見せたかったもの
社務所の窓口には、一人の少女が座っていた。
巫女装束に身を包んだその姿は、日常から少し切り離されたような、清らかさを纏っている。
目が合った瞬間、彼女はぱっと顔を綻ばせ、
小さなえくぼが両頬に浮かぶ。
「こんにちは、お帰りなさい」
椅子からすっと立ち上がり、両手を揃えて丁寧に一礼する。
その所作には無駄がなく、どこか凛とした気配があった。
アルバイトとは思えないほど自然で、清々しい。
——あれ? こんなに大人っぽかったっけ。
記憶にある彼女は、もっと子どもっぽい印象だった。
でも今は、姿勢も言葉遣いも落ち着いていて、どこかしら雰囲気が変わっている。
諒は、軽く会釈を返しながら社務所の扉を開ける。
中はひんやりとしていて、汗ばむ肌に心地よい。
普段座っているデスクに伯父の姿はなく、室内には彼女一人だった。
「伯父……宮司は?」
「はい、お客様の対応で、奥の座敷にいらっしゃいます」
「そっか、ありがとう」
軽く頷いて、伯父のデスクの向かいにある古いソファに腰を下ろし、スマホを取り出して操作を始める。
「失礼します」
控えめな声に顔を上げると、彼女が麦茶の入ったコップを手にして立っていた。
「どうぞ」
テーブルの上にそっとコップを置き、お盆を胸元で抱え直して、再び丁寧に一礼する。
一挙手一投足が柔らかく、けれど芯の通った動きだった。
たしか、去年からこの神社でバイトを始めた子だ。
名前は……紹介されたが思い出せない。
「ありがとう」
コップを手に取り、麦茶を一気に喉へと流し込む。
その冷たさが体に染みわたっていく。
「あの、おかわりいりますか?」
「ああ、自分でやるからいいよ、ありがとう」
彼女はこくんと頷き、小さく膝を折ってから、すっと背筋を伸ばして台所の方へ歩いていく。
「あ、君」
その背中に声をかけると、彼女はぴたりと歩みを止め、くるりと身を翻す。
束ねた黒髪がふわりと弧を描く、小首を傾げる仕草が妙に愛らしい。
「ちょっと、これを見て欲しんだけど」
手招きして、鞄から御朱印手帳を出しテーブルの上に広げて見せた。
彼女は興味深げに身を屈め、ページを覗き込む。
「ああ、これ私が書きました」
「え?そうだったの……うん、上手だねこういうのに詳しくないけど、素敵だと思う」
一瞬、驚いたように目を丸くしてから、はにかんだように笑い、肩をすくめる。
白い歯が覗いて、どこか照れたような笑顔だった。
「ありがとうございます、あっ、でも、これどうされたんですか?貰いに来たお客様と知り合いだったんですか?」
「あ、いや、忘れ物らしくてね、後で警察に届けようって思ってるんだけど、ここの神社の御朱印があったから何か分かるかなって。そうそう、どんな人だったか覚えてたりする?」
「はい、お爺さんでした」
彼女は気をつけをするように姿勢を正す。
「へー、他に特徴とか覚えてる?俺みたいに眼鏡掛けてたとか?訛りがあったとか?」
「えーと……白髪が多くて、優しい感じの……普通のお爺さんだったと思います」
「そっか、ちなみに名前なんかは分からないよね?」
「はい、ただ……奥様かな、私が御朱印の応対をしていた時はお一人だと思っていたんですけど、お帰りになられる際、向かいの磐座の所にいた女性と一緒に歩いて行かれましたから」
「しかし、良く覚えていたね」
「それは、お客さんが、君の筆使いは麗筆だねって褒めて下さって、それに、三宝神社の字がすごく迫力があって……あれは私には書けない字体だから、印象に残ったんです」
「なるほどね、ありがとう」
彼女は再度ぺこりとお辞儀をして踵を返しかけたが、すぐにくるりと向き直った。
「あ、こんな独り言も言ってました……」
おでこに指を当て、目を細める。
眉根がちょっと寄って、唇が小さく動いた。
「確か…『実に宜しい。この対比はあいつにも見せてやろう』って笑っていましたね」
「……そうなんだ。助かるよ、ありがとう」
「いえ」
彼女はぴょんと軽く跳ねるような足取りで、台所の奥へと姿を消していった。
俺は机の上の御朱印帳を見つめながら、思考を巡らせる。
そこに刻まれた墨の跡が、まるで何かを語ろうとしているように思えた。
持ち主は、高齢の男性。
そして──
「この対比は、あいつにも見せてやろう」
何かと比べて見せたいものがあった。
その“対比”とは、おそらく──字体のことだ。
古びた筆跡と、あの子が書いた清らかな筆遣い。
それを並べて、誰かに示したかった。
だとすれば、“あいつ”とは、見せたい相手。
つまり、彼にとって重要な誰かがいたということになる。
それに──三宝神社。
名前に聞き覚えはない。
スマホで検索してみても、それらしい神社はヒットしない。
もしかすると、もう廃れて無くなってしまったのかもしれない。
あるいは──記録に残らない、何か別の存在なのか。
頭の中に、かすかな引っかかりが残る。
「カゲヌシ」との関わりがあるのは、ほぼ間違いない。
少なくとも、高齢の男性と「見せたい相手」──この二人は、何かを知っている。
「お先に失礼します」
顔を上げると、そこにはさっきまで巫女装束に身を包んでいた彼女が、私服姿で立っていた。
薄手のTシャツに、ゆったりしたカーゴパンツ。
裾を少し折り上げていて、足元はスニーカー。
さっきまでの凛とした雰囲気から一転、肩の力が抜けたような、本来の彼女の姿なのかもしれない。
後ろで束ねていた長い髪も、今はほどかれていて、ふわりと肩越しに流れている。少し寝癖のような跳ね方も、なんだか愛嬌がある。
「……あのさ、君の名前って、なんて言ったっけ」
彼女は少し驚いたように目を瞬かせたが、すぐに柔らかく笑った。
「上名部です。上名部聡。聡明の聡で、あき。覚えにくいですけど」
「そうか、聡ちゃん……ありがとう。麦茶、助かった」
「いえいえ。じゃあ、お疲れさまでした!」
聡は軽く頭を下げると、ぱたぱたと軽い足取りで出て行く。
壁にかかる時計は12時を少し回ったところだった。
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