継承
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洞の外は、どしゃ降りだった。
鷲比古は洞の入り口に立ち、見回りに出た仲間の戻りを待っていた。
大粒の雨滴がとばりのように景色を隠し、地面を激しく叩いている。まるで、山の上に底の抜けた湖があらわれたようだ。豪雨を降らせているのは、太郎坊が呼びよせた雷雲だった。
洞の奥から伊那が出てきて、鷲比古の足もとに無言でしゃがみこんだ。
「……ジジイは?」
鷲比古の問いに、首をふる。
「まだ、眠っておられるよ」
雷雲が松焔山をおおい、雨が降りだしてすぐに、太郎坊は意識を失って倒れた。それからずっと、眠り続けている。
しばらくすると、水のとばりをつき破るようにして、見回りに出ていた天狗が次々に戻ってきた。
「火はほぼ消えました」
「山に入りこんでいた連中は、あらかた出ていったようです」
ずぶ濡れで報告する仲間たちに、「そうか」と鷲比古はうなずいた。
「ですが、行方のわからない二人は見つかりませんでした」
「あとの者が、残って探しています」
頂近くの洞には、群のほとんどの天狗が逃れていた。だが、全員が無事とはいかなかった。鷲比古が見つけた若い天狗を含めて、五人がひとに討たれて犠牲になり、いまだ二人の行方がわからないままだった。
「ご苦労だったな。奥で休んでくれ」
天狗たちが一礼して、滴をしたたらせながら洞の奥へ入っていく。
彼らと入れ違いに、奥から翠が出てきた。かたい表情で、鷲比古を呼ぶ。
「すぐに来て。太郎坊さまが目を覚まされた」
洞の奥で、太郎坊は天狗たちに何重にも囲まれて横たわっていた。
暗い洞の中で、太郎坊のまわりだけがほのかに明るい。彼の翼が発する光だ。だが、以前のようなまばゆさはなく、強く吹いたら消えてしまいそうに淡い。
鷲比古が近づくと、天狗たちが道をあけた。
そばに控えていた長老の一人が、のっそりと体をかたむけて、太郎坊の耳に「鷲比古が参りました」とささやく。
枕もとにひざをついた鷲比古は、目を閉じて横たわる老天狗を見下ろした。
頭蓋骨に皮膚をはりつけたような、しわだらけのしなびた顔。肌の赤銅色も、どこか白っぽく色あせて見える。ゆるく束ねた白い蓬髪も、あちこち抜け落ちてすっかり薄くなっている。
しばし言葉を探し、口を開く。
「……おいぼれのくせに、無理するからだ」
目を閉じたまま、太郎坊がかすかに笑う。
「後継のできが悪いからのう。無理せざるを得ぬのだ」
うっすらと目を開けて、鷲比古を見る。
「……柔弱者め。ようやく発現したか」
ああ、と鷲比古はうなずいた。背中の翼を広げて見せる。羽根の間から金色の光がこぼれて、あたりに広がった。
「気を揉ませおって……。継ぎ手を見出すことができずに去らねばならぬかと、覚悟していたが……」
太郎坊が深く息をつく。
「この山は、捨てるがいい。東に新しい山を見つけてきた」
そのために、山を離れていたのか。
無言で問うた鷲比古に、そばに控えた長老が、心得ていると目顔で示す。
「新たな山へ群を導け。おまえの最初の仕事だ」
ああ、と鷲比古はうなずいた。声の端がうるむのを、こらえることができなかった。
太郎坊が苦笑する。
「それだから、おまえは柔弱だと言うのだ。発現しても、変わらぬか」
しようのない奴だ、と息をつき、目を閉じてほほえむ。
「……まあ、よい。どこまでやれるか、やってみるのだな」
太郎坊の全身を、淡い光がつつむ。
周囲の天狗たちがざわめく。鷲比古は身をのりだした。
「……ジジイ!」
周囲から、「太郎坊さま……!」といくつもの声が上がる。
「──天狗どもよ。長いつきあいだったが、別れのときが来たようだ。そなたらと過ごしたこの年月、なかなか愉快であったぞ……!」
金色の光が強くなる。光の中で、老天狗の姿はまたたく間にしなびていった。枯れ落ちた葛のように乾いて縮み、最後に塵のように崩れてなくなる。後には、金色に光る数個の粒が残った。
長老の一人が、その粒を拾い集めて、鷲比古の手にのせる。
鷲比古は、てのひらの上で静かに光る金の粒を見つめた。魔縁葛の種だ。小さな種を握りこみ、鷲比古はこみ上げてくる感情を飲みこんだ。
秋沙が、鷲比古の前に膝をつく。
「本来、群の頭領の代替わりは、験競べにて成るのが慣例だ。だが、今回、異例ではあるが、太郎坊どのの指名と逝去により、鷲比古どのを我らの頭領に迎えたく存ずる」
鷲比古は、秋沙を見た。伊那を、翠を、洞窟を埋める大勢の天狗たちを見た。
「……いいよ。やってやる」
立ち上がり、再度、天狗たちを見まわす。
「この山はひとに汚された。先代の遺志に従い、山を移る」
「出発は?」
鷲比古は言った。
「──今、すぐだ」
もう少し続きます。
次話更新 7/10予定 →7/14に変更