表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

episode 1

その冬はやけに寒かった。


だからなのか、朝、いきなり夫の咳が止まらなくなった。


「ごほごほっ」


冷え込みが強くなる早朝。この寒暖差で咳が出るのだろうか。一度出始めるとなかなか止まらない。


咳止め、のど飴、水分を駆使してなんとか治まるが、ここのところ夫の咳が毎朝で、こちらも少々辟易していた。


最初の頃は大丈夫? と声を掛けていたが、「咳が止まらないのに、話しかけられても返事ができないから困る」と言われてからは、不用意に心配すらできなくなった。


熟年夫婦、結婚20年。


非情と思われるかもしれないが、放っておくのが一番だし、こちらも気疲れしないということに気がついてからは、大丈夫? と問わなくなった。


ある日のことだった。


リビングの掃除をしていたら、キラリと光るものが落ちていることに気がついた。


「なんだろ……?」


拾ってみると、ダイヤのような輝きのある透明な物体。手のひらに乗せてみる。小豆より小さいくらいの、ガラスの粒だった。


見覚え?

もちろんない。

私はこういうビーズやスワロフスキーが装飾された服は好まない。

だから、私のものじゃない。

だが、この煌めきは、絶対に女性のもの。

だとしたら、夫が落とした浮気の証拠の欠片なのだろうか。


私たち夫婦は最初から、子どもは授かれないと分かっていたので、夫婦仲良くやってきたつもりだった。

ショックだった。


仕事から帰ったら、問い詰めてやろう。

とりあえず、証拠としてスマホで写真を撮ろうと思い、手の上に乗せて写真を一枚。


パシャ。


と同時に、ひゃっ!


ふいにしゃっくりが出たのだ。

よく見ると、手の上に乗せてあったガラスの粒がない。


「あれ? 落としたかな?」


浮気の重要な証拠だ。写真は撮ったけれど、実物がないのを理由に白状しないかもしれない。


そう思い、テーブルの下にまで這いつくばって探したが、とうとう見つからなかった。


「まあいいや、こっちには証拠写真がある」


そう思って、長い長い夕暮れを孤独に耐えながら、夫の帰宅を待った。



夜、とっちめてやろうと思っていたけれど、実際仕事で疲れ果てている夫の顔を見たら、そんな気にはなれなかった。


証拠のブツも無いわけだから、知らぬ存ぜぬで押し切られてしまうかもと、気後れしてしまったってこともある。


その日は眠れなかったが、さすがに夜明け前には眠ってしまい、なにも聞けぬまま朝を迎えた。


この日も寒い。厳しい冬の寒さ。

そういえば、夫と出逢ったころも、こんなような寒さだった気がする。

淹れたてのコーヒーを飲みながら、回顧する。

少し涙が出て、私は夫を愛しているのだと、改めてそう思った。


「おはよう」


夫が起きてくる。


「おはよう」


私が、コーヒーの湯気で涙を誤魔化していると、また夫の咳が始まってしまった。


夫は手で口元を覆い、洗面所に駆け込む。ドアをバタンと閉めて、ごほんごほんと咳く音が、遠く聞こえてきた。


(また聞きそびれちゃった……咳、大丈夫かな)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ