十劉湾空襲
十劉湾に敵機が来る少し前。十劉湾内で停泊する戦艦川竹艦上。
クラッキ大将は魂が抜けたような顔で快晴の空を見あげていた。
片手にあるコーヒーカップは試験艦竹の時のコーヒーカップでは無く、新品のコーヒーカップだった。
「クラッキ大将、またここにいたのですか」
川竹艦長がニコニコしながらお揃いのコーヒーカップを持って現れた。
クラッキ大将は少し痩せた顔を無理にニコッとして「そうだな」と答える。
「クラッキ大将…。いい加減に振り切って下さい」
「そうだな…」
クラッキ大将の元気の無い返事に川竹艦長は苦笑いをしながらコーヒーカップを口に運んだ。
しばらくの間、無言が二人を包み気まずい雰囲気が流れる。
「なぁ」
ついにクラッキ大将が口を開いた。
川竹艦長は驚いたようにコーヒーカップを口から離して口をいつでも開けられるようにする。
「何でしょうか?」
「まともな超竹級戦艦はいつ来るんだ?」
クラッキ大将の視線の先には30cm砲の巨砲をあちらこちらに向けた弩級戦艦がいた。
超竹級弩級戦艦六番艦脅竹だ。
超竹級戦艦は本来、弩級戦艦ドレッドノートの主砲配置とほとんど同じだった。
脅竹はその主砲配置でどれだけ30cm砲を積めるか追求した艦だ。
基準排水量26000トン、全長165m。兵装は30cm三連装砲三基、30cm連装砲二基、15cm砲•7cm砲•4cm砲多数。
この艦は勝手に小型砲が追加され、誰一人として正確な数は知らない。
それは左右非対称の小型砲配置が物語っていた。
「まともな超竹級戦艦とは言ってもですね~。第一艦隊と第二艦隊にしかあなたで言うまともな超竹級戦艦は配備されてませんからね。というか、超竹級が配備されるだけ良いと思いますがね」
「でもな、いくら何でも…」
脅竹は圧倒的な武装を搭載し、標準的な弩級戦艦なら普通に葬れる。
だがそれは武装のみの話だ。
脅竹には致命的な欠陥が存在した。
それは、速力が非常に遅く、僚艦に曳航して貰わないといけない点だった。
脅竹は武装を積み過ぎたか故に重量過多で復原性に問題を抱えていた。
そこで工廠は機関を減らして重量過多問題を強引に解決したのだ。
その為、速力は八ノットと戦闘は絶望的であった。
「この艦一隻を運用するのにもう一、二隻必要とかちょっとな」
「でも攻撃力だけは国内一ですよ。大将」
クラッキ大将は嫌そうな顔をしながら脅竹を見つめる。
それとは対照的に川竹艦長は脅竹を羨ましそうに見上げていた。
そこに一人の水兵が息を切らしながら滑り込んだ。
「艦長!!」
二人はその水兵を驚いたように見つめる。
「第5号艦より報告。十ニ時より敵機来ます!!」
クラッキ達が空を見上げた時には北に多数の機体が迫っていた。
「全艦戦闘配置。敵機を叩き落とせ!!」
川竹艦長が対空戦闘を指示した時にはほとんどの敵機が爆弾を投下した。
この同時の爆撃機に急降下爆撃を行える機体は強度上の問題で存在しない。
従って、ほとんどの機体が水平爆撃を行なった。
戦艦川竹の周りには大小いくつかの水柱が立柱する。
だが、幸いにも戦艦川竹には一発も命中しなかった。
クラッキ達が安心して胸を撫で下ろしたのも束の間、背後から激しい爆発音が鳴り響き、湾を揺らした。
クラッキは驚いて後ろを見ると、そこには二発の爆弾が命中し、白煙を上げている脅竹の姿があった。
「大将、あの艦、図体がデカ過ぎて集中砲火を受けています!!」
川竹艦長がそう言った直後にもまた脅竹に一発の爆弾が命中する。
こうして、ワ国側が全く反撃出来ないまま第一次攻撃は終わった。
攻撃が終わるとクラッキ達はすぐに露天艦橋に向かい、そこで報告を聞いたり、指示を出す事にした。
「我が軍の被害は戦艦脅竹に三発の爆弾が命中で小破。それと、停泊中の駆逐艦一隻が爆弾の命中で沈没しました」
伝令兵はそう言うとすぐに艦橋から出て行った。
伝令兵がいなくなった艦橋には川竹艦長とクラッキだけが残った。
二人はこんな時に意味が無い事は分かっていながらも、艦に搭載されている対空兵装に文句を言う。
とは言っても、川竹には対空兵器と言える物は搭載されていなかった。
せいぜい小型砲がスズメの涙程度の防空をしているぐらいだ。
クラッキは湾にいる全艦艇に十劉湾からの緊急脱出を命令した。
湾内の艦艇は次々に黒い煙を天に上げて海を切り分けるようにして徐々に進む。
そこに第二次攻撃隊の敵機が襲来した。
各艦艇は色々な艦がいる狭い湾で各々独自に回避行動に移り始める。
瞬く間にして湾内はパレードのような騒がしさになった。
特に駆逐艦はその快速さで湾内を子供のように駆け回る。
そのため、駆逐艦は衝突寸前を何度も頻発させ、艦長達を冷やつかせた。
戦艦川竹はなかなか速度が上がらなかった。
煙突は黒煙を噴き上げるだけだ。
そんな戦艦川竹に勿論敵機は容赦しない。
「早く速力を上げろ!!今は何ノットだ!!」
露天艦橋では川竹艦長が口から火を吐く勢いで水兵達を怒鳴る。
「現在速力は十ノット。これ以上速力が上がりません!!」
水兵は半ば涙目で答えた。
だが、川竹艦長は一切躊躇せずに涙目の水兵に何とかして速力を上げるように叫ぶ。
「艦長!!」
川竹艦長の叫び声の隙間から彼を呼ぶ声がした。
「敵機左舷より二機接近。海面スレスレです!!」
露天艦橋にいる全員の視線が左舷前方を向く。
そこには確かに海面の少し上を飛行する機体が二機あった。
戦艦川竹の自慢の主砲の34cm連装砲二門は勝手に標準を敵機に向ける。
間もなくして二門の主砲から爆炎と川竹全体を揺らす振動が起こった。
二発の砲弾は敵機の前で巨大な水の壁をつくる。
水の壁が崩れると同時に一機の敵機が空に舞い上がって行く。
「艦長!!魚雷接近、真正面です!!」
艦首の少し先を右から左にすり抜けて行く雷跡が一本あった。
この雷跡はさっき魚雷を振動で落としてしまい、上昇した敵機の物である。
クラッキ達は一瞬だけ安心に心を奪われ、真正面を通り抜ける魚雷をジッと見ていた。
その一瞬の油断の隙を突くようにもう一機の敵機が水の壁を突き破って接近して来る。
クラッキ達が我に返ってその敵機を見た時には手遅れだった。
すでに魚雷を投下し、その敵機は空へと上がる。
投下された魚雷は真っ直ぐに川竹に突っ込んだ。
左舷艦首に一本の水柱が上がった。
水柱の生暖かい海水は露天艦橋にいるクラッキ達に降り注ぐ。
そんな状況でも川竹艦長は即座に命令を下す。
「ダメージコントロール。隔壁を閉鎖しろ!!」
艦内の水兵達は左舷艦首に殺到した。
魚雷が当たった場所からは止め処なく海水がなだれ込む。
「艦長、第一砲塔動きません。使用不能です!!」
戦艦川竹の主砲攻撃能力は半減した。
敵機の攻撃はまだまだ川竹に降り注ぐ。
戦艦川竹の周囲には水柱が何本も立柱し、甲板は常に海水が流れていた。
露天艦橋も例外では無い。
何度もスコールのように激しく降りかかる海水のせいでなかなか言葉が聞き取れていない状態だった。
「総員艦内に避難せよ!」
川竹艦長はついにそう叫んだ。
水兵達は我先にと持ち場を離れて艦内に逃げ込む。
しかし、艦内は艦内で大変な事になっている。
魚雷で開いた穴から入ってくる無尽蔵の海水を塞ぎきれていなかったのだ。
戦艦川竹の艦首はだんだんと海水に向いて行く。
そのせいで艦首は持ち上がり、プロペラが水面からチラチラ顔を出していた。
一方、露天艦橋にいたクラッキ達も厚い鉄に囲まれた艦橋内に入っていた。
この時、艦橋の狭い窓からは艦首が水面に針路を向けている光景が手に取るように見えていた。
「艦長、速力低下。現在八ノットです」
水兵は無気力な声で報告した。
艦長は悔しそうな顔でうつむき、クラッキの方を向く。
「申し訳ありません。本艦は浸水被害甚大、限界もそろそろです…」
クラッキはしばらく無言だった。
艦橋には爆発音だけが何度もこだまする。
艦橋にいる人達の視線は時間が経過するにして自然とクラッキに向く。
クラッキ大将は狭い窓からチラチラと湾内を見ていた。
すると、何か良いものを見つけたのか、クラッキ大将の目はその場所に釘付けになった。
「航海長。舵を渡せ」
「???」
航海長はとても混乱したようで、舵を持ったまま動かなかった。
舵を貸さない航海長にクラッキは強引に航海長を舵から引き剥がし、クラッキ大将自身で舵を握る。
そして、機関室への伝声管を開く。
「機関室、状況を知らせ」
「こちら機関室。駄目です。機関出力が上がりません」
「恐らく何処かの部品がダメになっている。速力は五ノット以上をキープ。十分以内に交換しろ」
そう言い終わるとクラッキ大将は伝声管を閉じた。
「総員、隔壁閉鎖に全力を上げよ。…針路180°反転!!」
次の瞬間、クラッキは思いっ切り舵を右に切った。
戦艦川竹はノロノロと艦首を右に向ける。
その瞬間、目の前に爆炎を上げる戦艦脅竹が見えた。
脅竹は満身創痍であった。
本来想定されていた一、二隻で引っ張るという計画はこの混乱の中では実行されず、八ノットでノロノロと外洋を目指していた。
もちろん、敵機がこの戦果を上げる絶好の機会を逃す訳が無い。
敵機は脅竹に集中砲火をした。
この時、すでに脅竹は爆弾六発、魚雷四発が命中している。
浸水も激しく、速力は四ノットほどしか出ていない。
それでも、重い体を引きずりながら外洋を目指していた。
「艦長、被害甚大です…。機関室は修理不能。主砲は連装砲以外、全門使用不能です」
脅竹艦長はその報告を聞くと、渋い顔をしながら艦橋をうろついた。
実は脅竹は一度も敵艦に向けてこの主砲を向けた事が無かった。それどころか、この戦闘が戦艦脅竹にとって初の実戦だった。
「この主砲が火を吹かない事はまことに勿体無いが…」
艦長はついに決心した。
「総員りか…」
脅竹艦長の視線は左を向いたまま固まった。
艦長の近くにいた水兵も気になって左を見る。
そこには、艦首をこちらに向けている戦艦川竹がいた。
しかも、戦艦川竹はゆっくりだが、脅竹に近づいている。
「総員左舷から退避せよ!!」
脅竹乗組員は右舷に次々と避難する。
この時、戦艦川竹艦橋でも艦首からの退避が発令されていた。
「クラッキ大将、脅竹への距離至近です!!」
航海長が涙目になりながら叫ぶ。
しかし、クラッキ大将はいつもと変わらない涼しげな顔をしながら舵を回している。
「大将!!」
「航海長。静かにしろ。大将と言う位が何たるかを貴様は分かっていないな。機関室。そろそろ修理は終わったか?」
「だいたい終わりました。速力は14ノットほど出ます!!」
「機関最大。陸地を目指せ!!」
戦艦川竹はまるで水を得た魚のようにみるみる速力を上げた。
だが、速力が上がるに連れて脅竹に接近する速度も速くなる。
クラッキは更に舵を回すスピードを速め、舵の残像しか彼らの目には入らない速度になっていた。
しかし、それでも曲がりきれるかは怪しいほどだった。
「距離六十メートル!!」
艦首に現れた水兵が突然叫んだ。
「五十メートル、四十メートル…」
水兵は十メートルおきに叫ぶ。
それは更に艦橋内にいる川竹艦長達を不安にさせた。
戦艦川竹は脅竹の左舷に直角ないし受け流されるような形で接近している。
「二十メートル、十メートル!!」
「総員衝撃に備え!!」
クラッキの叫び声の直後、川竹の左舷からガンガンガンと鉄の殴打音が絶え間なく鳴った。
この音は脅竹と完全にすれ違うまで鳴り続けた。
脅竹とすれ違った後も、川竹艦長達は得体の知れない緊張感に苛まれていた。
まるでまだ、「脅竹とすれ違っていないのでは?」と錯覚している感じだった。
彼らが我に返った頃には湾内にはもう水柱が上がらず、空にハエのように飛んでいた敵機はもういない。
戦艦川竹は直行でドック入りになった。
十劉湾には一応、三つのドックがあるが、弩級戦艦の脅竹が入れるほど大きなドックは存在しない。
つまり、脅竹は海上修理になってしまった。
クラッキ達は戦艦川竹がドックに入ると、艦から降りた。
戦艦川竹の左舷から出ていた立派な15cm副砲は戦艦脅竹とのすれ違いの際に脅竹の船体や副砲に当たり、今は砲身が曲がった物や折れてしまった物がニョキニョキと出ている。
「大将、今回の攻撃はいつもより多かったですね」
川竹艦長が浮いたようにフラフラする意識の中話す。
「そうだな。しかも、あの数は近くに空母“加古”がいるな」
「あの空母がいるのですか!?」
「あくまで憶測だ。出撃なんてバカな事考えるなよ。返り討ちにされるぞ」
その後に川竹艦長から返事が来ることは無かった。
ついに彼は疲労で倒れてしまったのだ。
川竹艦長が倒れた後すぐにクラッキは近くの水兵を呼び、川竹艦長は十劉病院に搬送させた。
クラッキは一応、大本営に報告しておこうと、十劉警備府に向かう。
街は爆撃の影響を全くと言っていいほど受けていなかった。
だが、湾内には廃墟のような脅竹に加え、撃沈された駆逐艦の残骸がそこら中に浮いている。
警備府は上の階が一部吹き飛んではいるが、通信室には何の影響も無かった。
クラッキは今回の空襲の一連の報告を大本営に送る。
ーーーなぜ敵機は突然帰って行ったのか。
この疑問がクラッキの頭の中を占めていた。
実は敵機は脅竹と川竹がすれ違った直後に上空から完全に姿を消していた。
まだ脅竹を始めとする艦艇がたくさんいたのに、だ。
だが、帰ってくれたのはありがたい。
撃沈された艦艇はすでに巡洋艦二隻、駆逐艦九隻だったからだ。
そして、これら撃沈された艦艇はいずれも停泊中に撃沈されていた。
航空機の攻撃は十三ノット以上で航行している艦艇にはまぐれでしか当たらない。
この根も葉もない噂をワ国全体がより一層信じた瞬間だった。
ワ国は一応、航空機は作製出来るが、生産能力が低い上に三機中一機は空すら飛べない不良品だ。
ワ国の技術力が大日帝国よりも低い。
そんな事を信じたくないがゆえの噂なのかもしれない。
クラッキは大本営に報告書を送り、警備府司令長官室に今度は向かい始めた。
最上階は爆撃によって廊下の天井や床に穴が開いているが、通れなくは無い。
「失礼する」
クラッキはそう言って中からの返事無しに司令長官室に入った。
「クラッキ大将殿!?」
警備府司令長官は驚いたように椅子から立ち上がる。
そんな彼の隣には白髪の美少年がいた。
「警備府司令長官、その子供は?」
「私めの親戚の子供でございます…」
司令長官の目は浮いていた。
視線は常に部屋の至る所をキョロキョロと見る。
「その子供は外出禁止令が出ているにも関わらず、街中をほっつき歩いていたスパイでございます!!」
扉から秋雲を処分すべきと言っていた兵士が叫ぶ。
すると、司令長官の顔はだんだんと青ざめていった。
「ふむ」
そう言ってクラッキは秋雲の目の前にしゃがみ込んだ。
「君は…」
クラッキの背後ではあの兵士が喜びを隠し切れずに、ずっとニヤニヤしていた。




