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カゲヌシ  作者: ぽんこつ


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29/95

小さな旅

挿絵(By みてみん)

文菜はフロントガラスの先に広がる景色に、思わず声を上げた。

「わあ、この道、海に繋がってるみたいだね」

「確かに、そう見える」

長く、緩やかな下り坂。

その先には、陽光をまとってきらめく海と空、点在する島々が広がっていた。

「こんな道があるなんて知らなかったよ」

「うん、私も」

「走っていて、気持ちいい」

諒は、こっちをチラッと見た。

楽しそうな顔に自然と頬が緩む。

やがて、右へ曲がるカーブで少しだけ体が外側に傾いた。

車は海沿いの道を、潮風を受けるように軽やかに走っていく。

空には、瀬戸内海を行き交う多くの船のように、雲達がふわふわと漂っていた。

防波堤の向こう、水面に反射する光が眩しくて、手を翳す。

目の前に広がる景色はどこまでも穏やかなのに、心の中では波のように嬉しさと切なさが交互に押し寄せていた。

隣をチラッと見る。

運転席の諒は視線をまっすぐ前に向け、静かにハンドルを操作していた。

学生時代、私が問いかければ、諒はいつも当たり障りのない答えをくれた。

それだけのやりとりでも、嬉しかったし、それで十分だった。

でも——

さっき、諒の口から初めて語られた“彼自身”のこと。

話してくれたという喜びと、驚き、心にほんわかとした温もりが灯った。

でも——

「小さい頃の記憶がない」という言葉が、その灯をやわらかな靄で包んでしまう。

もしかしたら、思い出したくない過去が眠っているのかもしれない。

そんな余計な詮索をしてしまう。

誰とでも一定の距離を置くような姿勢。

遠くを見ているような眼差し——

まるで、何かを探しているかのような。

それが、諒の抱えている過去に繋がっているのかもしれない。

でも——

どうして、いま話してくれたんだろう。

理由は分からない。

けれど、ノックし続けた扉がほんの少しだけ開いた気がして。

嬉しくて、心の中でガッツポーズをする。

「なに、思い出し笑い?」

「え?」

「にやけてた」

スッと頬に手を当てる。

「そう……かな」

「……何思い出してたの?」

「ん?島でさ、こうやって、諒くんと話すの、学校以外で初詣の日以来だなって」

「ああ……そうかもな」

諒が一瞬だけ、視線をフロントガラスの先から逸らした。

きっと思い出している――

そう思いたい。

今日とは真反対の、きんと冷えた冬の日。

母に朝から髪を結われ、袖を通された着物は、不慣れな重みで背筋をしゃんと伸ばさせた。

一人で向かった初詣。

行き先は、葦田八幡神社。

諒がそこでバイトをしていると聞いていたから。

境内は参拝客で賑わっていたけれど、諒を見つけるのは簡単だった。

白と浅縹(あさはなだ)の装束に身を包んだ姿を見て、キュンと、ときめいた。

初めてみる制服以外の格好。

冬の澄んだ空気の中で、それはひときわ凛と映えていた。

草履の裏をきゅっきゅっと鳴らしながら、慣れない足取りで近寄った。

「諒くん」

袖を気にしながら、そっと肩をチョンと叩く。

諒は、首をかしげてから振り向いた。

「あれ、文菜、何やってんの?」

不思議そうな顔。

「もう、初詣に決まってるじゃん」

「ああ、なるほど」

妙に納得して頷いている。

「明けましておめでとう、諒くん」

「ああ、あけましておめでとう」

穏やかな微笑みが返ってくる。

「今年もよろしくね」

「……ああ」

視線を落として、少しだけ曇った表情。

「ねえねえ、和服似合ってるね」

「そうか?……文菜もいいんじゃない」

ぶっきらぼうな言い方、照れたような、はにかみ。

「ありがと」

諒の顔が少し赤らんでいた気がして、心がくすぐったい。

「ねえ、ここの神様ってどんな神様?」

「ああ、それは……」

急に真剣な眼差し。

神社の歴史や、この土地の守り神のことを語ってくれた。

言葉を選ぶように、丁寧に、でもどこか誇らしげに。

諒に声がかかるまでの時間。

長かったのか、短かったのか。

諒の後ろ姿を、目に焼きつけるように見つめていた。

そのとき見上げた空模様は、季節は違えど、今日に似ていた。

「……文菜、似合ってたな……着物」

「え?」

驚いて顔を向けると、諒は視線を前に戻したまま、わざと話題を逸らすように言葉を重ねた。

「……この道は、ドライブに向いてるな、景色もいいし」

「……そうだね」

素直に頷くと、じわじわとあたたかくなっていくものが、体中に染み渡っていく。

時を超えて、同じ記憶を今、共有できたことが、何よりも嬉しかった。

車は、海まで迫り出した山の裾野を抜けるため、坂道を上っていく。

またカーブに差し掛かり、体がわずかに外側に持っていかれる。

諒の運転は優しい。

「諒くん、運転上手いね」

「そう?毎日、仕事で運転してるからじゃないか、それに、あんまり信号ないし、東京より走り易い」

「私、東京出てから全然運転してない」

「まあ、東京は便利だからね?運転してみる?」

「……遠慮しておきます」

おどけて言うと、諒は小さく笑った。

何気ない会話。

それが嬉しい。

とても嬉しい。

視界の隅に、水面を滑るフェリーの姿が映った。

ゆっくりと坂道を下り、細い路地を抜けて、集落の町並みを通り過ぎる。

その町並みを囲う山の一角へと続く細道に入れば、もうすぐ目的地だ。

今日の数時間だけでも、心の中のアルバムは、溢れそうになっている。さっき見た景色も、会話も、諒の仕草や表情も。

瞬きする度にシャッターが切れたらいいのに、学生時代に思っていた事を思い出し、一人でふっと笑ってしまった。

「急に、どうした?」

諒はビクッとして、チラッと視線をこっちに投げる。

こんな事でさえ楽しい。楽しい。

30分ほどの、小さな旅のようなドライブが終わろうとしていた。

お読み頂きありがとうございます_(._.)_。

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