駆逐艦秋雲、拿捕
十劉湾空襲が起きる少し前、駆逐艦秋雲艦上。
艦上は常に潮風にさらされ、体や髪がベタつく。
三石と坂井は艦首でのんびりと水平線の遥か遠方を眺める。
「三石〜。暇」
「そうだな」
「坂井、暇か?」
「フリーだよ」
二人は特に話す話題も無く、お互いに暇かどうかを聞き合う。
特にやる事が思い付かず、坂井は釣り竿さえあればもう少し退屈を和らげることが出来ると思っていた。
釣り竿さえあれば。
「なぁ坂井。変だと思わないか?」
三石が突然、真剣な顔をして言う。
あまりにも突然な事に坂井は少し驚いた。
「変って何が?」
「レーベン達だ」
思い掛けない名前に坂井は動揺を隠せず、「正気か?」と思った。
「レーベン達のどこが変だって言うんだ?」
「レーベン達には彼奴等みたいな感情が無いような気がするんだ」
「感情が無い?」
坂井がそう聞くと、三石はコクリと頷いた。
「あくまでそんな気がする。どこか無理にそれっぽい事やってるなと思うだけだ。それと、ここからは全部憶測だが、レーベン達にも“司令官”のような存在がいると思うんだ」
「司令官?」
するとまた三石は頷く。
彼の視線は真剣そのもののような気がした。
「あぁ。何かをずっと遂行しているような感じがするんだ。それと、“サトウキビ”もどことなく不思議な感じがしてな」
「サトウキビも?」
「あそこは何と言うか…。気持ちがとても和らぐと言うか、簡単に話してしまう雰囲気があると言うか、忘れっぽくなると言うか」
「全く。考え過ぎだよ。熱帯の熱気に当たったか?」
「そうかもな。…そう言えば、雲神はどこに行った?」
「あっ…」
二人は背筋から凍るような気持ちに襲われた。
しばらくお互いに目を合わせて微動しなかった。
「確かに、雲神が途中から消えてた…」
「妾がどうかしたのか?」
二人の背後からとても懐かしい声がした。
噂をすれば影。
雲神は腕を組みながら堂々たる仁王立ちをしていた。
坂井はこんなに都合の良く出て来るのかと疑い、「本物?」と思わず聞いてしまった。
すると、雲神は嫌そうな顔をしてため息をつく。
「妾が本物に見えないとでも?…確認してみるか?」
雲神は細い両腕を広げた。
「結構です」
三石がすかさず止める。
そして、新しい話題を振り出した。
「それで、雲神サンはどうやってここに?」
「雲神サンは神だから何処にでも現れる事が出来るのう」
もうそれ以上聞くことが思いつかなかった。
他にどんな質問をしても「神だからのう」と言われそうな気がしたからだ。
そんな黙り込む二人を雲神は呆れたようにため息を吐いた。
「お主らは妾がどうしてここ最近いなかったか聞きたいのでは無いのか?」
雲神の言った事はまさに図星だった。
と、言うよりかは、“思い出した”と言うほうが正しいのかも知れない。
「それじゃ、雲神サンは何で最近いなかったのかな?」
「神にも仕事っぽいものがあるからのう。まぁ、仕事みたいに肩苦しいものでは無いがのう。…それと、上じゃ」
雲神は空に向かって人差し指を向ける。
上空を見ると、白塗装された古めかしい複葉機が空を埋め尽くしていた。
そして、その内の四機がヒラリと宙返りして駆逐艦秋雲に近づいて来る。
「雷撃機だな。ありゃ」
三石はいつになく鋭い視線で水面の上を飛んでいる四機を睨む。
「こうなれば、やる事は一つじゃのう」
三人は艦橋に駆け足で登る。
そしてすぐに機関を始動するためのボタンを押す。
しばらくして、駆逐艦秋雲の煙突からは煙がモクモクと立ち上った。
「一気に駆け抜けるぞ。掴まれ!!」
三石の掛け声とともに駆逐艦秋雲は突然もの凄い勢いで海を進み始める。
瞬く間に速力は三十ノット以上を記録し、四機の雷撃機を撒いた。
一方、上空では先ほどの四機の機体がワ国の新型巡洋艦がいると隊長機に報告した。
隊長機と四機は横に並んでお互いの声が聞こえるよう、翼が接触寸前のところまで寄っていた。
「それは本当か?」
「はい。あの巡洋艦、三十ノットほどを出しました」
「それで、その巡洋艦はどこに向かった?」
「第一航空戦隊の方向に…」
隊長機の村田はしばらく沈黙した。
第一航空戦隊。
空母加古を旗艦に編成された空母三隻と駆逐艦四隻の大日帝国唯一の航空戦隊だ。
今回は護衛に追加で駆逐艦六隻と秋暮型戦艦三番艦双暮そして川内型戦艦二番艦神通がいる。
戦艦が二隻、何よりも川内型戦艦がいるから決して新型巡洋艦と言えども勝てる訳がない。
だが、村田は心配性だった。
ーーー巡洋艦一隻で来てるんだ。もしかすると戦艦を容易く葬れる強力な魚雷を有している可能性があるな。
奇しくも彼の予想は当たっていた。
61cm酸素魚雷。
この魚雷が一本でも当たれば、秋暮型戦艦は轟沈。川内型戦艦は轟沈ないし大破だ。
だが、これはあくまで村田の予想なだけで、本当に存在するとはあまり思っていなかった。
「十劉湾への攻撃を続行する部隊と巡洋艦を追う部隊に分かれる。十劉湾攻撃隊は作戦時間を予定より半減して行え。作戦時間は厳守。たとえ沈められそうな艦がいても帰投せよ。巡洋艦追撃隊は俺が指揮を執る。散開!!」
村田の号令と共に航空隊は分かれた。
巡洋艦追撃隊は隊長機含めて七機だった。
「いいか。あくまで巡洋艦撃沈は二の次だ。今は性能チェックをするぞ」
駆逐艦秋雲と三石達はまさか針路上に戦艦二隻、空母三隻、駆逐艦十隻の艦隊がいるなど、微塵も思わず艦を全速力で進める。
「三石。レーダーがまともに作動しないんだけど…」
坂井が砂嵐で覆われた画面を見て言う。
三石は舵を握りながらもすぐに答えた。
「目で見てこい」
「見てもな〜」
駆逐艦秋雲には三人しかおらず、艦を動かすので精一杯だった。
ドッペルゲンガー秋雲がいれば秋雲一人で十分だが。
坂井と雲神はそれぞれ片手に双眼鏡を持って艦橋の外に出る。
坂井は双眼鏡を構えた途端、すぐに後方から迫って来る七機の機体を見つけた。
「雲…。いや、後方より七機接近!!」
坂井が報告したところで彼らは何もしなかった。
今手が空いている二人だけでは秋雲の武装が動かせないからだ。
だからと言って、機銃を撃っても百発ノーヒットだろう。
坂井達は艦橋の中に入って三石を急かす事しか出来なかった。
駆逐艦秋雲は今にも艦が空中分解しそうなほどガタガタと音を立てながら揺れていた。
この音は坂井と雲神の不安を煽った。
「三石速く速く!」
「そうじゃ。急ぐのじゃ!!」
三石は彼らの悲鳴に近い叫び声を聞いても表情を少しも変えずに舵を小刻みに動かす。
後ろを振り向くと敵機が一機、真後ろにいた。
左右にそれぞれ三機が駆逐艦秋雲と並走する。
坂井はますます不安になった。
ーーーいつ雷撃されるか分からない!!
だが、三石の表情は左右の敵機を見ても、変わらず涼しげだ。
ーーー雷撃されても恐れるに足らず。そもそも攻撃はしてこない!!
確信にも近い気持ちで三石はそう思っていた。
これは、彼の航空機を操って来た長年の経験からの予測だった。
従って、駆逐艦秋雲は右に曲がるも左に曲がるもせずに直進する。
一方、駆逐艦秋雲の真後ろを一機で飛んでいる村田はイライラしながらじだんだを踏む。
彼の予想ではあの巡洋艦はある程度進んだら焦って左右どちらかに曲がると思っていた。
しかし、あの巡洋艦は一向に曲がろうとしない。
ーーー撃沈は二の次。
彼はついさっきそう言った。
だからと言って、目の前の敵を無傷で放置しておくのは彼の長年のプライドが許さない。
ーーー早く曲がれ!!
彼はほぼ呪いのように頭の中で何度も唱えた。
「コチラ旗艦加古。コチラカラモ敵艦視認。アトハ任サレヨ」
突然無線がそう言い、村田はハッと我に返る。
巡洋艦の先には艦隊が見えていた。
村田達は即座に陣形を解いて巡洋艦のまわりから退避して行った。
艦隊の姿は駆逐艦秋雲の艦橋内にいる三石達からもしっかりと見えていた。
これは三石も予想していなかったようで、両目をパッと見開いている。
坂井は開いた口が塞がらず、呆然と艦隊を見ていた。
ドドンッ
何の前触れもなく、艦隊から空気を揺らす爆発音と閃光が煌めく。
そして、瞬きした瞬間、駆逐艦秋雲の後ろに八本の水柱が立った。
川内型戦艦神通からの攻撃だ。
川内型戦艦。
大日帝国の切り札の一枚。
対超竹級戦艦を想定されて建造された本艦はまさに超弩級戦艦。
基準排水量19000トン、全長182m、主砲は33cm連装砲四基八門の従来戦艦よりも高い射程と攻撃力を有している。
副砲も舷側に15cm砲が計十八門付いていた。
駆逐艦秋雲が艦隊に近づくに連れて、左右に立つ水柱の本数も大小問わずに増えていく。
海面は踊っているかのように波打ち、駆逐艦秋雲を何度も上下させる。
坂井は棒を一生懸命握っていたが、何度も体が上下し、手が棒からスッポンと離れてしまった。
そのまま坂井は狭い艦橋内で身体を天井と床に叩きつけられ、気を失ってしまった。
駆逐艦秋雲は抵抗もせずに一方的に撃たれ続けた。
この状況に戦艦双暮艦長が違和感を覚えた。
ーーー戦意を喪失しているのでは!?
実際は人手が足りず、反撃していないのだが、そのお陰でこの一方的な戦闘に終結の兆しが見えた。
双暮艦長はとても衝動的だった。
すぐに双暮に攻撃中止命令を出し、続けて戦艦神通に艦隊の攻撃中止を求めた。
双暮艦長の攻撃中止の要望は神通艦長を悩ませた。
なぜなら、今回の艦隊の旗艦は神通ではなく、加古だったからだ。
しかも、穏やかで進言しやすい加古艦長では無く、堅物の金条十太郎大将だった事も影響していた。
神通艦長は「何で直接金条大将に進言しなかったんだ!!」と思いつつも、空母加古に発光信号を送る。
一方、駆逐艦秋雲は攻撃が少なくなった事は薄々分かっていた。
しかし、攻撃が止まないという事はまだ戦う意思があるという事。
三石は舵を離してふらつく足取りで魚雷発射管へと向かう。
そして、魚雷発射管を右舷方向に回し、戦艦神通に狙いを定める。
三石の意図を感じだったかのように駆逐艦秋雲はゆっくりと左に曲がり、戦艦神通に自らの腹を向けた。
この時の三石の目には生気が感じられなかった。
まるで死人のような表情で戦艦神通を見つめている。
まさに三石が魚雷発射のスイッチを押そうとした瞬間、突然まわりの時間が止まったかのように攻撃が止んだ。
そして、さっきまでの爆発音が嘘のように水面は静まり返る。
「攻撃が止んだ…?」
三石は日頃見ないほどの弱々しい声で言った。
空を見上げると、かつて見たような景色がそこに広がっていた。
無数の機体が空を埋め尽くし、そこに自国の旗を掲げた機体はいない。
空にいる機体が大日帝国の機体である事に気付くまで三石は少し時間が掛かった。
空にいた機体は三隻の空母に次々と着艦する。
その間に戦艦双暮から一艘の舟が駆逐艦秋雲に向かって行った。
その小型艇は流れるようにスイーと駆逐艦秋雲の横に付いた。
そして、そこから無気力な二人の兵士と双暮艦長が乗艦して来た。
「お久しぶりです」
そう言って双暮艦長は手を三石の前に出す。
三石は訳がわからないまま双暮艦長の手を握った。
「先ほどは申し訳ありません。きちんと修理させて頂きます」
双暮艦長は優しい口調で話す。
彼の一言一言は同じテンポで、だんだんと眠気を誘う。
「それではこの艦を第二臨時戦時軍港にお送りしますが、問題無いでしょうか?」
三石はコクリと頷く。
その合図を見て双暮艦長は連れてきた二人の兵士に「曳航用意」と叫ぶ。
二人の兵士はノロノロと駆逐艦秋雲の艦首へ行き、戦艦双暮に繋がっているロープを結び付ける。
こうして駆逐艦秋雲は大日帝国に容易く拿捕された。
空母加古や他の二隻の空母が全ての航空機を収容し終えると、艦隊は第二臨時戦時軍港へと向かった。
駆逐艦秋雲を連れて。




