第十八話 幽霊
ニカ様と私は、星の和み亭に戻って数日の滞在を申し込んでみました。
「今は客が少ない時期だから大丈夫。夏を越えて冬になると、地方からの出稼ぎ探索者が増えるからねえ」
どうやら、春から秋までは農作業に従事する人達が、農閑期に迷宮の探索をするそうです。
王都ダシュユーロの周辺にも農村が散らばっていて、冬にはそこから人が集まるんだとか。
逆に、農村が忙しい今の時期は、探索専門に活動している人が多いので、どこの宿も空きがあるそうです。
「だから、うちでなくとも普段はもっと高額の宿も、この時期は少しだけ安くなるんだよ」
「そうなんですね。でも、ここを知ってしまったら、他の宿に泊まる気になれません」
思わず本音がこぼれたら、女将さんに笑われました。
「あっはっはっは、ありがたいねえ。じゃあ、今後ともご贔屓に。それで、どのくらい連泊する予定だい?」
女将さんに聞かれて、思わずニカ様を振り返ります。日数に関しては、決めていただきましょう。
「とりあえず、四日ほどお願いします。状況によっては、もう少し長くなるかもしれません」
「あいよ。二食付きでいいかい?」
「はい」
ニカ様と声が重なりました。星の和み亭の食事はおいしいので、ぜひともつけてもらいたいです。
用意された部屋は、今朝方までいた部屋そのままでした。既に清掃は終わっていて、相変わらず清潔感に溢れる場所です。
「この子はここに置いておきましょう」
「ニカ様、試しで塔に入る際には、対鳥を連れて行きますか?」
迷宮の中では役に立たないとカルさんは言っていましたけど、このまま宿に置いて行く訳にもいかないでしょうし。
ニカ様も、その辺りは考えておられたようです。
「そうね。連れて行きましょう。対鳥一羽守れないようなら、自分の身を守るのも危ういもの」
なるほど。確かにそうかもしれません。
「それと、兄上からの連絡だけれど」
「はい」
「今日中に来なければ、明日一泊、手持ちの装備だけで塔に泊まってみたいのだけど」
「わかりました。野営の道具がどこまで通用するか、試してみましょう」
「ええ。本当は、こちらの希望通りの魔道具を作れるといいのだけれど」
ニカ様の中では、既に必要と思われる道具の機能が浮かんでいるようです。
「シェサナさんに注文して作成してもらう事は、出来ないでしょうか?」
「わからないわ。魔道具師なら、どんな道具でも作れるというのなら、注文するのだけれど」
「ちなみに、どんな道具をお望みでしょう?」
私の問いに、ニカ様は少し俯いて何かを考えておられます。
顔を上げてこちらを見た目は、とてもまっすぐでした。
「結界を張れる道具がほしいの」
昨日一晩待ちましたが、黒の君からの連絡はありませんでした。本当に、どういう方法で連絡してくるんでしょうね。
いっそ、対鳥を黒の君も持っていてくださればいいのに。あ、でも対鳥って、あまり離れると手紙を送れなくなるとか、ないんでしょうか。
その辺り、検証してみたいですね。
「ではベーサ、行きましょうか」
「はい」
本日は、ニカ様と二人だけで蒼穹の塔に一泊する予定です。塔の内部に関する情報は、協会で教えてもらえるんだとか。
情報なのに、無料なんですね。
「その分、探索者には攻略を頑張ってもらいたいんじゃないかねえ? 何せ塔は、まだ二十階かそこらまでしか上った人間がいないから」
星の和み亭の女将さんは、そんな事を言っていました。
という訳で、本日はまず協会で塔の情報を確認です。なるべく下の階で、安全に夜明かし出来る場所が見つかるといいんですけど。
協会は、今日も大勢の人で賑わっています。相変わらず、新規登録の人が多いんですねえ。
情報の方は、無事聞けました。一番階数が低くて安全に過ごせる場所があるのは、九階なんだとか。
それ以下だと日帰りの人が多く、安全な部屋があったとしても、拠点を築くのには向かないと言われました。
「ただ、九階でも拠点を築くのに向いているかと言われると、ちょっと疑問なんですが……」
そう言って、受付の女性が教えてくれた内容は、九階だと拠点としては階数が低すぎて用を為さないそうです。
何せ、拠点が必要な人は攻略を進めたい人達ばかりですから。それなりの階数に拠点を築く必要があるそうです。
「ですが、逆を言いますと九階で夜明かしをする人はいませんので、お二方の目的を考えますと、ちょうどいい場所かと」
最初からこちらの目的を提示しての相談でしたから、受付の方も親身になってくれました。
聞けば、お試しで塔に一泊する人はいるそうです。そして、そういう人達は大抵上階に進むんだとか。
私達も、上階に行ければいいんですが……って、違いますよ。私の目的はニカ様を安全な場所に避難させる事です! 私が目的を忘れてどうするんですか、もう……
情報が聞けたので、早速そこまで登ってみましょう。
「他に支度するものはなくて?」
「大丈夫です。食料も、まだまだ収納魔法の中に入ってますし」
「心強いわね」
ニカ様に褒められてしまいました。
塔の中は、前回と変わらずどこかの屋敷のような様子です。
「このまま九階まで一気に行きますか?」
「……いえ、様子見をしながら進みましょう。無理ならすぐに引き返すように」
「わかりました」
安全第一という事ですね。大事な事だと思います。魔物討伐の際にも、安全を確保してから行動していました。
前回は三階を回っただけで終わりましたね。あの時は猫の毒がキツネのものに似ているとわかりました。
あの毒に対応する魔法は、既にニカ様も私も使用済みです。毒耐性魔法は、一度使って体に染みこめば、二度三度と使う必要がありません。
さて、今回はどんな魔物に遭遇するのでしょうか。
「まずは三階ですね」
「そうね。開けられるタンスや引き出しは放っておきましょう」
「はい」
今回は九階で一泊が目的。まっすぐ行ってまっすぐ帰ってこようというのが、ニカ様の建てた計画です。
三階は割と簡単に通れました。猫も出ましたけど、毒に対する耐性がありますし、ニカ様の結界もあるので問題ありません。
雰囲気が変わったのは、やはり七階の階段付近でした。
「少し、様子が変わったわね」
「そうですね。気を付けて進みましょう」
目の前の階段を上ると、七階です。これも受付の方が教えてくれたんですが、蒼穹の塔では七階を境に出てくる魔物の強さが変わるそうです。
「七階がある意味境界線ね」
「越えられれば、その先に行ける強さがあるという事ですか」
多分、現在停滞しているという二十階も、境界線なんでしょう。八階から二十階までは、同程度の魔物が出てくるんだと予想しておきます。
とはいえ、まずは目の前の七階から。
階段を上ると、薄暗い室内に出ました。
「暗いですね……」
「そうね。明かりが必要かしら」
ニカ様が、魔法で明かりを出します。丸いふよふよと浮かぶ光の球で、辺りが一気に明るくなりました。
「ありがとうございます、ニカ様」
「どういたしまして。さあ、では進みましょう」
塔の内部の地図は、協会で買えます。現在地図があるのは、十九階まで。二十階は現在鋭意作成中だそうです。二十階が、攻略の最前線ですからね。
その地図、階数ごとに売られていて、高い階数であればある程お値段が高いです。
ちなみに、私達は九階まで買いましたが、全部で小金貨三枚程が消えました。黒の君にいただいたお金がまだあるのでいいですが、そろそろ本気でお金を稼ぐ事を考えないと。
お金は、なくなってから慌てるのは下策、なくなる前から増やす事を考えないといけないそうです。
それはともかく、七階は薄暗くて陰鬱な感じですね。
「ベーサ、この階から、猫や犬以外の魔物も出るのよね?」
「はい。何でも、幽霊だそうです」
地図には、その階で出る主な魔物の一覧も書き込んであります。便利ですね。お高いですけど。
私の返答に、後ろを歩いているニカ様が疑問を投げかけてきました。
「幽霊……本当に、この塔で亡くなった方達ではないのよね?」
「そういう話でしたねえ」
この辺りの話は、地図と情報を買った際に窓口の女性に教えてもらったんです。「なので、容赦せずに切り倒してしまってくださいね!」と明るく言われました。
幽霊って、切り倒せるものなんでしょうか?
七階に上がって、八階へ進む為の階段へ向かいます。地図のおかげで迷わずに済むので助かりますね。
ふと、前方から魔物の気配が。
「ニカ様! 来ました! 前方十五!」
「了解!」
ニカ様が明かりをもう一つ出し、廊下の先へと送ります。
明かりに照らし出されたのは、ボロボロの衣服を纏った女性。その姿は半分透けていて、目は穴が開いているように黒いです。
そんな幽霊が三体。衣服は、元は使用人が着るお仕着せだったようです。
「いきます! 火炎槍!」
炎が槍の形で幽霊に飛んでいき、三体見事にぶち抜きました。
「お見事」
「恐れ入ります」
幽霊が消えた後には、丸いガラス玉のようなものが転がっています。これは、魔物が消えた後に残るというガラス玉でしょうか。
幽霊にも等級があって、下の等級の幽霊は消えるとガラス玉を落とすそうです。
等級が上がるにつれて、落とす玉の質が上がり、水晶、貴石を経て最上級になると宝石を落とす、と言われているそうです。
残念ですが、まだ幽霊が落とした宝石を協会に持ち込んだ人はいないらしいですが。
ちょっと見てみたいですね、幽霊の落とす宝石。
八階も七階と同じように、陰鬱な階でした。出てくる幽霊も数が増えたくらいで、全てガラス玉となりました。
「ニカ様、魔力の方はどうですか?」
「問題ないわ。私は結界と明かりを維持しているだけだから。ベーサの方はどう?」
「まったく問題ありません!」
何せ、魔力量だけは人に誇れますから。
この階層も、問題なく通れそうです。出てくる幽霊は七階同様使用人らしき姿の者ばかり。
あ、でも時折上級使用人らしきたたずまいの人達が出ます。本当にたまにですけど。そこが違いでしょうか。
向こうからの攻撃は全てニカ様の結界が弾いてくれますので、私は前に立って攻撃の連続です。
「火炎槍、火炎槍、火炎槍……はあ」
術式名を唱えるのが発動の鍵になるので、散々唱えているのですが、そろそろ口が疲れてきました。
これ、自動で発動とか、出来ないかしら。
「ベーサ、そろそろ疲れたのでは?」
「そう……ですね。唱え疲れました」
ニカ様から心配する声がかかりましたので、つい本音で答えてしまいました。一拍おいて、笑い声が響きます。
「ふふふ、まだ大丈夫のようね」
「いえいえ、もう口が疲れて疲れて。ですが、今夜過ごす九階まであと少しですから」
「そうね。上に登る階段はもう少し先のようだけど、残りは一気に行きましょう」
「はい!」
さて、気合いを入れ直して、この陰鬱な階層を抜けましょう。