アイドル第一歩(7)
VRフルフェイスマスクを智子に預け、今まで使っていたフルダイブ型を箱から取り出す。
が、あくびが出た。
(ダメだ……眠い。『SBO』したいけど、ライブオーディションに集中した方がいいかな)
と、考えていると自室のドアがノックされる。
返事をして迎えると、智子が入ってきた。
「お兄ちゃん、ほんとにこれ、チコが預かってていいの?」
と、VRフルフェイスマスクを持って戻ってきた。
買ってくれたのは智子なので、智子が持っていて遊んでも構わないのだろうけれどさすがに受験生も遊ぶのは考えてしまうのだろう。
「実は五月四日に春日芸能事務所主催のライブオーデションがあります」
「は!? か、春日芸能事務所って栄治様所属の――!?」
「そう。俺は今歌が歌えない。でも、星光騎士団第二部隊の隊長に任命されたんだ。つまり、なにがなんでもダンスだけで目立つしかない。かなり絶望的な状況だけど、やれることはやりたいんだよ。そのためには……ゲームを断つ……!」
「っ、そ、そうなんだ。それは……確かにゲームを断つしかないね……! 五月四日を過ぎたらちゃんとレベリングしてね!? ツルカミコンビからゲーム内ででっかいお知らせがあるらしいから!」
「え!? そうなの!?」
智子がスマートフォンを取り出して、突き出してくる。
SBO公式ツブヤキッターアカウントから『4月20日19:00にゲーム内でツルカミコンビに関する超大型情報を先行公開!』というツブヤキが。
「なになになに!? めちゃくちゃ気になる!」
「だよねー! やっぱり大型レイドバトルにツルカミコンビが参加するのかなぁ!? あああ! チコも早く受験終わればいいのにぃー! ……ちょっとだけチコもゲームしちゃダメかなぁ!?」
「のめり込まなければちょっとくらいいいんじゃない……?」
「いやー! ダメダメ! 北雲は偏差値60越えだもん……今のままじゃ絶対無理……!」
「東雲の芸能科も受けるんでしょ? 東雲の芸能科も男女校舎ごと分かれてるから、東雲でもいいと思うんだけどなぁ」
と、言うと智子が唇を尖らせる。
小学生の時、変質者に襲われかけて以来家族以外の男性に恐怖心が拭えない智子は、中学も女子校。
四方峰町にある四つの高校で女子校は北雲のみ。
だから智子の志望校は北雲学園か、東雲の芸能科。
「そうだけど……できれば北雲がいい。東雲の芸能科ってアイドル活動必須じゃん。ミニスカ履いておっさんたちの前で歌うのは無理」
「うーーーん……」
首を振る智子。
こればっかりはファン層の偏りがどうしても関係してくる。
男女に分かれているとはいえ、月に一度月末に定期ライブがある東雲学院芸能科。
男子校舎は女性多めだが、身内の父兄や親戚、アイドル志望の男の子も来る。
だが女子校舎側はどうしても幅広い年代の男性が圧倒的で女性は少ない。
「それに、チコ、高校卒業してからもモデルやるつもりないもん。自分がやっていけるほどの美少女じゃないのわかってる」
「そうかなぁ? 智子は成長しても可愛いよ?」
「無理無理。158センチで身長も止まっちゃったしさぁ。モデルとしてやってくにはちっちゃすぎる。女の子のアイドル寿命なんて二十代前半まで。普通に企業就職して、OLやりながら推しに貢ぐドルオタ道を進むの」
「現実的だなぁ」
我が妹ながら、夢など一才見る気はないらしい。
しかし、そんな現実を言われると淳は自分の“ミュージカル俳優”という夢が甘っちょろい戯言のように思えて俯いてしまう。
実際東雲学院芸能科に入学して二週間ばかりで、すでに才能の格差を目の当たりにしまくっている。
特に――本物の綾城珀。
地上波テレビにも出ているだけはある、アイドルのオーラというものを、直に感じてしまった。
「でも、チコはお兄ちゃんのミュージカル俳優の夢は全力で応援するよぉ! チコはお兄ちゃんの一番のファンなの! だからお兄ちゃんをずっと推す!」
「智子……」
「五月四日のライブオーデション、絶対頑張ってね!」
「うん! がんばる! ……でも四月二十五日の先行公開情報は見に行きたいよね」
「んねぇーーーー! なんだろう! もうめちゃくちゃ気になるヨォ!」
くねくねしながら悶絶する妹。
平日だが、夜に二人でログインする約束をしてその日は寝ることにした。
◆◇◆◇◆
先輩たちが“地獄の洗礼”と呼んでいたのはこれのことだったのだろうな、と――最初十一人いた予備部隊が三人に減った頃、察した。
倒れる花房と狗央と大川。
休日返上で練習を重ねた結果、ギリギリ形になった一週間後の月曜日。
「思った以上に根性なししかいないじゃん! あれだけ大口叩いてたやつら全員ドロンかよ!」
「残ったのはやっぱり半分以下やねぇ。淳ちゃんはやっぱり歌えそうにないん?」
「はい、喉がヒリヒリしてしまうし、思ったような音程が出なくて」
「ほな、無理はせぇほんがええね。定期ライブのお披露目はこの四人でやるしかあらへんやろか?」
と、花崗が綾城を振り返る。
そうだね、と微笑む綾城。
ファーストシングルとセカンドシングルを歌って踊れるようになった、と認めてもらえたということだろうか。
四人が集まった先輩たちを、汗だくになりながら見上げる。
宇月はずっとむすっとしており、三年の先輩たちと違って納得はしていなさそう。
入り口でSDの頭を撫でつけている後藤は、なにを考えているのかわからないけれど。
「お披露目はできるけど――狗央くんと大川くんは本当にこのままうちのグループでやっていけそうかな?」
と、綾城が床に突っ伏したまま起き上がれない狗央と大川に問う。
花房は鏡に寄りかかってペットボトルの水を飲んでいる。
子どもの頃から舞台慣れしているのと、神野栄治の真似で朝にランニングする習慣のある淳は大川と狗央ほど体力と持久力がないわけでもない。
綾城が無慈悲なほどにはっきりと「うちのグループの通常練習量はこのくらいだよ」と言い放つ。
およそ四時間は、頭も体も休憩なしで動きっぱなし。
それが一週間。
よく考えれば中学から上がったばかりの十五歳に、この練習量はえげつない。
しかも完成度も求められる。
入場料としてお客さんからお金をいただくのだから、生半可なものを見せるわけにはいかない。
セミとはいえプロとしてやらなければいけないからだ。
そのようなプロ意識は、入学してすぐにこうやって叩き込まれる。
元々神野栄治から星光騎士団、東雲学院芸能科、四方峰町の芸能科アイドル全般のセミプロアイドルオタクになった淳はそのあたりをちゃんと弁えていた。
凛咲と綾城はそれを見抜いて、予備部隊ではなく第二部隊に淳を入れたのだと今ならわかる。
ものすごい審美眼だと思う。
だから、それについて来れない者は去るしかない。
これは“この世界”からの、優しい最後通告。
「――辞めます」
大川が吐くように呟いた。
綾城が「そう」とタブレットを操作してグループホームから大川の名前を削除する。
宇月が狗央に「あんたはぁ?」と聞く。
「……まだ、やりたいです……」
こちらも吐くように答える。
しかし、顔を上げて、先輩たちを睨みつけるように言う。
それに先輩たちがほくそ笑む。
「今日はここまででいいよ。定期ライブまでの残り一週間で三人だけでより完成度を上げておいてね。あ、残る子はシャワーを浴びて着替えたらブリーフィングルームに寄ってほしいな。よろしくね。大川くんもシャワーは浴びていっていいけど、ロッカーは片づけておいて。制服やジャージも洗濯してから返して」
「は、はい」
じゃあ、と笑顔でスタジオを去る先輩方。
大川はよろよろ起き上がり、無言でスタジオを出ていった。
「一応、合格点……もらえたってこと……?」
「これ、合格なのか……?」
「狗央くん、ほんとに大丈夫?」
手を差し出すと、眉を寄せながら「ランニング、始めてるから……絶対すぐ追いつく」と憎々しげに言われてしまった。
「狗央くんって意外と負けず嫌い?」
「そうだが?」
花房と顔を見合わせて、狗央の返答に笑ってしまった。






