第九話 初迷宮
「ここが……」
深い森を走る街道を抜けた先に広がる、草原。私達はホアガンを抜けて、とうとうオーギアン王国へと入りました。
「この近くに、国境の街ノンジェゾがある。そこにも迷宮があるから、何なら試しに潜ってみるか?」
「まあ、国境の街にも迷宮があるのですか?」
さすがは迷宮王国と言われるオーギアンですね。
「ああ。というか、オーギアンの各街ってのは、迷宮のすぐ側に造られるんだよ。だから、迷宮の数だけ街がある」
なるほど。迷宮の方が先というのが、ちょっと不思議な感じですが、必要だからこそなのでしょう。
ノンジェゾは、確かにすぐ近くの場所にありました。壁も門もない、大変解放的な街です。
「あの奥にあるのが、迷宮の入り口だ。ここにあるのは地下型で、三十階まである。最深部にいる魔物を倒すと、迷宮を踏破した事になるんだ」
「ちかがた……というのは、何ですか?」
「入り口が地上にあって、そこから下へ下へと下りていく迷宮の事をそう呼ぶんだよ。他には森の中央に向かって進む森林型や、塔に上っていく塔型の迷宮もある」
「まあ……色々と種類があるんですねえ」
カルさんが言うには、地下型の迷宮が一番多く、出てくる魔物の種類も豊富なんだとか。
また迷宮は浅い場所でも薬草や鉱物などを採取出来るので、それを生業にしている人もいるそうです。
「危なくないのですか?」
「十階くらいまでは、大人なら問題ないくらいの魔物しか出てこないんだよ。ネズミがデカくなったようなのとか、角のあるウサギとか。あいつらは棒でぶったたきゃすぐ消えるからな」
「消える?」
「ああ。前も言ったと思うが、迷宮の魔物は外にいるのとは違って、倒すと消えるんだ。その後に、素材や肉なんかが落ちる。それを狙って魔物を狩りに行く連中もいる」
だから迷宮探索を仕事にしている人は多いけれど、大抵は五階から十階程度の浅い層で日々の糧を得ているんだとか。
「深層……二十一階以上まで行くのは、腕利きじゃないと危険なんだよ」
「はあ……カルさんは、どのくらいまで行けるんですか?」
「俺か? 俺は単独で十七階が限界だったな。ここじゃなく、王都の塔型迷宮だけど。ちなみにここなら、三十階まで行ってる。最後の魔物は倒さなかったけどな」
「王都にも、迷宮があるんですか?」
「そりゃあるさ。さっきも言ったように、迷宮の側には街がある。王都の塔型迷宮『蒼穹の塔』は、国内でも最大級の塔型迷宮で、オーギアンで最初に見つかった迷宮なんだとさ」
蒼穹の塔。何だか、とても心引かれる名前です。
ニカ様と相談の結果、ノンジェゾで迷宮に潜ってみる事になりました。
「まずは慣れる為にも、十階を目指そうか」
「はい!」
迷宮に入るには、手続きが必要だそうです。
「この迷宮協会に登録しないと、どの迷宮にも入れないんだよ。登録は簡単、名前と出身地、定住場所があればそれも書いて提出する」
「それだけなの?」
ニカ様が言うように、なんとも簡単な登録内容ですね。他は必要ないんでしょうか?
「迷宮探索は、国が国家事業として位置づけているんだ。だから迷宮に入る人間の数は、多い方が国としては助かるって訳」
「だから、登録は簡単にしていると? それでは、犯罪者でも簡単に入れるのではなくて?」
「そりゃ入れるさ。だが、国はそんな事は気にしない。国が気にするのは、迷宮から産出される貴重な品が、きちんと国に入る事だけだ。だから、迷宮からの持ち出しは厳しく管理されてるぜ。それ以外の事、例えば探索者の命なんてのは、本人達でどうにかしろって事だよ。もっとも、奥まで入る連中に勝てる犯罪者なんて、そういねえよ。逆に浅い層は人目が多すぎて人を殺すには適さない」
「……なかなか、厳しい場所のようね」
ニカ様の言葉に、頷いてしまいます。とはいえ、魔法が使えるのなら私にとってはあまり深刻な話にはなりませんが。
あ、いけない。その事を確認しておかなくては。
「カルさん、迷宮の中で魔法は使えますか?」
「多分使えるんじゃねえか? 魔物は魔法を使ってくるからな」
「多分って……」
「いや、探索者で魔法が使える奴なんて、見た事がないんだよ」
思わず、ニカ様と顔を見合わせてしまいます。そういえば、サヌザンド以外の国では、魔法は身近なものではないと言っていましたね。
「ともかく、ここの迷宮に入って私達の力が通用するかどうか、試しておきましょう」
「そうですね、ニカ様」
わからないのなら、試してみるまでです。
迷宮の入り口のすぐ側にある木造二階の建物、それが迷宮協会ノンジェゾ支部だそうです。
「ここですか?」
「ああ、一階で登録を受け付けているから、まずは協会に登録、その後に迷宮へ入る手続きだな」
「そんな事も必要なんですか?」
「一応、申請なしで十日間迷宮から出てこなかったら、死亡と見なされて登録してある住所に報せがいくんだよ。その日数を知る為の、手続きな」
本当に、死と隣り合わせの場所なんですね。
登録は簡単に終わりました。さすがに出身地を正直に書く訳にはいかなかったので悩みましたが、カルさんに言われて彼と同じ場所にしてあります。
「本当かどうかなんて、誰も気にしやしねえって」
笑うカルさんに、私もニカ様も釣られて笑いました。そうですね、ここでは私達が何者かなんて、誰も気にしないんですね。
登録証としてもらったのは、首から提げられるプレートです。これ、魔法付与がなされていますね。魔道具という事でしょうか。
「カルさん、このプレート、魔法付与がなされているんですけど」
「ああ、そりゃそうだろ。何せオーギアン特製の魔道具だからな」
「こちらでも、魔道具が作られるんですか?」
「ああ。魔道具を作るのを専門にしている職人もいるぜ。まあ、大体はオーギアンの王都に集まってるって話だが」
驚きです。魔道具を作る技術が、他国にもあるなんて。エントやホアガンにも、同様の技術はあるのかしら。
そもそも、サヌザンド国外では魔法は珍しいはずでは? もしや、魔道具は魔法に数えられていないんでしょうか。
もらったばかりの登録証を見てみます。付与は、プレートの一部に埋め込まれているごく微量の魔法銀に施されていますね。
魔法銀はサヌザンドでも高価でしたから、微量なのはわかります。そして、この登録証を無料で渡す辺り、国が迷宮攻略を国家事業と位置づけている事にも納得です。本来ならこれ、それなりの金額を取るべきものですよ。
「登録料は、かからないんですね」
「そりゃそうだ。国はなるべく多くの人間に迷宮に入ってあれこれ持ってきてもらいたいんだから。登録料なんぞ取ってたら、誰も探索者になろうと思わなくなっちまう」
なるほど。探索者は手っ取り早く現金収入を得られて、国は労せず迷宮から産出される品を手に入れられる。流民が歓迎される訳ですね。
登録は終わったし、では手続きをして迷宮へ。と思ったのに、カルさんから待ったがかかりました。
「おいおいおい、そのままで中に入るつもりか?」
「いけませんか?」
「少しは装備を調えろよ」
今私達が身につけているのは、ニカ様が女性用の狩猟服、私が黒の会であつらえた狩猟服です。
ニカ様のものは絹のブラウスに革製のビスチェ、革のオーバースカートに絹のアンダースカート、革のロングブーツ。スカートはアンダーが膝下拳二つ程、オーバーが膝丈です。
革はどれも魔物素材で、魔法付与が施されているのが見て取れます。
私のは大型の蜘蛛から採取した蜘蛛糸を織り上げた生地に、魔法付与を施したものでブラウス、ベスト、キュロットを仕立てています。靴は水辺に出没する馬型の魔物の革で造ったロングブーツです。
どちらも汚れに強く丈夫で吸湿性、保温性に優れた品です。これ以上の装備なんて、あるんでしょうか?
ちなみに、ニカ様が着ている服も私の服も、傷を付けようと思ったら魔力を纏わせた魔法剣か、魔法付与をした剣を使う必要があります。
大体、魔法が使えれば防御結界を張りますから、怪我をする事はないと思いますけど。
一応、どれだけ強いかを説明したら、カルさんの顔色が変わりました。
「なんだその化け物並の服は!?」
「失礼ですね。サヌザンドでも最高級と言っていい素材で作った服と靴ですよ」
「いや……サヌザンド、舐めてたわ……」
本当に失礼ですね。
装備はこのままで十分というので、早速迷宮に潜ってみましょう。
迷宮の入り口に置かれている長い机の上には、四角形のガラスのようなものが置かれています。厚みは指二本分くらいでしょうか。
「迷宮に入る手続きは、さっきもらったプレートを、ここに押し当てるだけだ。そうすると、あの四角いガラス板に登録番号が送られる。登録した時に振られた番号だから、誰がいつ潜ったかがわかるんだ」
登録番号に紐付けられた情報の中には、登録した日付も入っているそうです。何でも、なりたての探索者は死亡率が高いんだとか。
嫌な話を聞いてしまいました。
縦に長い四角形の下の部分には、プレートを置くのに適したへこみがあります。ここに置くだけで、手続きは完了だそうです。便利ですね、これ。
手続きを終わらせて、迷宮の入り口に立ちました。それにしても、人が多いですよ。
「どこも迷宮の浅い層が一番人数多いからな。この程度で驚いていたら、大規模迷宮に行けねえぞ」
ここの人数は、他に比べたら普通か少ないくらいなんだとか。これで、ですか?
浅い層は石拾いや薬草狙いの人ばかりなので、魔物討伐を目指す人は中層に行くそうです。
「危なくなったら、俺が相手をするから……といっても、ベーサお嬢には必要ないか」
「どういう意味ですか? それ」
「いやいや、今までの事を考えると……な」
カルさんは失礼ですね!
「ベーサ、頼りにしているわ」
「お任せください! ニカ様」
失礼な人の後に見る、ニカ様の笑顔は格別です。ニカ様の為にも、頑張らなくては!