分散
伊八がテアケタル島の洋上から海中に向かって消えた直後、豊刀根は衰えを全く感じさせない泳ぎで浜辺まで泳いだ。
空は夕焼け空。海面には夕日が反射する。
海水のせいで服や長く伸ばした髪はベタつき、鬱陶しい。
豊刀根は砂浜に立つと、さっさと砂を蹴飛ばして歩き、その場を去る。
豊刀根が向かった先には何かの跡地を示す石造りの床が広がっていた。
所々、壁だった場所を暗示するキチンと切られた石の積み重ねがあった。
まさに跡地である。
豊刀根は積み上げられた石に腰を下ろす。
ーーーやはり、時代の流れには逆らえないか…。
周りを見渡すと、石の床の隙間から雑草がところ狭しと生えている。
かつてここに要塞があったなど、誰も覚えていない。
ただ一人、豊刀根だけが知っていた。
カタカタ。
地面に転がっている小石が熱い鉄板にのっている油のように跳ねた。
それも一回では無い。何度も。
地面の振動が全身に伝わる。
巨大な何かが歩いているのだ。
地面ばかりを向いていた豊刀根の視線は静かに上を向く。
すると、遠くに見える森の中にいつも見る石像達の数倍大きな巨体の石像が歩いているのが見えた。
その石像は森の木々よりも高く、他のヒョロヒョロな石像と異なり、腹筋によほど力が入っている。そして、使う当てが無さそうな翼が両肩に生えていた。
これだけ見れば西欧の神様の像に見えなくも無いが、雰囲気がそれと異なり、禍々しさを感じる。
「豊刀根」
どうやら枯れたような声で豊刀根の名を叫ぶが、豊刀根は知らん顔で頭を掻く。
ただ、心当たりはあるようで、口はニンマリとしている。
「名前をいちいち呼ばなくともいい。見えてる」
豊刀根は石の山から立ち上がって、太刀を構えた。
この巨体の石像はこの世界の石の神様である。いや、今や刻々とこの世界の神様になろうとしている者だ。
「豊刀根。古鷹は何処だ。奴の、天狗の翼を我に寄越せ」
「無理ですな。頑張ってその石の翼で飛んでみては?」
石の神はほとんど表情が変わらない。
しかし、豊刀根を憎悪の目で睨見つけているのは分かっていた。
「貴様如きが口答えか」
「いえいえ。滅相もない。ただ、自分の力で神の世界に帰っては、と提案しているのですよ。天狗の翼をもぎ取ってその翼で帰ろうなど、先代が泣きますね」
「その口をガチガチに塞いでやる。待ってろ」
石の神の背後から例の三本腕の石像がぞろぞろと姿を見せる。
やはり石の神と比べると、三本腕はまるで子犬のような身長である。
「おやおや。お仲間ですか。良いですね。私はボッチなので、分かりませんな。どんな気持ちですか?」
そう言っている間にも三本腕の石像は迫って来る。
こんなに余裕ぶって話していられる時間はもう無い。
石の神は特に何も言わなかった。
テレパシーか何かの特別な会話方法でもあるのか、それとも、意思疎通は不必要なのか。
ただ言えるのは、この石像共は石の神が作った物だ。
一斉に石像が飛びかかって来る。
豊刀根は太刀を一振り二振り。石像は小石のような石の破片を撒き散らして崩れていった。
石像はそれでも怯まずに突っ込んで来る。
このままではいたちごっこだ。
ーーーならばこちらから勝負を仕掛ける!
豊刀根は波のように迫る石像達の間を縫うように移動して石の神のもとへ向かう。
石像は動きが経年劣化のせいで鈍く、ゆっくりと振り返っているため、豊刀根に一度突破されれば追い付くのは不可能に近かった。
ついに石の神のもとへ着くと、豊刀根は足首を狙って太刀を突き立てた。
ガキーン。
鋭く、嫌な気持ちになる様な音が太刀から奏でられる。
流石は石の神。どうやら硬さは優に金剛石を超えていたみたいだ。
石の神は豊刀根を掴み上げたり、踏み潰したりせず、ずっと高い場所にある頭から豊刀根を見下ろしている。
顔は影でよく見えなかったが、勝ち誇ったような顔をしていたに違い無い。
「万策尽きたな」
まさにさっきの事を裏付けるような声で言った。
「策は尽きてもまだ負けてない」
「どうかな。周りを見ろ!!」
豊刀根はその鋭い視線をキョロキョロと動かす。
辺りはグルリとあの三本腕に囲まれている。
「おっと」
「これで貴様は終わりだ」
「…どうかな」
今度は石の神の背後から目を眩ませる閃光と共に、激しい爆風が豊刀根達を襲う。
そして、閃光が出た場所からは大気圏まで余裕で届きそうなほどの巨大な黒煙の壁が出来ていた。
「まさか、シュテルベン、奴はこの世界を滅ぼす気か!?」
初めて石の神が狼狽する。
ーーー策に、嵌った…!!
豊刀根は石の神の顔を見上げる。
「どうしましょうかね?」
「貴様ら…!!」
「さて、ザッと同じ土俵に立ったな。さて、名乗りでも上げますか」
豊刀根はすぅーはぁーと深呼吸を繰り返す。
遥か遠くで上がる黒煙は炎に変わり、まるで地球に地獄が隣接したかのような光景だった。
夕日は見えなくなり、昼間のような明るさを黒煙が提供する。
「我こそは、元第一騎兵隊隊長にして元陸軍少将、豊刀根である!!」
石の神は豊刀根の頓狂な行動に驚きながらも、どうやらこの状況が楽しいようで、彼も名乗りを上げる。
「我こそは石の神にしてこの世界の神になる者である」
周りを取り囲む感情の無い石像と比べてまだ感情のある二人は互いにニヤニヤと笑う。
豊刀根は太刀を構え、石の神はその大きな掌を握り、巨岩のような拳を作る。
結末は、見えている。だが、それでも、豊刀根は大太刀を構えた。
一方、伊八の艦内は深海のように暗くなっていた。
やっと目を覚ました坂井はゆっくりと暗闇の中を起き上がり、おぼつかない足取りで艦内を右も左も分からずに彷徨う。
「痛い!!」
どうやらアイの足を踏んだようで、彼の声が静かな艦内に響く。
「誰だ足を踏んだ奴は」
アイの声はよく響き渡り、全員が暗闇の中で起き上がる。
「?」
フローズンの声がした、が…。
まるで英語のような、いや、英語が聴こえた。
ガッコン!!
艦内に明かりが戻る。
その明かりは先ほどの赤いランプでは無く、赤いランプに比べると明るいランプの明かりである。周辺がよく見えるようになった。
それと同時にガルムと榛岡の鼓膜が破れそうなほどの叫び声が響いた。
ガルムと榛岡は坂井のすぐ近くにいた。
「どうしたんだ?」
坂井がそう聞くと、二人はガクガクしながら坂井を指差す。
訳がわからないまま辺りを見回すと、アイもフローズンも今にも両目が飛び出そうなほど目を開いて坂井を見つめていた。
坂井はどうせロクな事が起きてないと苦笑いをして自分の腕や足を見た。
なるほど。確かにこれは驚く。
全身が、透けているのだ。服も一緒に。これではまるで幽霊である。
ただ、坂井は特に驚きもしなかった。
「あぁ、きっと、そうだったんだな」とだけ言っていた。
もう手を振って起こした風で簡単に消え去りそうなほど薄くなってしまったが、何とか残ってはいる。
異変はこれだけで終わらなかった。
同時刻、ルナも原因不明な事態に陥っていた。
ルナは雲神と共にもうその辺に落ちている枝と大差が無い秋雲をベッドが一つしか無い狭い狭い部屋で見守っていた。
その秋雲は明かりが戻った途端、あの弱々しい枝からは想像も出来ない立体的な黒い人影になっていた。
その黒い人影は枝だった頃に置かれていたベッドに横たわっている。
顔の輪郭や髪、服は全く見えずに、本当に黒い人型の彫刻と思える感じだった。
「どうしましょう?」
「…こればっかりはどうしよもないな」
雲神もお手上げ状態である。
パチッ。
まるで電流が流れたような音がした。
ルナは一瞬、反射的に目を閉じる。
そして再び目を開けると、雲神と秋雲が影も形も無く消えていた。
「雲神さん?」
ルナの声は虚しくルナ以外誰もいない部屋に響いた。
「一旦集まろう」
そう言ったのはアイだった。
坂井達は全員で手分けして艦内を捜索したが、ルナと三石だけしか見つからず、秋雲と雲神の行方は全く分からないままだった。
全員は艦橋に集まり、話し合いを行うことにした。
まずはここがどこかであるが、フローズンが事前に予定していた場所だと、ここはアメリカ西海岸付近だ。
その真偽を確かめるため、伊八は浮上する。
洋上は実に穏やかだった。空は澄み渡り、朝日が伊八の濡れた船体を照らす。
そんな穏やかな雰囲気を打ち破るが如くアイとフローズンが伊八の甲板を忙しく走り回る。
二人はすぐさま双眼鏡を構え、辺りを見回す。
すると、進行方向、つまり前方に陸地が見えた。
ーーーアレだ!
具体的な場所は分からないが、二人は顔を見合わせてコクリと頷く。
ーーー帰ってきたのだ。
しかし、双眼鏡に映ったのは陸地だけでは無かった。
「駆逐艦?」
アイがそう独り言を言う。
双眼鏡から目を離し、再び陸地の方向を見ると、まるで陸地には近付けまいと一隻の艦影があった。
そして、それをアイは駆逐艦と言ったが、今まで見てきたあの小さな駆逐艦では無い。
ミサイルを搭載している方の駆逐艦だ。
「…事前に色々と政府に伝えているとか、ありますか?」
アイがそう聞くと、フローズンは首を縦に振った。
だが、「私達は事前に伝えていた船です」とはあの駆逐艦に言えない。それどころか、そんな事を言えば(ただでさえ潜水艦なのに)不審船も良いところである。
ではやる事は一つ。
「逃げるか」
フローズンも頷いた。
二人が艦内に戻ると潜水艦はすぐに海中に潜る。
「速力最高にしろ」
アイはすぐに指示を下す。
伊八のスクリューは大量の泡と雑音を立てて静かな海中を進む。
もちろんこんなに大量の雑音を駆逐艦は見逃す訳が無かった。
「直チニ浮上セヨ」
駆逐艦は伊八の無線を乗っ取って繰り返しそう言う。
アイ達は気にせずに艦を進める。
だが、暇な坂井は無線の“送り主”と表示されている場所を眺めた。
のかぜ型護衛艦四番艦ぬまかぜ。
そう表示されている。
つまりここはアメリカでは無い。日本だ。
坂井はすぐにアイの両肩を掴み掛かり、「急いで逃げた方がいい。アレは潜水艦隊旗艦だ」と叫んだ。
「どうした?」
「のかぜ型護衛艦ぬまかぜ。護衛艦だ。ここはアメリカじゃない」
フローズンは目を大きく開き、しばらく硬直していたが、すぐに舵を握り、思いっ切り右に回す。
艦は大きく揺れ、何とか立っていられる感じだった。
この行動の一部始終はぬまかぜのレーダーにしっかりと写っていた。
「目標、大きく回頭中です。…今日は例の予定日ですし、それでしょうか?」
「…敵の可能性が高い。例のはアメリカ西海岸出現予定のハズだが、…対潜ミサイル発射ヨーイ。強制浮上させるぞ」
濃い茶色のヒゲを生やしたぬまかぜ艦長は艦橋で大声を上げる。
すると艦橋にいる一人が赤いスイッチに手を添え、艦長を見つめる。
「司令部に通信。本艦は攻撃を開始する。…発射」
ぬまかぜの後部にあるミサイル発射管は一斉に白煙を噴き出す。
55本のミサイルは問答無用で海中で回頭中の伊八の頭上に到達した。
そして、パラシュートを展開し、ゆっくりと海面に向かって降下して行く。
ポチャンボチャンポチャン。
ミサイルが着水した音が嫌が応でも聞こえる。
フローズンは勢いよく伊八の艦首を上に向け、上へと向かう。
対潜ミサイルは伊八のすぐ真後ろで爆発し、伊八のスクリューを粉々に砕いた。これで伊八は推進力を失い、気絶した魚のように徐々に海面へと浮き上がる。
ついに船体が海面を突き破り、白波を立てて浮上した。
ほんの一瞬の出来事だった。
ぬまかぜは浮上した伊八の隣に来ると、特に艦内に乗り込む事もせずに甲板に降りて曳航を開始した。
三石と坂井は最近敵だった艦に曳航される事が多く、慣れていたが、他は慣れていないため艦内は大騒ぎである。
二人は慌てふためくフローズン達をなだめようともせずに、呑気におっとりとした目でこの光景を眺めていた。
ぬまかぜはやけに伊八が騒がしいなと思いながらも曳航をする。
艦長は艦橋を降り、ヘリコプター甲板へと向かう。
白波の先にはかつての大戦の潜水艦が引かれている。不思議な光景だった。
「まさかここに出たとは…」
ぬまかぜ艦長は現場の判断と戦闘指揮において優れた指揮官であると言うのは隊の中でも知られていた。そんな指揮官と相まみえた事が伊八の不幸である。
「例の物は洋上にある仮設ドックに入れなさい」
ぬまかぜ艦長は政府からその命令を受けた。
もちろん断る理由は無い。
命令には最後に「期待しているぞ。山汐閣下」と結ばれていた。




