陽だまりの栞
聡は栞と一緒に、内海町にあるファミリーレストランにいた。
午後二時過ぎ。昼食のピークを過ぎた店内は、程よく空いていて静かだった。
窓際の席に並んで座り、ケーキを二つずつ食べた後、しばらく沈黙が続いた。
その静けさを破るように、栞が小さく息を吐いて口を開いた。
「――私の家さ、火事にあったんだ」
「…え?」
思わず聞き返してしまう。
冗談とも本気ともつかないトーンに、思考が追いつかない。
「だから……あーちゃんの連絡先も、貰った手紙も、ぜーんぶ……なくなっちゃった」
栞は俯きがちに、手元の空になった皿を指でなぞるように触れながら、ぽつりとつぶやく。
「それから、父さんの仕事の都合で色んな所を転々として……学校にも馴染めなくて。友達も……できなくて」
静かな言葉だったけれど、こらえてきた感情が滲んでいた。
私の中にあった“しーちゃん”のイメージが、音もなく崩れていくのを感じた。いつも明るくて、誰とでも仲良くできて、笑顔を絶やさない子――
「……いつも心の支えは、あーちゃんだったんだ」
そう言って、栞は財布から一枚の写真を取り出した。
懐かしい写真。幼稚園の制服を着た私たちが、しゃがんで笑っている。
「それ……」
さっき記憶の中に出てきた栞の笑顔がそこにある。
でも……私は、栞を忘れていたわけじゃないけど……栞が私を想ってくれていたほど、私は日常の中で栞を想っていたかと問われれば、胸を張って「はい」とは言えない。
栞と遊んだ記憶は、沢山ある。
でも、それは時間が止まったままの想い出でしかなくて――。
栞は写真を見つめながら、そっと目元を指で拭った。
「そんな私を見かねたのか、父さんね、会社辞めてフリーランスっていうの?自営業みたいなもんらしいけど……それで、夕凪島に住もうって。
それを聞いた時、ほんとにびっくりした。親に迷惑ばっかかけてきたのにさ……嬉しくて……。何より――あーちゃんにまた会えるって、それだけで」
言葉の途中でふっと笑い、涙を拭いながら、栞は顔を上げた。
「覚えていてくれて、ありがとう」
泣き笑いの顔で、少しだけ恥ずかしそうに頭を下げる。
「……なんでよ。私だって……先に気がついてくれたのは、しーちゃんじゃん」
「……学校には行けてないんだ、私。だから、家にいること多いの」
「じゃあ……これからは、毎日会えるね」
栞は一瞬、驚いたように丸い目を見開いて、それから少し俯いて笑った。
「うん。……でも、本当に良かった。あーちゃんが……変わってなくて」
「なにそれ。やっぱり子供っぽいって思ってるんでしょ?」
くすっと笑って目を合わせると、栞も同じように笑い返した。
「でも……しーちゃんも、変わってないよ」
「私は……変わっちゃったかもよ」
「もうっ……!」
思わず言い返すと、栞がいたずらっぽく笑って、スマートフォンを取り出した。
「そうだ、これ見てくれる?」
テーブルにスマホを置き、画面をタップする。
動画が流れ始めた。
「……え、すごい!これ、しーちゃん!? ダンス、上手すぎ!」
画面の中の栞は、鋭さとしなやかさを併せ持つ動きと表情で踊っていた。
その表情は生き生きとしていて、まるで違う世界にいるような輝きがあった。
「……何だろう、中学のときね。学校に行かないで公園でぼーっとしてた時、ダンスの練習してるおじさんがいて――あ、いや、お兄さんって言わないと怒られるんだった」
「ふふ、うん」
「そのお兄さんも、昔不登校だったんだって。でもダンスと出会って、今はそれで仕事してて。最初はちょっとウザいなって思ってたけど……会うたびに教えてくれて。気づいたら私、一人でも踊るようになってた」
「うん……」
「それでね、ある日、お兄さんに“動画上げてみなよ”って言われて、軽い気持ちでやってみたの。そしたら少しずつ見てもらえるようになって……」
栞はチャンネルの画面を見せる。登録者数は二万人を超えていた。
「凄い……」
ほんの一瞬、栞はニコッと笑う。
「どこかでさ、もしかしたら……あーちゃんの目に留まるかもって、思ってた」
「ああ……」
こんなにも私を、心のどこかで想ってくれていたなんて。
栞となら……でも都合よすぎるかな――ふってわいた閃きを、意を決して口にする。
「……あのさ、しーちゃん。再会してすぐにこんなことお願いするのもどうかと思うんだけど……聞いてほしいことがあって」
「なあに?」
私は、神舞のことを説明する。
栞は真剣な眼差しで、ひとつひとつを頷きながら、言葉を遮ることなく、最後まで聞いてくれた。
「……いいよ」
「え?」
「まだ何も言ってないけど……?」
「だって、あーちゃん、その“神舞”踊りたいんでしょ?でも二人でするもので、相手がいない……なら、私がやりたい」
その言葉に、抑えていた感情が溢れてしまった。
「しーちゃん……ありがとう……」
「もう……泣かないでよ。私まで涙、出てきちゃう……でも、まだ決まりじゃないんでしょ?選考があるって言ってなかったっけ?」
「うん……そうだね」
「じゃあ――頑張ろう、あーちゃん!」
栞はそっと、私の手を両手で包み込んだ。
その手の温かさに、胸の奥がまた、じんわりと満たされていくのを感じた。
「その神舞の動画とかある?」
「うん、あるよ」
スマホをテーブルの上に置いて見本用の動画を再生した。
栞はスマホを手に取り、食い入るように画面を見つめている。
その視線は踊っている時のように鋭い。
そしてメロディに合わせるように体が僅かに揺れている。
「ねえ、これから練習しない?」
「え……? いいけど」
「よし、じゃあ行こう!」
栞が両手をテーブルについて、勢いよく立ち上がると、座っていた椅子がカタンと音を立てて倒れた。
バツが悪そうに、ペロっと舌を出して、ササッと椅子を直す。
「おっちょこちょいなとこ、あの頃のまんまだね」
「もう、あーちゃん」
「ごめん」
栞が差し出した手を握り、立ち上がる。
私たちの影が、窓から差し込む陽射しに、長く伸びた。
この手を離さなければ、きっと、大丈夫。
「行こう、しーちゃん」
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