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マーヴィンス

 マーヴィンスは自分がエスコートを任されたお姫様の指先が震えていることに気が付いていた。

 その手を自分の手のひらで握り返すことができたらどれほどよかっただろう。けれどマーヴィンスにその資格はない。ただ適切な距離を保ってエスコートし、隣国の使者(自分たち)に準備された休憩室に案内するだけだ。後ろからついてくるシルフィの存在がただただ頼もしい。自分が意気地なしの臆病者であることはマーヴィンス自身がよく理解していた。

「どうぞ、お座りください。レディ・ベリンダ」

「……ありがとう、マーヴィンス」

 指先の震えなどみじんも感じさせない凛とした声色でベリンダは礼を言ってソファに座った。その間にシルフィが城の侍女にお茶の準備を命じる。彼女も自分は貴族なんてふさわしくないという割に、その立ち振る舞いは堂に入ったものだ。

「お姉さま、お菓子はお召し上がりになる?軽食のほうがいいかしら」

「いいえ、結構よ」

 冷たく聞こえるほど短く答えるベリンダの内心を推し量るのは簡単だ。彼女はきっと、今すぐにでもトリルトンの言っていたことを知りたいのだろう。マーヴィンスとシルフィはアイコンタクトで頷きあった。

「わかりました。マーヴィンス」

「ああ」

 お茶だけを終えて、マーヴィンスはベリンダの向かいに腰かける。シルフィはべリンダの隣に座ったので、ベリンダは驚いた顔でシルフィを見た。

「あなた」

「あ、私が隣に座るのは嫌ですか?ごめんなさい、お姉さま」

「いえ……だってあなた、その、マーヴィンスではないの?結婚の約束をしたというのは」

「ええっ?!そんなわけありません!……ありませんよ?本当です。本当の本当です」

 ベリンダの口から飛び出た言葉にマーヴィンスもシルフィも度肝を抜かれたが、まさかそんなわけない。シルフィが言うのに合わせてマーヴィンスも激しく首を振った。

「私のことはどうでもいいんです。マーヴィンス、リネット様のお話でしょう?どうして誰も言ってないのかしら!」

「私も驚いた。……レディ・ベリンダ、いや、ベリンダ様。伯父上がああ言っていたからわかると思うが、これから話すことは全部本当のことだ。後で再度伯父上に確認してもらっても構わないし、母上を呼んで話をしてもらったほうがいいかもしれないな。あなたの母君――クラリッサ様が、亡命した母と私をかくまってくれた、ということを」

 それはマーヴィンスが五つになるころだった。

 当時の城ではとある病が流行っていた。王弟が玉座を奪い取るために井戸に毒を流し流行らせた病で、王と王太子はその毒を多量に摂取して亡くなった。もう一人の王子もまた後遺症を負って屋敷から出られなくなり、王太子妃は毒に侵される前に子を連れて隣国に避難した。そう、リネットとマーヴィンスのことだ。

 母の親友ことクラリッサ・ノーラント侯爵は情の深い人だったとマーヴィンスは思う。自分の立場も構わず隣国の元王太子妃を保護し、暮らしを保証してくれた。母はずっと泣き暮らしていたが、マーヴィンスはまだやんちゃ盛りの子どもだったのでクラリッサの手引きで近隣の孤児院の子どもたちと遊ばせてもらったりもした。ただし、ベリンダと遊ぶことができなかったのは彼女が難しい立場である自分と関わるべきではないから、と判断したのだろうと今ならわかる。クラリッサは情が深い一方で、非常に冷静な侯爵でもあった。何せベリンダは婿を取らなくてはならない立場なのだ。玉座を簒奪した王弟に命を狙われる可能性もまだ残っているマーヴィンスは相手に相応しくない。

 挨拶をした時、マーヴィンスは一目で彼女を気に入ったのに。手をとって花を摘んで、母に教えてもらった花冠を拵えてあげたかったのに。それは叶わぬ夢だった。

 マーヴィンスが本格的にベリンダに肩入れをし始めたのは、クラリッサが亡くなり、ノーラント侯爵代理になったクラリッサの夫が不倫相手を連れてきてからだった。幸いベリンダの異母妹であるシルフィは呑気で素直な善人だったので、二人で協力すればベリンダの立場をぎりぎり守ることくらいはできた。さらにマーヴィンスは使用人に紛れ込んで家の状況を把握し、家計を握り、最終的には老執事の協力を得て裏で帳簿を操るところまでたどり着いた。それも国に帰るまでだったが。

 トリルトン=ベルカス公爵は執念深く事件を調査し、王弟であった王と、先王の側室を告発した。逃れられない罪の証拠により二人は処刑され、後遺症を負って引きこもっていた第二王子が玉座についた。もちろん後遺症というのは名目で、彼はトリルトンの手助けを得て国の貴族を掌握していたのだ。

 叔父(現王)伯父(公爵)に呼び戻されれば国に帰るしかない。リネットは久々に晴れやかな笑顔を見せていたが、マーヴィンスは祖国のことよりもベリンダのことの方がよほど気がかりだった。だいたい叔父にももう子どもがいるのだから、自分はやっぱりその場をややこしくだけの存在だ。何より王族としての教育を受けてこなかったのだから、王位継承権などあっても邪魔なだけである。

 血筋だけなら誰よりも相応しいと思われたマーヴィンスはそう言って成人するなり継承権を放棄した。編入した貴族の学園にて良い成績をおさめても、何も主張することなく無口に伯父の手伝いに回るだけだ。トリルトンには妻も子もいなかったので養子に取ってもらえれば後を継いでもいい。そうでないなら適当に王城にでも勤めて、叔父の邪魔にならないよう立ち回ろう。マーヴィンスには未来の展望がなかった。

 気にかけていたのはベリンダのことだけだ。彼女が成人する前に後ろ盾としてトリルトンを紹介しなくてはならないと考えていた。トリルトンの仕事量が半端ではなく、ようやく外交の仕事に着手して隣国に渡った途端こんな騒動になるとは思ってもいなかったが。

「ベリンダ様、私と母と伯父上、いや――我が王家にはあなたに返しきれない程の恩がある。必ずあなたの愚かな元婚約者が手を出せぬよう取り計らうと誓うし、あなたが平穏無事に当主の座につけるよういかなる障害も排除しよう。いきなりこんな話をされて驚いたかもしれないが、信じてくださるだろうか」

「……、ええ。信じます。トリルトン殿下が冗談を言うとは思いません。母は、もしかすると父にもあなたとリネット様の素性を教えてはいなかったのかもしれませんわ。だからどうか気に病まないで」

「あなたの恩情に感謝する、ベリンダ様」

 クラリッサがノーラント侯爵代理にマーヴィンスの素性を伝えていなかったというのはあり得る。あの厚顔無恥な男が知っていたのなら、報酬をトリルトンに求めていた可能性すらあったのだから。ベリンダを守るためには彼女が知らないことが一番安全だったのかもしれない。

 一通り話し終えたところでドアがノックされ、入ってきたのはトリルトンだった。自分と同じ髪色の男にマーヴィンスは頭を下げる。ベリンダが退出したらきっと説教されるのだろうな、と遠い目で考えた。

「レディ・ベリンダ。マーヴィンスから話は聞けたかね?」

「ええ、トリルトン殿下。事情は理解いたしました」

「それはよかった。君の恥知らずな元婚約者はきちんと追放しておいた。そしてノーラント侯爵家の膿も、許されるならば私に任せてはくれないかな?」

 トリルトンの笑顔にはすごみがある。マーヴィンスの中で、伯父は敵に回したくない男ナンバーワンだ。もしかすると、仮にマーヴィンスが玉座を望んだのならこの男がバックについて道は平坦だったのかもしれない。想像するだけで恐ろしい。

「……シルフィはどうなさるのです?」

「この小さなレディの身柄は私が預かるという話になっている。そうだろう?」

「ええ、ベルカス公爵閣下」

 シルフィはためらいなくうなずいたが、ベリンダは心配そうにシルフィを見ていた。実際のところ、ベリンダはそこまでシルフィを嫌っているわけではないとマーヴィンスは感じている。ただ二人は姉妹という距離感では心地よくあることができない。だからノーラント侯爵となるベリンダと、貴族でありたくないシルフィは一緒に暮らすべきではないのだ。

「お姉さま、私はお母様とお父様は罰されてほしいわ。そして私は貴族であるべきじゃないの。ベルカス公爵閣下はご存じですから、問題はありません。さっき言った将来を約束したって、ベルカス公爵閣下に隣国へ連れてっていただくことをお約束いただいたってことなのよ」

「……あの場で嘘を言ったの?とんでもない子ね」

「嘘じゃありません。将来の身の振り方を約束いただいたってことですもの」

 しれっと言うシルフィにベリンダは嘆息した。どんな場でも緊張せず、飲み込まれず、自分がふるまうべき姿を貫くシルフィはとんだ役者だ。「そういうことだ、レディ・ベリンダ」トリルトンもうなずく。

「貴族としても十分嫁の貰い手はあると言ったのだがね。この小さなレディはわきまえているようだ」

「わかりました、シルフィが選んだのなら私は口を出しません。父とその妻のこともお願いしたく思いますわ。私では力不足でしょうから」

「任せたまえ。ああ、それと。君の新しい婚約者についても、ふさわしい者を選定しよう。安心したまえ、君は選ぶ側だ。お眼鏡にかなうまでどんな男でも連れてくると約束する」

「え、ええ……」

 トリルトンの傲慢さすら感じさせる物言いにベリンダが引いている気配を感じてマーヴィンスは内心ため息をついた。あーあ、伯父上に気に入られすぎちまったな。トリルトンは気に入ったものにはとことんまで尽くしてやりたがるので、ベリンダには有能で血筋もいい男たちが紹介されるだろう。「貴族のお姫様」を愛することができる「王子様」を彼女は選べるのだ。――トリルトンの()()()であることは確実だが、デメリットにもならないだろう。

 マーヴィンスはシルフィと同じくベリンダの幸せを願っている。この後はトリルトンと一緒にノーラント侯爵をとっつかまえ、遺してきた帳簿を紐解いてノーラント侯爵が手を付けることができないよう隠された資産が十分にあることをベリンダに見せ彼女を安心させなくてはならない。できることと言えばそれくらいだ。

 本心で言えば彼女のそばにいたいが、ベリンダは屋敷で一人ぼっちだったときに手を差し伸べなかった自分を許しはしないだろう。継承権を放棄したとはいえ王族に連なるマーヴィンスはもう一人で理由なくこの国に滞在することも許されない。悪あがきでトリルトンに自分もベリンダの婿候補に入れるよう頼んではみるが、ダメならすっぱりあきらめよう。

 その後シルフィと共に王城に部屋を手配されたベリンダは退出し、残された伯父はマーヴィンスに向き直った。

「……レディ・ベリンダはクラリッサどのには似ておらんな」

「ベリンダ様は繊細なお方ですから。味方のない家で育ったのです、彼女は優秀ですが自信がないのでしょう」

「その自信をつける役割をお前が担えばよかったのにな」

「ご冗談を。当時の僕は後ろ盾どころか枷しかない子どもですよ。婚約者のいるレディに近づくほど厚顔ではありません。クラリッサ様も僕とベリンダ様を近づけたいとは思っておられませんでしたしね」

 言い訳じみた言葉しか並べられない自分が情けない。マーヴィンスは肩を落として冷めた紅茶に口をつけた。紅茶ではなく珈琲が飲みたい気分だった。

「そうか……。いや、過ぎたことをいってもしょうがないね。リネットも殿下が亡くなってからはすっかり抜け殻だったしな。その中でよくやった方だろう」

「はい。ベリンダ様には彼女を支えられる、ふさわしい男を用意してくださればと思います」

 ベリンダの優秀さを妬むではなく、慈しめる人がいい。でしゃばらず、有能で、ベリンダを愛せる人。不倫なんてものは論外だ。

 トリルトンは瞬いてマーヴィンスを見た。

「お前が立候補するものだと思ってたけど?」

「伯父上がふさわしいと判断されたなら、そうしたく思いますよ。ベリンダ様が不快に思われないかが心配ですが」

「お前も優秀だが自己評価が低いんだよ。まったく……誰に似たのだか」

 少なくともこの傲慢かつ有能な伯父には似ていないだろう。マーヴィンスが視線を逸らすと、トリルトンの深いため息が静かに落ちていった。

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