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カゲヌシ  作者: ぽんこつ


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31/95

夢……

挿絵(By みてみん)

―――「大丈夫……みよさん、大丈夫?」

知らない声が遠くで揺れていた。

薄く目を開けると、陽の光がやさしく差し込み、制服姿の男の子が心配そうにこちらを覗き込んでいた。

「うん、平気です。貧血だと思う」

「そうですか。立てますか?」

そう答えると、男の子はふっと安堵したように微笑み、手を差し伸べてきた。その手は思ったよりも華奢で、でもあたたかくて、包まれるような力強さがあった。

男の子に支えられながら立ち上がり、軽くスカートの裾を払う。

七三分けの整った髪型に、キリッとした細い印象的な目。その瞳の奥に、澄んだ光が宿っている。

「本当に大丈夫ですか?」

まっすぐ向けられた声に、小さくうなずいた。

「はい、ありがとう、こうたろうさん」

男の子は照れくさそうに視線を逸らす。

「じゃあ、もう一度撮りますよ」

「はい」

男の子は数歩後ずさって、小さな岩場の上にのぼる。

辺りを見回すと、どこか見覚えのある風景。

振り返ると、重岩がひっそりと佇んでいた。

――状況がよくわからない。

でも、心のどこかでなぜか懐かしい。――

「みよさん」

その声に胸がきゅっと熱くなる。反射的に振り向いた。

「はい」

「じゃあ、撮ります」

男の子は片手を上げてカメラを構えた。

前髪と三つ編みを整え、少し緊張しながらも、にっこりと微笑む。

「ハイ、チーズ」

カシャ、という軽いシャッターの音。

ジージーという機械音。

レンズの向こう、彼の視線が、どこか切なげに見えた。

「もう一枚だけ、撮ります」

「じゃあ……笑って……ハイ、チーズ」

再び、カシャ。

ジージー。

男の子は軽やかに岩場を降りてくる。

「現像したら、プレゼントします」

「楽しみにしてます」

その声に、男の子は嬉しそうに、照れくさそうに、手で後頭部をかいた。

「じゃあ、行きますか」

「もう少し、ここに居たい……」

鼓動が速い。

ボーッ。

遠くで船の警笛が鳴る。

男の子がすっと手を握ってきた。恥ずかしくて、顔を伏せる。

「船が通るから、一緒に見ましょう」

「はい……」

風がやさしく抜けていく。

男の子と並んで、海を見つめる。

眼下を、白い航跡を描いて、ゆっくり船が進んでいく。

男の子の横顔を覗きみる。口を真一文字に結びんでいた。

それがほどけた一瞬。

「みよさんが好きだー!」

突然、男の子が空に向かって叫んだ。

「こうたろうさん、大好きー!」

嬉しくて、声を張る。

温かいものが心から溢れている。

男の子と見つめ合って、思わず笑ってしまう。

そのまま、そっと両肩を包まれた。

鼓動が高鳴る。

優しい眼差しに見下ろされ、自然と目を閉じる。

息遣いが近づいてきて、

おでこに――柔らかい唇の感触。

そして、やさしく抱きしめられた。―――


……少しずつ、まぶたの向こうが明るくなっていく。

私、誰かの腕の中にいる……その感覚が、ぼんやりとした意識の中に浮かび上がる。

「ん……ん……」

微かに喉が震える。

ゆっくりと目を開けた、私の視界に真っ先に飛び込んできたのは――

諒の顔。

……近い。

驚いて、しばらく瞬きを繰り返す。

頭が重い。体も思うように動かない。

「え……私……?」

言葉がぽろりとこぼれると、諒の瞳が、安堵と驚きと、ほんの少しの困惑を滲ませて見つめている。

その瞬間、自分がどんな格好をしているのかに気づいて、顔が熱くなるのがわかった。

……私、いま……抱っこされてる……?

頬と耳が一気に熱を持つ。

動揺して手を動かすと、胸元に置かれていた麦わら帽子がふわりと落ちた。

「あっ…」

慌てて手を伸ばそうとすると、諒の腕にグッと力がこもり、体が引き寄せられる。

「キャッ!」

しがみつくように諒の服の胸元をギュッと掴む。

「危ないよ」

低くて、落ち着いた声が、耳元に響く。

「帽子は……あとで拾おう」

その瞳が、ふと私に向けられた。

触れる寸前でそっと逸らされたような視線。

そこには、何かを抑え込むような静けさが宿っていた。

「……うん」

胸の高鳴りをなだめるように、そっと手を重ねる。

鼓動が指先まで伝わってくる気がした。

「気分は?大丈夫?」

柔らかく包み込むような声に、視線を合わせるのが恥ずかしくて、ただそっと、小さく、小さく頷く。

「じゃあ、下ろすよ」

その言葉とともに、諒の腕の中から、そっと地面へ降ろされる。

まるで壊れ物を扱うような細やかな手つきで。

足の裏が地面に触れる。けれど、感覚はまだふわふわしていて、ほんの少し、身体がふらついた。

夢から醒めきれないみたいに、まだどこか現実感が遠い。

でも、目の前にいる諒の姿を見た瞬間、現実が一気に押し寄せてきた。

ハッとして、慌ててワンピースに視線を落とす。

しわになった布地を、両手でなぞるように整える。

胸元、裾、腰まわり……しっかり直したくて、つい手つきが焦ってしまう。

落ち着かない心を隠すように、前髪を指で梳き、まとめた髪も崩れていないかそっと手で触れる。

あたふたしている私を、諒は一言も口にせず、ただ静かに、あたたかい眼差しで見つめていた。

その沈黙が、優しくもあり、恥ずかしくもある。

「はい、これ……」

諒が拾ってくれた麦わら帽子を両手で受け取る。

指先が諒の指にかすかに触れた気がして、トクンと揺れる。

帽子を軽く押さえるように被る。でも、彼の顔を見ることはできなくて、視線は自然と足元へ落ちる。

頬が熱くなるのを感じながら、そっと両手の指を絡める。

「……あの……私……目の前がぐるぐるして、景色が歪んで……」

言葉を探しながら、ぽつぽつと話す。

でも、あの感覚をうまく説明できないもどかしさが残る。

「本当に、大丈夫? びっくりしたよ」

少し震えた声で、諒は覗き込んできた。

「うん……ごめんね」

うつむいたまま、かろうじて言葉を紡ぐ。

顔は上げられなかったけれど、それでもそっと目だけを動かして、諒の顔をうかがう。目が合った瞬間――諒の口元が、やわらかく緩んだ。

「……ほんとに、無事でよかった……」

溜め息交じりな、諒の声には安堵の余韻を含んでいた。

そして、一拍置いてから続いた「大丈夫で」という小さな呟きは、まるで諒自身に向けたもののように聞こえた。

私が見上げると、諒のまつ毛がわずかに震え、視線はどこか遠くを彷徨っていた。

……こんなふうに、心配してくれていたんだ。

胸の奥がほんわりと温かくなる。

「少し、そこで休もう」

諒が指差したのは、社の裏手――

大きな木がいくつか並び、木漏れ日がまだらに地面を染めている、

ささやかな木陰だった。

諒がタオルを敷いてくれて、私はそっと腰を下ろす。

まだ、頭の奥が重たくて、夢の余韻が残っているようだった。

差し出されたペットボトルを両手で受け取り、口をつける。

ひんやりとした水が喉を通るたび、ざわついていた心が、ほんの少し静かに波打つようだった。

「色々、ごめんね。ありがとう」

諒は、首を振って答えた。

「謝らなくていいよ、それより、気分はどう?」

「うん、大丈夫。たぶん……貧血か、軽い熱中症かな」

「無理は禁物。病院、行こう」

「……少し休めば、落ち着くと思う」

「本当に?」

その問いには答えず、私は静かに頷く。

心配してくれていることが、ただ嬉しくて。

けれど、病院に行くことで、この時間が終わってしまうような気がして――

それが、少しだけ怖かった。

「……ならいいけど」

通り抜けた風が地面の斑点を散らかしていく。

少しの沈黙のあと、ふと口を開いた。

「あのね……なんか、変なものを見たんだ…」

「変なもの?」

誰かの記憶の、思い出の断片のような、色も匂いも曖昧で、ぼんやりとした映像。

私はその奇妙な感覚を、ゆっくりと話していく。

うなずくたび、諒の前髪がそっと揺れる。言葉のすべてを逃さぬように、視線を逸らさずに。

「……なるほど。ここじゃさすがに落ち着かないな。車に戻ってから話そう」

「うん、そうだね」

「歩けそうか?」

「うん、ありがとう」

差し伸べられた手。

その大きな手を、私はそっと握り返した。

温もりが、指先からじんわりと広がる。

立ち上がり、一歩踏み出したそのとき、

ボーッ――。

遠くで鳴るフェリーの警笛が、枝葉を揺らす風に乗って届いた。

その響きが哀しそうで、音のした方を振り返る。

サーッと風が追い越していき、飛ばないように麦わら帽子を片手で押さえた。

「どうした?」

「ううん、何でもない、行こ…」

でも、どうしてだろう。

遠くで響いた警笛が、誰かが名前を呼ぶ声みたいに聞こえた――

風にかき消されるような、淡い声。

お読み頂きありがとうございます_(._.)_。

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