天狗の験力 ─真朱─
茶髪の天狗──伊那は、餅と竹筒に入れた水を携えていた。
竹筒を渡された真朱は、飛びつくように口をつけた。冷たい水がのどをすべり落ちていく。全身が生き返るようだった。
天狗たちは、倒れた松の幹の炎で餅を炙っている。ややあって、真朱がひと心地ついたのを見はからったように、伊那が声をかけてきた。
「あんたの右腕にあらわれている、そのしるし。そいつは、もとは鷲比古の腕にあったものなんだよ」
真朱は竹筒から口をはなし、自分の右腕をおおう赤い斑紋に目をやった。警戒しつつ、伊那を見上げる。
「……この、あざのこと?」
「そいつはあざじゃない。魔縁葛のつるだ」
マエンカズラ……? と、真朱は口の中で繰り返した。聞いたことのない植物だ。
餅をひっくり返しながら、伊那が続ける。
「魔縁葛は、大天狗の験力の源だ。大天狗は、魔縁葛の種を身中にとりこむことによって、験力を得る。鷲比古の腹の中には魔縁葛の種があって、そこから伸びている力のつるが、目に見えるかたちであらわれたのが、そのしるしなんだ」
真朱は、むっつりと餅を炙っている鷲比古を見やった。
濃い肌の色にまぎれて今まで気づかなかったが、袖のない衣からのびる彼の左腕は、真朱の腕にあるのとよく似たつる草のような斑紋におおわれている。
「魔縁葛は、本来、大天狗の身の内にしか存在できないはずなんだ。ところが、鷲比古の腹の中の種から伸びてるつるの一部が、なぜかあんたにあらわれてしまっている。──あんた、藤の木って見たことある?」
「……あるけど」
藤がどう関係するのか。いぶかしく思いながら真朱がうなずくと、伊那は続けた。
「一本の木の幹にからみついて育った藤のつるが、上のほうで、近くに生えていた別の木につるを伸ばして巻きついていることがあるだろ。今のあんたと鷲比古は、たぶんそういう状態なんだ。藤を魔縁葛とすると、はじめに巻きつかれていた木が鷲比古、後から巻きつかれた木があんただ」
真朱は眉をよせた。ということは、彼女の腕にあらわれている斑紋は、目に見えないつるとやらで鷲比古とつながっているということだろうか。あまりにも突拍子がなくて、信じる信じない以前に、戸惑いが先にたった。右腕の赤い変色は、たしかに植物が巻きついたようなかたちをしているし、突然あらわれて気味が悪い。けれど、それでも、ただのあざにしか見えない。
「どうして、こんなことになったのかは、わからない。でも、とにかく鷲比古の魔縁葛は、つるを伸ばして、その先をあんたに巻きつけちまってる。しかも、そこで花まで咲かせちまった」
「花?」
「験力だよ。あんた、雷を落としたんだろ」
否定しようとした真朱を制して、伊那が続ける。
「験力の発現先があんたになっちまってるのは、間違いない。そのせいで、鷲比古が験力を使えなくなってる。あんたに力をとられたと、俺たちが言っているのは、そういう意味なんだ。あんたに巻きついている魔縁葛のつる。俺たちは、そいつを鷲比古に戻したい。あんたを郷から連れてきたのは、そのためなんだよ。いきなり連れてこられて、びっくりしたかもしれないけど、あんた、鷲比古に助けてもらっただろ。恩返しだと思って、しばらくつきあってくれよ」
「……助けた?」
聞き捨てならず、真朱は語尾を上げて繰り返した。風と礫で襲われたり、突然さらわれたり、ひどい目には何度もあわされたが、助けられた覚えなどない。
「わたしを? いつ?」
「何言ってんだよ。あんた、昨日崖から落ちたところを、鷲比古に受けとめてもらったじゃないか」
やや気を悪くしたように言われて、真朱はぱちくりした。
もしかして、香与たちと一緒に山を下りる途中で、岩棚から落ちたときのことか。あれは、真朱をさらったのではなかったのか。
「べつに助けたわけじゃねえよ」
鷲比古が餅をつつきながら、ぶすりと言った。
「目の前に落ちてきたから、拾っただけだ」
当惑して、真朱は口をつぐんだ。
そもそも、崖から落ちたのは天狗の風のせいだ。それに、昨日からのことを思えば、とても感謝する気になどなれない。だが、あれが彼女を助ける──少なくとも、死なせないための行動だったというのは、思いもよらないことだった。
鷲比古が焼けた餅のひとつを枝に刺して、真朱のところに持ってきた。
香ばしいにおいに、口の中がつばでいっぱいになる。
だが、真朱が手を伸ばすと、鷲比古は「おっと」と枝を高く持ち上げた。
「うまそうだろ。もう逃げないって約束するなら、やってもいい」
なんて奴。
真朱は怒りをこめて鷲比古をにらんだ。もしかしたら、そう悪い奴ではないかもしれないと思いかけたところだったが、とんでもなかった。やはり天狗なんか、非道で心の通じない化け物だ。
だが、毅然とつっぱねるには、ただよってくる餅のにおいは、あまりにも魅惑的だった。
平然と見下ろしてくる天狗の顔と、枝先で揺れる餅をしばしにらみ、真朱はごくりとつばを飲みこんだ。
「……いつまで、いればいいの?」
「俺に験力が戻るまで。おまえに巻きついている魔縁葛のつるが消えて、俺がまた験力を使えるようになれば、郷に帰してやるよ」
「それって、いつ……?」
鷲比古ががっと歯をむく。
「うるせぇ! 今、おまえのつるを外す方法を探してんだよ。けど、その間に、おまえに勝手にいなくなられたら、困るんだ!」
真朱はくちびるを噛んだ。
屈辱だ。食べ物をえさに従わされるなんて。だが、よじれるような空腹と餅のにおいには抗えなかった。
「……わかった」
真朱はつぶやいた。さらに小さい声で、「もう逃げないから」とつけ加える。
ふん、と鼻を鳴らして、鷲比古が真朱のひざの上に餅を落とす。
敗北感と情けなさを抱きながら、真朱は餅を手にとった。
熱い餅は、泣きたくなるほど美味に感じた。甘く香ばしい米の味の中に、ほのかに舌に残る苦みがある。栃の実をひいた粉を混ぜているのだろう。栃の実を混ぜた餅は、郷でもよくつくる。天狗も同じようなものを食べているのか。
郷に帰りたい気持ちがこみ上げてくる。どうしてこんなことになってしまったのだろう。
餅を噛みしめて、真朱は涙をこらえた。
叔父たちはどうしただろう。つい先ほどまで、彼らはここにいたのだ。真朱が合流できていたら、今頃、一緒に郷へ帰れただろうに。また、ここへ戻ってきたりはしないだろうか。
ふたくち目をかじり──、真朱は餅を見た。
(え、これって……)
覚えのある──よく知っている味だ。
「……こ、この餅、どうしたの⁉」
は? と天狗たちが眉を上げる。
けげんそうな天狗たちを見上げて、真朱は言いつのった。
「これ、わたしがつくった餅だよ。なんでここにあるの?」
栃の実を混ぜた餅。郷では秋にどこの家でもつくるものだが、つくり手ごとに味が異なる。不思議なことに、同じ材料でつくっても、同じ味にはならないのだ。これは、真朱が昨年、屋形の人々とともにつくったものだ。
「べつに驚くことじゃないだろ。あんたたちがよこした貢ぎ物の残りだもの」
呆然としている真朱に、伊那が餅を頬張りながら「ほら、山の上の……」ともごもご言う。
思い出した。郷の北の峰にたつ、天狗とひとの領分の境を示した杉の巨木。そのかたわらには、供物を納めるための御庫があり、郷では毎年、布や酒、餅などを供えていた。
「あなたたち、お供え物を盗んでるの⁉」
「何言ってんだよ。もともと俺たちへの貢ぎもんだろうが」
不本意そうに言われて、反論につまる。たしかに、あの御庫に納めているものは、天狗への供え物だ。けれど、こんなふうに消費されているとは思わなかった。
真朱は餅をかじった。
では、この餅は、父親が亡くなったあの日に供えたものなのだ。胸の底から熱いものがこみ上げてきて、のどがつまったようになる。
屋形のみんなと餅をついたときのことが浮かぶ。これをつくったときには、まだ父親は元気だった。真朱も、こんな状況で自分が食べることになるなんて、想像もしていなかった。
霧の中で見た幻がよみがえる。冷たい雨が降る中、戸板にかけられていたむしろ。それに重なって、白装束に身をつつみ、剣と供物を携えて山道を登っていった父親の姿が浮かんだ。父親の死は、あまりにも突然だった。心の準備をする余裕などなかったし、後には形見になるものも残らなかった。
さらにひとくち、餅をかじる。懐かしい味だ。
屋形では長い間、真朱が父親を支えて刀自の役を担っていた。だが、今年のはじめに父親が亡くなり、叔父が新たに郷長に就いたのに伴って、屋形の刀自も真朱から叔母に移ったのだ。餅をつくにしろ、酒をかもすにしろ、叔母が采配するようになり、わずかだが味が変わった。決して不味いわけではないし、役目を譲ったことに不満があるわけでもない。けれど、時々、どうしようもなく寂しくなることがある。
北の峰の杉に詣でるならわしも、落石で山道がふさがれ、祭具ともいうべき剣が失われたことから、叔父を中心に郷の大人たちの間で、今後も続けていくべきかどうかを再考する動きがおきていた。屋形の中でも、郷でも、少しずつ変化があり、父親の影が薄れていく。
しかたのないことだと、わかっている。けれど──
はっ、と天狗が息をのんだ。
「おい、おまえ──」
閃光が走り、轟音が天狗の声をかき消した。あたりの空気をふるわせて、倒れた黒焦げの松の幹にいかずちが落ちる。
真朱は衝撃で吹き飛ばされて、地面を転がった。
天狗たちが何かわめいているようだったが、耳鳴りがひどくてほとんど聞こえない。頭蓋の内と外に、鼓動と同じ拍で痛みがはじける。
身を起こそうとしたが、全身がどろどろに溶けたように感覚がなく、力が入らなかった。それでいて、熱した火箸の先で引き裂かれるような痛みが、肩から腕をつたって指先へと広がっていくのは、はっきりと感じられた。
(熱い……)
両腕を灼く熱と痛みに塗りつぶされるように、真朱の意識は闇の中に飲みこまれていった。
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