成長してきて、成長していく
十月一週目、金曜日。
一年A組の昼休みに、千景がおずおずと後ろの扉からキョロキョロと顔を覗かせる。
それに気づいたのは周。
どうかしましたか、と優しく声をかけるとビクウッと肩を跳ねさせる千景。
しかし、さすがに同じチームAなのでそれなりに慣れてきた。
「えっと、あの……音無くんに……確認事項が……その……あって……えっと、定期ライブの、ステージの……場所と、順番の、えっと……」
「ああ、そうなんですね。すみません、淳は今日、早退してしまったのです」
「え、音無くん、早退したんですか?」
「ええ。今日から定期的に演技指導の個人依頼が入ってるんだそうです」
「演技指導……」
へぅ、と変な声を出して口に手を当てがい考え込む千景。
先日の――日守風雅に対する態度を思い出して「ああ、先日の“神野栄治”様でしたもんね……」と納得。
その様子に目を点にする周。
「神野栄治……様?」
「あ、はい。そうです。先日、日守くんに対する……あのー、た、態度が……おかしいなって、お、思ってたんですけど……あれ、神野栄治様の“演技”だったんですよね……はい」
「あれも演技だったのですね。しかも、あれが“神野栄治”」
「は、はい。色艶のある仕草、声色、上から目線の超毒舌。挑戦的なのに扇情的で独善的。言ってることはど正論。かつ、正論は人を真っ二つに傷つけることを理解した上で、言葉の刃を振り下ろす! 世界にも通用する美貌とパフォーマンスに歌唱力。東雲学院芸能科の歴史を変えたと言われるツルカミコンビの“神”。料理も上手く美意識も高い。一度彼のパフォーマンスを生で見たら、もう忘れられなくなると言われている『黄色い彼岸花』とも例えられる、日本屈指の完璧で究極のアイドル!」
うっとりと絶賛の言葉が止まらない千景に、周がややドン引きしつつ「そ、そうなんですね」と答える。
淳も相当だが、淳は興味のない相手に無理に布教しようとしない。
主に動画などは、勉強にもなるからと勧めてはくるけれど。
なので淳が抑えている部分の情報がぼろぼろ出てくる千景の“神野栄治”語り。
ファンの間、ファン以外の一般人評価ですら『毒舌』や『独善的』などと言われているとは恐れ入る。
そしてそんな評され方をしていても、それをひっくるめて高い評価を得ているのも事実。
(改めてすごい人物ですね、神野栄治――先輩)
ふむ、と少し思うところはあるものの、ドルオタ全速力をかました千景が途端に我に帰る。
ごめんなさい、すみませんと土下座態勢に入ったので、慌てて同じく床に膝をつけてやめさせようとした。
淳方式のやり方――いわゆる褒め殺し。
「御上さんは本当に淳と同じくアイドルにお詳しいので、勉強になります。ありがとうございます」
「んえええ!? そ、そ、そ、そんな、そんなことおおぉ!?」
「まあ、話を戻すとそういうことです。見る人が見れば誰を演じているのかわかるほどに、淳の演技力は高い。正直、演技に関して自分もよく理解しておりませんでした。ですが、淳の演技力はプロに絶賛を受けるレベルです。彼の演技力を評価した方から、個人的に演技指導を受けたいと依頼があったそうで、一週間に一度、金曜日の二時間程度はそちらの仕事に行くそうですよ。放課後には戻りますので、急ぎでないのでしたらお待ちいただいても大丈夫かとは思いますが……」
「んえ、ぁい、いえ! そ、そうなんですか、そ、そ、そうなんですね、え、すごい……わ、わかりました……あの、では後ほど……」
「はい、わかりました」
手を振って千景を見送ってから、息を吐き出す周。
実際、ドルオタ二人はパフォーマンスも体力も持久力も知識も豊富。
正直星光騎士団のあの地獄のレッスンとIG夏の陣を乗り越えた自分たちと同等の実力を持つ千景を、周は純粋に“対等以上”と認識している。
あの激戦、IG夏の陣はかなり周と、そして魁星の意識を変化させていた。
あれを最後まで楽しんで乗り越えた淳は、二人がリスペクトすべき『アイドル』。
千景は、そんな淳と同等な『アイドル』だと思っている。
そんな二人が共通で絶賛し、なんならちょっと信仰入っているアイドル“神野栄治”。
正確には“ツルカミコンビ”。
(確かに……偉大なる先輩アイドルを学ぶのも必要かもしれませんね)
実を言えば自立するためにアイドルを始めたものの、アイドルを永遠に続けるのは困難だと理解もし始めている。
アイドルの、その後。
淳も「卒業後は芸能界でも別の職種になる人が多いし」と言っていたのを聞いて、周もアイドルで知名度を上げたあとのことを考え始めていた。
先輩たちの進路を聞いて、調べて、自分ができそうな職種を絞っていこうと思っていたところ。
淳と千景の知識は、それにきっと役立つ。
もちろん、目先のライブを完璧に仕上げてお客さんを楽しませ満足させることを最優先にするけれど。
(さて、我々の中では最初から進路の決まっていた淳にとっては演者としての第一歩かもしれない“仕事”が始まっている頃でしょうかね。まさかオーディションの依頼からお仕事を取ってくるとは。自分も営業関係もっと勉強しましょう。淳におんぶに抱っこでいるのは、純粋に癪です)
同い年で、同学年で、同期で、友達。
最初こそ歌うことのできなかった淳が、声変わりを終えた途端まるで水を得た魚のように毎日倒れるほど練習していた魁星と周を突き放して先へ進んでいく。
声の出ない淳が『第二部隊隊長』だったことを、本心では納得していなかった。
どうして、自分たちの方が――と、思っていた。
だが凛咲や綾城たちの見立てはなにも間違っていなかったのだ。
自分たちと音無淳では基礎スペックがもう、最初から差があったのだから。
今は完全に、淳のことを『アイドル』として尊敬し、仲間として――部隊の隊長として信頼している。
彼が隊長でよかったと、心から思っている。
だからこそ、彼のためにもっと自分を高めて役立ちたいと思うし、彼のような『アイドル』に近づきたいと思う。






