天狗の験力 ─鷲比古─
岩かげに真朱を押しこむと、鷲比古は岩の上にのぼって、天狗たちが近づいてくるのを待った。
山裾の倒れた松からはまだ黒い煙が上がっていたが、もう炎は見えない。木立の中を、人々が郷のほうへ逃げていく。
その様子を眺めながら、鷲比古は動揺する気持ちを静めようとした。
あの娘が天狗の力を発するのを見たのは、はじめてではない。昨日、郷から連れてくるときには小屋の屋根を吹き飛ばしていたし、秋沙に殺されそうになったときも彼をはじき飛ばしていた。それくらいなら、まあいい。突風をおこして物を吹き飛ばしたり、枝を折ったりするくらい、雛の天狗たちだって容易くやってのける。だが──
(さっきの、あれは……)
晴れた空から、松の木にむかってまっすぐ落ちてきた閃光のかたまり。
間違いない。あのいかずちは、魔縁葛から生じる験力。大天狗だけがふるうことのできる、特別な力だ。
その特別な力を、あの娘は鷲比古から奪ったうえ、ひとの身でふるってみせたのだ。
(なんで、あいつが……)
右のてのひらに目を落とす。あの娘の身の内からあふれだした力が、この手をはじいた。じんわりとしびれが残るてのひらを、爪がくいこむほどきつく握りこむ。
(ひとの娘に、なんであんなことができるんだ……?)
「鷲比古さまー!」
茶色の翼を羽ばたいて、天狗たちが近づいてくる。松焔山をねぐらにしている群の天狗の中でも、比較的若い者たちだ。
鷲比古は深く息を吸いこんで吐き、乱れる気持ちを抑えつけた。彼らに、動揺を悟られるわけにはいかない。岩から飛び下り、降下してくる彼らのほうへゆっくりとむかう。
娘の姿を見られただろうかと、ちらりと不安がよぎる。鷲比古がひとの娘に験力を奪われたことは、ごく近しい三人──秋沙、伊那、翠を除いて、群のほかの天狗は知らない。この先も、明かすつもりはなかった。なぜ、ひとの娘を連れているのかと問われたら、何と言ってごまかそうか。
だが、そんな心配は必要なかった。地面に降りた天狗たちは、鷲比古にかけよってくると興奮した様子で言った。
「鷲比古さま! おめでとうございます!」
いきなり言われて、鷲比古はめんくらった。
「さっきの雷、鷲比古さまでしょう?」
「とうとう御力を発現されたんですね!」
口々に言われて、察する。彼らは、先ほどいかずちを落としたのが、鷲比古だと思っているのだ。
「すごかったぁ。羽の先までしびれましたよ!」
「ちっとも存じ上げませんでした。お側衆も長老も、何にもおしえてくれないんだもの。いつ発現されたんですか?」
鷲比古が返答につまると、天狗の一人がぱっと顔を輝かせた。
「もしかして、先ほどのが初めてですか? お側衆もまだご存知ないとか?」
「ああ、その……、まあな」
鷲比古はやむなくうなずいた。天狗たちが「おぉーっ」とどよめく。
「すごいっ! 俺たちが最初だ!」
「お側衆より先に見たぞ!」
お側衆というのは、群の中から選ばれて、大天狗の側近くに仕える者たちのことだ。大天狗の鷲比古は群の次期頭領と目されていて、秋沙たち三人は彼に仕えるお側衆だった。
「これで、ようやく験競べを執り行うことができますね!」
「そうしたら、いよいよ代替わりだ! ああ、太郎坊さまがいらしたらよかったのに。こんなときに御不在だなんて」
験競べは、群の頭領の代替わりの儀式である。当代の頭領と次代の頭領候補が験力を用いて勝負し、頭領候補が勝利すれば代替わりが成立となる。鷲比古が群の頭領を継ぐには、現在の頭領である太郎坊に験競べで勝利する必要があった。
天狗たちが、翼を広げて鷲比古をせきたてる。
「行きましょう、鷲比古さま。御力を発現されたこと、早くみんなに知らせないと」
「長老たち、ひっくり返るぞ。今日は祝いだ!」
すっかりはしゃいでいる天狗たちに、鷲比古は急いで言った。
「いや……、おまえら、先に行ってろ。俺は、後から行くから」
天狗たちはきょとんとしたが、すぐに心得顔でうなずいた。
「わかりました。先にみんなにふれておきますね」
「でも、はやく来てくださいよ。みんな、お祝いを言いたがるに決まってますから」
わいわい言いながら、天狗たちが翼を広げて次々に飛び立つ。ふざけあいながら飛び去って行く彼らの姿が見えなくなると、鷲比古は頭をかかえてその場にしゃがみこんだ。
(……待て。まずい……。まずいぞ、これは……)
あの若い天狗たちは、群に戻って自分たちが見たものを話してまわるだろう。鷲比古が験力を発現したと、誤解が群中に広まってしまう。
ぐしゃぐしゃと白い髪をかきまわす。昨日、あの娘に験力をとられたと気づいたときにも面倒なことになったと思ったが、さらに厄介なことになりつつある。
(あぁ、もうどうしたらいいんだよっ!)
鷲比古は深く息を吐くと、立ち上がった。大またで岩の後ろにまわって、かげにうずくまっている娘をのぞきこむ。
娘は具合が悪いのか、青い顔でぐったりと岩にもたれていた。
ざまをみろ、と心の中で毒づく。よそから奪った力を、厚かましくふるったりするからだ。
声をかけるが、返事がない。かまわず娘の胴に腕をまわして、小脇に抱え上げた。娘が何か抗議するようなことを言ったようだったが、無視して翼を広げる。
山裾までひと飛びして、鷲比古は倒れた松のそばに降りたった。
あたりは黒くすすけていて、ものの焦げるにおいと熱気がたちこめている。鷲比古は娘を下ろすと、黒い煙を上げている松の幹に歩みよった。
太さが一丈はあろうかという巨木だった。それが、てっぺんから根元まで二つに裂けて横たわっている。芯は白く燃え残っていたが、樹皮はほぼ真っ黒に炭化していた。ところどころ炎が消えずに残っていて、ちろちろと赤くゆらめいている。
(……こんな太い木を一撃で打ち倒したのか)
ひとの身で、しかも力の本来の持ち主でもないくせに。
鷲比古はふり切るようにきびすを返すと、うずくまっている娘のもとへ戻った。
「おい、おまえ。さっきの、どうやったんだ?」
ぼんやりした表情で、「え?」と見返してくる娘に、黒焦げになった松を指して繰り返す。
「さっきのこれ、どうやったんだよ。もう一回やってみろ!」
娘は、鷲比古から松の残骸へ、再び鷲比古へと視線を移し、おそれたように首をふった。
「わ、わからないよ。わたし、何もしてな……」
「ふざけるなっ!」
娘が首を縮める。
途方に暮れたように瞳をさまよわせる娘を、鷲比古はいらいらと見下ろした。
(なんなんだ、こいつは……)
どう見てもただのひと──とりたててきわだったところの見えない小娘なのに、鷲比古から験力を奪い、あまつさえふるってのけるなんて。しかも、本人に力をふるった自覚がないようなのが、また不可解であり、癇に障るところだった。
ふと気配を感じて、空を仰ぐ。一人の天狗が、翼を広げて降りてくるのが見えた。
先ほどの天狗が戻ってきたのかと、一瞬ぎくりとするが、そうではなかった。茶色の髪が、風に乱れて逆立っている。伊那だ。
降りてきた伊那は、鷲比古の足もとにうずくまっている娘を見ると、ほっと表情をゆるめた。
「よかった。そいつ、見つかったんだな」
それから、あたりの惨状を不安そうに見回す。
「──何があったんだ? さっき、すごい音が聞こえたけど、もしかしてこれのせい?」
「ああ。……こいつがやった」
娘を示して、先ほどあったことを話すと、伊那はみるみる青ざめた。
「ちょっ……、それって、こいつが魔縁葛の験力をふるったってことか⁉」
「そうなるな」
「そうなるな、って……。鷲比古、まずいよ、これは」
そんなことはわかっている。
と、足もとからかすれた声がした。
「……わたし、何もしてない……」
見下ろすと、ふらつきながら上体を起こして、娘がこちらをにらんでいた。顔色は悪いが、鷲比古をにらみ上げる目には強い光が戻っている。
「本当だよ。あなたたち、何か思い違いして……」
「おまえ、ついさっき、俺の目の前で験力をふるったじゃないか。落雷を起こしただろ。無事に帰りたかったら、どうやったのかおしえろ。そんで、俺に力を返せ!」
「……だから、あなたの力なんて、知らないってば!」
焦れたように、娘の口調が強くなる。
「わたし、何もしてない。ゲンリキなんて、知らない……!」
「ついさっき、ふるっただろうが。俺から奪い取った力を!」
「知らな……、あなたの力なんか、とってないよ!」
「嘘つけ!」
ひざをつき、娘の右腕をつかんで、肌に浮かんだ赤いしるしをつきつける。
「だったら、これは何だよ。力のつるがおまえの腕にあるってことは、俺の験力をおまえが持ってる証拠だろうが!」
「そんなの、知らない……。わけの、わからないことばかり、言わないで!」
そのとき、クウゥゥ……と長く尾を引いて、娘の腹が鳴った。娘が勢いをくじかれたように、言葉をとぎらせる。
鷲比古はすかさず口を開いたが、言葉を発するより早く、今度は彼の腹がグゥゥ、と鳴った。互いに、相手の顔に同じきまりの悪さを見とめて、居心地悪く沈黙する。
二人を交互に見やり、伊那が肩をすくめた。
「……なあ、いったん休戦にしないか。腹ペコで言いあっても、ますます腹が立つだけだろ」




