ラ国内戦の終結
ダリアが討ち取られて三日後、ラ国の西側にあるとある漁村。
そこに方とトンがわざわざ足を運んだ。
彼らは別にその漁村を労うために来たわけでは無く、とある戦艦を視察しに来たのだ。
「まさかここにいるとは…」
トンがその艦を見ながら言う。
「耐久力だけはあるからな。あの戦艦、印天は」
彼らの視線の先には九門の15cm舷側砲を空に向けて半ば沈没状態の印天がいた。
甲板のほとんどは海中に没し、かわりに艦底部の赤が海面に出ていた。
この戦艦が見つかったのはこの漁村の住民のお陰では無く、戦艦印天の乗組員のお陰である。
沈没前に印天から逃げ出した乗組員達はしばらくこの漁村で静かに暮らしていたが、一昨日のダリアが討ち取られたというラジオ放送を聴いて自ら投降して来たのだ。
「鹵獲、転用を考えていましたが、この状態は無理ですね」
トンは残念そうにそう言って漁村から立ち去る。
方は一緒に来た整備兵達に「使えそうな兵装を取って修理しておけ」と言って方も立ち去る。
ラ国は依然として戦時体制下にあった。
北方ではストライハイゼンを救援すべく、第四師団や第六師団が郊外でワ国軍と交戦していた。
一方、ナトウェール街は台風が通り過ぎたかのように街は荒らされ、現在復興作業中である。
もっとも心配されていた住民の住居問題は鹵獲した蒸気推進型戦列艦三隻が宿泊艦となった事と陸軍に引き渡した蒸気コルベット二隻も宿泊艦となり、それで解決した。
方はナトウェール街ラ国海軍本部に戻り、自分の部屋へ行く。
机には塔のように積み上がる書類の山が4つ5つほどある。
方は連日、海上交通に関係する大量の書類を部下と共に捌いていた。
主な内容は新ラ国海軍やワ国海軍の残存艦艇に関する物であり、それらの艦艇が時折輸送船団を襲撃しているといった内容である。
一応、ラ国海軍のみならず、フィランチ連邦にも協力してもらい、それらの艦艇の駆除を行なっていた。
「ハァ。遊びに行きたい」
これが方の最近の口癖である。
まわりの部下も同様の事を思っている。
だが、世界有数の港をいかに早く再び開港させるかは彼らの双肩にかかっていた。
彼らは愚痴を交えつつ書類を書き続けた。
ストライハイゼンの戦闘はダリアが討ち取られて四日目の時点でパッタリと鎮静化した。
ストライハイゼンの郊外で戦闘をしていた第四師団がワ国軍を破り街に到着した事もあるが、何よりも街に人が一人もいないのだ。
第四師団は全員で手分けして街全体の捜索を開始した。
「師団長!第九師団本部に向かいませんか?」
一人の兵士が師団長にそう進言する。
「そうだな」
師団長は即決して数十人の兵士と共に第九師団本部へ向かう。
第四師団長は歴戦の指揮官であり、肝っ玉が座っている事で定評のある人物だった。
本部の目の前の広場は有刺鉄線や土嚢が敷かれ、わずかに残り火がある。
この光景がここで激しい戦闘があった事を物語っていた。
本部の中もまるで倒壊寸前の建物のようにボロボロである。
廊下の壁には廊下で大砲でも撃ち合ったのかと思うほど穴がボコボコ空いていた。
兵士達はこの穴から部屋を見渡して「誰かいませんか」と声をかける。
しかし、この声は部屋中に悲しくこだまするだけであった。
「誰もいませんね…」
一人の兵士が諦めたようにこぼす。
他の兵士も師団長の前で首を横に振る。
「…生存者無しか」
「師団長!!」
諦めかけていたちょうどその時、一人の兵士が息を切らしながら師団長に大声で報告した。
「ストライハイゼンの住民の避難場所を発見。住民ならびにそこの防衛隊全員が無事です!!」
なかなか顔に表情を表さない師団長も少し顔が笑ったようになった。
「よし。大本営に報告。住民は全員無事。しかし、兵士の大半が行方不明」
この事は即座に大本営に報告され、方の耳にも入った。
では、消えた兵士はどこに行ったのか。
同時刻。
ムルツメクスはジンジンとする頭を抑えながらゆっくりと体を起き上がらせる。
目の前には白衣を着た二人の博士のような人がガラス越しに立っていた。
「まさか一気にこんな数の試験体が手に入るなんて…」
「本来はダリアが連れて来る筈だったのだがな」
「なんにせよ、兄弟。これであの“化学兵器”が完成するな。さっさと完成させて軍部を黙らせましょう!!」
「そうだな、兄弟」
すると、メガネをかけている若そうな博士がもう一人の博士を目にも止まらない速さで組み倒した。
「何をする兄弟!!」
組み倒された人は必死にジタバタと抵抗している。
この騒ぎを聞きつけたのか、何人かの兵士も現れた。
「アサガオ博士、何をしているのですか!?」
「ちょうど良い所に来た。ヒツノギ博士を始末しておけ」
「えっ、な」
「早くしろ」
うろたえる兵士にアサガオ博士は組み倒していたヒツノギ博士を押し付ける。
兵士は訳が分からないまま、言われた通りに抵抗するヒツノギ博士を引きずって部屋を出た。
「フッフッフ。やはりこの芳香は世界に影響を与えているな」
そう言いながらアサガオ博士はポケットから小さなアミュレットを取り出す。
アミュレットは何の変哲もなく、ただただキラキラと輝いている。
そんなアミュレットをまるで宝石でも見ているかのように彼は鑑賞する。
「あぁ、やはり美しい。あぁ、なんと美しいか。こんなにも小さな物で世界が変わる…。なんともロマンチックではないかね!?」
突然アサガオ博士はムルツメクスの方を向いた。
ムルツメクスを見る彼の目はとても怖い。
怖い以外の言葉が見当たらないほどに怖い。
ムルツメクスがビクビク怯えている姿を彼は無表情で鑑賞している。
「とりあえず、君達は今日から我が実験の材料となるのだ」
「いやだ。行きたくない!!」
背後から叫び声が聞こえた。
後ろを見ると、鎖で繋がれたラ国兵が複数人の科学者に取り押さえられて別室に連れて行かれる光景が見える。
「何。心配する事はない。私はただ、君達の髪の毛が欲しいだけだ」
「髪の毛?」
「そう。髪の毛。君達の髪は彼によって造られた。非常に特別な髪だよ」
その後もアサガオ博士の話はとどまる所を知らずに続いた。
ムルツメクスはその話を右から左に聴き流して反射的にこの話の内容を記憶しなかった。
気が付くと、アサガオ博士は息切れを起こしながら「どうだったかね?」とムルツメクスに聞いていた。
ムルツメクスは適当に首を縦に振るだけである。
「ハァ」
すると、アサガオ博士は落胆したかのようなため息をついてトボトボとムルツメクスの前から去って行く。
アサガオ博士は何冊かの分厚い本を持って席についた。
彼の机はまあまあ広い筈だが、両脇に高く積み上がる本と書類の山が机を小さく見せている。
アサガオ博士。
彼はワ国中核研究所の所長であり、ワ国内において大臣を凌ぐ絶大な権力を持っていた。
だが、そんな彼をも上回る権力を有する軍部と権力的争いをしている。
アサガオ博士はしわしわの髪をほぐすように頭を掻きながら書類に目を通す。
その書類には軍部内に放った日雇いの諜報員からの報告が書かれている。
「やはり“フリー85x”は優秀だな。彼の報告書は軍部内の様子が手に取るように分かる!!」
アサガオ博士は小声で言ったつもりだったが、実はかなり響いており、まわりの研究者や助手がビクッとした。
「アサガオ博士、声が大きいのでは?幸いにもまわりにワ国兵がいませんが…」
若い助手の一人が心配そうにアサガオ博士に言う。
スパイの件は研究所にとって極秘であったようだ。
「ハッハッハ。すまないすまない。つい面白くてな」
「博士。一体何が面白いのですか?」
「軍部と現地軍で衝突が起こっているのだよ。軍部の方針は早急に大日帝国と広陸帝国の連合軍を殲滅しろと言っているが、現地軍側は国内で発生している反乱軍を先に殲滅しようとしている。この対立が面白くてね。我々にとっては好都合だし」
「なぜ方針が食い違うのですかね?」
若い助手は何の躊躇いも無くアサガオ博士に質問する。
ーーー彼もまだまだ若いな。
「そうだな。反乱軍は内部で国内を荒らし回っている。そのおかげで戦場に物資があまり届いていない。つまり、これは兵站に関する認識がお互いに違ったんだ」
若い助手はよく分からなそうな様子だったが、コクリと頷いてその場を去って行く。
ただ、正直、アサガオ博士にとって彼が軍内部の状況を理解しようがしまいが、関係無かった。
今のアサガオ博士はただただ実験の事で頭が一杯だった。
数時間後、サンプルが溜まった。
その背後ではボロボロの研究者達がいた。
それはサンプルを溜めるのに時間がかかった理由をうっすらと表していた。
ラ国兵は赤の他人から髪を切られる事を嫌っていた。
従って研究者達は彼らからの同意がなかなか得られず、最終的には研究所内の全てのジュース、お菓子、甘味物…。
彼らが望む物に全力で応えて機嫌を取り、同意を得ようとした。
しかし、研究所に無い物ももちろんある。
そこで研究者達は研究所の外に出て彼らの望む物を片っ端から購入した。
ここで研究者達を困らせたのは、研究所は人里から離れた山中にあるという事だった。
研究者達は人里から研究所を何往復もして彼らの期待に応えた。
…ある意味、あのサンプルは研究所の残金の化身であった。
「さて諸君。これから実験を始めるぞ!!」
アサガオ博士の元気な声とは裏腹にやる気の無いしょぼい返事が返ってきた。
「どうしたのかね諸君!?」
このしょぼい返事には思わずアサガオ博士も心配になる。
「その、研究資金がありません…」
そう言って一人の研究者が今月の資金を見せる。
残金、マイナス三十万。
アサガオ博士は開いた口が塞がらなかった。
研究者達も現実から目を逸らして明後日の方向を見つめる。
こうしてアサガオ博士の研究は一時頓挫する事になった。




