お色気の授業(3)
「まあ……ここから先はサービスしすぎだから、してあげないね」
「へ、あ?」
かと思えばするりと手を離し、体も離れていく。
わかりやすくがっかりした声が漏れるが、松田の目には涙が浮かんでいた。
その様子にまたくすくす笑う神野。
「これ以上サービスすると性癖歪ませそうだしね。男相手に勃つようになったら可哀想」
「え、え、え……え……!?」
「でも、まあ、これで少し“実体験”してと理解はできたでしょう? 色気に男とか女とか関係ないんだよね。ねえ、梅春、今自分がどんな表情をしているか、振り返って鏡で見てごらん」
楽しそうに指先を鏡に向けた神野に言われるがまま、松田が恐る恐る振り返る。
壁は鏡張り。
自分の涙を浮かべた真っ赤な顔を見て、目を見開いてますます顔を真っ赤にしてしゃがみ込む。
「松田もちゃあんと可愛くなったよね。その顔を忘れずに、精進していくといいんじゃない? 俺、さすがに人一人の人生の性癖を歪ませて責任は持てないからこのへんでやめておくけど」
手遅れでは?
「手遅れじゃね?」
あえて淳が言わなかったのに、石動がさらりと言っちゃった。
しかし神野的には「ギリギリそこまでじゃない」とのこと。
その線引きまでわかるのか、この人。やばい。
「これはただのファンサ」
「オタク特攻すぎる」
「当然じゃん。俺、アイドルなんだからね。一応」
と、言ってウインクする。
淳、無事に床に沈む。
グループメンバー三分の二を沈められた石動、半目のままなんとも言えない表情。
「お待たせしました――ああ、やっぱり先に始めておられましたか」
「チッ。おっせぇな。どこで油売ってやったよ」
「お疲れ様です……槇さん……」
「死屍累々……とは言いませんが、想像以上に効果抜群のようで?」
なにやら大きめの鞄を持って入ってきた槇は、しゃがんで泣いている松田と床に突っ伏す淳を見て目を細めながらそんなことを呆れた声色で言う。
よろりと起き上がり、槇を見上げると「レッスン後に仕事の話をしましょうね」と言われた。
「別にいいよ。ちょっと休憩しようと思っていたし」
「おや、よろしいのですか?」
「まあ、しばらくは動けなさそうだし?」
と、神野がしゃがみ込む松田を見下ろす。
これはまあ、間違いなく……うん、と石動が頷いてから「武士の情けだ。トイレ行ってこい」と親指で出入り口の扉を差す。
半泣きの松田がそろりそろりと出ていく。
「DTオタクを舐めすぎだぜ、先輩」
「…………狂わせちゃったかな? ま、それならそれで罪な俺ってことでね」
「コエー……」
てへ、と頬に人差し指の先をつけてウインクする神野。
可愛さまでかましてくる推しの姿に再び床に沈み込む淳。
モデルの容姿スキル本当にヤバい。
「仕事の話なら別グループの俺も聞かない方がいいだろうし、俺もちょっと休憩してくるね。三十分くらいで一度戻ってくるから」
「わかりました。ありがとうございます」
気遣いまで完璧な推し。
口を手で覆って涙を流すオタクの強火具合に、さっきよりドン引きの石動。
「ところで梅春さんは神野様でトイレに駆け込んだということは今日から神野様推しですよね? 神野様推し先輩として同志の誕生を心からお祝いしなければ」
「やめろやめろやめろ」
「仕事の話なんですけど、いいですか?」
「もういいよ、どんどん勝手に話していけよ。こいつこんなのでも結構優秀だから、聞いてないようでちゃんと聞いているでしょ」
「うっ……。……ちゃんと聞きます」
正座して聞く態勢を取る淳。
石動、本当に人の動かし方を心得ておられる。
槇はパイプ椅子を持ってきて、「それでは」と鞄からタブレットを取り出した。
「FrenzyのメンバーにVtuberがいるため、半数はイラスト動画で作られることになりました。これはワイチューブでVtuberを中心とした層の取り込みを目的としています。とはいえあの層は広く深い。母体数がかなり多いため、売り出したい曲を中心に制作していくことになります。お二人だけの撮影MVも制作予定ですが、デビュー後にも追々、ということで」
「ふーん。まあ、Blossomより情報規制強いからなぁ、Frenzy」
Frenzyを“うち”と言ってくれるくらいには、このグループを“居場所”と思ってくれている。
それを知って少し、いや、かなり嬉しくなった。
「次にジャケットの撮影はほぼ終わっているので、来週にはサンプルが三種類上がってきます。確認をよろしくお願いします」
「ああ」
「はい」
「またポスター用のゲラがこちらで……」
とタブレットを見せられる。
淳と石動、そしてVR3Dの松田。
ちょっと絵面が面白い。
「なんか……おもろ」
「ふふ……。なるほど、これは……なんか、Vtuberがいる、っていうのの面白さがわかる気がします」
「Vtuberは今ものすごい勢いで増え続けていますからね。Vtuber事務所も大手は海外展開までしていますし。そういう強みを春日芸能事務所でも活かしていければ、ということでしょう。実際春日芸能事務所はモデル部門が海外での活躍が多いですし」
「それで英語を覚えろってのか」
「そうですね」
「え」
聞いてない淳。
石動は元々それなりに家柄がいいので、結構喋れる。
淳も聞き取りはそこそこだが、喋る方は自信がない。
「翻訳ができる程度にはしっかり勉強してほしいとのことです。ちなみに英語カスカスの松田くんには自動翻訳イヤホンが渡されるそうですが、音無くんはどうですか? イヤホンがいいですか?」
「え、ええと、まあ、はい。イヤホン……?」
「春日芸能事務所の方で独占開発したゼロ秒翻訳を可能にしたイヤホンだそうです。ちなみにこちらが試作品」
と、鞄から三つの色のイヤホンケースを取り出された。
青、ピンク、紫。
青は石動、ピンクは淳、紫は松田のイメージカラーになる予定らしい。
「音無くんの髪の色が今、ピンク系なのでこちらの色になったそうですが、今後また髪色を変える場合はそれ以降イメージカラーとして使用したいので事務所と相談をしてほしいとのことです」
「わ、わかりました」






