っていない。

ひとつ息を吐き、背中からベッドに倒れ込む。

手枕をして、無意識に天井をぼんやりと見つめていた。

記憶のスクリーンに浮かぶのは、水色のワンピースを着た文菜の姿。

「変わってないな……」

いや、外見はずいぶん綺麗になった。華やかで、大人びて。

でも――

根っこの部分、不器用なほどまっすぐなところ。

あれは、変わらない。

まさか、初めてまともに会話した日に見た、あの無防備な表情を、自分の前で見せるとは思わなかった。

儚げで、けれど内にある何かと戦っている。心をそのまま晒すような。

でも必ず、そう必ず、最後はいつも笑っている。

意識的かどうかは関係なくて、文菜の場合、それはきっと、心を許してくれている証拠なのだと分かる。

信頼してくれている。

そして、それだけ想いがある。

頭では分かっている。

「なんでそこまで」

ぽつりと呟いて、身体を起こす。

窓を開け放つと、夜の風がカーテンを揺らしながら、部屋に流れ込んできた。

煙草に火を点け、ゆっくりと一口、煙を吸い込むと、潮の香りが混ざり合う。

島の空気だ。

どこにいても感じられる、海と風の匂い。

その香りが、過去の記憶を呼び覚ます。

「ここから見える景色、忘れないと思う」

そう言って、屋上の手すりに手をかけ、こちらを見上げて笑った文菜。

あの笑顔が、脳裏によみがえる。

目の前には、高校の三年間、毎日のように見続けた海と空と山。

「そういうものかな」

「うん、誰かが忘れても、私は忘れないよ」

風に揺れる文菜の髪。くすぐったそうに首を傾げ、唇にかかった髪を指でそっと払いのけた。

「まあ、毎日見てれば、いやでも覚えてるかもな」

「もう、そういうのじゃないんだよ」

手すりに腕を乗せ、そこに顔を預けた文菜は、少し口を尖らせながらも、どこか優しく言い聞かせるように呟いていた。

あの頃、自分には理解できない事を言っていた。当時の俺は、純粋に面白い事を言う子だと深く考える事はなかったし。文菜自身も何かを押しつけてくることは一度もなかった。それは今もそうだ。

あの会話の中には文菜が感じた何かが入っている。でも今は、何を見て、何を感じて、何を想って、文菜が、その言葉を紡いだのか。知りたいし、少し分かるような気がした。

きっと、あの時のニュアンスは自惚れでなければ、俺と一緒に見た景色だからじゃないかって。

夜行バスで会うまで忘れていた。

……いや、本当は忘れたふりをしていただけなのかもしれない。

思い出そうとしなかった。あの頃の記憶に蓋をして、触れずにいた。

それなのに――

八年経った今でも、思い出せば鮮明に甦る。

「……俺が、面倒なのかもな」

微かに聞こえる潮騒が、そっと返事をする。

知らず知らずのうちに、自分の腕を擦っていた。

文菜を抱き上げた時の細くてしなやかな身体の重み。

肌越しに伝わった温もり。ふわりと胸元にかかった髪の感触。

それらが、まだ自分の中に残っている気がして、ふと息を呑む。

文菜が目を開けた時の安堵感。心の底からホッとして、嬉しかった。

もし、目覚めなかったら……

馬鹿な思考を巻くように大きく煙を吐く。

それは、闇の中に白く漂い消えていった。

思えば――久しぶりに、あんなに穏やかに食事をした。

あの夕食の時間は、まるで、両親が生きていた、あの頃の団欒のようだった。

くだらない話に笑い、温かなご飯の湯気に目を細めていたあの頃。

ひとときだけ、何もかもを忘れられそうな気がした。

けれど、同時に思ってしまった。

そんな安らぎを、素直に受け入れてしまう自分に、少し戸惑っている――。

煙草の灰を灰皿に落とし、煙を吸う。

「見つかるといいね。諒くんが見たもの、私も一緒に見てみたい――」

文菜にそう言われたとき、心が大きく揺れた。

大げさに言えば、それは闇夜の中に見つけた灯台の明かりのようだった。

見えないときもあるけれど、確かにそこにあって、海原を行く船が路頭に迷わないように、道標となって導き、見守ってくれる。

たしかな灯《ともしび》。

あの頃も、そうだった。

知らず知らずのうちに、少しずつ染み込んでくる文菜の笑顔や表情、仕草、そして言葉。

一緒にいるとき、文菜はいつも寄り添ってくれていた。

今も変わらずに。

自分の過去や状況を文菜に話すべきかを、ずっと迷っている。

文菜自身もまた、当事者なのだから。

でも――言えなかった。いや、言わなかった。

自分に死がまとわりついている気がして――

「カゲヌシ」の正体が分からないうちは、話してはいけない。

けれど、どこかで、文菜なら受け止めてくれるのではないか、何かを見つけてくれるのではないかと。

気づかないうちに、そんなふうに思っている自分がいて――

だから今、迷っている。

「どうしたいんだろ……」

投げかけに応えるのは、潮騒だけ。

止むことのない穏やかな音に耳を傾け、目をつむる。

ブゥッ、ブゥッ……

スマホが震えた。

吸いかけの煙草を灰皿に置いて、スマホをポケットから取り出す。

ディスプレイに表示されている名前は意外なものだった。

『俊兄』

……義兄さん?

「もしもし」

「諒か、久しぶりだな」

義兄の声が電話のせいか、少しだけくぐもって聞こえる。

「ああ、義兄さん家を出たの?」

「……まあ、色々あってね…」

歯切れが悪い。

「……そう」

「親父から何か聞いたか?」

「……何かって?」

「……叔父……いや諒の両親について」

「え?聞いてないけど……何?」

「そうか……今から出れるか?」

「え、今……から?」

「電話じゃ話せない……30分後に内海の……あのファミレスでどうだ?」

あのというのは、よく義兄と二人で行っていた所だ。実際、内海町にファミレスは一件しかないのだが。

「……分かった」

「じゃあ……」

ツー……ツー……。

通話が切れる。

時刻は22時13分。

手早くメッセージを打つ。スマホを仕舞い掛けて、もう一件メッセージを打った。

煙草の火を消し、窓を閉めると鞄を抱えて部屋を出る。

伯父夫婦には、「友達に誘われた」とだけ告げた。

玄関を一歩踏み出すと、静けさの中に、潮騒だけが響いていた。

お読み頂きありがとうございます_(._.)_。

感想やご意見ありましたら、お気軽にコメントしてください。

また、どこかいいなと感じて頂けたら評価をポチッと押して頂けると、励みになり幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。